第59話 水も滴るお母さん
夜勤コンボで書くパワーが4分の1まで減退……
城護みんなのお母さんを名乗るジューン。
しかし、彼女にも当然少女時代は存在した。
彼女は元々人間であり、活発ではあるがどこにでもいるような、普通の少女であった。
ジューンはまだ10代だったが、学校にも行かずに個人貿易商をしていた。
そこそこの利益を出していたが、彼女の本来の目的は船旅であった。
個人貿易商で儲け、そのお金で買い付けに船に乗る。
広大で果ての無い、自由な海を彼女は愛していた。
ジューンは海に敬意を払い、航海の前には必ず祈りを欠かさなかった。
そして、買い付けに行く為、彼女はいつも通り祈りを捧げ、船へと乗り込んだ。
しかし航海中、天候が一変、船はとても大きな嵐に遭遇し、呆気なく沈んでしまった。
だが、彼女は幸か不幸か、他の船員達とは違い、海底に存在する地脈がその豊潤な魔力によって発生させる『地脈流』に巻き込まれ、1人だけ海底へと飲み込まれてしまった。
(駄目、まだ)
海面が遠ざかる。
(私は……まだ、やりたい事が……)
息が苦しくなってきた。
(まだ………生きて………いたい………)
酸欠で頭が回らなくなってきた。
(……… ……… ………)
およそ人間が耐える事は不可能なほどの海底深くまで流されてしまったジューン。
ジューンは既に息絶えていたが、彼女はその死の間際まで『生きたい』という強い思いを抱き続けた。
海底に沈む地脈の裂け目に吸い込まれた彼女の亡骸は、ゆっくりと地脈の表面へと着地した。
しかし、程なくして地脈は光輝き始め、ジューンを優しく魔力で包み込んだ。
彼女は地脈が発生させる豊潤かつ、純度の高い魔力に包まれ、生まれ持った人間としての、身体の構造を書き換えられた。
そして次に目覚めた時、彼女は暖かな地脈の上に、仰向けに寝転がっていた。
現在に至るまで地脈の原理、そしてそれが引き起こす不思議な現象は、未だに解明されていない。
しかし、地脈によって彼女は、人間として死したジューンから、ネレイスとして蘇ったジューンとなった。
そして、地脈は更なる力を彼女に与えていた。
魔人筆頭ですら比べ物にならない程の魔力量、そして、消費された魔力を大気から吸収する速度も、異常な速度であった。
水棲の魔人として蘇った彼女はその力を使い、近くを通る海賊船の尽くを沈めていった。
船乗り達からは、彼女は海の女神だと讃えられた。
彼女自身、悪い気はしなかったが、心のどこかでは色々な事が引っ掛かっていた。
そしてある時、夜に灯台を見失い、困り果てていた民間の船を陸地まで連れていく最中の事であった。
船に乗っていた子供から、ある事を聞かれた。
「ジューンさんは、寂しくないの?」
「…………うーん………分からない、かも」
彼女はしばし考え込んでしまった。
それは彼らを陸地に送り届けてからも、ジューンの胸に大穴を空けたかのように、ぽっかりと空いた心に例えようの無いザワザワが広がったままであった。
海中に家はある。
魔物や魔人の知り合いも出来た、自分でも自覚する程の強力な力は、彼等から敬意の目を向けられる程であった。
しかし、元々私は人間だ。
蘇った私はそこそこ有名になった。
世界から様々な学者が現れ、私の事を聞いた。
恐らく、故郷の家族の元へも少なからず情報は届いている筈だ。
魔人となった私を家族は受け入れてくれるだろうか、私という魔人はこの場所に居るからこそ、価値があるのではないか。
もし陸地に上がっても、決して大手を振って街を歩く事なんてできない筈だ。
そもそも魔人とは人間と敵対する種族だ。
仮に両親が私を受け入れたとして、家族が他の人間たちから迫害される可能性もある。
(……なんか、疲れちゃった)
海面にプカプカと浮かび、空を見上げる。
考える事に疲れたジューンは、海に身を委ねた。
そしていつしか彼女は海流に流され、デュラハルド大陸の浜辺へと辿り着いていた。
「……見ない顔だな」
少し離れた場所で血色の悪い男が、1人で釣りをしていた。
バケツの中には魚が1匹もおらず、釣果はイマイチのようであった。
「あら……いつの間にか人間の大陸に流されてきちゃった」
「人間?我は吸血鬼だ」
気難しい顔で釣りをする男。
彼こそ、当時のデュラハルド家当主である。
趣味が釣りである彼は、時間を見つけてはこうやって浜辺に来るのが日課であった。
「吸血鬼…?ず、随分遠くまで流されてきちゃった……」
頭の中でここからの帰路を思い浮かべようとしたが、そんなジューンに吸血鬼の男は話しかけて来た。
「……1匹も釣れん。ところでお前、何か思い悩んでいるな?我はこれでもこの大陸の王。今まで何人もの吸血鬼から相談を受けている。悩んでいる時はどの種族も同じ表情をするのだな。聞かせてみろ」
「わ、分かっちゃいましたか…?」
どうやらこの吸血鬼はこの大陸において一番偉い存在らしい。
せっかくなので、ジューンは彼に相談をする事にした。
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「ふむ……誰しも自分の生き方について思い悩む事もあるだろう。それは人間、そして魔物、吸血鬼も同じ事だ。知性のある生き物なら、誰しも一度は考える事があるだろう。まぁ、その中でもお前は特に、数奇な運命に目を付けられたようだな」
一向に引く気配の無い釣り糸を水面に垂らし、吸血鬼の王は言った。
「お前はまだ若く、寿命の短い人間とはいえ、両親もすぐに死ぬ事はそうそうないだろう。……そうだな……自分の娘が生きていた事を喜ばぬ親はいない。しかし、身体の多少の部分が魔人化している為に、急に会いに行くのは驚かれるだろう。まずは手紙から初めてはどうか」
「会いたいのだろう?確かに、魔物に対する偏見はあるだろう。全員が全員、お前のような魔物ではない。だが……現に魔物や、最早魔人一歩手前の種族ですら『亜人』という括りになり、人間と友好的な関係を結ぶ種族もあると我は聞いている」
「手紙であちらの他種族との関係性など探っていくと良い。他種族を嫌う者も居るだろうが、世界は広い。嫌う者も友好的な者も等しく存在する。片方の側面だけを見て判断するのは、雨後の小さな水溜まりしか知らぬ者だ。もう一度言うがお前はまだ若い。これからこの広大な海、そして世界を知るといい」
吸血鬼の王はこちらを見て、薄く微笑んだ。
ジューンは救われた気がした。
自分が知っていたと思っていた世界は、まだまだ1つの水溜まり程度の事だった。
世界は思っているよりもずっと広く、この悩みは自分自身の知識のみで思い込み、己を縛っていた。
「……ここに辿り着いたのも何かの縁です。少し、貴方の元で働かせてくれませんか?自分の知らない世界を、知ってみたくて」
「ん。構わんぞ。釣り相手がいなくてな。1人も楽しいが飽きる。見たところ、水棲の魔人だが陸地でも活動できるのだろう?我が城に住むといい」
「ありがとうございます!………それと、大変言いにくいのですが、ここに魚はいません」
「………そうか」
そんなこんなでジューンは吸血鬼の大陸で働き始めた。
後々、彼女は笑顔で家族の元へと会いに行くのだが、それはまた別の話である。
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そして話は現在へと戻る。
ジューンは今、機械兵、そして滅銀機械兵と戦闘の真っ只中であった。
<攻撃対象です。ファイア。>
ババババババババ!!!!
ちゃぽぽぽぽぽぽ……ちゃぷんっ
彼女は粘性のスライムとは違い、完全なる水の流体である。
故に弾丸を含む打撃攻撃は一切効かず、無意味だった。
「『水離分解』」
滅銀機械兵を含む機械兵たちは水に包まれ、次々とネジを外され、バラバラに解体されてしまった。
残るはアンビシャス兵ただ1人であった。
「殺される前に聞く……聞いた話によると、お前たちは奴隷を解放し、そいつらを民として迎え入れる国を作るらしいな……何故、そんな事をする?」
アンビシャス兵は腹を括り、住民たちから聞いたのか、ジューンに最後に尋ねた。
「世界は雨後の水たまりではないんです。生き物の生は広大な海の如く平穏に、時には荒々しく苛烈に、そして、何より自由でなくてはいけません。誰にも、それは侵されることの無い権利です」
「……そうか。」
アンビシャス兵は答えを聞けて満足したのか、ゆっくりと目をつぶった。
『殺せ』という事だろう。
「……『水離分解』」
ジューンは再び『水離分解』を使い、アンビシャス兵の装備している機械の鎧を全てバラバラにしてしまった。
「………殺さないのか?」
「私は、人を愛していますから」
母なる海に生かされたジューン、その表情は、優しき慈愛に満ちていた。




