96. 負傷者
最初の1頭が倒れている場所へ戻ると、恐らく死んだと思われる状態だった。
ドルドレンに馬に乗っていてもらい、イーアンが馬を下りる。動きの止まった魔物の頭に跪いて、長い首の隙間に白いナイフを差し込んだ。最初だけ刃の入りに抵抗があったが、一度めり込むと不思議なくらい、力を入れずに切れた。
イーアンは魔物が微動だにしないので、間違いなく死んでいるとドルドレンに伝えた。
「思ったより手強かった」
ドルドレンが力なく笑った。この人がこんなに疲れるなんて、とイーアンは思った。
確かに、この魔物の体の硬さは上級だ。弾き飛ばすだけで手が痺れていたんだ、その場面を見たから、普通の人だったら手首が折れてるかも、と思った。
「ドルドレン。シャンガマックとパドリックさんに先に帰って頂きましょう。彼は胸を強打しています」
「俺たちは」 「ドルドレン、もう少しここに居ても良いですか」
ドルドレンはイーアンの言いたいことが分かった。『そうだな。4体だけだし』と笑う。イーアンも苦笑いで『早めに済ませますので』と伝えた。
イーアンが最初の魔物の体から皮を剥ぐ間に、ドルドレンは2人に先に帰るように伝えに行った。
倒した後、魔物の皮を取ろうとまでは考えていなかったが、白いナイフが意外とすんなり動いたので、この場で取ることにした。
実際はヘトヘトだったが、とりあえず今日一日だけだ、と気持ちを奮い起こして作業に取り掛かった。虹色のプレートは尋常じゃないほどに硬いが、プレートを繋ぐ黒い皮膚は、硬いにしても白いナイフの前では普通の皮と違わなかった。
切れるところを探して、黒い皮膚沿いに皮を剥がした。やはり血も脂もない。この魔物に至っては、本当にただ、生物とはかけ離れた感じで、外側の硬質の皮膚以外は何の特徴もないように思えた。
プレート付きであることと、2mほどの体の重さだけがきつかったが、剥くのは実に手際よく剥ける。何でくっ付いているのかと思うほど、栗の皮でも剥くような具合だった。
1頭めを終えたら、ドルドレンが迎えに来てくれた。皮を積むと、ウィアドがちょっと嫌そうだった。ウィアドに謝りながら、2頭めの魔物の体から皮を取る。重いが、10分くらいで終える。それも積んでもらう。
「ウィアドに後2枚・・・は、厳しいでしょうか」
可哀相かな、と思ってドルドレンに訊ねると『大丈夫だろう。俺が負傷したポドリックを乗せた時も、普通に歩いていたから』と話した。ポドリックよりは、皮4枚の方が軽いかも、と思えた。
残る2体の皮を取り終わると、皮を取り始めてから1時間近くが経っていた。
「帰るか」 「はい。お疲れのところを申し訳ありませんでした」
ドルドレンは微笑んで『本当に疲れたよ』とイーアンの頭にキスをした。
帰り道の草原は静かで助かった。イーアンは自分の前に皮を積んだので、ウィアドが歩きにくそうだった。ドルドレンと草原を見ながら、最初の日がずいぶん前のことに思える、と話した。
まだ一ヶ月も経っていない。でも自分がここに馴染んでいることを嬉しく思った。それをドルドレンに伝えると、彼は嬉しそうに笑った。
支部に着いて、時間を見ると2時になる頃だった。ゆっくり戻っても、まだ2時・・・と知ると、この疲労の仕方が強烈に感じた。
ドルドレンは鎧のまま、皮を作業部屋へ運んでくれた。そのままシャンガマックのいる医務室へ向かう。
医務室にシャンガマックの胸の壊れた鎧が置いてあり、パドリックとシャンガマックがベッドに横になっていた。医者はドルドレンに『パドリックは大丈夫ですが』と言い淀んだ。
シャンガマックの肋骨は折れたらしく、内臓は傷ついていないが、しばらくは安静ということだった。
「折れた、とはどの程度だ」
必要なら王都の医療機関に運ぶ、とドルドレンが言うと、医者は『ひびです。欠けているかもしれませんが、ばっきり折れているわけではないです』と答えた。
それを聞いて、ドルドレンもイーアンも一先ずは安心した。負傷させたことに苦しく思ったが、本人が一番辛いのだ。
ドルドレンがシャンガマックの枕元へ行き『苦しいだろうが、大きな骨折ではない』と伝えて、『しばらく休むように』と命じた。イーアンが側へ行くと、シャンガマックは悲しそうにその顔を見つめた。
「毎日、様子を見に来ます。安静にしていて下さい」
イーアンはシャンガマックに微笑んだ。何かを喋ろうとしたシャンガマックに『話してはいけません』と囁き、『あなたを苦しめた魔物を、あなたのための力に変えましょう』と伝えた。
イーアンの肩に手を置いたドルドレンに促がされ、二人は医務室から出て行った。シャンガマックの横のパドリックは、打ち身ということで眠っていた。
医務室で横になった自分の姿など、見せたくないものだなと思った。シャンガマックは天井を見つめた。
――あの人は命懸けだ。いつも、誰かを守るときに命懸けで。
イオライでウィアドに乗って、戦闘の最中に戻ってきたことは記憶に新しい。後で聞けば、総長を案じて戻ってきたと。谷でもそうだ。フォラヴに任せたとは言え、自分も滝つぼへ向かった。生き残っていた魔物には、自分が進んで骨の粉を掛けに近づいた。
今日は。今日は動けなかった俺を炎から守り続けた。イーアンの向こうに炎があった。魔物が死ぬまで、炎が止むまで、あの人は俺を離さなかった。
精霊に守られた布を掛けていたって、どれだけ熱かっただろう。汗だくで息切れして、体が震えていた。髪の毛がこげる臭いがした。それでも絶対に、俺を抱える腕を解かなかった。
シャンガマックの目に涙が浮かんだ。声を出すだけで体中を走る激痛に気が遠くなった、あの時も、どかしたくてもどかせないイーアンに、俺は泣いた。俺が守るはずなのに。彼女は炎に焼かれながら、動けない俺を――
シャンガマックの心が壊れそうだった。早く治そう、と決意する。そして早く、あの人を守る場所に立とう、と。
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