第二話 僕は、凡人だった。
数年前に突如現れた異能は、最初は突然変異として扱われ、バケモノと言われていた。
幸いにもこの都市は、医療技術の発展が目まぐるしく、異能はすぐ研究対象になった。そのため、この都市は異能を保護する役割も担うこととなった。
出資元は光音医療センター、多くの子会社を持つ大企業だ。社長の光音 幸三氏はこう語る。
「困っているヒトを、放っておけないじゃあないですか」
---週刊近代:冨上 研二郎
【ほら…、こっち…きて?】
甘いにおい。深く堕ちるにおい。
【いいんだよ…。キても、ね?】
そのにおいに、包まれて。
【恥ずかしがらないで、いいよ】
僕、は。
「うわあああああああああああああ!!!!」
飛び上がって、椅子から転げ落ちた。
キーン…コーン…カーン…コーン…
放課後になっていた。そうか、6時間目の自習時間のあと、強烈な眠気で寝てしまったんだっけ。
サキュバス、『錐縞』の異能に当てられた僕は、そのあと授業も手につかなくて、ぼーっと過ごしていたらしい。
学校に異能の学生は多くはないけれど、皆周りに影響のある子ではなかったから油断していた。
周りを見回すと、殆どの生徒は下校していて、教室の中には、僕一人が残っていた。誰も起こしてくれなかったのかよ…。ま、僕は友達も多くはないから仕方ないんだけど。
誰にも叫んだところは聞かれてなかったみたいだし、これはこれでよかった。か。
立ち上がりホコリを払う。今日は散々な日だったな、帰ろう。
「あ、あの。大丈夫ですか…?」
廊下から声が聞こえた。ハッとして、声の方を向く。
教室の入り口から顔を出して、様子をうかがっている人物がいた。
錐縞だった。
「き、錐縞。いたのか。」
「はい、先生に呼ばれていて。今終わって戻ってきたところだったんです。もしかして、あの。」
「いや、大丈夫。寝ぼけていただけだから。」
錐縞は、おどおどしながらこちらに駆け寄ってきた。何故か頬が真っ赤になっている。
「錐縞こそ大丈夫なのかよ、頬が真っ赤だ。なにかあったんじゃ。」
「ち、違うんです!私、自分の異能がうまく制御できなくて、それで、あの。た、叩いてるんです…。」
「自分の頬を?」
「はい…。私のパヒュームは、どうも顔周りからよく出ているみたいなんです。それに、緊張していると余計に出てしまうので、こう、気合を入れないといけなくて。」
だからって、顔が真っ赤になるほどの力で叩かなくてもいいんじゃないかな…。
「だからあのときも突然自分の頬を叩いていたのか。サキュバスの異能は大変だな…。」
「いえ、大丈夫です。もう…、慣れましたから。」
「…錐縞、もし差し支えなければ教えてもらいたいんだけど、君の異能はいつから?」
「…、半年前からになります。最初は、クラスメイトがぼーっとし始めるくらいだったんです。それから…日に日に色んな事象が出始めて、普通の学校には通えないくらいになりました。」
錐縞は、かばんをゴソゴソ漁ると、名刺のようなものを取り出した。それを僕に差し出す。
それを受け取ると、それには"異能特性証"と書かれていた。
"異能特性:初症例001番サキュバス"
次の症状を認めます。
*好感度上昇
*思考停止
*性欲の向上
*倦怠感
*強い眠気
これが、異能症例者が持っている"異能特性証"か。授業で習ってはいたが、初めてみた。これは言わば、病院の診断書のようなものだ。
「これ、見せていいものなのか?」
「あまり人に見せないようにと言われてはいますが、その。貴方には迷惑をかけてしまったので…。それに、席が隣なら、これからまた迷惑をかけてしまうかもしれませんから。」
錐縞は、笑ってみせた。だが、困った顔もしていた。僕に気を使ってくれているんだ、彼女なりの配慮なんだ。
「だから、これからも私には関わらないほうがいいと思います。先生にも、あまり他の男子には関わらないほうがいいと言われました。それが私のためでもあり、皆のためなんだって。」
俯く錐縞に、僕は、何も言い返せなかった。僕は、彼女に何もしてあげられないんだろうか。
「そんなことは、ないよ。僕はもちろん凡人だから、君の異能に何がしてあげられることはないかもしれない。でも。」
「でも…?」
「君の、友だちになることならできるんだ。だから、悲しい顔するなよ。サキュバスったって、人をとって食うわけじゃないんだろう?」
「それはそうですけど、私の異能のせいで、貴方に迷惑が」
「迷惑かどうかを決めるのは、僕だろ?」
「えっ?」
「これから決めればいいさ、迷惑になるかどうかなんて、まだわからない。だから、それまでは友達、してみないか?」
「トモダチ…。」
「もちろん、錐縞が迷惑じゃなければ、だけど。あ、あははは。」
思わず口にしてしまった、友達という言葉。僕だって友達が多いわけじゃない。でも、錐縞は、錐縞には、友達が必要なんだ。そう思って出た言葉なんだ。
異能症例者は、その異能で偏見や差別を受けやすい。皆、本当は避けている人々が多い。錐縞も、この半年、苦しい思いをしていたに違いない。
僕は凡人だ、だから、彼女の苦しみはわからない。でも、苦しいのは誰だって辛い。そんなの、あんまりじゃないか。
僕が笑って誤魔化してから、少し経って。
「あの…。」
錐縞が口を開いた。
「私が…、怖くないんですか?異能症例者なのに…。」
「怖くない…いや、ちょっと怖い、けど。これもなにかの縁だ。」
「…ほんとに、…ですか?」
「え?」
「本当に、友達に、なってくれるんですか?」
「もちろん。」
錐縞の顔が、さっきよりずっと赤くなって。
「私…嬉しいです…。」
その赤い頬に、涙を流していた。
錐縞 緋衣。
半年前に異能を発症、在学中トラブルを起こし、現学園に転入してきた。
気合を入れるとパヒュームが鎮静化するため、いつも頬を叩いている。
緊張したり、混乱すると制御が効かなくなり、とんでもないことになる。
彼女の生体については多くはわかっていないが、身体を変化させることができる。
要観察。