991. 遥かなる太陽の民の想い
馬にくくり付けられた若者。彼は次に馬の背から落ちる時まで、目を覚まさないまま過ごした。
昼も遅かったし、午後の出発もずれこんでゆっくりだったため、一騒動からちょっと経ったら、もう時間は夕方に掛かる頃。
野営地に着いた馬車の横に、バイラは若者と自分の馬も繋ぐ。そして、まだ目覚めない若者に、バイラが呆れたように縄を解いた瞬間、彼はずり落ちた。
「わっ。おい、大丈夫か」
「いてぇ。何だ、何?」
ドサッと落ちて、今度はすぐに反応した若者は、痛む頭に手を置き、また『うっ、痛っ』続けて腰と背中に片腕を回す。
ようやく目覚めた若い男に、バイラはしゃがんで『お前。誰なんだ。あのまま気を失っていたら、死んでいたぞ』と叱り、驚く顔で自分を見上げた相手に、大袈裟なため息をつく。
「ほら。名前を言え。それと用件だ。人の旅路に突っ込んで邪魔したんだ。それくらいしろ」
「旅?あ・・・あ!そうだ!龍だよ、龍を見たか?白い大きな龍が出たんだ、その話を」
「待て待て。お前の名前だ。用件はいきなりそれか。とにかく名前と、順を追って話してくれ。こっちは突っ込まれた上に、気を失ったお前を連れて遠くまで来たんだ」
若者は少しの間、ぼうっとバイラを見つめてから、ハッとした顔で周囲を見回した。『え?ここどこ?』見慣れない場所と馬車のある風景に驚いたすぐ、若者は『馬車。これ、どこの』と呟く。
「話を聞いているのか?自分のことばかりじゃ」
「バイラ。彼は目が覚めたか」
早く言えよ、と突こうとしたバイラの後ろから(※ちょっと乱暴)総長の声。バイラは振り返って、立ち上がると頷く。『今。また馬から落ちまして』見下ろした地面に、座ったままの若者を一瞥する。
ドルドレンはちょっと笑って、バイラを労うと『ミレイオに水をもらって』と休ませる。バイラは心配そうだが、言われるままにミレイオの方へ向かった。
それからドルドレンは、座って呆然としている若者の前に立ち、腕を伸ばした。『立てるか』そう言って彼の手を求める。
若者はまだ頭が付いていかないようだったが、気まずそうに片腕を差し出し、背の高い男に手を引っ張られて、立たせてもらう。
「俺が名乗る前に、お前が名乗るのが普通だな。なぜ追いかけた。用は何だ」
「あの。ええっと、龍がいたんだ。俺。龍を見たから。名前、名前か。ジャスールだ、太陽の家族だ」
ドルドレンは若者の言葉の最後に固まる。『今。何て?』灰色の瞳の見抜くような眼差しは、見下ろした若者の顔に注がれる。その威圧に、一歩後ずさった若者は、首をちょっと振って『ジャスール。太陽の家族』と怯えるように呟いた。
「太陽の家族。それは?意味は」
「あの、ええ?『テイワグナの太陽の家族』だよ。知らないの?どこから来たの」
もしやと迫るドルドレンに、ジャスールは困って顔を俯かせながら、聞き返されたことに何かマズイのかと危ぶむ。その会話を後ろで聞いたバイラは、水を片手に割って入った。
「ちょっと待て、太陽の家族って言ったか?お前、馬車の男か」
「そうだよ。この人たち、テイワグナの人じゃないの?」
バイラは若者に水を渡して飲むように言い、すぐに総長を振り向いて『太陽の家族は、馬車の旅人です』と急いで教える。ドルドレンの目が驚く。
「彼が?彼はこの国の?」
「そうみたいですね。自分たちのことを『太陽の家族』と呼ぶのは、彼らだけです。テイワグナの人間は、知っている人もいるけれど、馬車の民と呼ぶのが普通で」
「馬車の民じゃないよ、『太陽の家族』だ!馬車なんて、皆乗ってるだろ」
水を一気に飲み干したジャスールは、焦げ茶の髪をわさっと振って、日焼けした顔を向けて少し怒ったように、バイラの説明を遮った。
「馬車・・・そうなのか。ジャスール。俺は馬車の民だ。ハイザンジェルから来た」
「ハイザンジェル。ハイザンジェルの馬車の?本当?!」
ドルドレンはここで気がつく。この若者と言葉が通じていること。確か、テイワグナの馬車の民は彼らの言葉を話すと、バイラが言っていたが。
試しに、ドルドレンはハイザンジェルの馬車の言葉を話してみる。すると。
「え・・・総長。彼と話が」
バイラは、向き合う二人が、通じ合った会話を持った瞬間に驚く。
ドルドレンも驚いているが、その顔は少し嬉しそう。ジャスールも面食らった顔を向けるが、わっと顔が明るくなって、ドルドレンにしがみ付いた。ドルドレンも少し笑って、彼を抱き止め、背中を撫でてやる(※お仲間発見)。
それからジャスールは、馬車の言葉で話し立て、頷くドルドレンが何度か返すと、ジャスールも少し落ち着く。これにはドルドレンも魂消た。まさか、国を越えて通じるとは思わなかった言葉。
「総長。彼と会話出来たんですか?」
「少し違うけれどな。発音と名詞には、随分開きのあるようだが、ある程度は同じだと思う」
話しかけたバイラに向き直り、ジャスールの背中に手を添えたまま、ドルドレンは同じような言葉を使っていることを教えた。ジャスールはいきなり懐いた。
で。この様子を、さすがに他の仲間も見ているわけで。
ドルドレンと若者が何やら急に親しくなったことで、ひそひそ話し合っている。ドルドレンはジャスールを連れて、焚き火の側へ行くと『テイワグナの馬車の民だ』と紹介した。
「違うって。『太陽の家族』だ」
「俺たちも『太陽の民』と自分たちを呼ぶ。だが、一般的には馬車の家族とか、馬車の民の方が通じやすい」
ジャスールを焚き火の側に座らせると、ドルドレンは彼に丁寧に指導。ジャスールは大人しく頷いて『そうか』と答えて終わる。
料理を蒸し焼きにしている最中のミレイオは、若い男を見つめて『名前は?』と訊ねた。『ジャスールだ』すぐに教えた若者に、少し微笑んで『私はミレイオよ。あんた、怪我はしてないの』落ちたけどと、とりあえずの質問。
「痛いけど。でも平気だよ」
「そう。どこから来たの。どうして追いかけて」
ミレイオの静かな質問に、ジャスールはドルドレンを見た。ドルドレンは頷いて『俺が言おうか』若者に気を利かせると、彼は頷く。
彼は、オカマにも動じない。さすが雑多な人種が混ざる馬車育ち、とドルドレンは思う(※自分もそう)。
「ジャスールは龍を見たそうだ。白い大きな龍を。
あー・・・あのだな。ほら、何週間か前、首都の近くで龍が現れたと噂になっただろう?あの噂を頼りに、馬車の家族は近くを移動中だったようで。龍は誰もがな、見たがる。
その、何だ。それで、昼に遠目で龍を見たという彼らは、龍を他に見た者がいるなら、龍の話を聞こうと。それでジャスールが、追いかけて来たようだ」
「龍。白い。大きい。ふむ」
ミレイオは無表情にうんうん頷いて、ドルドレンをじーっと見る。ドルドレンも、ミレイオの頷く動作に同じく返し、『そうなのだ』と一言。二人は、そっと馬車の荷台を見てから『龍ね』もう一度呟く。
荷台から顔を出したオーリン。話が聞こえたようで、目の合った総長たちに、ゆっくーり首を振って引っ込んだ。荷台には、オーリンと親方、そしてイーアン。3人ともじっとしている状態(※イーアン保護)。
焚き火の側にいるシャンガマックたちも、何となく空気を読んで黙る。遺跡の資料を見ていた褐色の騎士は、何も言わずに立ち上がって寝台馬車へ戻ると、資料をきちんと仕舞って戻った(←資料、龍の絵描いてある)。
ジャスールは、はぁ、と疲れた溜め息をついてから、ドルドレンを見上げ『悪いんだけど。水をもらっても良い?』と訊ねた。そして腰袋の硬貨を一枚出すと『これしかないんだけど』と言う。
ちょっと驚いたドルドレンとミレイオは、『要らない』と笑う。
「水くらい分ける。金なんか要らないぞ」
「でも、いきなり来たし。あんたたちの水だ。ごめんね」
ドルドレンは思う。馬車の家族は、水辺付近や町の中でもないと、水も積んでいるものを飲むから。広いテイワグナは乾燥している地域が殆ど。水は貴重と知っている彼も、それで・・・と。
ミレイオは笑って立ち上がり『いやぁね。子供からお金なんて取らないって』と荷馬車の水を汲んで渡す。
「馬車で育ったのね。旅する事情をちゃんと分かって。だけど大丈夫よ、この暑さじゃ水がなかったら死んじゃうもの。あんた、自分の家族は?ずっと離れちゃったでしょ?」
今日は帰るに帰れないだろう、と心配するミレイオに、ジャスールも水を飲みながら困ったように考えている。
ここでドルドレンは質問がある。そしてその質問、同じ場所で話を聞いていたバイラも。先にバイラが口を開いた。
「ジャスール。お前、まぁ。今夜は俺たちの側で眠るとして。明日戻れそうなのか(←相手が若造で他人だと、素で喋るバイラ)」
「うん。話を聞くだけだから、と思ったんだけど。帰るの、明日になるだろうな」
「お前。そこまでして一人で追いかけて来た理由は何だ。龍じゃなくて。龍の話を聞いて、どうするつもりだ。馬車の民は、龍をそんなに見たいのか?」
「うん。ドルドレンなら知ってるかな。勇者がいるんだよ。龍が出た時、魔物が現れるだろ?伝説は同じだと思うんだけど・・・太陽の家族から勇者が選ばれて、龍の女と一緒に魔物を倒しに行くんだ」
ドルドレン、ちょっと嫌な予感。
うむ、と真顔で頷いて、先を促す。ミレイオも何やら嫌な感じ。眉を寄せつつ、鍋の蓋を開けて中を確認しつつ、素知らぬ振りでダイナミックに聞き耳を立てる。
「俺さ。龍の女に会いたいんだ。俺がそうかも知れないから」
照れたようにはにかむジャスールの思い切った告白に、ドルドレンは固まった。
ミレイオも、鍋を混ぜる手が止まる。バイラは思いっきり、どん引き。側にいた騎士たちも目を丸くして、テイワグナの馬車の民を見つめる。
そして荷台では、大きく咳き込む親方の声が聞こえた。
「龍の女。大きな龍は、龍の女って伝説がある。あの白い龍が絶対そうなんだ」
夢見る青年の、熱い想いは、暗くなり始める荒野に響き渡って、馬車の仲間に僅かな沈黙を齎した。
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