982. 古代墳墓ノクワボ・サドゥ ~色褪せない場所
中へ入った足元の音に、ハッとして一歩で立ち止まった親方。振り向くショショウィ。親方と同じ反応をした騎士の二人。
「床が。鳴った」
前しか見ていなかった親方は足元を見て、靴が踏みしめた時の音に違和感を持つ。呟く親方に、騎士も少し不安そうに頷く。
「荒廃どころか。埃も何もないなんて」
「磨いた床だよ。きちんと、手入れしてるんだ」
支部の床掃除をした時と同じ音がするよ、とザッカリアは眉を寄せる。
気持ち悪い・・・誰もいないはずの遺跡なのに。突然現われた派手な扉、その中は明るく、踏みしめた床からキュッと音がするなんて。
「この室内だって。信じられないのに」
3人の心臓の鼓動が、進む一歩ごとに大きくなる。胴体を揺するくらいに心臓が大振りに緊張する、異質なその空間の雰囲気。
見渡す3人の目には、大きな広間があり、石の床と壁と天井に、無数の絵が刻み込まれ、その絵のどれもが色を持っていた。そして真向かいに並ぶ、空間の半分くらいの高さの石柱には、天辺に動物の頭の彫刻が乗る。
動物は全て、このテイワグナの動物のように見え、それらは一風変わった彫刻で仕上げられていた。その中にネコの顔もあり、彫刻のネコの頭像手前に立つショショウィは、立ち止まって動かない3人を見つめ『もっと。向こう』と促す。
窓もない室内なのに、どうしてか光がふんわり満ちている。その光源はもっと向こうの部屋からに思えるが、遺跡慣れしたタンクラッドでさえ、この場所は奇妙で警戒が解けなかった。『進むに悩む』呟いた剣職人は、両手に掴んだ騎士の腕に力を籠める。
「絶対に、俺から離れるなよ。何があっても」
離れたら、消えてしまいそうで。永遠に会えなくなりそうで。それは3人皆が同様に感じていた。ショショウィはタンクラッドの足に、長い尻尾を巻いたまま。
『こっち。牛ある。龍の石。大きいある。牛、持つの、見るの大丈夫』
ショショウィは不安に取り巻かれる人間を見上げて、一緒に行こうと誘う。タンクラッドは頷き、若い騎士を掴んで歩き出した。
歩く音がやけに響く床を、3人は白い地霊に導かれて奥へ進む。
誰かが見ているような気もするし、誰の気配も感じないし。奇妙で薄気味悪い感じは、中に入った時から、増えはしないが減りもしない。
一度、親方が振り返ったが、思ったとおり、入ってきた入り口はどこにあるのか、既に見えなかった。それを騎士二人に言うことはなかったが、彼らも気が付いていた。
「ショショウィと一緒なら、きっと大丈夫でしょう」
妖精の騎士も不安げに表情を曇らせながら、タンクラッドに掴まれた腕に体を少し寄せて歩く。親方がふと見れば、妖精の騎士も子供も、タンクラッドの両腕にほぼ寄り添う形。怖いんだなと分かる。
ショショウィは何度も来ているのか、てくてくちょこちょこ進み、尻尾に巻かれた足は、地霊の動きに合わせて規則正しく歩を進めた。
通り過ぎる場所は、何もかもが大きい。それも違和感を持つ。
外の壁画に見えた絵では、人間は普通の大きさだったような。だが、この遺跡の中は、左右の壁際に並んだ椅子が、遠近感がおかしく感じるほど大型に見えるし、柱と、柱の上部を飾る彫刻も異様に大きい。
大きな彫刻、というだけなら、他の神殿や祭壇にもあったが、ここの場合はそれとも違う気がした。
天井の高さは、外から見た屋根まで続くのか、その手前か。イーアンやバーハラーたちも飛べそうなほどに高かった。
「随分。あちこちデカいな」
ぼそっと口にした言葉に、ザッカリアがぶるっと震えて、親方の片腕にしがみついた。『すまん。怖がらせたか』急いでザッカリアに謝ると、子供はレモン色の瞳に、不安を浮かべて首を振る。
「違うよ。見えたからだ。ここは人間が居たんじゃない」
「何だと?じゃ、誰の」
「龍が居たんだ。でも、イヌァエル・テレンの龍と違うような。似ているけど」
「龍」
親方もフォラヴも、驚いて聞き返す。ショショウィは何も言っていないが、ザッカリアの見えたものが過去であれば。それは遥か昔の過去。
「頭が龍なんだ。でも人間みたいに服を着て立っている。龍だけど、俺たちの龍とも、男龍やイーアンとも顔は似てない。違う龍みたいに見えた」
「待て。それは本当に龍なのか?そいつがここに住んでいた?」
「ここはお墓だ。龍の頭の人間みたいな、大きいのが何十人も居たんだ。だけど、一番偉いのが死んじゃったから、皆消えたんだよ」
「墓・・・・・ 」
タンクラッド、何となく理解する。ってことは。これから向かう、ショショウィの言っていた『龍の石』『いっぱいある金の牛』は。
「マズイな。それは供物どころじゃないぞ。遺跡荒らしで済まん。墓荒らしになりかねない」
墓はヤバイと思うタンクラッド。呪いだ何だと信じないほど、バカじゃない。
現に今、人間以上の力と行動を共にして、その及ぶ範囲は計り知れないと言うのに。しまったなと思う親方の横、フォラヴが、親方に握られた片腕をちょっと動かし、困ったように相談する。
「どうしますか。墓となれば、さすがに私は暢気に手伝えません。しかし、あなたが宝を集めるのを見ているのも苦痛」
「そりゃそうだろう。俺だって『宝は死人に用なし』と言いたいが、墓となるとそこまで気楽でもない。この大きさ、この異様さの墓が相手なんて、冗談じゃないぞ。何かが起こるに決まってる」
「タンクラッドおじさん。戻ろうよ。ショショウィにお願いして、帰ろう」
二人の若い騎士が怯え始め、タンクラッドも、予告のように食らった、この巨大墓の嘗ての主の様子から、今回は止めておいた方が良いだろうかと思い始める。
前を歩くショショウィは、白い毛を柔らかな光にきらきらさせて、とことこ躊躇いもなく真っ直ぐ・・・『ショショウィ。あのな、ちょっと聞いてくれ』親方はここまで来て、地霊に、帰ろうかと思うことを伝える。
止まったショショウィは、困っていそうな顔の、親方と左右の人間を交互に見て『怖くない。悪いしない』と答えるが。
『お前は知らないかもしれない。ずっと昔、ここに龍のような人間が居たらしいんだ。ここは、そいつらの墓だと』
うん、と頷く地霊にビックリする親方以下2名。『知ってたのか』急いで聞き返すタンクラッドに、ショショウィはもう一度頷く。
『もうたくさん、居ない。悪いしないの』
そう言って、前を向いてしまったので、親方はショショウィにちゃんと頼もうと思い、白い体を触ると、その顔が振り向いた。
『タンクラッド。あれ、見る。あれそう』
白い地霊が持ち上げた手を前に動かし、その手の先を見ると、天井近くの壁画に人が並んでいる絵が見えた。
それはよく見ると、人ではなく、頭に角が生え、顔が長く前に突き出て、髪の毛ではなく棘が、頭と首にある。そして並んだ龍頭人間の下に――
『何。人間?あの小さいのは、人間か』
『うん。人間。ここ来た。大事した。もらうの。水もらうしたの』
親方は、ずっと上の方に見える、暗がりの壁画を見つめた後、白い地霊を見下ろすと『ショショウィ。お前はどこまで知っているんだ』と不思議に思って訊ねた。緑色の目を輝かせて『ちょっと』そう答える控え目な地霊。
そしてまた、タンクラッドの足を尻尾で引っ張ると『行くする。大丈夫。怖くない』と3人を導き始めた。
気が進まないものの。ショショウィは何かを理解していそうなので、親方と若い騎士は心配を消せないまま、立ち並ぶ彫刻の柱の間を進む。
色鮮やかに彩色され、まるで作ったばかりのような遺跡の中を、皆は黙って1時間近く歩いた。
進んだ先の大きな柱を何度もくぐった、ある部屋で。親方とフォラヴ、ザッカリアは、再び驚く。
『着いた。ここ、牛ある。龍の石、あれ。水もらうの、水生きるするから』
ショショウィは振り向いて、3人の人間を見上げ、少し笑うように顔を動かした。
溢れる光と、溢れる水。山に積み上げられた大きな石の段が、部屋の中心にあり、その周囲は広く幅を取って堀のように水を湛え、床は水浸し。湛えられる水は――
「どこから。どうやって」
呟くフォラヴ。山に積まれた石の段の一番上から、豊かな水が溢れ出ていた。光も水と同じ場所から生まれており、さながら石の段は、光と水を生み続ける場所のようだった。
その石の段の真上の天井は、刳り貫いたような円形の孔が見え、親方は円形の孔の向こうを、若い頃に見た『アムハールの空』それと似ていると呟いた。
3人は、水の溢れる石の床をゆっくりと進み、低い湯船の縁のようなそこに近づく。
「タンクラッドおじさん。金の牛が。いっぱいある」
目を見開き、小さな声で呟くザッカリアに、頷く親方。でも、触る気になれない。段を伝って流れ込む水が、波紋を寄せる堀の中、信じられないほどの金の置物が沈んでいる状態を見つめる。
「タンクラッド。ここがお墓ですか?少し印象が違うから分かりません」
「どうだろう。この部屋は、俺も墓には思えないが。この遺跡のどこかしらに墓は」
『ここ。あれ、中入る。死ぬの』
ケロッと言う地霊の言葉に、ぞわっとする旅人3人。地霊は、光と水の溢れ出る石段の上を指差し『あれ。そう』と教えてくれる。
『墓。墓だぞ、分かるよな?意味はあってるよな?誰かが死んで、そこに留まる場所だ』
『知ってる。ショショウィ、これ見るした。中に居るの』
中に居る・・・って、すごくイヤ。
親方もフォラヴも顔を俯かせ、ザッカリアに至っては怖くて仕方ない。『まだ死に立て』みたいな言い方に、鳥肌が立つ。
『ショショウィ。もう、その。死んでから随分経つだろ?龍みたいな頭のやつが、あそこの中で死んだのか』
『そう。見るする?』
ショショウィは、見るか、と言う。タンクラッドは丁寧に断って(※骨でも、見たら祟られそう)水に沈む、金の牛だらけ状態に溜め息をつき『帰るか』名残惜しいが、一言そう告げる。
「そうですね。ここがお墓なら、やはり手を出さないで帰りましょう」
「俺もそうした方が良いと思うよ。行こう」
「だな。残念な気がしないでもないが、無事でこそだ。得たいの知れない相手の墓なんて、暴く気にならん」
貴重なもの見れたし、と3人は頷き合って(※もう充分、怖かったから帰りたい)ショショウィに振り向く。
『帰・・・ショショウィ』あれ?白い影、そこになし。
「 ・・・・・ショショウィは?」
「今。いたけれど。え、いなくなりましたか?」
「ショショウィ?ショショウィ!」
一気に恐れる3人は、消えたショショウィに驚いて、今来た方を向いて地霊の名前を呼び始める。
『ショショウィ、どこだ!』何かあったのかと、叫んだ親方の声に続いたのは『騒がない。誰だ』低く割れるような声。
ぴたっと止まる3人。目だけ動かして、息も荒くなり、お互いの目を見合う。『聞こえたか』親方の囁きに、腕を掴まれる二人はちょっとだけ頷く。
「誰だ。お前たちは」
やっぱり出た~・・・親方は目をぐっと瞑って、この危機をどうするかと急いで考える。問いに答えたら最後のような気もするし、振り返るのが遅くて死ぬかもしれないし。
「ショショウィ。あれは誰だ」
声は空間に木霊し、地霊の名前を呼ぶ。耳にした地霊の名に、ハッとしたタンクラッドと二人の騎士は、目を開いて思わず振り返る。『うわ』うっかり声にしてしまったが、振り返った石段の上、大きな龍の頭を持つ人間がいた。
『タンクラッド。うーん。フォラヴ。ザッカリア。良い人間と思う』
目が出るかと思うくらいに見開いて驚く3人の前に、大きな龍頭人間と、その膝に座るショショウィ。
龍の頭の大きな人間は、水の溢れる石段の一番上に座り、何重にも着た衣服は水を吸って透明に見える。
その龍頭の人物の膝の上、なぜかショショウィが座って答えているではないか――
「タンクラッド。フォラヴ。ザッカリア。そうか、何の願いで来た」
『願い違う。タンクラッド。牛、ほし』
「違う違う、全然欲しくないぞ!俺は帰ろうと思ったんだ!」
龍頭の人物の質問に答える地霊の正直さに、大慌てで遮る親方。首を振って大声で否定。
どう考えたって、この状況でこの場所で俺でどうにかなる相手に見えないっ!
じーっと見ているショショウィに、小刻みに首を振り続け、タンクラッドは懸命に『ショショウィ、良いんだ。何も言わなくて。俺たちは帰ろうとしているんだから』としっかり伝える。
龍頭の人間もショショウィを膝頭に座らせたまま、タンクラッドに顔を向け、何やら物も言わずに観察している様子。
その目が。目の色が・・・『緑?』親方、つい、口にした目の色。親方の声に、龍頭の人間は頭を少し揺らした。
「そうか。龍を知っているんだな」
体の奥を突き抜けるような、低い割れた声は、全員の心臓を鷲掴みにし、光溢れる空間に何度も木霊して響いた。
お読み頂き有難うございます。




