966. 旅の三十七日目 ~先回り
その朝。野営地の岩場は乾いている場所が目立ち、風も少し暖か。
イーアンは、練り生地を平たく焼いてから、茹でて潰した豆を丸めて、塩漬け肉の横で焼くと、膨れた生地の間に具を詰めて、人数分の朝食を作る。ミレイオはお手伝いで一緒に詰める。
起きてきたバイラは、馬車から下りて焚き火側から香る朝食の匂いに、暫し感動し、その場に立ち尽くしていた。ミレイオが気が付いて『どうしたの』と声をかけると、『幸せだなと思った』と言われて、笑った。
「何よ。大袈裟ね、ほら。これ」
笑うイーアンとミレイオは、バイラに味見を渡す。恥ずかしそうに微笑むバイラは、味見を受け取って『生きていると良いこともあるもので』ご年配みたいなことを呟き、味見に喜んでいた。
「ミレイオも、イーアンも。得意な料理があるんですね。ミレイオはヨライデの料理だと思うのですが、イーアンの料理は。ちょっと変わっているような。どこかで食べたような気もするし、でもどことも」
「そうね。この子、違う世界から来たから。でも、あれでしょ?何か、食べ物似てたんだよねぇ?」
ミレイオがあっさり暴露(※横でイーアン『うへっ』と言う)した序、イーアンに『元の世界も似たり寄ったりでしょ』と訊ねる。
流し方が普通過ぎて、バイラも一瞬気にはなったものの。別世界に触れず、そのまま料理の話続行(※大人)。
イーアンはしどろもどろで、どうにか自分の馴染んだ料理の話を簡単に伝え、『だから、どこの国とも似ていないかも』と結ぶ(※別世界に触れないでと願う)。
バイラも普通の表情で頷き、『どれも美味しいです』そう、無難な言葉で、この話題を終えてくれた。
特にそれ以上は聞かなかったが、この日新たに、バイラの仲間情報に『イーアンは違う世界から来た』が加わった(※だからと言って何も変わらない)。
それから、起きてきた皆で朝食。
食べていると、遠くの空がちょっと光り、オーリンもやって来た。来ると思っていたイーアンは、オーリンの分もいそいそ用意して、龍を降りたオーリンに朝食を渡す。
「どうしようかなと思ったんだけどさ。でも、朝食べても良いよね。パヴェルの家では泊まりだったから、朝も一緒だったし」
「良いですよ。オーリンは三食じゃありませんでしょう。時々こうして、一緒に朝食を食べるのもあり」
今度、金渡すよとオーリンは笑って、イーアンの横に座る。まだお宝があるから、お金は平気ですよ・・・お宝在庫をやんわり告げるイーアン。
『ん、宝!また見つけようよ』向かいに座るミレイオは、もぐもぐ食べながら、宝に反応。
タンクラッドもお代わりを取りに来て『テイワグナにもあるだろうな』探すか、と笑顔で話に参入。オーリンはちょっと考えて『あったぜ。あっちの方、なんかヤバそうな遺跡』宝の匂いかもねと笑う。
和気藹々、職人たちの話が微妙に盗賊チックで、横にいたドルドレンは、バイラや子供に聞かせないよう、少し大きめの声で違う話を振っていた(※バイラ=盗賊と戦ってた人)。
こんな楽しい朝食の時間を終えて、一行はタサワンへ向けて出発。今日は、近くまで行けると話すバイラ。
「大雨で中継の施設へ寄った分、少し時間を多く使いましたが。このまま何もなければ、村に入る道には着くはずです」
中継の施設の場所は街道から外れていたから、半日くらいは使った・・・との話に、ドルドレンはぴくっとする。
「む。それじゃ。もしかすると、館長が先を進んでいる可能性も」
「ああ、タサワンで待ち合わせという館長ですか。それは大丈夫ではないでしょうか。雨はあの地域全体だったから」
彼も雨宿りはしたと思う・・・バイラに言われて、はたと安心する総長。『そうか。そうだな、あの雨だもんな』前が見えなくなるような雨だった日。さすがにあれは進めないか、と納得した。
それに、と教えてくれたバイラ情報。『村の奥にある神殿だから、用がある場合は、警護団施設に申請するはず』とか。こうしたことは、学者なら恐らく、手筈を整えると思うことを教えた。
「私たちが昨日、タサワンの話を出した時。団員の誰も他の事を知らない様子でした。もし同じ場所へ先に向かった人がいたら、きっと私には伝えたでしょう。それがなかったので」
二重の安心を貰い、ドルドレンは気の利くバイラにお礼を言って、カラッとした午前の道を馬車を進める。
暫くして、笛の音が聞こえると、上に光が見え、それを合図に、龍の民を抱えたイーアンが馬車から飛んだ。
『ドルドレン、行ってきます』『じゃあな、総長。後でな』背中から抱えてもらうオーリンは、やって来たガルホブラフにぽーいと投げられ(※イーアンは放る)龍の背中にすとっと跨ると、笑いながら、翼のイーアンと一緒に空へ翔け上がって消えた。
「爽快ですね・・・・・ 何度見ても、少年のような気持ちになります」
バイラが、信じられない光景だと笑う。ドルドレンも笑いながら『見慣れたような、見慣れないような』と同意した。
『イーアンがね。龍に乗り始めた頃』彼女一人で龍に乗っていたから・・・思い出した遠征の話をし始めるドルドレン。面白そうに身を乗り出して聞くバイラに、青い龍と一緒に彼女が動いた印象を幾つか話した。
「北西の支部は、龍に乗る女がいると。各地で有名になったのだ。何回見ても、龍とイーアンが飛ぶ姿は心が躍った」
「それは。そうなるでしょうね。私は今、彼女の翼でも思うんですから。オーリンと一緒に飛ぶ様子は、空の人なんだなと鳥肌が立つくらいです」
「本人は、自分の顔が人と違うことを気にするが。あの顔だから、余計に・・・龍と一緒にいることがしっくり来るような。俺はそんなふうにずっと思うのだ」
「そうですね。テイワグナの国民は皆、イーアンを見たらすぐに気が付きます。彼女は『龍の女』なんです。とても良い顔です」
奥さんの顔を誉められて、ヤキモチを妬かない自分に驚く反面、ドルドレンは、喜んでいる自分の心境にも驚く。バイラの誉めたイーアンの顔についての言葉は、もっとずっと、崇めるような響きに感じた。イーアンを、本当にそう思ってくれる人がいることに、嬉しかった。
ドルドレンはこの後も、バイラを相手に支部での話を続け、バイラも総長の思い出話を聞きながら、晴れた道を順調に進んだ。
*****
岩棚の影に茂る、密度の多い木々の中。午前の陽射しも殆ど入らず、その場所は雨に濡れた地面をそのままに、乾きもしない暗い獣道が延びていた。
下草も伸び、覆う木々の垂れた枝が蔓に絡まられて、天井のように細い道を包んでいる。日差しのない道は冷たく、朝の光も午後の光も届かないようで、湿った場所にいる小さい生き物がそこかしこで蠢く。
「暗い方が都合は良いが。特に好きな場所ではないな」
体に落ちる雫や、濡れた道を踏みしめる度に溢れる水、時々、頭や体に擦れる葉っぱや枝から移る虫に、うんざりした様子の大きな獅子は、面倒臭そうに進む。
「俺に触れて生きていられると思うなよ。用事が済んだら死ぬんだぞ」
呟く声は、虫やうねる生き物に理解出来ない。毛に潜ろうとするそれらに、イライラするヨーマイテスは、ぐっと力を入れて相手を消す。
「『用事が済むまで待つ』とは言ってなかったな」
それから上を見渡して、低く垂れ下がる枝葉を見つめ『もう近いか』一人頷き、もう少し先へ向かった。
ヨーマイテスが向かう先、少しずつ乱れる気配を感じる。
気配は一つ二つが動き、数秒後にはその倍、10秒も経つと一斉に気配が増えた。ヨーマイテスは気配の乱れを察して駆け出した。
水浸しの草叢から跳び出した大きな獅子に、騒ぎ声を立てて魔物の群れが攻撃に移る。獅子は吼え声と共に、目の前の魔物を破裂させ、揺さぶる鬣の勢いで、自分の目に届く範囲の魔物に毒を散らした。
動けなくなる魔物がその場に崩れ続ける中を、ヨーマイテスは矢の如く駆け、次々に魔物の体をひしゃげて壊す。ヨーマイテスが触れた側から、魔物の体はぐしゃぐしゃと壊れ、砂のように散って落ちた。
あっという間に、その場にいた数十頭を倒した獅子は、気配を探して一頭残らず、その場所に集まっていた魔物を消した。
「お前たちが俺を待っていたのか。それとも俺がお前たちを待っていたのか・・・消えたら、どうでも良いことだな」
フフンと笑った獅子は、もう一度気配を探り、何も感じないことを確認してから、岩棚の影を先に進んだ。『次はこの岩の向こうか』潜って動いた方が早いと判断し、獅子は一旦地面に溶け込む。
次に獅子が現われた場所は岩場の先で、そこでも獅子は同じように、対峙した魔物の群れを全滅させる。
「後はどこだ。少し離れた場所か。親玉は一匹でも、分裂が多いな」
世話かけさせやがる・・・首を何度かゴキゴキ鳴らし、金茶色の獅子は影を縫って、別の場所へ移動した。
この日。ヨーマイテスは、山脈手前の一帯を回って、探し当てるたびに魔物を倒した。
その魔物は、人のいない場所に生まれ、数を増やしていた魔物の類で、放っておけば集合した後、一度に人間を襲うように命じられていた。
ヨーマイテスは暫く魔物退治を一人で行い、影だけを伝って移動した一日に疲れ、夕方前にぶつくさ言いながら地下へ戻った。
*****
馬の背に揺られて、荷物の中に突っ込んだ手が空振りするのを、小さな溜め息と一緒にぼやく男。『すまないんだけど』前を進む馬に乗る男に、彼は声をかけた。前の男は振り返って『どうかしましたか』と答える。
「水筒を宿に置いてきたかも。水を少しもらえるかな」
「ああ。水筒、そうだ。渡そうと思っていました。これですね」
前の男は荷袋の浅い場所に仕舞っていた、革の水筒を出して見せた。『あ、それだよ。有難う』腕を伸ばすその手に、前の男は馬を下げて水筒を渡す。
「宿を出る前、これがフックに掛かっていたんです」
「ごめん。上着だけしか気にしていなかった。私は何度もあるんだよ、こういうの。旅慣れしてるのに、抜けているよね。折角、宿で水を沢山入れたのに、置いてきちゃったら勿体無い」
いえいえ、と笑う前の男は、水を飲む彼の横に馬を並べて『タサワンは暑いかも知れない』と教えた。
「この前の豪雨、タサワンにも降ったかも知れませんけれど。あそこは水はけが早いし、谷も亀裂が凄いから。タサワンに直に降らないと、水気がなさそうです。この天気じゃ、気温が高いかもしれないですね」
「そうだね。後どのくらい、って言ったっけ。あの崖の道通ったから、早いんだよね?」
「はい。明日には。多分タサワンの神殿付近に出ると思いますよ。ただ、近道を通った分。どこにも許可申請していないから、出来るだけ目立たないように動かないと」
わかってるよ、と館長は頷く。護衛の男に『君に迷惑をかけないようにするから』そう言って笑い、護衛の男も苦笑いで返した。
「早めに着かないとさ。まさか雨があんなに降るなんて思わなかったから。すっかり遅くなってしまったし」
「はい。予定よりも1日延びた感じです。その1日を、近道で取り返していますが。非合法なので」
「非合法。あり、だよ。調査だもの。そんなね、どこでも合法の手順ばっか踏んでいたら、時間が足りないよ。生きている時間は限られているんだ」
「館長は、学者よりももっと向いている職業があった気がしますね」
何だよ、それと笑う館長。怖いもの知らずだから、と笑い返す護衛。二人を乗せた二頭の馬は、崖沿いから抜けた道を進む。下る角度が急で、足場も悪い細い道は、馬がようやく並べる程度の幅。
「見晴らしは良いよね。すぐ真下が谷でなければ、見ながら進みたいよ」
「よそ見すると馬が危ない。気をつけて下さい」
「気をつけるよ・・・どうかな。馬車は今、どの辺かなぁ」
高い場所を通過する館長は、高い道から眺める風景に顔を向け、シャンガマックを乗せた馬車が、自分よりも早く進んでいないように祈っていた。
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