第1話 荒城の吸血鬼
(………)
(……)
(…)
(こ、ここは………?俺は……死んだ、のか………?)
センヤの目は開いているのだが視界は真っ暗であり、それに加えて身体は何故かガチガチに拘束されており、身動きも取れなかった。身体を軽く揺すってみると、手足や顔が壁へと当たる。
どうやら狭い場所に入れられているようだ。先程の状況から顧みるに、棺の中だろうか?
引ったくりが取り出したナイフからお年寄りを庇い、変わりに腹を刺され、血を流しすぎた事は覚えている。
そして薄く雪が積もる地面へと倒れ込み、ゆっくりと意識が失くなっていった事も。
(意識は……ハッキリしてるな)
幽体離脱を経験した人物は、「上から自分の身体を見ていた」と証言する。それは魂が実際に、身体から抜け出ているからであろう。
しかしセンヤの場合は、感覚的には魂が体の中にまだ入っている感じだった。
手足の感覚や、物に触れている感触も、生前と全く変わらないが、強いて言うなら、なんだか手足が伸びているような気がしなくもない。
「スンスン……ん、なんかカビ臭いな……掃除はどうなってんだ…………あ、喋れる……?」
嗅覚も徐々に働き始め、鼻腔に古い木材や、ほんのりとカビのような臭いを感じ始めた。
確かに、爺さんは「2人が生活していけるくらいの金がありゃあいい」とは良く言っていた。
しかし、カビの生えた棺に入れられるのはセンヤも本意ではない。
爺さんはこんな事をする人間じゃない。となると葬儀会社だろうか。死者への弔いくらいしっかりしてほしい。
そしてここでセンヤは自身が話せる事に気が付いた。
「待て、流石におかしいぞ……?」
これはセンヤの知っている葬式と明らかに違った形式だった。
カビなどある筈も無い綺麗な棺、そして死者の周りには沢山の花が添えられ、彼らは今生で世話になった自身の身体を燃やし、黄泉の国へと向かう。
しかし、今のセンヤはカビ臭い棺?に納められ、周囲には花など無く、全身を拘束されており、火葬の気配も無く先程から何の音も聞こえない。
このままでは埒が明かない上に、文句の1つや2つ言ってやらねば気が済まないと、センヤはここから出る事にした。
「……うおぉッ!!」
手巻き寿司のように巻かれた拘束を解く為に、センヤは手足を外側へと思い切り広げる。
その時にジャリジャリと重い鉄の音が鳴り、彼は自身を拘束している物が鎖である事に気が付いた。
鎖だろうがお構い無しに暫く力を入れていると、棺?の中の温度が上がってきており、手足を食い込ませている鎖が熱を持ち始めているようであった。
ジュゥゥゥ……
「あっ!熱っ……!熱い熱い!」
慌てて力を緩め、手足を鎖に突っ張らせるのを止めた。すると途端に鎖の温度は下がり始め、何の変哲もないただの鎖へと戻る。
鎖を絡めた者を逃がさない為の機能なのだろうが、とてもタチが悪い。そしてそのような鎖など今まで聞いたこともない。
しかしこの鎖を破壊しなければセンヤはずっとこのままである。意を決してもう一度、全身に力を込める。
「オラァァァッ!熱ぅううううう!!!!!いッッ!!!!」
ピシ……ッ!……ガギンッ!ガギンッ!ガチャンッ!
熱さを我慢し、なんとか鎖を破壊する事が出来た。身体の側面に落ちた鎖の表面を触るが、それはもう熱を発する事は無かった。
触った感じ、表面はかなりサビのような物が付着して劣化しており、そのお陰で壊す事が出来たようだ。
「ハァ……ハァ……ゲホッ……ゴホッ……」
棺?の中で1人、息を荒らげる。中の人間が今、何が起きているのかよく分かっていないのだから、外から見る人間は更に意味が分からないだろう。棺から「うおおおお」とか「熱ぅっ!」とか普通聞こえない。
そもそも外に人はいるのだろうか。本当に物音1つ聞こえず、気配すら感じない。
息を荒らげた分、鼻腔の中に入り込むホコリとカビの臭いにむせる。早く新鮮な空気を吸いたいと、センヤは次に蓋へと手を掛ける。
「ぐぅっ…………!!………痛っ!!」
簡単に開かない気はしていた。鎖があんな感じだったので、嫌な予感もしていたが、今度は蓋を持ち上げる手に力を入れると、手がビリビリと痛いくらいに痺れる。アツアツの次はビリビリという訳だ。
「………俺が何をしたってんだ………」
何だこの仕打ちは。扱いの酷さに軽く涙が出そうになる。
特別、善行を積んだ人生という訳でもないが、パッと思い浮かぶ程に悪い事をした記憶もない。
だからこそ、この仕打ちには到底納得できなかった。センヤはここを出たら、これをやった奴を一発……いや二発は殴る事を決意し、怒りと共に蓋へと力を込める。
「うおおおおお!!しびれるぞおおッッッ!!!!!」
手が痺れるが知った事か。もはや蓋を持ち上げる手は拳となっており、宙へと拳を打ち込むようにして、強引に蓋を開け放つ。
ボッ!!!……ガランガランガラン……
蓋は天井まで吹き飛び、大量のホコリを巻き上げながら床に落ちた。棺からはまっすぐ突き立てられたセンヤの拳が生えており、その手を恐る恐る棺の縁に掛け、上体を起こす。
自分が入っていたのは、やはり棺だったようだ。身体を動かす度、身体中の関節がゴキゴキと音を立てる。
まるで長い時の間、一切身体を動かしていないようだった。
「…………な、何だここ………」
棺桶から出たセンヤは周囲を見渡し、驚いた。大理石で出来た床は所々穴が空きボロボロであり、下の階、そのまた下の階までが吹き抜けていた。
壁も崩れ、隣の部屋まで貫通しており、部屋の数もかなりの数が確認できる。そして天井や壁など、至る所に蜘蛛の巣が張っていた。
殆ど割れた窓からは光が差し込んでいて、ホコリが大量に巻き上がっているのが分かった。
この時、センヤはまだ気付いていなかった。自身の目線の高さが、生前よりかなり高くなっているという事に。
「ていうか……これ、城じゃないのか?」
センヤが今いるのは、ボロボロだったが映画とかに出てくる王の間、玉座。
過去の華やかさは失われてはいるが、直せば十分全盛期のレベルまで戻せるだろう。
しかしそんな建物は今まで生きてきて実際に見た事も無く、それでいて明らかに、葬祭会館とかそんな雰囲気では無かった。
何故、縁もゆかりも無いような西洋の荒城にいるのだろうか?
カタッ……
「っ!……誰か居るのか!?」
センヤが困惑していると、部屋の入口付近で小さく物音が鳴った。音の鳴った入口を見ると、壁際に人影がチラチラ動いている、葬式の関係者だろうか。
足が少しだけ出たり入ったりしている所を見ると、こちらへ来るか来ないか迷っている様だった。
「安心してくれ、俺は何もしない。そして死んでもいない。少し話を聞かせてくれ。情報がほしいんだ」
「ほ、本当に何もしませんか……?」
「ああ、誓って何もしない」
怯えたような、か細い少女の声が聞こえる。
センヤはこれ以上怯えさせないよう、極力、優しい声を出す。
確かに、死人が入っている棺から、蓋を吹き飛ばしながら中身が出てきたのだ、驚くのも無理もない。
しかし、親戚にあの様な少女がいただろうか?そもそも、センヤの葬式に顔を出しに来る親戚などいるだろうか?
来たとしても金銭目的だろうが、その場合、きっと爺さんがセンヤに代わりぶっ飛ばしてくれている筈だ。
「そ、それなら……」
声の主はこちらへと走ってきたが、センヤの目の前に現れたのは、所々破けた貧相な服を身に付け、ボサボサの茶髪をミディアム程に伸ばした少女だった。
年齢は14〜15くらいだろうか。センヤの方が年上だろう。
「その……ごめんなさい!吸血鬼様!」
「きゅ……吸血鬼………?」
少女の第一声はあまりにも想像とは違うものであった。吸血鬼?俺が?
センヤの脳内には、青白い顔に牙を尖らせたガリガリの男が、マントを翻して、満月を背に「フハハハハハ!!!」と高笑いを上げていた。
「わ、私、吸血鬼様のお城から宝を探しては持ち帰っていたんです……!」
「ま、待ってくれ、俺が吸血鬼だって?」
センヤの両親はどちらも生粋の日本人であり、早くに亡くなっている両親の祖父、祖母も日本人である。
故に外国人のハーフでもクォーターでも無い。生きてきて他人の血を飲みたいと思った事すら皆無だ。宝がどうこうと言っていたが、それよりも吸血鬼の話の方が気になりすぎる。
「そのお姿はどう見ても吸血鬼様です!」
「姿……?」
迷い無く断言する少女。鏡が無いので、自分の全体像を把握できない。
しかし今まで気が付かなかったが、センヤは古ぼけてはいるものの、上質な黒いコートを羽織っており、中には上等な貴族のような服を着ていた。
腰には鞘に納まった剣があり、柄の部分を持ち鞘から抜くと、刀身が不気味に赤黒く光る、レイピアのような細い剣が出てきた。
正直ワクワクしたが、銃刀法違反になるのではないか、これは。
………情報を整理する。
まず俺が吸血鬼だという事、俺がこのボロボロの城の城主だという事、そして、この少女は宝を盗んでいたという事。駄目だ、情報が足らない。
それどころか聞けば聞くほど訳が分からなくなってくる。
「重ねて聞いて申し訳ない。ここは……何処なんだ?年月も教えてくれ」
「ここは吸血鬼様のお城です。遥か昔に聖騎士軍、そして勇者様の手によって、吸血鬼全員が討伐されたと聞いています。今は14500年、稲穂の月です」
「14500年!?!?に、日本は、日本はどうなったんだ!?」
「に、にほん……ですか?申し訳ありませんが……」
少女の口から飛び出した、衝撃的な言葉に目眩を覚える。14500年………2019年からざっと12500年ほど………。
まさかセンヤは火葬されずに、超常現象的な何かのせいで、棺の中でコールドスリープ状態にでもなってしまったのだろうか?少女は困った様に首を傾げる。
そして更に驚くべき事に、なんと目の前の少女は日本を知らないらしい。歴史の教科書には載ってても良いとは思うのだが……。
「う……………嘘だろ………………」
センヤは力無く膝から崩れ落ちた。死んだと思っていたら急に蘇り、いつの間にか城にいて、目の前の少女はセンヤを吸血鬼と呼ぶ。
そして今は14500年、日本の存在を少女は知らない。浦島太郎の気持ちが心から分かったような気がした。
その時だった。
「最上階だ!行け行け!」
「賊か!しかし我々の目をかいくぐってどうやって……!」
部屋の入口に繋がる左右の廊下から、多数の足音と重厚な鎧の音、そして人の声が聞こえ始めてきた。
音はどんどん近付いてきており、どうやらこの部屋へと向かってきているようであった。
「他にも人か!丁度いい、他にも情報を聞きたかったんだ!」
「待って待って吸血鬼様!逃げた方が良いですよ!聖騎士軍ですよ!!」
話を聞くためにセンヤは音の方へ歩き出すが、少女は慌てて服の袖を引っ張る。
引っ張られる度に、服から埃がボフッボフッっと音を立てて周囲へ飛び散る。
「ゲホッ……ゲホッ……ボ、ボフボフは止めてくれ。逃げる……?何故だ?」
「と、とにかくまずいんです!捕まっちゃいますよ!あと私は盗人ですし!」
「その話はまぁ……なんとか誤魔化してみる。とりあえず話を……」
センヤと少女が話している内に、足音の主達は入口から続々と現れ始めた。
彼らは重厚な鎧に身を包み、センヤと少女の2人の前へと立ち塞がった。
見た限り、なにやらザワザワと様子が普通ではない。少女もセンヤの後ろに隠れ、ビクビクと怯えている。
しかし今はとにかく情報が欲しい為、あまり慣れていないがセンヤはなるべく丁寧に、そしてフレンドリーにコンタクトを取る事を試みる。
「失礼、私は決して怪しい者ではありません。話を聞いて欲しいだけなんです。この世界って……」
「……き、貴様はもしや……!そ、そんな……か、棺桶が……!!壁から…………あっ……あぁぁッ!!ま、まずいぞ……!!」
「元帥、いや!勇者様へと伝えなければ!!」
センヤの質問を遮りながら、聖騎士軍と呼ばれる軍隊の兵士たちが、兵士にあるまじき悲鳴にも似た声を上げた。
とりあえず元帥やら勇者やら、何やら話が更に大きくなっているのだけはセンヤにも理解出来た。
「落ち着け!今まだ本来の力を取り戻してはいないかもしれん!総攻撃だ!!殺せ!」
武装した兵士達の一番後ろに、1人だけちょっと良さげな鎧を着ている指揮官と思われる者が、物騒な指示を出す。
どうやら吸血鬼の自分と、聖騎士軍なる軍隊は敵対しているらしい。
せっかくこうやって生き返った?のにもう一度殺されるのは御免だ。なのでセンヤは弁解を試みる。
「いや、俺は……」
「十字砲……構えェ!!破魔弾、一斉掃射!!弾が無くなるまで撃ち続けろォッ!!!!」
「銃だと!?」
武装した兵士達は、十字架を横にしたような銃を鎧の背中から外し、センヤへと向ける。
センヤは無意味と知っていながらも、少女を身体で庇いながら、腕で顔を覆う。
銃撃など食らったら人たまりも無いだろう。せめて少女だけでも守らなくては。
「や、やめろ!この子もいるんだぞ!!」
バババババババババ!!!!!
話を一切聞いて貰えず、そればかりか銃撃を仕掛けてきた。破魔弾と呼ばれる弾は身体に当たると、エネルギー弾なのだろうか?服に穴が空く事は無かったが、当たった箇所が、先程の鎖と同じ様に熱くなった。
「あっ!熱い……熱ッ!!」
「は……破魔弾が効かない……!!」
兵士の1人が驚きと絶望の混じった声を上げる。確かに弾は熱いが、死ぬというレベルではなかった。
爺さんから習った武術を使おうとも思ったが、少女を庇いながらこの人数を相手にするのはかなり難しい。
「クソッ……!魔力のストックが切れた!銃がダメなら切りかかれ!!」
聖騎士軍と呼ばれる男達は銃撃を止め、十字砲を背中へと戻す。
すると今度は腰に掛かっていた鞘から剣を抜き出し、構え始めた。駄目だ、話が成立しない。
いくら少女が何かを盗んでいたとはいえ、2人に突如として銃撃を仕掛けてくるような連中に、センヤは怒りを覚えた。
「少しは話を聞けッッ!!」
「うわぁぁっ!?!」
センヤが叫ぶと同時に、先頭に立っていた兵士が、仲間を巻き込みながら強風に煽られる紙屑のように、入口へと吹っ飛んでいった。
センヤ本人は気付いていなかったが、彼が叫ぶ瞬間、鬼の形をした紅黒い魔力が一瞬だけ彼の背後に浮かび上がった。
「さ、叫んだだけで……」
「と、飛んで行った……?」
『……我が力の一端が溢れ出ているのだ…………』
叫んだだけで人間があれだけ吹き飛ぶ事に、センヤを含めたその場の全員が驚愕の表情を浮かべていた。これも吸血鬼の力かと思った矢先、脳裏に言葉が響いた。
しかし、その場にはセンヤと少女、恐れ慄く兵士達しかおらず、声の主の正体はハッキリしなかった。
とりあえず今は声の正体よりも、この状況の解決が最優先である。
仲間が吹き飛ばされても尚、剣を納めず退く気がない兵士たちに対し、センヤは腰から紅黒いレイピアを抜いた。
「全員剣を納めろ……これ以上やるなら、俺も相応の対応を取る……!」
「ええい!どけッ!!腑抜け共め!!吸血鬼相手に退くなど聖騎士軍の名折れ!行くぞォッッ!!!!」
1番奥から指示を出していた、ちょっと良さげな鎧の指揮官と思われる兵士が、他の兵士を押しのけこちらへと突っ込んで来た。
どうやら剣を納める気は毛頭無いようなので、センヤも彼の剣を受け止めるべく構えを取る。
「死ねぇぇぇ!!!!」
「ハァッ!!!」
指揮官の剣と、センヤのレイピアの刀身同士がぶつかり、拮抗する……かのように思われた。
しかし、その結末は誰にも予期せぬものとなった。
ギィンッ……
ザンッ
ドチャッ……
「……は?」
センヤのレイピアは、指揮官の剣を易々とへし折り、あろう事か彼の肩から腰にかけて両断してしまった。
指揮官の上半身は地面へと生々しい音を立てて落ち、残された下半分は血を吹き出しながらヨロヨロと前方へと何歩か歩き、やがて倒れた。
「そ、そんな……嘘だろ……ち、違う!殺すつもりは無かったんだ!!」
「に、逃げろ!勝てるわけがない!化け物だ!!」
「ほ、本物だ!蘇った!蘇ったんだぁぁ!!!!!」
本意ではなかったが人を殺してしまった。いくら弁明しようともセンヤの話を聞くものは少女のみで、パニックに陥った兵士達は、一目散に、我先にと入口へと駆け出した。
『…………何かを護る為には、他者を傷付け、命を奪う選択を迫られる事もある………覚悟を決めろ。アカツキセンヤ…………』
センヤと少女、そして指揮官の亡骸が残された広間で、センヤは再び声を聞いた。
しかし、人を殺してしまったという事実に茫然とする彼の頭には、その言葉は入っておらず、正体を確かめる余裕もなかった。