987. 名も無き村に続く道 ~命の水の意味
旅の馬車は、朝に出発してから、午前も半ばに村の近くまで進んでいた。
とはいえ。近くと言っても、距離はあり、林の奥の村に立ち寄っていないドルドレンたちには、村の近くかどうかも分からなかったが、それは林を抜けて現われたバイラによって知らされる。
「おお。バイラ。今、来たのか」
「良かったです。馬車では、この道しかないから。私は近道を。でも、馬でしか抜けられないですが」
振り向いた雑木林に笑うバイラは、息切れする馬の首を優しく叩き『お疲れさん』と労い、馬車に近寄せた。
「恐らく、私の方が早いと思いました。それでも何時間かかるわけですし、丁度良く、行き合えて何より」
「乗るか?馬は引いて」
ドルドレンはバイラに、御者台に移れば、と横を示す。バイラは馬を見て頷き『そうさせて頂けると、馬も楽でしょう』私が重いからと苦笑いして、馬をすぐに下り、手綱を伸ばして御者台に座る。
「すみません。お世話をかけます」
「良いのだ。世話などではない。こうして無事に会えて良かった。ところでナイーアは」
「はい。その話をしたいと思います。その・・・すこしゆっくり、進むことは出来ますか?ナイーアの村はすぐそこなんです」
ドルドレンは、バイラの指差した方向を見て『寄る、という意味か』と訊ねる。バイラは急いで首を振り『いいえ。そうではないんですが』もしも寄ることになるなら・・・少し言い難そうに声を落とした。
了解したドルドレンは、手綱を引いて歩を緩め、バイラに話すように促す。ドルドレンも話したかったから、村の方を気にしながら、彼の話を聞いた。
聞くだけ聞いた、バイラの話。それは、ドルドレンと同じ気持ちだった。
彼の説明の最初は、ナイーアを届けた話と、警護団でのこれからの仕事、そして団員に頼んだ、ナイーアのこと。
まずは、読み書きと、金銭の扱い、生活の仕組みを教える。警護団の規則や世間の常識などは、業務中に教えるが、日常のことは、時間を作って教育するようだった。
続く話が本題で、バイラは彼を見た時から『いつか、どうにかしなければ』と考えていたことを、強く感じたと話した。
それは『魔物出現と地方の現状』についてであり、『魔物が出る前から、気にはなっていたんです』と、彼は言う。
「警護団に入ってからですよ。人々の生活に入り込むような仕事なので、何度も目にするたび、どうしたら変えられるんだろうと思いました」
護衛の仕事で各地を回っていた頃も、弱い立場の人が、通りに生活している様子や、雨に打たれても外にいるしかない姿を見たことはあったが、『警護団でリマヤ地区を回った時、ここでこんなに?と驚いた』と話した。
「リマヤは人口も多いし、首都も離れていませんから。手当てを受けられるというか、目の届く場所のはずなんです。それでも、人数が多いです。気の毒で。
諍いや問題で呼ばれて行った先に、そうした弱い立場の人々がいるのを見ると、リマヤでこれでは、地方はどうなんだろうと」
本部へ足を伸ばす際には、地方の実情を、報告書などを通して知るようにしたが、それはとても厳しい話が多く『文章では、ほんの2~3行ですが』その短い文から想像がつく内容は、とてもじゃないが言葉にならないと、報告書を読む度、感じていたバイラ。
「私はリマヤ地区担当だったので、リマヤ地区で出来ることがあれば、役に立ちたいと考えて動いていました。
だけど、一人じゃ限度が。下手に関わって中途半端なんて、ぬか喜びもさせたくないし・・・どうするのが良いのか分からず、です。
そこへ魔物騒動ですから、一番先に打撃を受けるのは、弱い立場の人々だと思い、何か救えないだろうか、常に気にしていました」
そう話したバイラに、ドルドレンは真剣に耳を貸し、何度も頷いて『よく分かる』と気持ちを共にすることを伝えた。
「俺も。今、ナイーアに関わり、どうにか出来ないかと。他所の国だが、何か。どうにか、じゃないな。何かだ、何かでも良い。力になれたらと思うのだ」
魔物退治だけではなく、と思っているよ・・・バイラに顔を向ける総長。バイラは、この人は本当に優しい人だなと、胸が熱くなる。総長は、想いを続ける。
「大きなお世話かも知れないが。もしも出来ることがあったとして。後からそれに気が付き、しかし既に通り過ぎてしまったなら、俺はきっと後悔する。
この旅の目的である、魔物退治。これで感謝されるだけでも満足するべきだろうが、俺の満足は、戦って誰かを守るだけではない。
悩む人に力を貸せることがあれば、自分の状況に左右されるにしても、やれることは・・・やっておきたいのだ」
「何か。案はあるでしょうか」
バイラはそっと聞いてみる。意気込みは同じ。自分も、方法を探しているままで、何年も過ぎたが。総長は寂しそうに首を振り、皮肉な感じに笑った。『ないのだ。言っているだけで』困ったもんだ、と言う。
「ミレイオに話したら『手があるなら、話してくれ』と言われた。彼は俺の話を聞き、やり過ぎる関与に繋がる恐れを懸念する。だから、最初は反対された。でも」
「ミレイオは。手があれば、と言ってくれましたか」
バイラの言葉に、そうだ、と頷くドルドレン。『方法があるなら、考えてくれる。力も貸してくれるだろう』だからね、とドルドレンは続ける。
「方法を探したいのだ。そのためには、こちらの思いこみ一辺倒ではいけない。その場所その場所で、悩む条件も違うだろう。少し時間があるなら、最初に情報を集めたい」
灰色の瞳はとても真面目に、真っ直ぐバイラに向けられる。バイラは大きく頷き、『行きますか』そっと、道の左を指差した。
「村は、この奥です」
この後。ドルドレンは馬車を止めた。そして仲間に、話を短く伝え『無理そうなら、すぐに引き上げる』と約束をする。
ミレイオは何も言わなかったが、静かに頷いてくれた。親方も『そうか』で終わり(※イーアンはお空)。
シャンガマックやフォラヴたちは、思うところがありそうだったが、急ぎにも似た展開に、一先ず状況の動きを見守る姿勢をとった(※ザッカリアはよく分かっていない)。
バイラは、皆にお礼を言い、それから『無駄足なら、本当にすぐにでも切り上げます』と伝える。そして馬車は、バイラの案内で木々の間に入り、緩やかな下る地面を林の中に向けて進んだ。
「昨日。ナイーアの家族に、彼を警護団に入れたことを、私が伝えるかどうか、他の団員と話し合いました。
時間があれば、先に私が口頭で伝えることになり、それが叶わなくても、後日、誰か他の団員が知らせを届けることになったのです」
バイラは木々の木漏れ日の中、時々、眩しそうに目を閉じて話す。ドルドレンは続きを促す。
「理由は。どう」
「はい。ナイーアの意志です。それは確認したので、伝えられます。ですが・・・場合によっては、ナイーアの、その、給与を求められる場合が。
それを避ける為、『ナイーアの意志を元に、一般的な教育の必要を目的とした保護』と」
ドルドレンは溜め息をつく。『そうだな。それが良い』自分でもそうすると思う、と話すと、バイラは『その場にいた団員の皆が、同じことを言った』と答えた。
「地方に出向いた機会があって。その時、やはり何度か見ているんです。家族が、『重病人』の手当金を目当てにする家庭を」
「うん」
「俺は、それがイヤで。養うのは大変だと分かるけれど」
「うん」
「部屋に。家族の一人である『重病人』を、部屋に鍵をかけて閉じ込めて。金だけって。その『重病人』は、ナイーアみたいに痩せ細っていたんですよ。家族は普通の体型なのに」
「うん」
バイラは眉を寄せて、『私』が『俺』にいつのまにか変わっていることも気付かず、向かう村の影、前を見つめて、独り言のように思い出しては呟いた。ドルドレンは彼を見ないようにして、相槌を打つ。
「ナイーアを見た時。俺は、彼を助けなきゃと思いました。もし戻ってしまったら。村へ戻ったらまた、ナイーアに何が起こるだろうかと」
「うん。そうだな。俺も同じことをする」
眉を寄せたバイラは、横に座る総長の顔を見て『俺は。出すぎた真似をしてないですよね?』自信を確認するように呟く。ドルドレンはゆっくり首を振って『お前は最高だ』と答えた。
「勇敢だし、最高だ。その最高、これから行く村にも分けよう」
「はい」
総長の微笑みに、バイラは安心する。護衛上がりの自分は、誰かを助けたり守ったりは、実際のところ、剣でしか経験がない。
こうした繊細な心の動き、それぞれの相手に向き合う形で助ける方法を知らない。独り善がりの善意にならないように、気をつけたくてもどうするのか、これから学ぶ。
総長が横で微笑んでくれたことは、バイラの最初の自信に変わった。
「村だ」
ドルドレンは前を見て、人影が自分たちを見つけて集まっている様子を教える。
バイラは頷き『私の用事を済ませます。それから、状況調査とした形で、村の状態を村人の口から聞きましょう』そう言って、御者台を下りた。
「こんにちは」
歩きながら、バイラは自分を見ている、村人の数名に声をかけた。『警護団の者です。こちらで』そう言い掛けた時、一人が足早に歩み寄って『ナイーアが食われたんだ』と大真面目な顔で訴えた。
「食われた?」
「食われたんだ、魔物に!帰ってこないんだ。あんたたちが調査に出ただろ?あの日、同じくらいの時に、ナイーアも谷へ」
「食われていないです。ナイーアは無事ですよ」
バイラは、ムキになる男性を丁寧に押し止め、そのことで訪ねたと話す。『ナイーアと私は谷で会いました』そして彼は警護団で保護したから、それを伝えに来たのだと言うと、村人は顔を見合わせて困惑した。
それから、バイラが事情と理由を説明し、何度か言い合いそうになったものの、結局は親に伝えるということで落ち着き、バイラは一度馬車へ戻って来て『ここで待機して下さい。彼の親に話します』と言うと、また村人と一緒に奥へ歩いて行った。
御者台のドルドレンは馬車を下り、仲間にバイラの行動を伝えると、親方が下りてきた。
「ドルドレン。俺はちょっと、手前の方を見てくる」
「何で?」
ちょっとだよ、と少しだけ微笑んだ親方は、ふらっと村の中へ入り、隠れる人々の一人を捉まえて何かを話している。
ドルドレンはその様子を見つめ、彼が村人と一緒に家屋の影に消えたのを見届けると、寝台馬車のシャンガマックに呼ばれたので、後ろの馬車へ行った。
「何だ?俺も中で事情を聞こうと思うから、すぐ行くが」
「言葉。大丈夫そうですか?ナイーアもテイワグナの共通語ではなくて、世界共通語を話していたけれど」
「あ。そうだな。気にしていなかった」
「あの。タンクラッドさんは、テイワグナの公用語と言うか。それを話せるから良いんですけれど。もしかすると、村人同士で地方の言葉を使う可能性があります。俺たちに分からないような」
何かに気が付いていそうな部下に、ドルドレンはハッとした。『そう思うか?』可能性を確認すると、褐色の騎士は小さく頷いて『村人が。警戒した時は、俺たち用の言葉じゃない気がして』バイラは母国だから分かるだろうけれど、と言う。
ドルドレンはシャンガマックに感謝。『分かった。一緒に来てくれ』通訳をお願いして、シャンガマックと一緒に動くことにした。
御者台を下りた褐色の騎士は、後ろへ回ってフォラヴに馬車番を頼む。ドルドレンもミレイオに『ちょっと行ってくる』と伝えた。ミレイオは頷いて『深入りしないでね』微笑んで忠告すると、縫い物を続けた。
「分かっている。大丈夫だ」
「大丈夫だろう、って知ってるわ。だけど・・・一応ね」
ドルドレンを見ず、手元の針を動かしながら微笑を浮かべるミレイオは、仕方なさそうに騎士を送り出す。
ドルドレンは少し笑って『有難う』とお礼を言うと、戻ってきたシャンガマックと一緒に村へ入った。
ミレイオは、目の前に置かれた壷を見つめ『タンクラッド。上手くやれよ』フフンと笑って呟いた。
バイラが、ナイーアの親と話している間。親方は、捉まえた村人のおっさん相手に、質問中。
『あっさり話すもんだな』屋根のある井戸の前で、腰に手を当てて親方がそう言うと、おっさんは『お前さん。俺を疑うから』と苦笑いする。
「それはあんたが、俺に分からないと思って、ヘンに言葉を変えたからだ」
「警戒するだろ、いきなり来て。どこの誰とも分かんない人なんだから。でもまさか、ここの言葉知ってるなんて思わないし」
「『警戒』と、俺を『騙そうとする』のは関係ないぞ。協力出来そうならする、って言ったぞ」
そんなのいきなり言われて信用出来ないよと、おっさんはぼやく。
突然やって来た男に『井戸はどこだ』と訊かれ、怪し過ぎるからはぐらかしたおっさん(※普通)。
近くにいた近所の人に地元の言葉ですぐ相談し『肥溜めに案内して、横にある洗い池を教えてやろう』としたら、背の高い目つき鋭い男は『肥溜めなんかに用はないが。俺を騙してどうする』と凄んできた。
その顔が怖過ぎて、近所の人は素早く逃げ、このおっさんは捉まった。
そして、言葉を変えて騙そうとした、と詰められ(※よく考えれば、これも普通だと思う)気弱なおっさんは、仕方なし『騙していない』と言い張り、『いや、騙した。俺を騙そうとはいい度胸だ』なんて、低い声で言われたもんだから、あっさり井戸へ案内したのが、今。
こんな短時間のやり取りで、井戸の前にいるタンクラッドは、とりあえず、ぼやくおっさんの言葉を無視。『この井戸、村の水源共通か』その質問に、おっさんはもう言いたくないから黙った。
「おい。教えろ。時間はあんまりないんだから」
「信用出来ないんだよ。お前さん、誰なんだ。外の人間だろ?ハイザンジェルとか聞いたけど」
「魔物退治で来たんだよ。それだけで充分だ。さっきみたいに騙して、俺を悪人仕立てにするんじゃないぞ」
「しないよ・・・・・ 」
タンクラッドが硬貨を一枚渡すと、さっと受け取り、舌打ちしたおっさんは。ちょっと居心地悪そうに、周囲を何度も見渡してから、背中を丸めて『水源は一緒だよ。何でだよ』と言う。
「今日は良い日だぞ。覚えておけよ。あんたは、小遣いをもらった上に、村が伝説を蘇らせるんだからな」
「で。んせつ?」
「伝説さ」
背の高い男はそう言って、余裕そうな笑みを浮かべると、手に持っていた小さい壷の蓋を開けて、口まで入っていた水を少しだけ、井戸に落とした。村人のおっさんは目を見開いて『毒?!』思わず叫ぶ。
「あんたは、どうしてそう・・・消極的なんだ。前向きに考えろよ」
「毒を前向きになんて」
「毒なんて、発想。どこから出てくるんだ。誰がこんな行きずりの村の井戸に立ち寄って、わざわざ毒なんか入れるんだ」
伝説だと言っただろうが、と困ったように笑う親方は、井戸を覗き込んで『おい、釣瓶を下ろせ』おっさんに命令して、嫌そうなおっさんに桶を下ろさせた。
「どうする気だ。俺は飲まないぞ」
水を入れた桶を引き上げながら、おっさんは警戒。親方は鼻で笑って『そうか。じゃ、俺がもらうか』そう言って、驚いているおっさんが引き上げた桶に、片手を入れると、すんなり水を掬って口に運ぶ。
「何してるんだ。大丈夫か」
「ふむ。なるほど、そういう・・・ほほう。これは何とも面白いな」
親方は口に含んで飲み込んだ水に、ちょっと笑う。おっさんは、ドキドキしながら感想を聞きたがる(※いきなり来た人に、井戸に何か入れられたけど、もう忘れてる)。
「飲むか?腹が減っていたら、好都合だが」
「腹?減ってないよ。さっきお茶の時間だったから、漬物食っちまった」
そう言いながらも、おっさんは真似して水を掬い、口に入れた。数秒してから、動きが固まり、ゆっくりと親方を見上げる(※おっさん身長167cmくらい)。
「これ。お前さん、何・・・何した?何で」
「だろ?伝説だったんだ。昨日調べた」
面白そうに笑みを浮かべた親方に、おっさんはもう一度、水を掬って飲む。それから目を丸くして『腹が。腹が満ちる』と呟いた。
「らしいな。伝説、その分だと知らないのか。昔、あの谷にもこの水が流れていたのを」
おっさんは親方を不思議そうに見つめて、首を振る。『聞いたことないよ』何の話、と言う。
親方はフフンと笑って『教えてやる。だがな、さっきの金返せ』と右手を出した。
お読み頂き有難うございます。




