965. 地霊ショショウィの心配
戻ったホーミットは、バニザットがまだいる岩を確認して近づき、彼を驚かさないように声をかける。振り向いた騎士に、何をしてきたかを伝えると、お礼を言われた。
「礼を言うようなことじゃない」
「いや、動いてくれた。有難う。これで行っても大丈夫なんだな」
「多分な。だがあまり頭の良いやつじゃない。逃げろと言ったが、近くに隠れるだけかも知れない。お前たちも長居するな」
バニザットは笑顔で頷いて、ホーミットが力を貸してくれたことを喜んだ。
調子が狂うなと思うものの、嫌な気はしない(※過去の経験:息子は嫌がる&女龍は疑う⇒そして攻撃される)。まだ話をしたそうな騎士の顔を見て、ホーミットは、切り上げ時・・・と、挨拶をする。
「そうなのか。もう帰るのか」
「コルステインも戻っている。そろそろ、ミレイオとイーアンも帰ってくるだろう。俺がいると、また煩い」
「ちゃんと伝えておく。大丈夫だ。警戒しているけれど、ホーミットを知らないから」
「バニザット。俺に構うな。皆と仲良くなんて、俺にはどうでも良いことだ」
少し躊躇う表情を向けた褐色の騎士は、すぐに頷いて了解した。ホーミットは彼に『お前だけで充分だ』と呟くと、背中を向けた。
「それじゃあな」
「あ。お休みホーミット」
バニザットの挨拶に、少し黙ってから、大きな男はフフッと笑うと『お休みバニザット』そう返して地面に消えた。
消える一瞬前。金茶色の長い髪の毛がふわっと浮かび、広い大きな背中にびっしり入った絵を見たシャンガマックは、あの絵も彼の秘密の一つなのかなと、ぼんやり考えた。
コルステインはタンクラッドと寝そべって、見てきたものを話してあげていた。
ホーミットの気配が消えたので、一瞬黙ったが、タンクラッドは気が付いていないようで、すぐに話を戻して続けた。
『そうなのか。小さいとは。どのくらい』
『これ。こう。分かる?』
ちょっと片手をベッドから持ち上げて、寝床からの高さを示すコルステイン。タンクラッドは、ふうんと一声『小さいが。お前から見れば小さい、という感じだな』そう言って、青い目を見た。
『小さい。少し。ある』
『まぁ、そうなのかな。大きくはないよな。家畜を生け贄にするほどの体じゃないな。そんな体で、牛を食べているのか』
『食べる。ない。もらう。力』
コルステインは、鍵爪をちょっとタンクラッドの胸に当てて、気力を吸い取ることを伝える。
タンクラッドは理解する。『そうか、食べているんじゃないのか。そうすると、死体がその辺にあるのか?』それはそれで、見つけたら恐れられるだろうなと思って質問すると、コルステインは首を傾げた。分からない様子。
『どんな形なのか、俺に伝えられるか?』
姿形を訊ねると、コルステインは眉を寄せて唸っている(※説明大変)。タンクラッドはあれこれ、ああか、こうか、と例えを出し、ようやくそれっぽい形に辿り着いた。
『人間と似ているところがあるのか。でも動物』
『そう。耳。足。大きい。尾。長い。毛。沢山』
『ふーむ。初めて見るだろうな、そうした形は。結構いるのかな』
タンクラッドは昔話も伝説も、かなりの量を読んできたと思うが、全くそうした相手の話を知らない。
だがコルステインたちと関わるようになり、実は人間以外の存在の方が、どっさりいると知った今、もっといるんだろうかと素朴な疑問を持つ。コルステインは頷いて『いる』短く肯定。
『でも会わないよな。どうしてだろう』
『いる。場所。違う。会う。ない』
棲み分けしているからとの答えに、親方了解。そうだった、と思う部分。いろいろと教えてもらって、楽しいような不思議なような、眠るに惜しい夜の時間。
この夜、この話が少し長引き、いつもよりもやや遅めに就寝したタンクラッド。コルステインは彼をいつものように腕の中に抱え、星空を見つめる。あの小さいのが、困らないようにと、思いながら。
*****
所々が傷んでいる神殿の夜を過ごした、ショショウィ。
殆ど緊張して、夜の時間を終え、少し疲れていた。『どうして。龍?精霊?何でだ』途切れる言葉は昔に覚えたそのまま。ずっと誰とも喋らず、時々誰かの話を聞く時に、理解した言葉が今もその頭に残る。
自分の気持ちや状況は言えるが、頭の中に話しかけたあの大きな獅子は、絶対に普通の獅子じゃないと、それは分かった。
それに、その向こうに見えた、大きな黒い翼。鳥のような大きな翼と人の形。長い髪がきらきらしていたあの姿。大きな鷲の爪が付いた足。
『怖い。あれ、誰』一生懸命隠れていた時、何度か頭の中に話しかけられた。頑張って無視を決め込んだが、言葉は自分よりももっと少なかった(※コルステインは言葉乏しいNo.1)。
側に来たと分かってから暫く、あの大きな翼は動かなかった。死ぬのかなと不安になったが、大きな翼は何もしなかった。
ショショウィは、テイワグナの南山間部にいる地霊。
大きさは1m程度で、顔つきは人間と近いけれど、体はヤマネコのよう。対比としては、人間が3割で動物が7割の体。
思い出せないくらい昔、誰かがショショウィを創った。死んだヤマネコに、誰かがすぐに魂を入れて、その後、目を覚ましたらショショウィは生まれていた。
それが大きな精霊の力なんて、ショショウィは全く知らない。目を開けた時から、深い山の谷奥に生活する地霊として動いていた。
動物が死ぬ時、ショショウィはその力を吸い取る。死ぬ最期の匂いを嗅いで、そこへ行くと、大体、息も絶える手前の動物がいる。その動物の力を吸い取って、動物は土に還る。ショショウィの役目は、動物の体がすぐに大地に戻される働き。
でも。少し前に、魔物に出遭った。
それは死んでいるのに、生きているようで、死んだ匂いを放ちながら動いていた。ショショウィの長い時間に、初めて出遭う恐ろしい対象で、うっかりいつものように近づいた相手に襲われかけた。
ビックリして逃げたが、どこにでも現われるようになり、ショショウィは人里まで下りてきた。
そうしたら『力』もないし、隠れる場所もない。それで神殿に棲みついたものの、動物を求めて人のいる場所へ動いた。ショショウィに怯えた人間は、弱った家畜の上に乗った化け物を見て、悲鳴を上げる。
そこからも逃げたショショウィは、それでもまた『力』を求めて人間の側へ行ったが、今度は人間の場所よりも手前に、生きた動物が繋がれていた。それで力を貰った。繰り返すこと、これを4度。
ついこの前、人間がショショウィの場所へ来た。
一人の人間で、ショショウィが誰かも分からない様子に、これも『力』を貰っていいのか、少し考えた。
でもその人間は、ショショウィを見て笑い、腕を伸ばして、驚くショショウィを撫でた。ショショウィは、この行為に何も不愉快なものがなくて、話しかけた。
人間は笑っているだけ。話が出来ないのは、自分の声が届かないからかと思ったショショウィ。
力をもらっているから、一つあげようと・・・単純に、力を増やせば話すかもと分けてあげる。
それはこの人間にとって、大きな変化を生んだ。
人間は言葉を話し始め、最初と違う表情を向け、ショショウィを見てから『あなたが助けたのか』そう言った。ショショウィには何のことか分からない。だから『貰った力を返してやった』とだけ教えた。
人間はショショウィを見つめ、そっと腕を伸ばして撫でた。それは最初の時とは異なる気がしたが、もっと思いが入っているのは感じた。その人間は、ショショウィのことを知りたがり、ショショウィは少しずつ教えてやった。そしてその人間は、また来ると言って戻って行った。
『悪いじゃない。悪い、違う。龍、精霊なんで来るの』
誰にも悪いことをしていないはず、と思う。それなのに。自分が消されるのかと怖がるショショウィ。どうして『山の魔物はどこだ』とあの獅子が聞いたのかも分からない。
戻りたいけれど、山に魔物がいるから、ショショウィには戻ることも選べない。どうすれば良いのか分からない小さな地霊は、朝を迎えた今も、一生懸命悩んでいた。
ショショウィの『食事』即ち『気力』を得る間隔は、自分の体の動きによるもので、腹が減るとした感覚ではなく、動きが鈍くなると食事を探すような状態であり、身動きに困らなくても、得られる『気力』があれば、それは取り入れていた。
気力の摂取に飽和状態らしい限界がないのも、肉体が肉体の役目を果たさないからで、要は単純に、足りていない状態だけが、ショショウィにとって避けたい危機でしかない。
攻撃されることは体に影響があるにしても、攻撃を受けたことがこれまでになかったので、実際のところ、魔物に攻撃されかけて驚いて逃げた時も、どこが怪我をしたとか失ったとか、そんなことは分からなかった。
影響があるとしたら、動きにくくなるだけで、痛みではない。魔物から逃げた後、体には特に変わりなかったため、ショショウィは無事と判断していた。
『夜。1回、2回。その次、来る。逃げるの?どこ』
悩むショショウィ。隠れるだけでは足りない、と獅子が話していた。それは自分も分かる。隠れても、あの大きな翼がいる間、ショショウィの体はじりじりと解されていくようだった。獅子もいたから、それもあったのかも知れない。あの獅子は、絶対に違う力だと思う。
もっと離れた場所へ行かないと。
でも神殿を離れた場所に魔物がいると、ショショウィにはどうにも出来ない。魔物を攻撃するなんて考えつかない、思いもしない小さな地霊は、神殿の裏に出て岩山の壁を見上げた。
この向こうに、魔物がいる。でもそこへ行くしかないのか。
どんなに考えても、逃げる場所さえ思い浮かばない。頑張って逃げてきて辿り着いたのがこの神殿。その続きは人間がいる。ここから他へ、どう動くのか。
困って困って、ショショウィはうろうろするだけ。
朝の早い時間、一日はこれからなのに、ショショウィにはもう随分時間が過ぎている気がする。考え事に囚われて、時間がちっとも進まない。
『うーん。どうしよう。逃げるの、どこに』
呟くショショウィは、顔を手で擦って、大きな耳も後ろから倒して、せっせと手を舐める。どうにか落ち着きたい。気持ちばかりが焦って、長いヒゲも擦ってみる。
足もぴっと伸ばして舐める。長い尻尾もくるっと回して手で持ったら、頑張って全部舐める。
ふと、嗅いだことのある匂いが漂った。持った尻尾を舐めたら香った、その匂い。
あの人間の撫でた、その匂い。ショショウィの記憶に新しい、自分を撫でた男の人間。毛がもじゃもじゃしていて、脂の臭いが強くて、ケラケラ笑っていた・・・力を上げたら、目の光が変わったあの人間。
ショショウィは尻尾を持ったまま、少しの間、静かになった。あの人間はどうしているのか。
「ショショウィー」
ハッとした、その声。耳に聞こえた声は、今思っていた人間の声だと、ショショウィは立ち上がる。
さっと神殿に入り、柱の影から様子を見ていると、間違いなくあの人間が近づいてくる。見た目と脂の臭いは変わったけれど、声が同じ。
「ショショウィー。いるのか、いないか?」
もういないのかな・・・そう言いながら、人間は神殿の階段を上がり、暗い瓦礫のある神殿の床に足を踏み入れた。
『ショショウィー。私だよ、あなたが助けた人間だよ』呼びかけながら、暗がりに目を凝らして、男は柱や大きな瓦礫の奥を見ようと、首を動かす。
どうしたんだろう、と思うショショウィ。怖い感じはしないから、ゆっくり姿を現してみた。
動いた影に、反射的に後ずさった人間は、すぐに笑顔に変わって『良かった。いたんだね』と声をかけた。
ショショウィは柱の影を出て、人間を見つめる。何が理由で来たのか・・・・・
「おはよう。会いに来たんだ。村の人にあの日、私は驚かれてね。ショショウィーのおかげだよって」
その話をしようと思った、と笑顔を向けた男は、腰の高さくらいの瓦礫に腰掛けて、大きな緑色の目で見つめる小さな相手に手招きした。
人間はどうしてか、ショショウィの名前を伸ばして呼ぶ。小さな違和感だけど、ショショウィはそれも新鮮な気がする。
「私は怖くないでしょ?こっちへ来て話そう。あのね、村の人は、ショショウィーを大切にすると思うよ。体の悪い人がいて、その人を治してもらえるなら」
『体。悪い。治すって?治すの、知らない』
頭の中に話しかけたショショウィに、ちょっと瞬きした男は、頷く。『そうだった、頭の中で話したね』でも聞こえるかな、とまた言葉にして話を続ける。
「私を治してくれたように、治してあげたら良いんだ」
ショショウィには何のことか分からない。力をあげたことを言っているのかな?と思ったので、それを聞いたら、人間は笑顔を大きくして『そう、それだよ。力をあげてほしいんだ』と答える。
『治る・・・じゃない。力、持つだけ。増えるだけ。治るって知らない』
面食らったような人間は、近くに来たショショウィを驚かさないように、身動きせずにその移動を見守り、それから自分が理解したことを伝える。
「そうなのか。ショショウィーは、私を治したと思っていなかったんだね。でもね、あのね。あなたに話したいんだよ。私が治ったと思っている理由は・・・・・ 」
人間の男は、ショショウィの解釈に付いて行くように、ゆっくり、丁寧に、時間をかけて。自分のこれまでのことを全部話した。
それはショショウィには、あまりよく分からなかったけれど、この人間はとても悲しかったんだということと、それを終わらせたのが自分だったことだけは分かった。
二人は、暗い神殿に差し込む午前の光の中で、光の細い線に所々、照らされながら、お互いの顔や姿を観察して、不思議な好感を胸に感じていた。
お読み頂き有難うございます。




