不思議な現象
暗闇の中、聞こえる音だけを頼りに生きていく。
今まであったものが無くなってしまうというのは耐え難い事で、ルーファスは何も出来ない自分に激しく嫌悪した。
優秀だと言われ、周りにいる者達皆が自分を持ち上げるように褒め称えてくれていた。今までは。
もちろんその言葉全てを鵜呑みにする訳ではなかったが、誰からもそう言われて育ってきたルーファスは、自然とそれらの事が自信へと繋がっていたのだろう。
自分がこの国の王となり、より強靭な国へとしていくという事を、そうできると信じて疑わなかったのだ。
しかし自分がこうなってから、初めは聞こえてきた心配する声も次第に無くなり、次期国王はヴァイス殿下だとの声が耳に届くようになってきた。
目も見えず声を発する事もできなくなってから、耳だけが頼りであるルーファスの聴覚は、日に日に鋭くなっていった。部屋の外で話す声や、少し離れた場所での声でさえ、聞こえるようになっていたのだ。
声質から誰の声かも分かる。前は自分を褒め称えなついていた者が、今は
「ルーファス殿下はもうダメだ。機嫌取って取り入ったのに、今までの苦労は何だったんだ」
と愚痴を溢す。
聞きたくない声ばかり聞こえるような気がする。だから自分に向けての言葉は、誰の言葉であろうと聞こうとしなかった。
そんな自分の世話をしてくれているのは、前にフューリズに頭を燃やされてしまった侍女のオリビアだった。
自暴自棄になっていたルーファスに寄り添い、親身になって世話してくれたのは彼女だけだったのだ。
「ルーファス殿下、食事をお持ち致しました。本日のポワソンはルーファス殿下のお好きな白身魚とフォアグラのミルフィーユでございます。アントレは黒牛のフィレ肉のシャルルマーニュ風でございます。シェフがルーファス殿下の為に腕によりをかけて作ったのですよ?」
「…………」
「皆、ルーファス殿下に元気になって欲しいと思っているんですよ。必ず良くなりますからね。ですから食事はちゃんと摂るようにしましょうね」
まるで小さな子供に言い聞かすように、侍女のオリビアだけが今までと変わらず優しく接してくれている。
今でこそ大人しく言うことを聞いているルーファスだったが、オリビアでさえ最初は拒絶していた。
それでも何度もルーファスに優しく言葉を掛けて、少しずつルーファスの心を落ち着かせていったのだ。
オリビアはルーファスの身の回りを率先して補助してくれている。
それは、オリビアがフューリズに頭を燃やされ酷い火傷を頭皮に負った時、感染症になり掛けて命が危うくなったところを、ルーファスが手配した医師達の手によって一命を取り止めた事に恩義を感じていたからだった。
髪が生えてこなくなったオリビアに、地毛と見まごう程のウィッグをプレゼントしてくれたのもルーファスだった。そして、フューリズの怒りを買ったとしてレッテルを貼られ、何処にも行き先が無くなったオリビアを、またこの王城で雇うように指示したのもルーファスだった。
言葉は多くないけれど、そんなルーファスの優しさにオリビアは救われ続けてきたのだ。
だから今度は自分がルーファスの力になると決めた。傷を負った時の気持ちは痛いほど分かる。それよりも酷い状況に追い込まれたルーファスを、オリビアは放っておくなんて事はできなかった。
最初は食事を何日も摂らなかったのを、少しずつ少しずつ説得して、今やっとオリビアの手から食べる迄になってくれた。
手を動かそうとする度に小刻みに震えるから物を持つ事も難しい。ペンを握る事も出来ない。意思疎通が出来なくなってから、オリビアはなるべく言葉に出してルーファスの意思を知るように心がけている。
そして、空いてる時間には本を音読するようにしている。
ソファーに腰かけているルーファスに、様々な本を読み聞かせ、なるべくルーファスが退屈しないようにしているのだ。
それでもルーファスの表情は変わらない。楽しいのか退屈なのか悲しいのか嬉しいのか、表情を殆ど変えないから、何を思っているのか全く分からない。
オリビアが質問する事に頷いたり首を横に振ったりして意思表示はするけれど、それ以上何も行動を示さない。
だがそれでも今は仕方がないとオリビアは思っていた。そのうち心を開いてくださる。それまで自分が尽くせば良いだけだと思い、献身的にルーファスに尽くすのだ。
そんなオリビアの気持ちをルーファスも分かっていた。それでも自分の気持ちはどうにもならなかった。
そんなある日、夢を見た。
それはウルスラの夢だった。
自室のソファーに座っていると、ウルスラが突然現れたのだ。
目を開けても暗闇の中にいるルーファスが唯一見られるのは夢だったのだ。
そこでは自分は話せるし目も見える。こうなる前の自分でいられるのが嬉しかったし、そこにウルスラがいてくれた事に喜びを感じた。
いつも笑顔だったウルスラは、何故か悲しそうな顔をして下を向いているのに疑問に思った。
その様子に胸が締め付けられるような感覚を覚える。
そんな事からルーファスは無意識にウルスラを抱きしめていた。
優しく労るように、そして壊さないようにウルスラを抱きしめる。痩せた体は少しヒンヤリしていて、この腕で温めてあげたいと思った。
そして細すぎるウルスラに食事をさせたいと思った。
テーブルには料理が置かれてある。それは夜に殆ど食べなかったのを、オリビアが気遣っていつでも食べられるようにと置いてくれていた物だった。
冷めていたけれど、ウルスラは美味しそうに、幸せそうに微笑みながら食べてくれたのだ。夢ではルーファスがウルスラに食事を食べさせてあげていた。それが嬉しかった。何も出来ず、食事も食べさせて貰うしかなかったのに。
そんな幸せな夢を見た。
その夢は起きても鮮明に覚えていて、久し振りに色に溢れた情景を見ることができて、ルーファスの心は温かくなった。夢にしてはやけにリアルだなとも思ったが、それがより一層幸福感を与えてくれるように感じた。
「ルーファス殿下、おはようございます。あれ……お食事、ご自分で摂られたのですか? 必要であればいつでもベルを鳴らしてくださいと言ってますのに……しかしどうやって……」
朝なのか、オリビアがルーファスを起こしに来て妙な事を言う。
夜に自分一人で食事等する訳がない。誰かの手を借りなければ、フォーク一つ持てないのに。
朝も昼も夜も分からないルーファスに、いつでも食べられるようにとテーブルには何かしら料理が置かれてある。
それはパンやフルーツ、ケーキやお菓子、ジュース類やお茶も数種類置かれていて、ルーファスが少しでも食べてくれるようにと気遣ってそうされていた物だ。
夜の食事もそういう理由で置いてあったのだが、食事の際にはベルを鳴らしてオリビアを呼ばなければ自分で食べる事が出来ない筈なのに、テーブルに置かれていた料理は食べられた後がある。
しかも、キチンとナイフとフォーク等を使った痕跡もある。
その状況にオリビアは疑問に思ったが、ルーファスに聞いても何か言える事もない。もしかして、本当は手をちゃんと動かす事が出来るのかも知れない。今はわざと震えるようにしているのかも……と考えて、しかしそんな筈はないと思い直してオリビアは頭を振ってその考えを否定した。
そんな事をする意味がない。そんな事をして裏をかいたりする人ではない。オリビアはそう答えを出した。
でも、ならどうして……
謎は残ったままだったが、それ以上追求もできず……
そしてその事に、何より驚いたのはルーファスだった。
オリビアが言うように、ルーファスは夜に起きて一人で食事等していない。
あれは夢の中の出来事だった筈だ。それともオリビアが冗談を言ったか? 何か言い間違ったのか? オリビアに確かめたいがそれも出来ない。ルーファスも疑問を持ったが、解決することなく話は流れていった。
だが、そんな不思議な現象はそれからも続いたのだった。




