969. 旅の三十八日目 ~涸れ谷の神殿の朝
次の朝。コルステインは早く退散する。その際、一度タンクラッドを起こしたことで、朝一番、早く起きたのがタンクラッドとなる。
『おはよう、コルステイン。夜明け前か・・・まだ暗いな。もう帰るのか』
『タンクラッド。人間。来る。起きる。する。コルステイン。帰る』
『何?人間?』
青い目が馬車の向こうにすっと向けられて、もう近くに来るだろう、と告げる。タンクラッドは頷いて、コルステインに早く帰るように急かす。
『悪い。違う。思う。でも。タンクラッド。大丈夫?』
悪い人間じゃないと思うけれどと、心配するコルステインに、親方は『相手が人間なら問題ないよ』と笑って、人に見られる前に戻るようにコルステインに頼んだ。
コルステインは、うんうん頷くと、タンクラッドの頬を鉤爪の背で撫で『龍。起こす。する』イーアンを起こして、頑張ってもらえ(※何とかするだろ、の意味)と言い残し、青い霧になって消えた。
親方はすぐに起き上がり、馬車の扉を叩く。そっと叩いたが、中ですぐに物音がして扉が開いたところにミレイオがいた。
「おはよう。どうしたの」
何かあったのか、すぐに気が付くミレイオが、小さな声でタンクラッドに訊く。頷く親方は、声を潜めて『誰か来る。コルステインが教えてくれた』と伝えた。
「誰か?え、村の人間ってことかな。ちょっと待って、イーアンも起きると思う」
起こそう、と2階に戻り、ミレイオがドルドレンとイーアンの部屋の扉をそっと叩くと、それと同時に扉は開いて、気が付いていたらしいイーアンが顔を出した。馬車の扉の隙間に、親方を見たイーアンは、ミレイオと目を合わせて『今、下ります』と頷く。
そそっと馬車を出たイーアンとミレイオは、眠るドルドレン(※熟睡)をそのままに、外でタンクラッドに挨拶。ハッとしたミレイオがイーアンの目を手で隠した。
「タンクラッド。どっかに座ってて」
「あ」
イーアンは彼らの会話に、なぜ目隠しされたのかを知る(※朝だから)。
理解したので何も言わず、親方がわたわた動く音を聞きながら、ミレイオに誘導されて馬車の横へ移動。手を外されると、親方はベッドに座って布団をかけていた(※不自然)。ちょっと振り向いたミレイオはイーアンに言う。
「ごめんね。こいつ、鈍いから。私はこういう機能ないから平気なんだけど」
「鈍くないっ。お前は人間じゃないから」
恥ずかしそうに怒るタンクラッドを、ああ分かったわよ、と面倒そうに流し、ミレイオは馬車の壁に寄りかかる。
『何よ、それで。誰なの?』親方に続きを話すように促す。タンクラッドは首を振って『すぐだと言っていたが』それしか知らん、と答えた。
「聞こえるか?俺はまだ何も」
「聞こえませんが、気配はあります。人が数名。こちらへ向かっています。あれ、あ・・・バイラ」
イーアンが感覚を澄ませて、人の気配を感じ始めてすぐ、3人の場所にバイラが来た。バイラの表情も少し緊張している。3人の顔が向いて、バイラは挨拶をした。
「おはようございます。すみません、急に。こちらへ誰かが来ます。恐らく村の人間だと思いますから、私が出ましょう」
「村の?こんな朝っぱら・・・まだ夜明け前よ。何のために」
「間もなく教えてくれるでしょう。きっと神殿の事だと思いますが。許可申請は届いているから、その話を先にします」
バイラがそういった矢先、足音が4人の耳に入り、皆は音の方へ顔を向ける。バイラは3人に頷いて、さっと出て行った。
彼が出てすぐに話し声がし、3人は聞き耳を立てる。それからイーアンは腰袋の珠を出して伴侶へ。ミレイオとタンクラッドが見守る中、イーアンはドルドレンと交信したようで、少し黙ってから珠を仕舞う。
「今。ドルドレンにも伝えました。寝台馬車の騎士たちにも『出てこないように』と伝言を頼みました」
イーアンは、馬車に居る騎士たちが話し声に反応して出てきたら、それもややこしいかもと、ドルドレンたちに静かにするように伝えたと、小声で言う。親方とミレイオは頷き『その方が良い』と答えた。
「聞こえる?大きな声じゃないけど」
「大体な。神殿だとか夜の・・・何だ、あいつか。『夜の影』に関わるなってことだろ」
「そう言っていますか?私たちに帰るようにと?」
多分、と頷いた親方。暫く黙って耳を澄ませ『バイラは神殿に向かう理由を話している』と続ける。
「バイラは警護団だからな。良かったな、あいつがいて」
「助かるわよ。こんなすぐに、助かるようなことが起こると思わなかったけど」
3人がひそひそ話している十数分。ふと、足音の一つがこちらへ向かって来て、音の重さと歩き方からバイラと知る。
少ししてバイラが顔を出した。『村の人でしたね。こちらの事情は言いましたよ』もう、帰ったと思う・・・バイラは馬車の向こうを見ようと顔を動かす。
「何て?行くなってことだったの?」
訊ねるミレイオに、バイラはまだ周囲を警戒しながら頷いて『はい』と答え、もう一度、四方に目を配らせてから、馬車の間にいる3人に詳しく話した。
「私が警護団だと自己紹介したら、馬車と私を見比べて疑い始めて。それはまぁ、成り行きそうなるので『この馬車は国の支援団体のものである』と、それも大雑把に話しました。
『神殿へ何の目的で』とは訊かれませんでした。警護団に、魔物の事を伝えたのは、村人でしたから」
「で。行くな、って言われたわけ」
「そうです。あくまで守ろうとする姿勢なので、神殿にも魔物にも、危害を加える気はない事と、『考古学で、資料館から神殿の調査を依頼されている』と教えたら、意外にもあっさり納得しました」
「この馬車、見て。考古学調査って、納得出来るもんなんだな」
派手な馬車を見上げて、親方がちょっと笑う。バイラも笑うが『村の人は外を知らないから』と、殆ど彼らが出ない生活であることを付け加えた。
「馬車が派手かどうかは、彼らには分からないと思います。警護団の馬車ではないことを理解しただけで。とりあえず、ここで朝食を摂ろうにも・・・ちょっと気になりますね」
バイラは移動を促す。
『神殿で、待ちますか?』待ち合わせの館長を止め、話をするため、この場所に留まるつもりだったが、村人も見張っていそうな様子だし、移動した方が良いかもと、思うことを伝える。
「そうだなぁ。朝食も待機も何も、逐一、見張られていると思うと落ち着かん。ドルドレンに伝えて、神殿へ直に向かうか」
親方はイーアンに、ドルドレンに話すように言い、イーアンは了解して馬車に戻った。少しするとドルドレンが起きてきて『動かそう』馬車を移動すると決定した。
「寝台馬車の御者は、タンクラッドかミレイオ。部下たちはそのまま、動かさずに行こう。人目があると、人数の多さを村人が見るかも知れない。また、あれこれ探られるのも面倒だ」
ドルドレンは『イーアンはこっちへ来なさい』と荷馬車の御者台に呼んで、ミレイオは荷台へ、タンクラッドは寝台馬車の中に一声かけてから、御者台に乗った。
「バイラ。神殿へ」
「はい。このまま真っ直ぐです。朝食は、広い場所まで我慢して下さい・・・多分、数時間後です」
「分かった。神殿、普通にいつもくらいの時間に出発なら、昼くらい到着だったのか?」
「そのくらいだと。でも前倒しで4時間近く早く出ますから。思うに8時、9時には到着です」
了解したドルドレンは、イーアンに頼んで、到着予定時間を皆に伝えてもらう。『朝食は着いてからなのだ。寝てても良いよ』まだ早いからね、と手綱を取った。
慌しい夜明けの道を、まだ陽も差す前から馬車は動く。ゴトゴト揺れながら、先頭の馬に導かれ、一本道を進む様子を、林の影から、村の数人が見送っていた。
「夜の影に何も悪さをしないと。本当かねぇ」
「しないって言ったから、しないんだろ。警護団の団員に見えない奴しかいないし、ホントに調査なんじゃないのか」
「ナイーアに教えてやって、夜の影を隠すように伝えないと」
「そうするか。怖くないと分かってても、近づきたい相手じゃないもんな。ナイーアにやらせよう」
「牛の命で、俺の親父の病気が治って、寿命が延びるなら。化け物でも何でも、いてくれたら都合が良いよ」
「その話も、ナイーアにさせないと。昨日、夜の影に話したらしいけど、どこまで話したか分からないから」
病院もなければ、医者もいない。近くに医者らしい人間も来ないような、地方の村。
若い者が稼ぎに出ては、帰ってくる率も少ない場所に、夜の影と名付けられた『生け贄の命を、人に返す』存在は、村人の都合に丁度良かった。
穀潰しの頭のおかしい男が、魔物に食べられたと思ったある日。
戻ってきた夜には、目の光が変わり、顔つきも表情が生まれていた。手入れもない、ボサボサに伸びた髪と、もつれたヒゲはそのままなのに、動きはおどおどしておらず、村の表に立っているだけで別人に感じた。
一番、驚いたのは、彼が喋った事。
うー、あー・・・としか言わなかった男が、息を吸い込んだと思ったら、突然に自分たちと同じ言葉を話し始めて、全員が悲鳴に近い声を上げて驚いた。
真っ先に、村人の誰もの頭に過ぎったのは、ナイーアの『仕返し』。
奇跡のように、健常者の状態を見せ付けるナイーアは、これまで彼が生きてきた人生の殆どを、厄介者として扱った自分たちに何をするだろうと、恐怖にも似た後悔が湧いたが。
抜け駆けのように、飛びついて謝った村人の一人に、ナイーアは悲しそうな顔を向けただけ。
『もう良いんだ』彼の言葉はそれだけだった。
『私は思い出したくないし、これから未来だけを考えたい』静かに皆に伝えられたこの言葉はつまり、過去の事を持ち出してくれるな、との意味だった。
村人は、自分たちの行いを恥はしなかったが、残った後悔は謝罪の言葉を伴うことなく、胸の中に仕舞いこまれた。
それからナイーアは、魔物はいなかった事と、自然の精霊がいた事を皆に教えた。自分がどうしてこうなったのか。その理由を話し、話し終わった後にぽかんとしている皆をそのまま、自分の風呂を希望し、風呂に入ったナイーアは、ヒゲを剃り、絡まって玉になった髪を少し切り落とした。。
ナイーアの風呂が終わった後。
出てきた彼の変貌に、再び驚いた村人は、奇跡の話をもっと聞きたがった。そして、ナイーアとやり取りして『同じように病に罹っている誰かも治せるのか』と話が膨らんだ――
「ナイーア。起きてくれ、朝早いけど。神殿に馬車が向かったんだ。夜の影に教えて匿ってやれ」
朝早く、親の家に訪れた村人にナイーアは起こされる。神殿に調査に向かった、他所の人間の話を聞き、ナイーアは血相を変えて飛び起き、一目散に駆け出して消えた。
2台の馬車は、神殿に下りる道を進んでいるところ。
「足場が悪いですから。少し寄せて進んで下さい」
落石が道に転がる下り坂を、谷に向かって慎重に下りる馬車。バイラは振り返りながら『馬車も通るから、それほど危険ではないです』と何度も励ましてくれたが、雨の影響で落ちた石はかなり大きなものもあり、そうしたものは、馬車を止めてどかすしかなかった。
中途半端に大きな石に、馬車を止めて下りたドルドレンとバイラが『これを朝から動かすとは』肉体労働だと苦笑い。男二人が両端を持とうとしたところで、言おうかどうしようか考えていたイーアンが止めた。
「何。どうしたの」
「私が。それをどかそうかと思って」
「イーアンは頑張るけど。これはさすがに男の仕事である。気にしなくて宜しい」
「切ります」
愛妻は、ドルドレンの前にちょこちょこ下りてきて、びゅっと白い龍の爪を出す。じっと、爪を見つめ、無言で脇に下がるドルドレンとバイラ。
イーアンは少し申し訳なさそうに、彼らを振り返ってニコッと笑うと、すかんすかんと大石を切り刻み、細切れになった石を、ちゃっちゃと爪で掃いて道を綺麗にした。
「行きましょう」
「そうね・・・・・ 」
微笑んで腕を引くイーアンに、頷くドルドレンはよっこらせと御者台に戻る。想像以上を常に上回る日常の1コマに、笑うしか出来ないバイラも馬に乗る。そして馬車は、再び谷へ進む。
無口になったドルドレンに、イーアンは『大変そうだったから』『朝から無理させたくなかった』と言い訳した。何となく、自分が役に立っていない気がするドルドレンは、うんうん、首を縦に振りつつ『分かってるよ』『有難うね』と呟いて返していた。
反対側の谷の上。岸壁に沿う下りの道から、その様子を見ていた馬に乗る二人。
「今の。何ですか」
護衛の男は、館長に顔を向ける。その顔が恐れに引き攣っているので、館長も自分の顔が同じなんじゃないかと思いながらも、深呼吸して答える。
「龍だ。あれは、イーアンだ。あんな事が出来るのか」
「龍」
龍、とまでは呟き返せたが、何を言っているのか分からない護衛の男は、首をゆっくり振りながら、館長に続きの説明を求める。館長もハハッと笑ったものの、そのまま言葉を探す。
「いや。私も、見たのは初めてだから。しかし・・・あの姿は、この前と同じだ。黒いクローク、白と黒の上下。黒髪に白い二つの光。あの背丈。あれはイーアンしかいない。彼女は龍なんだよ」
「龍・・・って。姿は人間です。腕が、何ですか?あの長い、白い剣みたいな」
「だからさっ!私も初めて見たんだよ、分かるわけないだろうっ」
館長の声が上ずっているので、護衛もそれ以上聞けない。館長の胸の内は、ぐんぐんと好奇心で満たされる。今すぐにでもとっ捕まえて、あのイーアンの仕組みをもっと知りたい(※嫌われる行為)!
「行こう。急ぐよ」
「いえ、でも。足に負担がないようにしないと」
「そんなこと言っていられるか。少しくらい急いだって、神殿は目と鼻の先だ。神殿で休むよ」
分かりました、と心配そうに見る護衛の目から、視線を逸らした館長は、棒を添えた包帯のかかる足を意識しないように馬を進め始めた。
「振動に気をつけて下さいよ。急に馬が動くと」
「大丈夫だ。骨は折れてないんだから」
動く馬の腹の横で、腿がその都度、痛みを伝えてくる。館長は痛みに汗をかくものの、今はもうそれどころではなく、とにかく早く、あの『龍のイーアン』の秘密を知りたかった(※好奇心で頑張れる人)。
そして。イーアンの爪を見ていたのは、もう一人。
神殿で気配を感じたショショウィは、そっと柱の影を伝って表を見た。すると、谷に下りる道に何かがキラッと光ったのを見て、目をまん丸にする。それが何か―― ショショウィにはすぐに分かった。
『来た。来た、来た。龍・・・来ちゃった』
もう、手足や尻尾を舐めて落ち着く事さえ思いつかない、小さな地霊は、目が落っこちそうなくらいに見開いて、どうしよう、どうしよう、と神殿の中をウロウロするしか出来なかった。
お読み頂き有難うございます。




