958. 旅の三十五日目 ~雷雨と魔物
旅の馬車は雨の中を進む。
午前中に天気が崩れ始めた。徐々に空が暗くなり、気温が下がって風も吹き始めて間もなく、ぽつぽつと雨が落ちてきた。そこからは一気に降り注ぐ大雨。
「まさか降ってくるとは」
ドルドレンは御者台の庇を出して、バイラに言われた場所を目指す。馬に乗るバイラも、雨に濡れたままで、馬車の前を進み『もうちょっとです』と振り返っては指差す。
でも示される方向が、雨で見えない・・・凄い雨なのだ・・・ぼやくドルドレンも、庇はあるもののずぶ濡れ。
『吹き込んでくるのが厄介だ。イーアン、今は戻らないと良いけれど』これじゃ、愛妻もずぶ濡れだよと、濡れた顔を手で拭う。
「インガル地区でもこんな雨だったのだ。あの時は夜で、やって来たコルステインに助けられた。今はお昼だから、さすがにコルステインは呼べない」
コルステインは炎の壁を作ってくれた。あんな技を使って、雨まで回避してくれるなんて、本当に貴重な仲間なのだとしみじみ思うが、時間帯に左右される。
ドルドレンは寒がりではないが、風も吹いて濡れているので冷えてはくる。バイラも同じ状態で、後ろのシャンガマックも同じであるから、とにかく、雨を避けられる場所へ急ぐばかりだった。
雨で遮られるぼんやりした視界に、ようやく建物の影が見え、バイラに誘導されるまま、旅の馬車は小道へ進んだ。
そこからはすぐで、平たい建物の手前に、突き出した屋根が見え、馬車はそこに止めるようにとバイラが指示した。
「ここは警護団施設の関連で、中継地みたいな役割です。私の初日の報告書も、ここで一旦書きますから、中へ入りましょう」
広い地域を管轄する場合、駐在所とは別に、中継地で立ち寄るための少人数施設が、点々としていると言う。バイラの案内で、旅の一行は屋根の下に止めた馬車を降り、ずぶ濡れの御者二人とバイラを前に、施設の中へ入った。
施設の中では、この時期には珍しく暖炉を焚いていた。バイラは団員に挨拶して、自分の紹介と本部からの書類を出し、任務として同行するハイザンジェルの旅人を紹介した。
「休んで下さい。着替えがあれば、ここで着替えてもらって。凄い雨ですね」
「すまないな。少々雨宿りさせてもらえると助かる。外で煮炊きする食事も、これじゃ敵わん」
挨拶する総長たちに、施設の団員は暖炉前を勧めて、まずは雨に打たれた3人を労った。他の旅人は長椅子に座ってもらい、給仕場があるから簡単な食事を作れることを教えた。
「食材はあるのよ。持込で作っても良い?お昼食べてないの」
刺青オカマに聞かれ、ハッとする団員はすぐに頷く(※態度は冷静)。ミレイオはお礼を言って、フォラヴと一緒に食材を取りに行き、戻って来て調理を早速始めた。
窓の外を見つめる親方とザッカリア。『イーアン。これ、帰って来れないよ』ザッカリアは窓に叩き付ける雨に溜め息をつく。
「そうだな。空の上は晴れているから、地上の様子は分からんだろう・・・連絡するか。小雨になったら戻れ、と」
親方も土砂降りの表に懸念がある。イーアンは体を冷やしやすい。無敵になった今でも、そうなのかどうか知らないが、彼女は変なところで鈍いから(※印象)。
総長に確認して、総長も了解したので、親方は連絡珠でイーアンに交信。しばらーくしてイーアンが出た。
『はい。イーアン。もう向かおうと思っていたところです』
『帰ってくるなよ』
『えええっ』
突然の【お前来るな】宣言に、イーアンはビビる。
何それ、と慌てるイーアンに、タンクラッドは『単刀直入に目的を告げた』と解説し『今。土砂降りなんだ』理由をきちっと添えた。
『単刀直入の順番に、問題があります』
『お前が今すぐ何か、連絡を閉ざすような状況かも知れんじゃないか』
『だからって・・・まぁ良いです。分かりました。でもですね、大雨でも降りるかも』
『やめておけ。不快度が凄いぞ。湿気もだが、その前に濡れる』
『うーん。そうは仰いますけれど』
『何かあるのか?どうした』
イーアンの返答に躊躇うものが長引くので、その理由を訊くと。一時的に通信が途絶えた。『ん?何だ。イーアン?』あれ、と思って呼び直したところ、すぐに低い声が響く。
『タンクラッドか。お前たちはそこにいればいい』
『うん?誰だ。男龍だな』
『雨か。大したことはない。だが人間には事情ありだな。そこは濡れない場所か』
そうだ、と答えるものの、相手が誰か分からないタンクラッド。会話相手はすぐに『そこにいるんだぞ』と伝え、今度は本当に通信が切れた。
「タンクラッドおじさん。イーアンは大丈夫?」
連絡珠をちょっと見てから、腰袋に戻す親方に、横でザッカリアが様子を訊ねる。親方は内容を教えてやったが、それを他の仲間も聞いていて、何のことかと皆が質問した。
「分からん。ビルガメスかも知れないが。途中で代わったものの、なぜか俺たちはここに居るようにと」
「それだけか」
ドルドレンが眉を寄せて首を振ったので、親方も肩をすくめて『他に何も言われていない』と答える。
「でも。その方が良さそうですよ。雷が」
バイラは着替えを済ませて、頭を布で拭きながら窓の外を見た。あれよあれよと暗くなった空に、風も強くなり、稲光が空を走る。遠くから雷鳴も聞こえる。
「朝は良い天気だったのに」
ミレイオは、雨の吹き込む、給仕場の小さな窓を閉めて『ちょっと熱いかも。湯気が回るから』と皆に言う。団員がすぐに来て、ミレイオのいる給仕場脇の扉を少し開け、通気を良くしてくれた。
「この辺は。もう少し先に行くと、結構広い盆地なんです。それで周囲に山が囲むもんですから、天気が荒れるのはしょっちゅうで」
「そうなんだ。タサワンもそうなのかしら。これからこんな天気、ちょくちょく出くわすなんてイヤねぇ」
団員が教えてくれた地方の天気。首都からそれほど離れていないのにと、ミレイオが不思議そうに呟くと、団員が言うには『タサワンは乾燥しているが、この辺は途中で風が変わる』のが理由らしかった。
ミレイオと話していた団員は窓の外を見つめ、暫く考えてからバイラに提案。
「午後。どうかなぁ。動けると思いますが、今日は特に酷いから。バイラ、馬車で眠れるならここに泊まっても」
「そうするかも知れません。午後の雨次第で」
年のいった団員がバイラに、場所の提供を申し出てくれたので、もしも夕方まで雨が酷い場合は今日はこのまま、施設の屋根の下に宿泊する話も出た。
「身動き取れないのか。タサワンまで、時間掛かりそうだ」
上半身裸で、濡れた服を絞るシャンガマック。着替えが少ないので、ミレイオのベストを借りる(※紫と金色)。
『意外と似合う』嬉しそうなミレイオは、自分と同じような体型のシャンガマックに、一番地味なベストを着せて『カッコイイ』と誉める。
「そうですか?俺にはちょっと・・・その。すみません。有難うございます」
「何、恥ずかしがってるのよ。カッコイイって!それにこれ、一番地味だから」
照れるシャンガマックはそれ以上言えなくて、お礼をぼそぼそ伝えながら、恥ずかしそうに暖炉の脇に隠れた。
が、ミレイオに引っ張り出されて『ズボンも濡れてるだろう』と脱がされ、ミレイオの革パンとごついブーツも履かされていた(※シャンガマック嫌がるけど、ミレイオの着せ替え人形)。
脱がされる部下を見つめるドルドレンに、親方はそっと近くへ来て『そんな目で見るな』ひっそりと注意した(※総長の顔が赤い)。ハッとしたドルドレン、首を振って『だって』と言い訳。
「シャンガマックの印象が変わるのだ。あいつは真面目な男だから。あんな格好すると、やたら危険そうで(※ちょっとカッコイイと思ってる)」
「そうだな。全身ミレイオの衣服だから(※危険度100%)」
首と腕に金の輪を着けた褐色の騎士は、真っ赤になって恥ずかしがっていた。紫と金のベストを裸に着せられて、腰骨が見えるような浅いパツパツ革パンに、ごっつい金具のついた革の靴。
「(フォ)新鮮ですね」
「(ザ)シャンガマックじゃないみたい」
「(バ)服が変わるだけで。性格が違って見えるとは」
誠実で真面目な堅物の騎士が、危険なパンキーに変わってしまった様子を、皆は新鮮だと誉めていた。ミレイオも満足そう。似合う似合う、と喜びながら、自分の舎弟でも出来たようにはしゃいでいた。
「ドルドレンも着れたら良いのに」
「俺はさすがに、体の大きさが違うから。それに着替えはある(※拒否)」
振り向いて狙いを定めたミレイオに、ドルドレンは丁寧にお断りし、すぐに『バイラも着替えはちゃんとある』と彼を守った(※バイラ安心)。
着せ替え人形に楽しみを見つけたミレイオだが、ザッカリアに『お腹すいた』と言われて、いそいそ料理を皿に付け始めた。『食べて。団員の人も』ミレイオが人数分を皿によそおうとした瞬間――
地響きと共に、窓の外に閃光が走る。
煙突から激しく吹き込んだ旋風に、暖炉の火がぶわっと揺れ、火の粉が吹き上げた。『下がれ!』ドルドレンは、火を被る寸前のシャンガマックを引っ張り、すんでのところで炎から引き離した。
「窓から離れろ!風が」
叫んだ総長の声で、皆が一斉に壁際へ飛ぶように下がる。
窓ガラスが割れそうなほど風に叩かれて震え、暖炉の火の粉はまた勢い良く吹き上がった。『凄まじい。何だ、この』風?ドルドレンがタンクラッドを見ると、親方も警戒したまま『違う気がする』と答える。
さっと団員を見ると、4人の団員も恐れを顔に出して首を振る。『嵐?』『この時期に?』互いに毎年の天気を確認し合う様子に、総長たちは異変を感じる。
親方が窓の近くへ行って、黒雲に包まれた空に流れる稲光と、音も凄まじく施設を揺らす大雨の外を見つめる。
「あれだ・・・あれが」
「何だ?魔物かっ」
ドルドレンは聞こえた親方の呟きに、急いで駆け寄って窓の向こうを見た。そしてハッと息を呑む。『あれは』真っ黒な山影の向こうに、大きな人間のような形の何かが立っていた。
「魔物」
「だな。あれが腕を上げたら」
親方がそう言ったすぐ、片腕らしい棒状のものが振り上げられ、唸りを上げた風が吹き飛ぶ。驚いたドルドレンと親方が窓の脇に大急ぎで隠れると、風雨に叩かれた窓がビシッと亀裂を入れた。
「次が来たら割れるぞ」
「ここを狙っていない。外へ出るか」
親方は、あの魔物がどこを狙っているわけでもないと、総長に伝え『気を逸らせば、人家は守れる』多分そうだ、と言ってすぐ、立ち上がった。
「タンクラッド!出るな」
「俺は大丈夫だ。お前たちは出るな。ここに」
行こうとするタンクラッドを止めるドルドレンに、振り返った親方は言いかけて止まる。窓の外に、大事な相手の影。『コルステイン』呟いた親方の視線を、皆が振り向いて驚く。
『タンクラッド。行く。ダメ。コルステイン。行く』
『どうしてお前が。まだ昼だぞ』
窓の外で翼を広げた大きな体のコルステインは、ちょっと窓を覗きこんで、室内の光に眩しそうに片目を瞑る。
『外。光。ない。コルステイン。大丈夫』
ニコッと笑ったコルステインに、親方は急いで近寄り『ダメだ。俺が行くから』と止めるが、コルステインはもっと笑顔を深め『タンクラッド。お前。ここ。いる』ともう一度言うと、翼をぐわっと動かして稲光の舞う空へ上がった。
「あれ、あれは!あの姿は、夜の守り神」
団員が腰を抜かしてバイラに言う。バイラは頷いて『そうだ。彼らの仲間なんだ』とすぐに教えた。
ミレイオもびっくり。まさかこの時間にコルステインが来るとは。『そりゃ、暗いけど』大丈夫なの?と眉を寄せる。タンクラッドをさっと見て『一応、あんたここにいて。私行って来る』と駆け出し、止める親方を無視してミレイオも外へ出た。
「ミレイオ!行くな、お前は」
「あんたよりは動けるっ あんた、龍じゃなきゃダメでしょ!」
コルステインが心配なミレイオは、さっとお皿ちゃんを出すと、土砂降りの雨の中、コルステインの後を追って飛んだ。
「コルステインが出てきたってことは。龍は出せない。任せるしかないんだ」
ドルドレンの呟きに、皆も同じことを思う。団員たちは何が何だか分からない。嘘みたいに大きな魔物が、山向こうを歩くように移動する様子と、今し方、目の前に現われた異界の存在に、頭がついていかない。
「あっ!コルステインじゃないか、あれ」
窓辺に寄った親方に、ドルドレンも窓の向こうを指差す。影しか見えない巨人のような魔物の頭の側、翼を持った誰かが向かい合う。
親方、胸をぎゅっと掴んで『コルステイン』呟く名前。あいつが負けるわけはないと分かっていても、怖くて仕方ない。どこも傷つかないでくれと必死に祈る。
向かい合ったすぐ、巨人の頭が消えた。『うおっ。消した?』ドルドレン解説。部下たちも、ざざざと窓へ寄り、皆で外を見る。
「(ザ)え。頭消えたの?まだ動いてるよ」
「(フォ)魔物の腕が、腕!あ、振り上げ・・・コルステインが!」
「(タ)コルステイン、逃げろ!!」
「落ち着け、腕消したぞ!さすが、地下の最強っ」
窓にしがみつく親方を、ドルドレンが慌てて宥める。『大丈夫だ、あれだけ強いのだから』大丈夫、大丈夫、と背中を撫でる。はーはー言って、心配する親方の顔が、可哀相なくらい辛そう。親方を慰める方が皆、必死。
「まだ倒れない。コルステイン、何を遠慮して」
「何かあるのだ。落ち着いてくれ、タンクラッド。現場に行ったミレイオが後で教え」
「ミレイオですよ、あれ。何であんな場所に」
え?再び、皆が窓に貼りついて、シャンガマックが指差した場所を『どこどこ』と探すと。
「うえっ!ヤバイのだっ。あんな近くに」
「どこ?俺、見えないよ」
「あなたは心の目で見て。視力が良くないとあの大きさは見えません」
ドルドレンとフォラヴは見える。ミレイオが魔物の後ろで何か動いている様子。ザッカリアは見えないらしく、フォラヴに言われて能力でミレイオを見る。『ミレイオ、あの魔物の石を見つけたんだ』呟いた子供に、全員が振り向いた。
「何だって?赤い石か?」
「そう。でもね、何個もある」
「何個も?一つだろう、普通は」
でも、何個も見えるよとザッカリアが怖がる。ハッとするドルドレン。『複合体だ。石を持った奴らの』津波の時に、海底に見たあの光景・・・それを言うと、皆が引く。
「コルステインは一気に消せるだろう?何故やらないんだ」
「分からないよ、でも。コルステインもミレイオも何か気にして・・・動きにくそう」
親方はザッカリア情報が心配でたまらない。一体何がと、大急ぎで理由を考える。何か手伝えたら。気持ちばかりが焦って、思考がまとまらないタンクラッド。
その時、ザッカリアの目がぱっと見開いて『帰ってくる』と叫んだ。
お読み頂き有難うございます。




