97. プチ遠征会議報告
イーアンは作業部屋へ戻った。ドルドレンが会議に呼ばれるから、それまで休んでおいで・・・と部屋に戻してくれた。彼は鎧を外したり、他にもちょっと用事がある、と言って出て行った。
作業部屋に運んでもらった、さっきの魔物の皮。
これは鞣しにしないで、このまま使うことに決めていた。これだけ硬ければ、鎧に使える、と分かっていた。
イーアンは壁にもたれかかって、思いっきり溜息をついた。溜息をつきながら、ずるずると窓際の壁に背中を沿わせて床に腰を落とした。
「疲れた・・・・・ 」
気がつけば、何だか焦げ臭いと思っていたのは自分の髪の毛。やだ、禿げたかしら?と慌てて窓ガラスに映すが、そこまで深刻ではなさそう、と分かってちょっと安心。
崩れた体育座りで、何度も手で顔を拭った。油汗ってアレかと自覚する。べたべたするのね、と。
シャンガマックに腋臭だと思われたらショックだわ、と気がついて、今更後悔する。でも火があったから、もう顕在意識でどうにかなる範囲ではない、と自分に言い聞かせる。緊急事態だったのだもの、と。
シャンガマックとドルドレンが心配だった。彼らは傷ついた。パドリックは疲労だろうと思う。2頭の魔物に追われたからストレスが凄かったはず。
「4人はきつかったわね」
独り言を落とし、腰のベルトに付けた革袋をのろのろと外す。イオライの石には助けられた。毒も使えた。感謝するばかりだった。
自分自身は闘うことも出来ず、守ってもらう対象のお荷物だというのに、この魔物の体を使うことで、少しは役に立てる。
――魔物に苦しめられて。魔物に感謝して? そんな奇妙な状態に気がつくと、イーアンは笑ってしまった。必死で戦う人たちには絶対こんなこと言えない、ときつく心の内に押し込めた。
床にへたばったまま、扉がノックされる音を聞く。『イーアン、入るよ』と愛する人の声がして、彼は入ってきた。鎧を脱いで、ラフにシャツを着て。両手に包帯を巻いて――
「その包帯は」 「イーアン、大丈夫か」
イーアンが驚いて立ち上がった。ドルドレンは、窓際の壁に背をつけて、ぐったり座り込んでいるイーアンに驚いた。
お互いに触れて、ゆっくり抱き寄せる。ドルドレンは手が、と思うとイーアンは辛かった。『あなたに無理をさせてすみません』とイーアンは涙ぐむ。もっと何か、こんなことになる前に有利な手段を思いつけば、と悔しく思った。
ドルドレンは『大したことはない。あいつらがやけに硬かったんだ』とイーアンの涙に口付けをして押さえた。
ドルドレンと体を離して、両手を見せてもらう。イーアンの中に激しい後悔が生まれた。皮を取っている間も彼は痛みに耐えていたのか、と思うと、自分が本当にどうしようもない人間に思えた。
ドルドレンは包帯を巻いた両手をイーアンの顔にそっと当てて『気にしてはいけない。すぐに良くなる』と微笑んでいた。
こんなにくたびれていても、会議なんだよ・・・とドルドレンが疲れた笑い方で、イーアンを促した。分かりました、と答え、魔物の皮を一枚肩に引っ掛けたイーアンは、ドルドレンと会議室へ向かった。
2人とも、もう言葉が思いつかないくらいに疲れていた。
会議室にはいつもの顔ぶれと、自分たち2人だった。
部隊長と執務の人たちは、ドルドレンとイーアンを見て少々固まっていた。二人があまりにも疲労していたのは誰が見ても明らかだった。
ドルドレンが両手に包帯を巻いて、首を左右上下に動かして鳴らしている。
イーアンは、見たことのない虹色の板のついた大きな皮らしきものを肩にかけて、ぐったりしている。
進行係がいつものように会議を始め、いつものようにドルドレンが(だるそうに)答えて説明した。
いつもと違うのは、2人の負傷者が出たという報告だった。その場にいる者は既にそれを知っていた。シャンガマックは骨折で1ヶ月は安静。パドリックは明後日まで。この話でイーアンが滅法沈んでいた。
戦闘方法の段階で、ドルドレンが簡潔に説明する。
『異様に硬くて剣が使えなかった。剣でぶっ叩いて横倒しにすると起き上がれないから、関節に毒を塗った剣を差し込んで動きを止めた。その後はイーアンがイオライの石で焼いた』と。まぁ、実に10秒で済む報告だった。
しばし沈黙に包まれた後。剣が使えないとはどうした状況で、シャンガマックがなぜすぐに倒れたかの説明を求められた。
ドルドレンが何かを言う前に、イーアンが片手でドルドレンを遮った。
鷹揚にさえ見えるその態度は、一同が若干引いた。そして、一言も発することなく、自分の肩にかけていた魔物の皮をずるっと引っ張って机に無造作に置いた。
「これを。・・・少々の失礼をお許し下さい。大変に心身を疲労させるに充分な戦闘故、この態度をお詫び申し上げます」
言葉が丁寧な分、ギャップが激しいその偉そうな態度に、一同が固まる。――あんたたち元気なんだから、机の上の皮を勝手に触って理解しろ、といった具合がひしひしと伝わる。触りゃ分かるわよ、とでも言うように、イーアンは背もたれに寄りかかっていた。ドルドレンも目を瞑って眠りかけている。
一同は何も言わずに席を立ち上がり、イーアンの横へ行って皮を触った。
「これは」「こんなの、これまでいなかっただろう」「よく倒せたな」「コレ何ですか?コレが魔物に付いていたんですか?」「よく剥がしたね」
最後の言葉は余計よ、とイーアンが気だるそうにぼやく。コーニスが目を伏せて俯いた。他の者は同情したが、自分が責められるのはイヤだったから黙っていた。
「つまり、この皮を付けた魔物の攻撃で、シャンガマックは骨折を」
「この硬さで至近距離で頭突きされたら、大体の人、骨壊れるでしょ」
イーアンの言い方が。イーアンのイメージが。声が低い。いつも遠慮がちで丁寧な、微笑みの人が。
もう『そんなの聞かなくたって分かるでしょう(バカなの?)』くらいの勢いで返事が帰ってくる。それも背もたれに寄りかかりながら『ちょー疲れんだけど』みたいな(※イーアンはそう思っていない)。
ドルドレンに視線を移すと、聞こえない振りをしているのか、本当にくたびれているのか。寝息が聞こえる・・・・・
この会議は異例の速さで終了した。わずか15分。
『この皮は、参考として預かりましょうか』会議の内容の補足に・・・と執務の騎士が言いかけると、イーアンは彼らを見もせずに、皮をぞんざいに自分の肩に引っ掛け、ドルドレンを立たせて引っ張って連れ帰った。
誰一人として、彼女を止めることはしなかった。その男らしさに、誰も敵う気がしなかった。
総長であるドルドレンもまた、幼児のように彼女に素直に従って、全体に挨拶もせず、フラフラと連れられて消えた。
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