990. 追う者
日差しは暑いが、風は強い。ドルドレンとバイラも話しながら、過ごしている午後。
「そうか。ナイーアが」
ドルドレンは、村でバイラが、ナイーアの親と会話した内容を聞き、今朝方に、ナイーア本人に打ち明けられた思いもしり、しんみりとする。
「ナイーアは、彼自身も話していましたが。これまでの数十年間のことは、断片的な嫌なことしか思い出せません。それは彼が言語に明るくなく、言われていることが分かっていなかったことも意味します。
だけど、あのショショウィと出会った日。突然に頭に言葉が流れ込み、彼は『自分の小さな気持ちまで説明出来るようになった』と言っていました。
そして思い出せないにせよ。決して良いとは言えない状況に、置かれていた自分を考え、悩みました。
今後の気持ちに繋がるかどうかは、まだはっきりしていないのですが、ナイーアは、自分と同じような境遇に居ざるを得なく、また一生をその状態で生きる人々のことを、分からないなりに、どうにか救いたいと考え始めています」
バイラはそこで一旦、大きく息を吸うと、眉を寄せて首を振る。『しかし』バイラの声が沈む。ドルドレンも頷いた。
「彼の親は。そんなことは気にしていないようでしたから。その辺りが、当座・・・揉め事の懸念や、解決策を探す部分になるでしょうね」
村で話した親との会話は、バイラにとっても理解に難しく、それはナイーアのことを考えている発言には思えなかった。
「その。さっき話してくれた、彼の親たち。ナイーアに戻るようにと伝言を頼んだという。しかし、言い方は悪いが、ナイーアの食費が減る分、楽になりそうなものなのだ。彼らはこれまでどうやって暮らして」
「ナイーアその人です。お金の理由は。ナイーアは戸籍がありましたが、そこに問題がありました。彼は、2度死んでいることになっていました」
「何?なぜ」
「はい。嫌な話ですから、短く説明します。最初は届けられていなかった。そして彼が幼いうちに、一度届けられていました。しかし、彼はその後すぐに死亡届を出されています。
と思ったら、数年後にまた生存確認したような報告と共に生き返っており、そして半年後にまた死亡届でした。
それから数年後、彼は再び生存を確認とか何とか。死亡届の理由は『行方不明と転落による死体』なのですが、死体が別人だったというオチです。
・・・・・ナイーアが生きていることになっていた時期。
それは国が、福祉手当の受給制度を打ち出した頃と重なりました。でも、最初は受給額が少なかったんです。改正案が出された二度目は、条件も下がって一定額が増えたという」
ドルドレンは気分が悪い。思いっきり嫌悪の表情を表して『何という仕打ちだ』と歯を噛みしめる。『最初は届けられていなかった』とバイラが言った理由も聞く。ここまで来ると、全部聞いてしまえと思う。
「彼が。末の子でしたから。食べさせていけないと、思ったんじゃないでしょうか。そのまま、生まれていないことにして、病や怪我で息を引き取ったら、それきりにしよう・・・とでも。
度々ある話、とは言いませんが、田舎の人里遠い地域では、自分の子でさえ、下働きのように一生使う人々も、まだいます。生んだきりで、最低限の食事と衛生。運がなければ、命を終えるという」
「つまり。その状態で育ったナイーアが、口が利けないと分かった後、死亡届けを出す理由になり、死んではいないものの手酷く扱われて、更に受給対象と知った親が」
胸糞悪い話しだと、最後まで言わずにドルドレンは吐き捨てた。バイラも苦しそうな表情で頷く。
「本当に。出生後、ナイーアの戸籍が出されていなかったと分かったのは、彼の戸籍の年齢と、彼自身の成長度合いが合わないからです。思うに、十年近くのズレがあるでしょう」
タサワンのある、ゼヘリ地区警護団施設にある戸籍帳簿を見たバイラは、それを調べて愕然とすると共に、ナイーアを保護して良かったと本当に思った。それを伝えると、ドルドレンも『バイラがいなかったらと思うと、ぞっとする』と答えた。
「ナイーアは勿論。ここまでの内容を覚えていないと思います。それは不幸中の幸いでしょう。そう思いたい。辛過ぎるから」
「そうだな。でも彼は、どこかで知っているんだ。記憶の断片を辿って・・・それで、自分と同じような人間の存在に、今。心を動かされている」
バイラは『今後、立ち寄る先々の警護団で、ゼヘリ地区の警護団施設の情報を気にして見ておく』と、総長に話す。
『それが良い。ナイーアの話も出るかもしれない』ドルドレンも賛成し、彼のような境遇に置かれた薄幸の運命を、どうにか変えてやりたいと考えた。
「ナイーアの親には、多分もう少ししたら、書類と共にゼヘリ地区の警護団が」
正式に届けに行くでしょう、と・・・言い掛けたバイラ。ふと、耳に異音を捉え、黙る。並んで馬を進めるバイラの態度が、警戒に変わったので、ドルドレンはどうしたのかと彼を見た。
「いえ。音が。風が強くて分かり難いですが。人の声のような、ん。あ?」
「どうした。何か見えるのか」
バイラは周囲を見回して真後ろを向いた時に、反応が止まる。『誰か近づいています』そう言って、総長をさっと振り返り『見に行きます』と断りを入れ、馬を返して後方へ走り出した。
「近づいている?何かあったのだろうか」
風の吹き荒れる中、砂煙を上げて走り去ったバイラを見送り、ドルドレンは御者台からは見えない後ろに、何か気になる。だが、この後すぐ、ドルドレンの引っかかりは、目の前に現れることとなった。
間もなくして、風の音が凄いとはいえ、後ろで誰かが叫び合うような声が聞こえる。『バイラ?』バイラと誰かだ、とそこまでは分かるが、如何せん、ビュービュー吹く風で掻き消えて、はっきりしない。
何だ、何だ、と気になりながら、そわそわして手綱を引こうかと思った矢先。
「総長!」
バイラの声より早く、シャンガマックが大声で呼んだ。ドルドレンは急いで馬車を止めて、御者台から下りる。『何だ、さっきから何か』言いながら、後ろの馬車を見て黙る。
後ろの馬車は、ドルドレンが止めるより少し前に止まっていたらしく、バイラの馬が落ち着きなく動き回る、後ろの馬車の前に、別の馬が倒れていた。
馬は四肢をもがくようにして、首を起こしたが、背中に乗っていた誰かが投げ出されている。
「何があった?どうした!」
慌てるドルドレンは駆け寄って、それと同時に、荷台から顔を出したミレイオたちに『これは』と状況を訊ねた。倒れた馬は、荷台の馬車の合間に滑り込んだのか、そのまま転倒した様子で、寝台馬車の馬も足踏みして苛立っている。
投げ出された人物には、バイラが走り寄った。荷台を下りてくれたオーリンに自分の馬を任せ、地面に転がるその人に屈みこんで『なぜこんなことを』と叱るように相手を抱き起こす。
呻いているが、答えないので、バイラはその相手を腕に抱えながら『おい、お前は誰だ』と怒り続ける。
状況が全く分からないドルドレンは、ミレイオに顔を向けて、バイラと倒れた人間に眉を寄せて見ているミレイオに、囁き声で質問。
「一体。これは」
「分からないわ。突然、バイラが後ろに駆けていったと思ったら。戻ってきた時には、この人がわぁわぁ騒いで、馬車と馬車の間に駆け込んで。そのまますっ転んだのよ。
追いかけてきたバイラもビックリだし、シャンガマックも急いで馬車を止めたから、踏まれてはいないと思うけど」
ドルドレンも意味が分からないし、見ていた職人たちも何者かと見つめるだけ。寝台馬車から下りてきた、フォラヴとザッカリアも、奇妙な事態に困惑して見守る。ドルドレンはふと、イーアンが気になり、さっと荷台を見ると、親方が自分の後ろにイーアンを隠していた。
親方と目が合い、ドルドレンは無言で状況を促すと、親方がちょっと倒れた人物を見てから、ドルドレンにこっちへ来い、と顎を動かした。
そそくさ寄る総長、親方の前の床に乗って『どうした』と訊く。
「あいつ。多分、イーアンに用だ。『龍が』と聞こえた」
「イーアン?あ。さっき、龍になっていたからか?だけど、あの時、誰も側には」
ドルドレンは親方の後ろに隠れるイーアンを見る。イーアンも分からなさそうに、少し首を傾げて『私、大きいから。誰かは目にしたかも』それでかしら、と困っている。
「テイワグナは、龍に土着信仰が強いだろ。イーアンの角なんか見たら、理由も分からない内から何を頼まれるか」
親方は小声で総長に話すと、イーアンをもうちょっと背中側に押しやって『俺に隠れていろ』と囁く。
頷くイーアン。親方の影だと、外から見えないので、ドルドレンも『そのままで』状況が見えない間は、出てこないようにと奥さんに頼んだ。
それから、バイラの側へ行き、しゃがんで倒れた人物を揺さぶるバイラの上から、相手を覗き込んだドルドレンは、その顔を見て。
「む。この者は」
「あ、総長。すみません。気がつかないんです。頭でも打ったのか、唸っていますが目を開けなくて」
振り返ったバイラの両腕に抱えられているのは若い男で、ドルドレンは暫くその顔を見つめる。バアバック(※220話)に似ている・・・・・
――馬車の家族。バアバックは、途中から加わった。
もう随分長いこと、親父の馬車と旅しているが、一向に言葉が上達しないままの初老の男。彼は家族で加わったけれど、バアバックがどこから来たかは、親父かジジイが知っているだけで、子供だった俺はそこまで知らない。
ドルドレンが騎士修道会に入った後も、バアバックは親父と一緒に動いていた。イーアンと、アジーズの件で話を聞いた時も、バアバックはいた。彼はテイワグナから来ていたんだろうか――
「総長。どうしますか。先に進んで下さっても」
バイラは目を覚まさない若者を腕に、困ったように総長を見上げて訊ねた。ドルドレンも、ここで足止めは避けたい。馬車に乗せるのも、どうかと思うこの若者の登場の仕方に、ちらっと荷台の職人(※中年組)を見た。
「(ミ)置いてけば」
「(オ)馬もいるんだし」
「(タ)道はここだけだろ。追いかけたければ、またこの道を進んでくる」
「大人は言うことが違うのだ」
ドルドレンは、この冷めた意見に躊躇う。ちょっと部下を見ると、皆少し同情気味に『置いて行くなんて』と呟く。
「(シャ)干上がりますよ。この風と暑さじゃ」
「(ザ)馬も逃げちゃうかもしれないよ」
「(フォ)誰だか分かりませんが。捨てて行くほどのことをしたとも思えず」
だよね・・・同じく思うドルドレン(※こっち派)。
そして。親方の背中から、ちょろっと顔を出している愛妻(※未婚)を覗き『どう思う?』そっと質問。イーアンは小さめに首を振って『放っておくのはちょっと』と小声で答えた。
ニコッと笑うドルドレン。『そうだな』そうそう・・・そういうもんだよねと、奥さんの答えに嬉しく思う(※『良かった、置いていけって言わないで』の気持ち)。
多数決、ということにして。
ドルドレンはバイラに、彼を馬に乗せて、その馬を引いていこうと提案した。バイラは少し戸惑う。
「でも。何者かも分からない相手です。私が『誰か』と聞いた途端、『さっきのを見たかどうか』そんな・・・よく分からないことを言って、逃げるようにして馬車へ走ったんですよ。
そして、突っ込んでこのザマです(※ちょっと口悪くなってる)。彼を連れて行くなんて、目を覚ましたら何をするか」
「うん。でも。まだ若い。見たところ、悪人には思えん。ユータフのように、甘ちゃん風でもない(※ユータフ引き合い)。何か用事があるにしても、若いから行動に移しただけかも知れないのだ。
荷物も持っていないし、恐らく、つきまとうような事にはならないだろう」
ドルドレンは何となく、馬車の家族のバアバックを思いだして、置いていくのも気が引ける。彼の子供ももうすぐこのくらいの年齢になるだろう、と思うと、他人のような気がしない。
優しい総長の言葉に、バイラはゆっくり首を振って『私は反対しましたよ』と珍しく、反対意見を通した。そんなバイラに少し驚きはするものの、総長は頷いて『大丈夫だ』と微笑む。
「じゃ。彼の馬にくくり付けて、私が馬の手綱を引きます。馬は無事そうですね。随分しっかりした足だな」
焦げ茶色の馬はもう立ち上がっていて、バイラの青毛の馬に比べると一回りくらい大きく、足も太くて大きい。
ふと、バイラは馬車に繋いである馬を見て『同じ種類』と呟いた。ドルドレンはその言葉に、ようやく馬に意識が向いて振り返る。
「あ。え?馬車の馬か?」
ドルドレンの横に立ったバイラは、倒れた若者と馬を交互に見てから、お互いの顔を見る。
「この馬。馬車の」
二人はそう言いかけてから、若者に視線を向けた。若者はまだ目を覚まさず、時々呻いては、どこか痛めたように眉を寄せていた。
お読み頂き有難うございます。




