98. 作業部屋命名
ドルドレンに、午後は休めるかを訊ねたイーアン。遠征後は可能である、と言うことで、部屋に戻って休んでほしいと伝えた。
「イーアンは休まないのか。遠征の日は日帰りでも休めるのだ」
床にへたり込んだイーアンの姿を思い出して、ドルドレンが心配する。でもイーアンは、彼の方が心配だった。両手がどんな状態かは決して喋ってくれない。大丈夫・・・としか。
それに一昨日は自分の看病で寝ていない。看病する前は戦っていたのだ(イーアンのせい)。午後だけでも良いから眠ってほしかった。それを言うとドルドレンは素直に了承してくれた。
「作業部屋に出来るだけ籠もるように。もし用で出ても、絶対におかしな人(※危険牌)には付いていってはいけない」
一応、ダビやギアッチ(※安全牌)に頼んでおくから、とドルドレンは付け加えて『すまないが少々休むよ』とイーアンを抱き締めた。イーアンも『言いつけに従う』と約束した。ドルドレンはイーアンを作業部屋へ送り、自室へ戻って行った。
無事にドルドレンを休ませることが出来たので、イーアンは安心した。扉に鍵をかけて、最初は記録付けから始めることにする。今日見た、膨れたトカゲも魔物だと思うから、見た印象だけ描いた。ツルツルのはかなり間近で見ているので、出来るだけ詳しく絵を描いて、情報も書き込んだ。
魔物、魔物、としか呼んでいないので、ややこしい。自分なりに名前を付けておくことにした。
今日のツルツルは【板皮甲トカゲ】にしておく。実際にはトカゲではないと思う。恐竜みたいにも、鳥みたいにも見えた。名前付けも難しい。太っている方は、もう少しちゃんと見た時にでも名付ける。
イオライの途中で見たミミズ魔物は【多体節地虫類】、飛ぶ魔物は【岩質炎翼竜】(※プテラノドン印象)で、地面にいた方は【岩質瘤胴甲】。ツィーレインの森で見た魔物は【獣虫類ネコ型】。
谷川の魔物は【刺胞花虫】としておくが、どう見ても虫ではない。あの形はアレである。名前が出てこない。だが以前の世界にいた、小さいやつだ。ここでは巨大だったから気持ち悪かった。
裏庭に出た大きいのは【獣亜有毛多歯列】、漁りに来た魔物は【獣亜イヌ型】とする。
どれも、何かで読んだ時に、見た覚えのある漢字で書いておく。適当に付けても、漢字だとちょっと意味が複数化する。漢字は便利だ。この際、ここに漢字を読める人がいないので、ちょっとくらい間違えてても良い。
記録を付け終わったので、とりあえず休憩。水筒の水を飲んで、ダビのくれた資料を見る。
文字は読めないが、それに気付いているのか、彼は図をたくさん描いてくれた。見ながら、何となく理解できる。面白いので最後まで見たが、文字が読めないからちょっと物足りない。
ギアッチのくれた教科書も、ほぼ字なので、これはドルドレンに任せる。
きっと私のこれからに役に立つようにと、ギアッチは資料を与えてくれたのだ。・・・・・とすると、ギアッチは私が、この世界の教育を受けていない、と捉えている?察しが良さそうな人だからなあ、と思った。
ダビの資料とギアッチの教科書を、僧院から運んだ本の隣に立てた。フォラヴが選んでくれた本は、まだ全然目を通せていない。テントで見たっきり。もう少し時間があれば、とも思うが、これは空いている時間を活用することで、地道に読み進めることにした。
部屋を見渡す。壁に棚はあるが、大きめの材料などを置く場所も用意する必要がある。地べたに置き続けるのも良くないので、保管場所や一時置き場を木材で作ろう、と決めた。それを一枚の紙に図で書き記す。
次に、昨日の朝に畳んだ毛皮の調子を見る。臭いはするが、それほど異臭でもない。魔物はあまり死体や内臓は臭わないのか。以前に、鹿やイノシシで皮を加工した時は、近所に気を使う必要がある臭いだったが。
とりあえず机の角に皮を引っ掛けて、左右に引いて柔らかくする作業を始めた。
これは非常に時間がかかる。のはずだが、水分が飛んできていても意外に柔らかい。手抜きかなと思いつつも時間を短縮して、全部の皮にこの作業を施した。また明日、様子を見る。
下顎はもう少し放って置く。匂いもしないから、このまま数日置くことにした。
それからようやく、さっきの虹色の皮を調べる。
外側の虹色板と、裏の黒い皮それぞれに、イオライの黒い酸液・蝋燭の炎・骨の粉の発熱を試した。全て問題なく通過した。表も裏も無傷だった。今、調べられるのは、このくらいしかないが仕方ない。
他、『切ることは非常に難しい』この事実が一番の特徴かもしれないと思う。板の生えている黒い皮膚は、厚さはあるが、切って切れないこともない。板は。何で切れるのだろう?と考えても思いつかない。白いナイフでも板はちょっとキツそうで、刃毀れされては困るので止めた。
しかし面白い形をしているし、下の黒い皮に沿って切れば、板もくっ付いているので、このまま鎧に付けられる気がする。
頭頂部(シャンガマックが頭突きをされた部分)から首、胴体と腿までの皮を取ったので、広げると奇妙な形をしている。腹側は蛇腹っぽいので、この部分は小さいものにも使用できそうに思えた。
「ちょっと使ってみよう」
首の内側の、幅の狭い蛇腹を少し切り取り、手袋に付けてみる。手袋の拳部分に当てられそうだった。横幅が10~11cm程度・丈は7cmくらいか。少し湾曲しているが、これは硬すぎて平たく出来ないので、そのまま拳に縫い付けることにする。
下の黒い皮膚は加工できるので、ナイフの先で縫い穴を少し小さめに開け、手袋にも板に合わせて穴の切込みを少しだけ付ける。今回はばらさないで縫い付けるので、少々時間が要る。
針の両端をヤットコで掴んで、蝋燭の炎に当てながら三日月型にする。これで縫いやすくなる。
乾かしていた繊維を一本取って、少し水分を含ませて柔らかくなったところで、板と手袋を縫い合わせた。つくづく、経験者で良かった、と地味な自営の仕事に感謝した。
少し手間が掛かったが、どうにか縫い付けられた。見た目が格好良くて、ついでに不思議。
装着してみると、若干重く感じた。でも男の人なら気にならないかな、と握り開きを繰り返す。
手の内には指先から前腕まで、魔物の針の表面層が縫いつけられて、手の甲には、虹色に輝く厚さ5mmくらいの板と、板から少しはみ出す黒い皮。
「ロゼールに試してもらえると良いんだけど」
自分の手が、手袋より小さいので、ここはやはり使用者にどんなものか試してもらいたいところ。呟いたすぐ後、扉が穏やかにノックされた。『イーアン。フォラヴです』
扉を開けると、涼しい笑顔のフォラヴが立っていた。手には湯気の立つ飲み物を2つ持って。
「こんな時間まで頑張って、お疲れではありませんか。お邪魔かもしれませんが、差し入れを」
言われて辺りを見ると、もう日が暮れて暗かった。ああ、そんな時間になっていたんだわ・・・と驚いた。フォラヴを中へ通して扉を閉め、『気が付かなくて』と答えた。
フォラヴはイーアンの手を見て、作業机の上の皮を見た。イーアンが椅子を勧めたので、フォラヴは腰を下ろしながら、飲み物を一つ差し出した。
「それは?」 「今日取った魔物の皮です。手袋に付けたら強化できるのではと」
イーアンが両手をひらひらと返し、手の平と表を見せた。イーアンは手袋を外して、フォラヴに『ご覧になりますか』と渡す。フォラヴは面白そうに笑みを浮かべて、イーアンの目をちらっと見た。
「着けてみても?」 「もちろんです。そのためのものです」
失礼します、とフォラヴが楽しげに手袋を両手に着ける。自分の手を、表に裏にと返して『なかなか良いです』と笑った。縫い付けた魔物の材料を、イーアンが説明すると、フォラヴは興味深そうに頷いて『それは凄いです』と手袋に視線を戻した。
「私がこの手袋で何かを殴ってみたいとして、それは行なっても良いことでしょうか」
フォラヴが何をする気か分からなかったが、イーアンは『是非』と微笑んだ。斬り付けても良い。『宜しければ、一緒に鍛錬所へ行きませんか』とフォラヴに言われ、それは名案!とイーアンはフォラヴと作業部屋を出た。
鍛錬所には数名の騎士と、オシーンがいて、フォラヴと2人のイーアンに『今日は王子が違うのか』とからかった。フォラヴもイーアンも笑って『用があるのです』とオシーンに手袋の話をした。
オシーンは水色の瞳に、明らかに面白がっている光を湛えた。そして話を聞き終わると、練習防具の盾を持って『フォラヴ、打ってみろ』と構えた。
「イーアン。よく見える場所で観察して下さい」
フォラヴがイーアンに微笑み、オシーンに『お願いしますよ』と挨拶した途端、踏み込んで拳を突き出した。ガンッと響いた音に、そこにいた全員が目を丸くした。オシーンも驚いた表情で、自分の持つ盾とフォラヴを見た。
フォラヴが腕を引きながら『いかがです?』と何も言わないオシーンに訊ねたが、打った盾を見たフォラヴも驚いた。オシーンは盾の端を両手に持つと、フォラヴの目を見ながら盾を少し曲げた。打たれた部分は、フォラヴの拳の形に凹んでおり、そこから亀裂が入って盾は二つに割れた。
「まぁ」
イーアンには言葉が出てこなかった。あの魔物の体が硬過ぎるのは知っていても、こんな技もこなすのかと、しみじみ実感した。
「まぁ、って」
フォラヴが振り向いて笑う。オシーンも首を振りながら、割れた盾を長椅子に置いて笑った。練習に来ていた騎士が集まってきて、フォラヴに『拳は大丈夫か』とか『この手袋は何で出来ている』と質問した。
オシーンが、フォラヴの手袋を取って、素手を調べる。フォラヴは怪我をしていないし、痛めてもいないと言う。
「どれくらいの力で打った?」 「いつもの練習と同じです」
拳には感触があまり感じられなかった、とフォラヴはイーアンに伝えた。イーアンは納得した。板は湾曲していて、縫いつけても拳に密着していない。歪まなかったという事だ。
騎士たちがいろいろと聞きたがっていたが、イーアンは笑顔で『またすぐ』と短く挨拶して、オシーンにお礼を言ってから、フォラヴと作業部屋へ戻った。フォラヴに使ってみてもらった感想を聞くことが出来たので、イーアンはそれを書き留めた。
「この手袋の破壊力は大したものです。私も持っていたい」
フォラヴが注文しそうだったので、イーアンは『これで良し、と思えたらお渡しします』と先に伝えた。まだ、ただ縫い付けただけだ。もう少し試さないと、実戦で壊れた、とかあったら洒落にならないのである。
フォラヴは『分かりました。待っています』と微笑んだ。そしてイーアンを見つめた。
「さっき。シャンガマックを見舞いに行きました。炎で焼く魔物の前から一歩も動けなかった彼を、あなたが炎から守り続けた、と話していました」
空色の美しい瞳に見つめられ、イーアンは目を逸らし『皆さん、あの状態であれば、誰でも同じことをします』と呟いた。
「あなたはその後、この魔物の皮を集め、そしてこのわずかな時間で、これを利用した手袋を作った。どれほど疲れているか、分からないくらいに疲れているでしょうに。あなたは本当に、私たちを助けるために力の限りを惜しみなく注ぐ」
フォラヴが静かにイーアンを見つめ、イーアンは何も答えず、微笑みながら手袋を見ていた。
「この作業部屋。・・・名前を付けましょう。『ディアンタ・ドーマン』と」
イーアンは『え?』とフォラヴを見た。優しく微笑むフォラヴが『ディアンタの世界です』と続ける。イーアンの知恵は遠い世界から運ばれたものだが、かつてのディアンタの僧院と同じように、その知恵でこの世界を豊かにするだろう、と。
「遥か昔にいた、あなたを讃えるためにも」
そう言うと、フォラヴは立ち上がって『総長の部屋まで送りましょう』とイーアンを促した。フォラヴの空色の瞳を見上げたイーアンは『素晴らしい名前をもらったのですから、もっと頑張りませんとね』と笑った。『それ以上は頑張らないで』とフォラヴが返す。
作業部屋に鍵をかけて、部屋まで歩く時間。フォラヴは言葉少なく、ただ満足そうにしていた。
お読み頂き有難うございます。