973. 涸れ谷の神殿 ~神殿の午後
その頃、馬車。
「帰ってこないわよ」
ミレイオはドルドレン相手に、ぶすっとして呟く。ドルドレンも少々困り気味に『イーアンはそろそろかな』と返す。
「お昼。冷めちゃったし。皿にこびりついたら。こんなクソ暑い場所で乾ききってさ。水、沢山使って洗わなきゃ」
イライラしながら文句を言うミレイオ。日陰の少ない馬車の陰で、ドルドレンと向かい合うが、その目は彼を見ていない。二人の間には正方形の布。幾何学模様の布の上に、木を削った駒が幾つも並ぶ。
「ねぇ、お昼さぁ」
「分かっているのだ。落ち着くのだ。俺たちは美味しく頂いた。ホントーに美味しかった。いつも美味しいけど。そしてイーアンもタンクラッドも、冷めようがこびりつこうが『美味しい』と喜んで食べる」
「知ってる」
ドルドレンは、柄の悪いミレイオにひやひやしながら、次の一手を指す。
その瞬間、眉の寄ったミレイオに、ドルドレンは振り返って、自分と交代してくれる誰かを探すが、皆、覗き込んでいる割には、さっと顔を背ける。
「本当に、馬車の民って、こんなのでヒマ潰してんの?」
「う、そう。うむ。そうなのだ。これは代々伝わる遊びで、停留中などの長閑な昼下がりにもってこい」
「長閑な昼下がりに、頭使ってどうすんのよ。頭、ぶっ壊れそうなんだけど」
「ふ、ふむ。そうか、初めてだから。ちょっと規則が細かくて面倒かも知れない」
ジロッと金色の目で見られて、ドルドレンはそーっと目を逸らした(※助けてのサイン)。ミレイオは、大きく溜め息をつくと『もー、いい。私に合わない』そう言って立ち上がり、鍋を片付けるとかで裏へ行ってしまった。
ちょっとホッとするものの。ドルドレンはミレイオを怒らせたのかと、心が病む。
シャンガマックが来て『大丈夫ですよ。ミレイオは、食事の心配もあっただけです』微笑んで、総長の背中を撫でる(※代行はお断りだけど慰めは出来る)。
「シャンガマック。お前、俺の代わりでも良かったじゃないか」
「やめて下さいよ。俺はミレイオに嫌われたくないんです」
「ぬぅぅ。その正直さ。言わなくても良いことを」
まぁ、終わったんだし・・・シャンガマックは、機嫌の悪い総長を宥め、ザッカリアを呼んで(※こんな時はザッカリア)音楽を奏でるように頼む。
子供はすぐに来て『総長って大変だね』俺、一生ならなくていいや、と言いながら、弦を弾く。ムスーッとするドルドレンは頷きながら『なるものではない』と答えた。
「それにしても。タンクラッドさんたちは、館長が仕事だから午後もかかる気がしますが。イーアンはどうしたんでしょうか」
バイラは総長の近くへ来て、日陰に座ると空を見上げる。ドルドレンも音楽に和み始めで、眩しい青空を見上げ、シャツの袖を捲り上げる。
「暑いな。イーアン、今日は空に行ったのが遅かったから。その分、捕まっているかもしれない」
「あ、そうだ。ですよね。いつもはもっと早く向かうし。そうか・・・イーアンも大変だ」
バイラはちょっと笑って『龍の子育てが身近に感じる』と総長に言う。総長も笑って『そうだな』と。全然、距離のある・・・どころか。全く知らない世界が、こうして常に側にあるなんて。
神殿のほうに顔を向け、ドルドレンは『謎解きも、何もかも。身近になったのだ』とバイラに呟いた。バイラは加わったばかりの旅だけれど、何となく、その言葉の意味を理解出来る気がした。
「皆の。これまでの人生がひっくり返っているんですね」
バイラの一言に、ドルドレンは静かに頷いて『世界がひっくり返るのだ』少しだけ訂正する。
次から次に起こる、目まぐるしい日々の出来事は、この時代に突入したからだろうか・・・と、最近は特に。大きな時間の動きを、身に沁みて感じるドルドレンだった。
タンクラッドは、館長を待つ時間が続いている。その間、ナイーアと話した。
あの後。ナイーアを呼び、村の事情を聞かせてもらった。おいそれと他所の人間に話はしないと思ったが、ショショウィのことで話があると切り出したら、すぐに顔色を変えて頷いた。
彼は。ナイーアは、ショショウィを大切にしようと考えている。
それは最初に分かったので、タンクラッドは、彼を下手に刺激するような、煽りや咬ませをしないよう気をつけた。
話を聞く限り、タンクラッドには賛成出来ない箇所があった。それは本題の部分で、そこを指摘すると、ナイーアは『頼むのは、何度もではないと思う』と自分の思うところを話した。
しかし、『何度もではない』にしても、『何度起こるか分からないこと』である部分や、『治す』が『期待に沿う』かどうかは、まったく未知だったので、タンクラッドはその場合の懸念を、正直に直接的な表現で伝えた。
「ナイーア。お前が思うよりも、お前を取り囲む人間はあざといかもしれないぞ」
「村の人間は、私のこれまでを知っているから、私くらい酷くなければ」
「違うんだ、ナイーア。お前は彼らを許すが、彼らは許されたことを知らない可能性もある。言っている意味が分かるか?
はっきり言えば、ショショウィに押し付けて、ダメだったと判断したら、逆の態度に出るような気がする」
それは、と言いかけて止まったナイーアに、タンクラッドも黙る。
彼は最近、言葉を覚えたと話したが、充分に会話は出来るし、思慮もある。思うに、水面下でずっと押し止められていた部分が、活発になったのだ。心の優しさも充分に育っていたと感じる。
しかし、彼のような人間ばかりが、村にいるとは思えなかった。
過去の彼への、扱いを聞いた後では――
「ショショウィに聞いた。あいつは『力をあげた』と言うんだ。何度か聞いたが、同じことしか言わない」
「はい。そうです、私もそう聞いて」
「でもな。神殿調査の申請を出した、警護団に出ていた報告書では。
ショショウィが『生け贄の命を、一つ返してやった』くらいの言葉が書いてあった。あれは何だ?誰がそう言った」
ナイーアは少し黙る。唇を開けたまま、ちょっと戸惑う顔が、親方には心の中まで読めるようだった。
「正確にはな。『自分は、最初の一頭の命を受け取った』と男が伝えた、とな。俺はそう聞いた。お前か、ナイーア」
「あの」
「ナイーア。ショショウィは、治すなんて考えたことないぞ。お前が喋らないから『力を一つあげた』とは言っていたが、そもそも、命の力を個別に体内に仕舞えるような、機能でもあると思うか?
そんな能力があるか?たどたどしく、どうにか、人の言葉を頭の中に話しかけるような、ショショウィが」
その言葉に、ナイーアは目を逸らして眉を寄せ、困っているように俯く。
タンクラッドは、彼に裏があるとは思えないにしても、自分がいるこの時間に出来ることはしようと思った。
「よく聞けよ。お前は、俺が思うに、ショショウィを守るつもりで考え付いたんじゃないのか。村人の家畜を取るのは、ショショウィにとって不利だからな。
だが、ショショウィが『力』と呼んでいるものは、あいつの食事なんだ。
『お前に返した』と言ったが、じゃあ、受け取った生け贄の分を全部返せって言うのか?それとも今後、別の家畜をまた渡して、ショショウィに、病人の村人に家畜の命を渡せってことか?
考えてみろ。お前が口に入れたものを、飲み込む手前で吐き出せと言い続けるようなもんだぞ」
はっきり、その行為の内容を告げるタンクラッドに、ナイーアは返す言葉がない。タンクラッドは続けた。
「ショショウィはな。棲み処を追われて、どうにか神殿まで来たんだ。これまでこんなに、人間の近くに来たことがないのに。山と違って食料がない、こんな場所で、食べ物を探して人の村へ行ったんだ。それで家畜をもらった。
お前は。運命的にあいつに出会って、人生をやり直す機会を得たが、それを感謝して礼をしたいなら、ショショウィを守る方法よりも、ショショウィを自由にする方法を考えた方が、ずっとあいつの為になる」
「棲み処を出たのは。どうして」
「魔物だよ。お前たちと同じで、ショショウィだって魔物が怖くて逃げたんだ。あんな小さくて、誰も攻撃出来るようなやつじゃないのに、魔物に襲われて平気なわけないだろう」
黙ったナイーアは、自分の話ばかり聞かせて、ショショウィのことをあまり聞かなかったと気がつく。それに、もう一つの事実も気がついた。それは、ナイーアが溜め息をついた時、タンクラッドが代わりに話した。
「お前。その状態を得て。あの村でやっていける気がしていないだろう」
問いかける男に目を合わせず、唇をかんだナイーアは、答えられないで俯いたまま、目を閉じる。
「新しい人生を手に入れて。嬉しかったのも束の間だな。どうやって生きて良いか、お前は分からない。支えてくれる環境もない。治してくれたショショウィはお前の初めての友達で、ショショウィと一緒に、時間を紛らわせることを選んだんじゃないのか」
涙を溜めるナイーア。タンクラッドは同情する。
いきなり、正気に返ったって。
居場所は、年寄りだらけの地方の村落。自分を厄介扱いし続けた人間が取り囲む中で、どうして良いかなんて、分かるわけないだろうと思う。
学んだこともなければ、仕事をしたこともない。貧しい地域で何の伝もなく、話せる・伝えられる喜びはあるにしたって、誰一人彼を守ることもない場所で。
「これから先を考えるのが、怖くなりました」
ぽつっと呟いたナイーアに、タンクラッドは小さく頷いた。『あのな。自信なんか、後から付いてくる。まずは力試しでもしないか』解決方法なんて、タンクラッドにも分からないが。小さな提案を投げかけた。
「力試し」
「俺の仲間に。警護団の男がいる。警護団は地域にそれぞれいるもんだ。まずはそこで雇ってもらえるか。もしくは、その関連に仕事と住まいが得られないか、相談するんだ」
タンクラッドの提案に、一気に不安になったナイーアの体が大きく揺れる。タンクラッドは急いで彼の肩を掴み『落ち着いて、考えるぞ。いいな、無理は言わん』そう言って、さっと横を見た。
奥の館長はまだ記録に夢中で、そしてすぐ近くに――
『ナイーア。どうしたの』
『ショショウィ、おいで』
白っぽいネコがじーっと見ていた姿に、タンクラッドは気が付いていた。目が合って話しかけたショショウィに手招きし、ひょこひょこ近寄るショショウィに腕を伸ばして、側に寄せてやった。
『お前をな。山に返そうって話していたんだ。それで、ナイーアはどうしようかって』
『ナイーア。悲しい。どうして?ショショウィ帰るから?』
『ショショウィ。お前はお前の棲む場所がある。それは大切なんだ。ナイーアも、お前が助けてくれたことで、居場所を探すんだよ』
タンクラッドは、小脇に座ったショショウィの背中を撫でながら(※既に愛着)見上げる大きな緑色の目に、分かるようにゆっくり伝えた。ショショウィは、何度か目をきょろっと動かし、理解に務めた。
「ショショウィー・・・あなたを怖がらないですね。そんなに懐いて」
涙目のまま、驚いているナイーアは、二人の会話が聞こえていないようだった。
タンクラッドは、コルステインたちと同じように、ショショウィも、自分の選んだ相手と話せると知る。地霊をナデナデして、ナイーアにも話すように促す。
それから、地霊とタンクラッド、ナイーアの三者で、館長の様子を時々見ながら、今後の話を続けた。
館長が『終わったー!』と満喫したような笑顔で振り向いた時、ナイーアの顔から涙は消えていたが、表情は沈んでいた。ショショウィはタンクラッドの影に隠れ、タンクラッドは館長に『帰るか』と声をかけた。
「よし。じゃ、行くぞ」
立ち上がったタンクラッドは、ショショウィとナイーアに頷き、それから館長の元へ行って、簡単にちょっとした事情を話した。館長は了解し、二人は馬に乗って神殿を後にした。
お読み頂き有難うございます。




