962. ミレイオの午後
空に少しだけ光ったそれは、一頭の龍。
「あれ。オーリンだよ」
ザッカリアが指差して教える先に、ガルホブラフが近づく姿を見た総長は『本当だ』と呟いた。どうして一人なんだろうと思う。時間はまだ昼前だし、イーアンと一緒に戻るなら分かるけれど。
ガルホブラフはすぐに来て、龍の背中のオーリンは、御者台の二人とバイラに『よう』と笑顔を向けた。それから龍に乗ったまま、御者台の上に浮かんで話し始める。
「俺は伝言だ。後でイーアンが戻ってくるだろ?その時に男龍が一人来る。ミレイオを連れて行くと言っていた」
「オーリン、よく分からない。何でお前が伝言なのだ。イーアンが戻る時に男龍が一緒なら、別に伝言は要らないだろう」
「違うって。イーアンも一緒に、また空へ上がるんだ。すぐにね。
食事は摂らないよ。だからほら、急に来て、急にミレイオを連れて行くとなると、いろいろ慌てるから。それで先に俺が言いに来たわけ」
ドルドレンは、黄色い瞳を見つめて何度か瞬き。『それ。お昼、どうするのだ』誰が作るの、と質問すると、オーリンは笑って『総長作りなよ、上手いじゃん』と言われた。
「誉めてくれて有難う。でも」
「夕方には戻ってくるからさ。昼はミレイオとイーアン抜かした分で良いと思うよ。俺も食べたいけど、このまま戻るからな。夜は一緒に食べさせてよ」
じゃあね・・・笑う龍の民。ちょっと待て・・・腕を伸ばした総長に手を振って『後でな』の声と共に、空へ上がって帰ってしまった。
「オーリン。行っちゃったね」
ザッカリアが呟く。ドルドレンも頷いて『あれは落ち着かないのだ』と答えた(※人生も毎日も、の意味)。
「総長。ミレイオに伝えましょうか」
バイラが後ろを指差して言うので、お願いする。バイラは馬を下げ、荷台にいるミレイオに事情を伝えた。
すぐにミレイオが来て、御者台のドルドレンの横に座る。『何?オーリン?』手に縫い物を持っているので(※針危ない)ドルドレンがちらちらそれを見ながら、頷く。
「ああ、針?大丈夫よ。刺さりゃしないわ。で、何なの?男龍が私を迎えにって、どういう」
「知らないのだ。イーアンも一緒に、またとんぼ返りらしいが。だからお昼が」
「そうなのぉ?何だろう。この前のことかなぁ」
ミレイオは縫い物をまた続けて、首を捻る。『この前の』その言葉に引っかかったドルドレンは、縫い物中のミレイオに『何か思い当たるの』と訊ねてみる。明るい金色の瞳がこっちを向いて、少し黙ってから、言えることを選ぶように答える。
「うーん。そうね。でも、個人的なこと。男龍が気にするようなことじゃないんだけど、心配してもらってることがあるから」
「オーリンは夕方には戻ると話していた。お昼がもうすぐなのに、イーアンもミレイオもいなくなる。お昼、困るのだ。夕食はミレイオとイーアンが戻ってきてくれると思うけど」
食事の話に変わったので、ミレイオは笑ってドルドレンの肩に凭れかかる。
「お昼は、あんた。あんたも料理上手でしょ?フォラヴには、脂少ない部分をあげて。それと野菜も一緒に蒸して頂戴。それでフォラヴは大丈夫だから」
「分かった。でも、夕食」
食事にこだわるドルドレン。夕食は作るわよ、と笑うミレイオに、ドルドレンも困って笑う。『オーリンも食べるって』だから早く帰ってきてね(※沢山作るから、の意味)と言うと、ミレイオは大きく頷いて『そうする』と答えてくれた。
「お昼まで、もうちょっとあるわね。何か用意しておくか」
ミレイオは黒髪の騎士の頭をちょいと撫でて、『ちゃんと食べるのよ』そう言って、また荷台に戻った。
「ミレイオ。優しいですよね」
バイラは、ミレイオと総長の会話に微笑んでいる。ザッカリアも頷いて『ミレイオはいつもだよ。皆のことを気にしてくれるの』嬉しそうに教える。
ドルドレンもそれは思うところ。『つい、甘えるのだ。ミレイオがいてくれると』不思議なもので、と笑った。
「イーアンにも甘えるよね」
「最近はそうでもないぞ。俺はちゃんとイーアンを手伝っている」
ザッカリアの突き刺しに、ドルドレンはきちんと否定して真実を伝えた。その横でバイラが笑っていた。
荷台では、ミレイオが昼食の準備。タンクラッドは側で見ていて『何だ。先に作る気か』と訊ねる。
「用意だけね。男龍の話が長引いたら、夕食・・・質素になっちゃうでしょ。もしそうでも良いようにさ。お昼、多めのが良いじゃない」
「俺も手伝うか。何すれば良い」
作っていた作業の手を止めて、親方が立ち上がる。『言え。やるから』ミレイオの手元に集まる食材を見て、そう言うと、ミレイオが振り向いてちょっと笑う。
「あんたはいつも食べてばっかだけど。一人暮らしだから、そこそこ出来るのよね」
「そんな言い方するな。当たり前だ」
嫌そうな顔をしたタンクラッドに、塩漬け肉と野菜を持たせて『じゃ。これね。フォラヴのために用意しておいて』ミレイオは指示しながら、これと、それと・・・と教える。
「あの子。脂に弱いからさ。野菜一緒にしてやって。
それと、これ皮付きで洗って、こんくらいの大きさに切って、肉焼く鍋の脇に入れて。ドルドレンは肉料理だから、その周りに並べるの。根菜が一緒だと腹持ち良いわ」
ふむふむ聞きながら、親方はミレイオの言いたいことを理解し、『ちゃんとやっておく』と約束。そしてもうちょっと量がある方が良いと呟くと、ミレイオは平焼き生地をどさっと渡した。
「夕食には戻るって言ってたし。イーアンは粉があれば、こんなの買わなくても作ってくれるから。買っといたこれ、昼に食べて良いわよ」
パヴェルが持たせてくれた保存食の魚もあるからさ、と瓶を出して『これ、そこに挟みな』平焼き生地を顎で示して教えると、タンクラッドは感謝して頷く(※お腹満ちると理解)。
野菜はちゃんと食べろよ、とミレイオにしっかり目を見て言われ、タンクラッドは大人しく従った。
「ミレイオ!来ましたよ」
そんなことを話していると、外からバイラの声がしてミレイオは急いで馬車の屋根に跳び乗る。空を見ると、真っ白い光がぐんぐん近づいてくるところ。『眩しいわねぇ』笑いながら目を閉じるミレイオに、向こうから『ミレイオ~・・・』間延びした声が聞こえた。
「イーアン・・・お帰」
ミレイオが笑顔で返した言葉の続きは消える。イーアンと一緒に来た光の塊に、ミレイオは抱えられた。『うわ』降りないのか?と驚いて口走ったミレイオに、ニコッと笑った光の中の男龍。
「タムズ」
「ミレイオ。降りないよ。このまま連れて行く」
ミレイオ、溶けそうになる(※カッコイイ)。男龍の腕に抱えられて、横に飛ぶイーアンの笑顔も見える。空に連れ去られる快感に笑い出したミレイオの声が、遠ざかる地上の馬車にも届いた。
「幸せそうだ」
空に響いたミレイオの嬉しそうな笑い声に、ドルドレンのつまらなさそうな一言。側にいたバイラが『凄い光景ですよ』と笑った。ザッカリアは『羨ましいんでしょ』総長を見上げて言う。総長、遠慮なしに頷く。
「だって、タムズだぞ、今の。俺もタムズに連れ去られたい」
「そのうち連れ去ってくれるよ。用があれば」
子供の気を利かせた一言に、逆に傷つくドルドレン(※自分、用無し)。お昼、作れないかもと肩を落とした(※呟いた瞬間『お腹すいた』と横でねだられる)。
*****
一方。連れて行かれたミレイオは、タムズに下ろしてもらった場所が『誰の家?』浮島の一つなのだが、見分けがつかない。
イーアンが『タムズの家です』と教えてくれる。タムズはミレイオとイーアンに、中に入るように言い、自分が先に家に入った。
ミレイオ、じっくり見回してみるが、以前に入ったことのある家との違いが分からないまま。
「男龍の家って。誰が建てるの?同じに見える」
「彼らは自分で建てるようですね。タムズの力は勿論、こうした建造物を難なく生み出します。似ているのは、きっとこの形が、彼らの生活に一番適しているからでしょう」
椅子やベッドの置き場所がちょっと違う・・・イーアンが教えてくれた違いは、配置だけだった(※モノない)。
「そこに座りなさい。イーアン、子供たちのところへ行ってくれ」
「え。私は一緒じゃないのですか」
「何で?イーアンは?」
いきなり『お前は出ろ』と命じられて、ビックリするイーアン。
何で私も一緒に迎えに行ったんだ、と思ったが、はたと龍気目的(※ミンティンの代用)だったかと気が付き、イーアンは了解して素直に従う(※ぬぅ、って感じ)。ミレイオも驚いたが、悲しそうなイーアンに同情して謝った。
「ごめん。早く話し、終わらせるから」
「いえいえ・・・子供たちと一緒に待っていますので、ゆっくりどうぞ」
タムズが笑顔で見ているので(※早く行って、って)イーアンはぴょっと翼を出して、ふらら~と飛んで行った(※今や自分は、龍代用と知った気持ち)。
「何か。かわいそう・・・」
「イーアンと一緒じゃない方が、君が話しやすい。私の次は、きっとビルガメスに訊かれる」
ミレイオは、飛んで行ったイーアンの背中を見送り、振り向いて眉を寄せる。『それ。ヨーマイテス』それしかないだろうな、と思って訊ねると、金色の瞳を向けた男龍は、少しだけ眉を上げた。
「ヨーマイテスはね。君が思っているよりも、ずっと重要な相手なんだよ」
「私がこの前、あいつと動いて話したこと。あれ以降は、関わりないの。次は、シャンガマックが連れて行かれたし」
「うん。分かっている。君の話をもう少し確認したい。そして、シャンガマックから聞いただろう、話も」
タムズはミレイオの横に座り直すと、ミレイオの体を覆う絵をじっと見た。いつもなら照れるところだが、ミレイオはそこまで暢気でもない。一体、彼らは何を知ろうとしているのか、それが気になる。
「あのね。最初に話したけど。私はこの絵のこと、殆ど知らないわけ。自分でも調べたし、遺跡に似たようなものを見たこともあるにしても、そこ止まりで」
「そうだろうね。でも私は知っている。君よりも。しかし、君が知らないのは分かるけど、なぜ君を創ったヨーマイテスがこれを知っているのか、そこが問題なんだ」
そう言うと、タムズは背を少し屈めて、ミレイオの顔を覗きこむ。不安そうな目つきに、ちょっとだけ首を振ると『恐れなくても良いんだ』と静かに伝えた。
「サブパメントゥの君が、ここにいるだけでも凄いことだが。その君をね、私たちは守ろうと思っている。サブパメントゥの親を持つ君を、龍族の私たちが」
「それ。私のためじゃないでしょ。私を通して、何か別のことが起こるからでしょ」
ミレイオは、こうした展開が好きじゃない。自分の存在を無視され始めている気がして、言い方は抑えたが、渦巻いた気持ちは告げる。
タムズはじっとその目を見つめて『そうとも言える』と否定しなかった。
「だが『君のためじゃない』とまでは言わない。間違いなく『君のために』でもあるからだ」
黙るミレイオ。目を逸らして、小さな溜め息をつく。『この話、ビルガメスにもされるのね』気分が良くないと呟く。タムズはそっとミレイオの肩に腕を回して『悪い意味じゃないよ』と答えた。
「幾つか。確認しないといけないんだ。確信があっても、確認が必要でね」
諦めたミレイオ。とりあえず頷いて、訊いてくれと男龍に言う。タムズは微笑んで『有難う』の言葉を封切りに、滝の裏の洞窟について、先ず詳細を聞き出し、それからシャンガマックのことを聞いた。
話を聞くだけ聞いて、細かい部分も理解した後。タムズは少し考えてから、ミレイオの背中を撫でる。
「よく分かった。気分は良くなかっただろうが、きっと理由を知れば、君も同じ事をするだろう」
「残念なのは、その理由を未だに知らないことよ」
ミレイオの返した言葉に、タムズはフフッと笑って頷いた。ミレイオは、少し嫌気が差したような顔で、また口を閉ざす。
「そんな顔をしないでくれ。ヨーマイテスはそれくらい、重要なんだ」
「本人に訊くわけにいかないものね。あなたたちが相手じゃ、消えちゃうわ」
「そう。近づくことも出来ない。よく、イーアンが平気なものだと思うよ。ビルガメスが言うように、彼女は違う龍なんだろうけれど」
「あの子。グィードの皮を着ているから。着ていない時にヨーマイテスに触ったら、崩れかけたって話していたわよ」
教えてくれたミレイオに頷いて、タムズは黙る。
グィードの皮を着たところで、自分たち男龍が側に行けば、大体のサブパメントゥは消える。グィードの皮で相乗効果を得る質のイーアンだから、出来ること。
だが、それをミレイオに教えることでもないと思い、特に何も答えなかった。
「そろそろ。ビルガメスかな」
「分かった。一緒に行くの?」
「そうしよう。ビルガメスは君に話を聞きたがっていた。私同様に。私が聞いた解釈も知りたいだろう」
明るみに出ない意図を知っていながら、協力し続けることへの抵抗。ミレイオにはあまり嬉しい時間ではない、今日の空の訪問。
立ち上がったタムズに腕を引かれて、大きな神殿のような家を出ると、タムズはミレイオを腕に抱えて翼を広げ、一直線にビルガメスの家へ飛んだ。
すぐに到着したビルガメスの家。
降り立ったタムズの腕を離してもらい、ミレイオは背中を押されて、さっきとそっくりな家に入る。すぐに子供たちが見えて、白や金色の半透明の皮膚が輝く龍の子供たちに、ミレイオはつい微笑んだ。
「来たな。ミレイオ。随分待ったんだぞ」
奥からビルガメスの声が響き、タムズと一緒に赤ちゃんたちを避けながら進み、ベッドに寝そべるその姿を見る。いつも大きいと感じるけれど、彼の家にいる姿はより大きく見えた。
豊かな長い髪をかき上げた、一本角の男龍は体をゆっくり起こすと、ニコリと笑う。ミレイオはその美しさに感動するが『ただ、感動だけ出来れば良かったのに』とも同時に思った。この笑顔の続きは、自分が望まない話だと分かっている。
「タムズ。もう訊いたんだな」
「先にね。私の質問と違うだろうから、君は君でミレイオに訊ねると良い」
タムズが同席することは気にしないらしく、ビルガメスは若手の男龍をその辺に座るように促すと、ミレイオを近くへ呼んで、ベッドに座らせた。
「面白くなさそうだな」
「そうね。機嫌が良いとは言い難いでしょうね」
「お前は正直だ。だが賢い。俺の質問の重さを知っている。理由を知らなくても」
「だから答えるって思っているのね。気持ちは塞ぐのに」
「タムズもお前に教えたはずだ。お前はお前だ。お前の魂のある意味が大きな未来に繋がるとしても、しかし、お前である存在はたった一つで、それは決して変わらん」
「頭では分かっているのよ。気持ちがついて行かないだけ」
疲れたようなミレイオに、ビルガメスはゆっくり腕を伸ばして頭を撫でた。『望まない運命を受け取っても、お前は常に望むように動ける』その生きた意思があることが自由だ、と教え『だが、俺たちを拒みもしないのは、お前の賢さ』と加えた。
「話してくれ。俺にも」
「分かった。訊いて頂戴。思い出せることは伝えるから」
微笑んだ大きな男龍は、ミレイオにタムズと同じような質問を始めた。ミレイオは出来るだけ分かりやすく、正確に答えて、彼の問いを間違えて解釈しないように努めた。
一つ。ミレイオの中に生まれた推察。だけどそれは顔にも口にも出さなかった。
質問している彼らに答えるミレイオは、答えながら次へ次へと続く質問が、自分の推察への答えに聞こえて、それをしっかり記憶していた。
午後のイヌァエル・テレンは穏やかに過ぎてゆく。
イーアンはその間、子供たちと遊び、ファドゥのお願いでジェーナイに言葉を教え、ルガルバンダの子供たちを大量に任され、イーアンを見つけたニヌルタの相手もして(※子供と一緒に飛ぼうとか、新しい遊びを強引に勧める)今日は午前・午後と頑張った。
最後にシムが来た時『また、明日で』と、どうにかお願いして勘弁してもらう。
シムは『これから、子供と一緒に遊んでもらおうと思ったのに』と粘ったが、イーアンは疲れているので、丁寧に明日をお勧めする。
誤魔化して子供を預けようとするシムに、子供を押し付けられているところで、タムズが来て『夕方だから帰ろうか』とイーアンを助けてくれた。
表へ出て少し離れた場所にミレイオを見つけ、ミレイオとイーアンはミンティンで帰ることにした。
「またおいで」
「次は普通に遊びに来たいわ」
短い挨拶を聞いて、あまり嬉しくない話だったのかなとイーアンは思ったが、二人の話だからと黙る。間もなく、やって来たミンティンに乗ると、見送るタムズにお別れして、イーアンとミレイオは夕方の空を帰った。
お読み頂き有難うございます。




