998. 絡まる過去と現在 ~テイワグナ馬車歌の序章
タンクラッドとイーアンは、停まっている馬車に戻ってすぐ、『魔物が出たから倒してきた』と話し、挨拶もそこそこで動く。
イーアンは、夕食の支度を始めたばかりのミレイオのお手伝い。親方は荷台から、作りかけのナイフの柄を持ってきて、焚き火の側で削り始める。
帰って来た二人に、どんな魔物で、どうしてすぐに分かったのか。イーアン個人には、シャンガマックのことで。話を、と思ったミレイオだが、イーアンに話しかけようとして、すぐに黙る。
イーアンは笑顔で調理に取り掛かったのだけど、その笑顔は意識的に見えた。それにイーアンの横に座った、タンクラッドの雰囲気も同じように感じる。
二人の様子が何となく話しかけにくく感じたのは、ミレイオだけではなく。近づいたドルドレンも『大丈夫だったのか』と一言聞いただけで、『はい』と笑顔で頷くイーアンに、それ以上は質問しなかった。
「イーアン。そのね。あー・・・シャンガマックのことだけど」
「はい。それはもう。終わったことですから。魔物を龍で退治しまして、少し疲れました。今は夕食を作らせて下さい」
「うん、そうか。じゃ、そうしなさい。朝のね、ジャスールの馬車歌のことを皆にも話したいから、それは食べながらにしよう」
必要なことだけ伝えると、愛妻(※未婚)の目をじっと見て、ドルドレンは微笑む。イーアンもニコッと笑う。そしてまた、手元の生地に視線を戻して練り始めた。
そんなドルドレンは、イーアンの横で、野菜を切っているミレイオと目が合う。ミレイオの口元だけが笑って、首を振ったので、ドルドレンも小さく頷いて、騎士たちのいる場所へ戻った。
ふと振り向いて、なぜかタンクラッドが、イーアンの側に居続ける様子に・・・ちょっとだけ、心が絞られるような反応をしたことは、なるべく気にしないようにした。
イーアンは生地を練りながら、さっきのことを考える。
普段、自信満々で『俺は俺』と、誰が相手でも自分を揺るがすことのない親方が、お役目の部分では不安になるんだなと、今回のことで理解した。
タンクラッドの弱気な部分なんて、そうそう見ることもないのだけど。
前回も、始祖の龍の香炉で、過去と現在の自分の関わりに悩んでいたし、今回も過去の人の姿に比較され、自信を揺さぶられたようだった。
ちらっと横を見て、ナイフの柄を削る親方の横顔に、彼は昼よりは落ち着いたのかなと思う。
少し、こうして側にいるだけでも良いのかも知れない。コルステインが来てくれたら、コルステインと一緒にいる時間で、不安定に揺れた心も癒されるだろう。
――人間だからね。 イーアンは思う。
悟ったつもりで、逆戻りもする。手に入れたつもりで、逃がしもする。考えたこともないような、平気だったはずのことで躓くこともある。
そんなのを繰り返して、人は強くなってゆく。強さは慣れではないと思うが、慣れは強さの近道にもなる。タンクラッドも自分も、越えたはずの『過去の誰か』で度々悩まされ、そうしてここに生きる自分を創るのだろう。
そう思えば。『もう大丈夫』と思っていても、思わぬ痛手を受けた時は、お互い様と思って助け合っていけたら・・・そう考える。
イーアンにとって、親方との関わりは。未だに『これ』といった形がない気もする。
一応は、親方と弟子みたいな呼び名があるものの、特に剣を習っているわけでもないし、工房に弟子入り志願したことでもない(※勝手に弟子になってた)。
そして、過去から数えて3回目の現在。彼は常に女龍と出会い、常に側にいた人だったと知ると、その意味を考える。意識はしないが、考える。
勝手な思い込みや、小さな決め付けや、安易な常識で片付けていはいけないと思う部分でもある。
きっと、何か大切な意味が存在している。それを思うから、タンクラッドと距離を取ろうとも思わない。
自分は、タンクラッドに限らず、この世界全部と。こうして何か、示された繋がりを持っている。
一番、深くつながっているのはドルドレンだと思うが、タンクラッドはドルドレンに続いて、その繋がりの意味が濃い気がするのだ。
同じように、ミレイオも。それに、ビルガメスも。
これは感覚であって、言葉で上手く綴れないから、状況によっては、誤解も招きやすいこともあるだろうと思う。
だが、こういったことも、この世界に来た理由――
「成長は。私はここで求められたのか。私でも役に立つような」
「ん?何?」
呟いた独り言に、ミレイオが聞き返す。さっと顔を向けると、明るい金色の瞳が微笑んで自分を見ていた。イーアンは微笑み返して首を振る。『何でもありません』そう言って、丸めた生地をぺちぺち叩いて平たくし、熱い石の上に乗せて焼き始めた。
それを見つめる、隣のタンクラッド。一枚焼けたところで、イーアンは親方を見て『味見をしますか』と持ちかける。笑顔で頷いた親方に、イーアンは生地を半分に割いて、親方に半分渡した。
「有難う。うん、美味い」
「良かったです。はい、ミレイオ」
学んだイーアンは、二人の様子を反対側で見ていたミレイオに、もう半分を渡した。
笑うミレイオが受け取って『ありがと』とイーアンの頭を撫でて、焼き生地を齧る。『あ、美味しい。香ばしいよ』そう言って、ちょっと千切ったのを、イーアンの口に押し込んで食べさせる。
「あんたもお食べ。ね、美味しいわね」
「はい。美味しくて良かったです。有難うございます」
二人で笑い合っているのを、タンクラッドはじーっと見て、俺があれをやれば良かったと思っていた(※自分、すぐに全部食べた)。
こんな穏やかな時間を経て、夕食の時間を迎える。
皿に料理をよそって渡す流れで、シャンガマックがイーアンの前に立つ。
生地の焼け具合を見ている、イーアンは気がつかない。ミレイオは、褐色の騎士の気まずそうな姿を見たが、何も言わず、出された皿に煮込みを入れるとイーアンに渡した。
イーアンは焼き立ての生地を2枚つけて、さっと横を見上げ、褐色の騎士の困り果てた顔に止まる。
「俺は、イーアンに」
「もう良いのです、大したことでは。あの時はちょっと、あれでしたけど。ね、蒸し返すのはやめましょう」
「そんな。蒸し返すなんて。そうじゃないんだ、きちんと謝らないと」
「謝って頂きました。先ほどずっと。はい、どうぞ。お食べになって下さい」
イーアンは少し笑いかける。戸惑うシャンガマックの手に皿を渡すと『気にしないで下さい』とお願いした。後ろに並んでいたフォラヴが、そっと友達の肩に手を置いて『私の番です』と下がらせる。
ちらちらイーアンを見ながら、シャンガマックはお皿を手に、焚き火から離れた場所に戻った。ミレイオもイーアンも、次に料理を受け取ったフォラヴも、顔を見合わせて少し笑う。
『イーアン。もう、あなたは怒っていらっしゃいませんね』妖精の騎士が訊ねると、イーアンは笑いながら首を振って『引きずるようなことでは』と答える。
「そう伝えましょう。シャンガマックは、女性の態度に経験が少なく、困っているだけです。彼はあなたが好きですけれど、言葉は得意ではありませんから」
「はい。分かっています。フォラヴにお願いしましょう。有難う」
いいえ、と涼しい微笑をイーアンに向けて、妖精の騎士は友達の側へ向かった。
ミレイオはイーアンに『あんた。あちこちで人気だけど、いろんな意味で大変よね』と笑う。イーアンも苦笑いで頷き『人気とは思えないですが。なかなか、人生になかった状況ではあります』と返した。
「ここへ来て。人との繋がりの変わり方に考えさせられます。
私にも学ぶものがあり、また、関わって役立つべき出会いがあるのでしょうが。私に関わる方たちにも、私が相手になる意味があるのだろうかと」
「当たり前でしょ。あんたは、外の世界から来たのよ。そんな大それた登場の仕方して、誰の関心も引かないなんて、そんなわけないじゃない。他人の反応には大変だと思うけど、あんたの『役割』なのよ」
ミレイオはそう言うと、イーアンに『もう一枚、それ焼いてくれる?』と頼んだ。イーアンは、勿論ですと笑って、ちゃかちゃか生地を焼いて渡す。
そう、ミレイオにも。いつでも見守ってくれ、いつでも拠り所になってくれる優しいミレイオにも、こうして関わりが続くことを心から感謝した。
「食事中に、話しておこうと思う。共有しておく情報だ」
食事が始まって間もなく、ドルドレンが皆に声をかける。朝にジャスールから得た馬車歌のことを、皆にも伝えようと前置きし、話し始めた。
「手短に話すから。そのまま、食べていてくれ。
俺の感覚的なものも含めるが、テイワグナに入って、ハイザンジェルにいた時よりも、遥かに情報が増えている。この旅に関わる、新しい情報だ。
タンクラッドたちが、森の遺跡で受け取った水の話もそうだし、その手前に何度も遺物や資料で見かけた、始祖の龍、ズィーリーたちの伝説の多さも、そう。
ここへ来て、テイワグナの馬車歌も違うと知った。これはもう『今後はこんな具合』と認識して、得られる情報は、片っ端から記憶するに限る。何も捨てるわけにいかない。
だから、皆がそれぞれ意識して覚えておいてほしいのだ」
ドルドレンの言葉に、全員が同感。皆も同じように思う。変化の動きは、ハイザンジェルを出る最後の方で感じたが、このテイワグナに入って、どんどん新しいことに出くわしている。
「ジャスールが歌ってくれた、馬車歌。彼に聞いてみれば、テイワグナの馬車歌は、5つに分かれていると言う。彼の家族は5つの内、最初の部分を受け継いだ。
ジャスールは歌い手じゃないから、自分の好きな部分だけしか歌えないと言い、俺はそれを教えてもらった。
彼が今回、女龍を探して追いかけて来たのも『龍の女と馬車の家族の男が、一緒に旅立つ』と歌で知っていたからだ。残念ながら、俺が先取りしたが」
イーアンが笑ったので、ドルドレンもちょっと笑って頷き『良かった。先で』と呟く。
「馬車歌の最初。大まかには、ハイザンジェルの馬車歌と近い。この世を作った精霊と、途中から、この世界を求めた魔物の王の話で始まる。
俺の育った馬車歌では、魔物に満ちた世界へ飛び込む勇者が先に登場するが、これ、ズィーリーの時代のことだと今は思う。だから、勇者はギデオンだ。
ジャスールの教えてくれた歌では『外から連れて来られた龍の女が空を作り、空を守る龍の女は、地上を蝕む者を見て、怒りと共に打ち滅ぼした』と、この部分が間に入る」
イーアンもタンクラッドも、目を見開いてドルドレンの言葉に固まる。ドルドレンは二人を見て『そうなのだ。始祖の龍の話がある』と付け加えた。
「それ。その部分。インガル地区のエザウィアの農家さんでも、少しお話が」
「そうだ。俺もそう思った。おばちゃんが教えてくれた、あの話は一部だろう。郷土資料館の本にもあった、始祖の龍・・・ズィーリー以前の出だしだな」
イーアンが、農家のおばさんの話を思い出して言うと、ドルドレンもそうだと言う。シャンガマックたちも、急に引きずり込まれる感覚に集中して、話の続きを待つ。
「だが、馬車歌はいつでも、更に詳しい。
『ゼーデアータ龍』は始祖の龍だろうが、その龍が地上を一度滅ぼす件は、資料にはあったりなかったりだ。
タンクラッドの香炉。俺たちの馬車の祭壇や神具。今はロゼールが使っている、最初のお皿ちゃんなど。それらには、そのことを描いた様子があるが、テイワグナの首都で見た、絵本や資料本にはそこまで書いていなかった。
馬車歌では『彼女が怒りによって、たった一人でこの世界を一度滅ぼす』話が残っている。その後、魔物の王が出てきて、勇者が呼ばれ、ここに始祖の龍も加わるのだ」
イーアンはその話を聞いて『はい』と手を上げる。ドルドレンは『はい、イーアン』と指差す。うん、と頷くイーアン。
「では。テイワグナの馬車歌は、ズィーリーの話ではなく、もっと古いゼーデアータ龍の話を、歌に残しているのですか」
「今のところは、そう聞こえるな。しかし、これから残りの4つの歌を聴いてみない限りは。今の時点で、始祖の龍が始まりにあることしか言えない」
「ハイザンジェルの馬車歌は、ズィーリーの話だけだった気がしてくるな」
タンクラッドもイーアンを見て、そうだよなと確認。イーアンも頷いて『精霊のナイフにも、白い棒にも。ズィーリーからのような』と答える。二人が顔を見合わせて、そのまま総長を見ると、ドルドレンも困っている。
「うむー。分からんのだ。こうなると、ハイザンジェルに、龍の女の話があまりにも残っていない気もする。そう思うのは、俺だけではないだろう。
とにかく、今朝。ジャスールが教えてくれたのは、彼の家族に伝わる歌の概要と、彼の好きな部分である『魔物が現れた時、大きな龍は女となり ―太陽の家族― から生まれた、勇者と動く』その一箇所だ」
だからね、とドルドレンは皆を見回して言う。
「遺跡探しをシャンガマックだけに任せるのではなく、俺たちも積極的に関わる必要が見えてきた。
バイラも、テイワグナの宝探しに見合う場所を知っているようだし、そうした情報が、今後俺たちの何に役立つかも知れない。
有難いことに、イーアンは男龍に過去の話を聞けるし、タンクラッドもコルステインに、昔の話を教えてもらえる。ホーミットもどうやら、遺跡に詳しそうに思う。
情報を解き明かすに、うってつけの状況も揃っているわけだし・・・皆で注意して、旅の仲間の求められている姿を探そう」
こう結んだ総長の言葉に、バイラ拍手。つられて部下も拍手。よく分からないけど、イーアンも拍手しておいた。ミレイオとタンクラッドは笑って『ドルドレンの話は尤も』と、ちょっと拍手に照れている彼に頷いた。
こうして総長の、大切な話が終わった後。徐々に暗くなる空の下、夕食も終わりに近づく。
タンクラッドは夕食時も、イーアンの側にいた。傍目から見れば、居心地が良さそうで、それで動かないようにも見えた。
ドルドレンの話の間はまだしも。彼が動かないことで、ミレイオはイーアンに聞きたいことを聞けず、変な感じの気遣いで、もやもやする時間を過ごした。
いつまでもそうかと、ミレイオが気にしていたのを、知ってか知らずか。
いつものように、早めに食事を平らげたタンクラッドは『コルステインが来るから』と言って、普通に下がる。その背中を見送った後、ミレイオは『何かあった?』イーアンにようやく訊ねることが出来た。
「彼は。過去に生きた、同じ役割の方と自分を比べました。お昼にルガルバンダが、それを伝えて」
「そうなんだ。で、何か、凹むようなことになったわけね」
親方の心の話なので、イーアンは全部を話す気はなくて、その確認にだけ頷くと、ミレイオに『多分、解決した』と答えて、彼の話を終わりにした。
「 ・・・・・あんたもだけど。あいつも。ドルドレンはちょっと微妙かな。
過去と同じ役割ってだけじゃなくて、見た目とかも似ている人で揃えられてる分。何か、それ鬱陶しいわよね。
その過去の誰かを、知ってる人たちがいるじゃない・・・何て言うか。比べられるって、自分の意味ないみたいで、嫌だろうなって」
「はい、これについては。今後も付いて回るだろうと、戻って来たさっきも考えていました。
私たちは『繰り返す運命』を辿ります。だけど、参加するのはいつでも違う人物です。そこに大きな隔たりがあり、その時点で『別の繰り返し』が生じていると思うのです。
ただ、過去から流れを見ている、男龍やコルステインたちには、別人として見分けようとした感じは、薄いのかもですね」
イーアンの返事に、静かに食器を片付け始めたミレイオは『気持ち、何となく分かる』と微笑む。
「私も・・・過去に、私のような存在はいなかったみたいだけど。でも、やっぱり『自分』の枠を、誰かに引き伸ばされている気がするもの。私じゃない、別の目的や意味をね。くっ付けられている感じ」
「ミレイオ。聞くのもどうかと思っていましたが。それは、過去から続く、目的や何か存在のために」
他の人に聞こえないようにイーアンが、さっと本題を出すと、ミレイオは目を伏せて『どうだろ』と呟いて濁した。
この呟き以降。イーアンも少し遠慮して、並んで洗い物を手伝い、意味のない会話をぽつぽつ交わしながら、二人は夕食の後片付けを終えた。
夜は静かに暗さを増して、夜空に流れる雲の影は、月の光を見せたり隠したりしていた。
それは、見えたと思うと目の前から消える、過去の残像にも似て、自分たちの集められた目的や、それぞれに与えられた、未だ見ることの叶わぬ役目を感じさせる夜空だった。
お読み頂き有難うございます。




