954. タムズの引き金により
俺は旦那さんなのだ。
なんだけど。奥さんのイーアンは、女龍の立場があるから、どうしても龍族の世界に巻き込まれて、留守になりがちである。分かっていることだけれど、一緒に居ようと試みても、たった一日でさえ無理があるなんて (※毎日行けと自分が言ったのは忘れている)。
「はぁ」
「総長。溜め息で喋ってるみたい」
御者台のドルドレン。溜め息が続くのは仕方ないことで、ザッカリアの哀愁漂う音楽を背景に、どんどん沈んでゆく昼下がりの道。
手綱を取りながらも、バイラの後に付いて行っているだけで、道なんて全然見えていない。『寂しいなぁ』と呟くか、『はぁ』の吐息のどちらかを繰り返す。
青空を見上げて、相手が男龍じゃあな・・・なんて、諦めも浮かぶ弱気な状態で、悲しみに浸る総長は、時々振り返るバイラの目にも、とても気の毒に映った。
「総長。私が手綱を代わりましょうか。馬はどなたかに乗ってもらって、総長は休んでも」
「え?ああ、いや・・・そんな」
「バイラ、馬車に乗るの?良いよ!ここ、ほら乗って平気だよ」
バイラに気遣われたドルドレンは、断りかけたものの、真横のザッカリアが喜んで招いたので、更に凹んだ。その様子にバイラは、しまったかな、と戸惑うが。
「バイラの馬に、総長が乗れば良いんじゃない?ウィアドより少し大きいけどさ、今は総長は悲しいから、馬と一緒が良いよ」
バイラ、引っ込みつかない。子供が喜んで、新参者を迎えようとしている状態を作ってしまい、総長も断り難い顔に変わった。
「そうか。俺よりバイラが良いか・・・そうだよな。こんな暗い男の横にいるの、嫌だよな」
「違うよ、総長。元気出して。総長も好きだよ、大丈夫」
だから、ほら馬・・・指差すザッカリアに、目を瞑ってうーんうーん唸りながら、悲しい総長は仕方なし。謝り続けるバイラに『気にしないで』と言い、青毛の馬と手綱を交換する羽目になった。
結局、バイラが馬車の手綱を取るため、先頭は馬車で進むわけで、そうなるとバイラの馬に乗ったドルドレンは、別に前じゃなくても良くなってしまったという、悲しい状況はもっと深みにはまる。
ポクポク進む馬は、何かを感知したように歩を緩めると、前の馬車から少し下がって荷台の横へ。
俯く総長が馬に乗っているのを見た、親方とミレイオは、理由は分からないにしても、一人ぼっちな総長を荷台から一生懸命励ました。
ドルドレンも、中年組に励まされながら少しずつ回復して、彼らの応援に感謝を述べ『暫くこうしていたい』と伝え、タンクラッドにもミレイオもに大きく頷いてもらった(※『ずっとでも構わない』と言ってくれた)。
後ろに続く馬車のシャンガマックは、そんな総長と職人たちの癒しの時間を見つめ、自分も友達が出来たから(←ホーミット)きっとこうして、気持ちを分かち合えるようになるなと、微笑んで見守っていた。
*****
イヌァエル・テレンはその時、一波乱。
怒ったタムズが、ビルガメスを見つけるなり掴みかかって『どういうつもりだ』と詰め寄ったのが最初。
ビルガメスは気分が悪そうに、若い男龍を見下ろして『その目で見ているままだ』と答えたため、ここからが大変だった。
子供部屋にいたファドゥは、膨れ上がる龍気に驚いて急いで下りてくると、タムズの龍気が嘗て見たことないほどに増えているので驚いた。
彼らの後ろにイーアンがいるのと、ちっこい赤ちゃんsもイーアンの後ろに隠れている状況を見て、ファドゥは慌てて、タムズとビルガメスに『ここから出て(※冷静)』と頼んだ。
「子供たちがいるんだよ。何があったのか分からないけれど、こんな状態では皆が怖がる。ここは子供部屋なんだ」
「ファドゥ・・・・・ もう。君まで、そんな。分かったよ、出る」
タムズは広げていた翼を畳むと、ビルガメスの腕を掴んで『外だ』とぶっきらぼうに言い、不機嫌な顔のビルガメスを連れて出て行った。
ファドゥはすぐにイーアンの側へ行き、女龍に隠れる赤ちゃんたちに『大丈夫だよ。私も一緒だ』微笑んで見せて落ち着かせると、イーアンに『何が起きたの』と不安そうに訊いた。
「ビルガメスが呼んだのです。私を」
「それか。ああ、ビルガメス。彼も最近、ちょっと変わったから。それにしても、タムズがあんなに」
怒ったタムズの様子に困惑するファドゥが、イーアンの肩を撫でようとした時、外がカッと白く輝いた。目をむくファドゥとイーアン。ファドゥはイーアンに、子供たちといるように言うと、すぐ外へ出た。
「おお。何をしてるんだ」
空に上がった2頭の龍。銀に閃く翼を広げた赤銅色の龍と、白く虹色に煌く大きな龍が向かい合っているのを見て、ファドゥは顎が外れそうなくらい驚く。
「やめろ、何してるんだ!タムズ!ビルガメス、やめるんだ」
「ファドゥ、何が・・・あっ。えっ!何ですか、あれは」
ファドゥの声に嫌な予感がしたイーアンも外へ出て、魂消る。ファドゥは急いで中へ入って、とイーアンを押し戻そうとしたが、イーアンは首を振って『何ですか。子供たちがいるのに』と呟いて戸口から動かない。
「ダメだ。イーアン、中へ」
言い掛けたファドゥの後ろ。イーアンの目の前で。
タムズが鎌首を動かすように振ったかと思ったら、がばっと開けた口から奇妙な音が響き、真向かうビルガメスは、ぐっと飛んでそれを避けた。タムズの口から出た音波は何をしたのか、避けた空間の気体は突然煌いて下に落ちる。
「タムズ!」
龍同士が攻撃するなんてと驚くファドゥが叫ぶ。イーアンは2頭の龍を見上げたまま、理由が何にせよ・・・と、苛立ちが募り始めた。赤ちゃんがいる場所で。ケンカなんて。
「ファドゥ、赤ちゃんを見ていて下さい」
「え?」
振り向いたイーアンの顔が怒っているのを見て、ファドゥはもっとビックリ。『イーアン?』空を睨む、小さな女龍からぐんぐん龍気が上がる。ここでファドゥは気がつく。彼女は戦闘心旺盛だったことを。
イーアンは翼を出して、一気に飛んだ。次の攻撃を仕掛けたビルガメスの口の前に――
「何があったかと思えば」
ルガルバンダがファドゥに顔を向けて、呆れたように小さく笑う。ファドゥはジェーナイを腕に抱えて、大きく溜め息をつき『怖かったよ』と呟いた。
「俺も見れば良かったな。何か変だなと感じたが、家で子供と一緒だったから」
子供部屋の床に座って、ニヤニヤしながら窓の外を見るニヌルタ。そう、二人に言うと、ファドゥは首を振って『ニヌルタが見たら、もっと面倒だったかも』と嫌そうに答えた(※ノリで暴れかねない)。
「イーアンには。ちょっと、とばっちりだが。でも今日、もう少し居てもらうことになるぞ」
「そうだな。話し合いが必要だ。いくら何でも・・・こんなことが起こっては、隠し通すのも無理がある」
シムは、龍王の話をある程度、イーアンにも説明しないといけないと友達に伝え、ルガルバンダもそれには同意した。ニヌルタは、窓の外を見つめて『あの二人は、聞かせるの嫌だろうな』と呟く。
子供部屋の外。人の姿に戻ったビルガメスとタムズの座る前に、イーアンが怒っている風景。
イーアンは本当に怒っているらしくて、ビルガメスが時々何かを言おうと顔を上げると、すぐに俯くのを繰り返していた。顔を斜めに逸らし続けるタムズも、その態度を指摘されるのか、ちょくちょくイーアンを見ては、首を振っていた(※叱られてる)。
「粘っていると思う。彼らは、理由を訊かれているんだ。だけど、はぐらかすのも限界があるよ。イーアンだって詮索しなかったけれど、変だとは気がついていたと思う」
ファドゥはジェーナイを抱っこしたまま、窓の外を見つめ、『イーアンは赤ちゃんが大事だ』皆に改めて伝えた。男龍が思うのとはまた異なる大事さが、女龍にあるんだよと。
「自分が見守りながら、孵した卵たち。生まれてきた子供、皆に祝福を与えて・・・急に卵を大量に孵す理由も分からないまま、毎日イヌァエル・テレンに来ては、彼らのために愛情を注いで。
イーアンは言わないだけで。きっと自分が利用されていると知っている」
「ファドゥ」
ルガルバンダが、最後の言葉に首を振る。『何て言い方をするんだ』言葉を変えろと注意すると、ファドゥは父親を見つめて『私たちが彼女に話していない以上、それを自覚しないと』と静かに返した。
銀色のファドゥの目が悲しそうで、ルガルバンダも溜め息をついて『利用、じゃない』眉を寄せ、それだけは否定した。
「でも。少なからず、対等な扱いじゃないな。俺もそれは気にしていた」
「シム。言えなかっただろ?」
「言えなくたって、気にはなるぞ。女龍にしか出来ないことがあるが、彼女にそれを告げないで自分たちの都合を続けるのは、彼女を対等に扱っていないだろ」
「シムの言葉は尤もだ。あまり気にしたことはなかったが。俺はイーアンと距離があるからな」
シムとルガルバンダの会話に、ニヌルタは意見を挟む。自分はイーアンとこれからだろうと思っていたから、付き合いに急ぎはしなかったけれど、と。『付き合うなら、隠し事はしたくないな』面倒だ、と笑う。
4人の男龍(※ちっちゃいのはまだ数に入れない)が話し合っていると、イーアンたちが動いて、中に入ってきた。皆で、戻った3人を見ていると、彼らは側に腰を下ろした。
「派手に怒られたみたいだな」
ニヌルタがにやけてビルガメスに言うと、大きな男龍にうんざりしたような顔を向けられた。ファドゥはタムズを見つめ『タムズ』小さな声で名を呼んだ。彼はファドゥをちらっと見て、すぐに目を伏せる。
イーアンは彼らの輪の並びに座り、胡坐をかいて、その辺に居た赤ちゃんを一頭抱っこ。
小さい女龍なのに、何だか一番権力がありそうな状態に、シムが笑う。イーアンがシムをさっと見たので、シムは笑いながら首を振った。
「いや。イーアンは女龍なんだな、と思ってさ。なかなか大した迫力だ」
「迫力なんて。あのですね。このお二方に訊いても分かりませんでしたから、ここで先に、私の言葉をお伝えします。訊いて下さいますか」
いきなり本題に入ってきた感覚に、男龍全員の気持ちが変わる。
イーアンも、もう、思い続ける気持ちを遠慮するのはやめた。だからこの際、言葉を選ぶにしても、自分の付き合い方もある以上、話しておこうと決めた。
「教えて下さい・・・とは言わないです。言えない事情はあるでしょう。
訊くだけ訊いても、ビルガメスとタムズは閉ざす部分が見えました。それは私が女龍であっても、空に住んでいないから、仕方ないのかも知れないです。
ですが、私にも私の思いや気持ちがあります。それは話しても良いはずです」
イーアンは、抱っこした赤ちゃんに微笑むと、赤ちゃんが笑顔を返したので、おでこにちゅーっとしてから、男龍を見た。その様子に男龍の皆が、心に何か、小さな罪悪感を感じる。
「この子たち。最初に言っておきます。私は赤ちゃんたちが大切です。私が出来ることは子供たちのために力の限り尽くす気です。
ですけれど。あなた方、男龍。入れ替わり立ち代り、私との時間を求める日々。私は良くされていると理解していますが、如何せん不自然です。男龍と人間の感覚が、全く違うのを考慮してもです。
卵を孵す。これだけでもなぜ、個人の限定があったのかと、未だに疑問がありますけれど、そこに更にこの日々です。以前よりも顕著でしょう。いくら私が鈍くたって、そこまでバカじゃありません」
「バカなんて。思っていないよ。イーアンには」
タムズが急いで訂正するが、イーアンに目を見つめられて黙る。その目が、何も話そうとしない自分たちを咎めているように感じた。表情を変えないまま、イーアンは続ける。
「さすがにですよ。私だって、変だと思います。今日はもう充分、これを口にして良いと思いました。
私を取り合う理由が何も分からないのに、言葉だけで済まされているわけですから。いい加減、私が自分の気持ちを伝えて良いでしょう」
「言葉だけじゃない、とさっき言ったぞ。俺はお前を」
「ビルガメス。信用しているかどうか、ではありません。言葉の裏側にある、違う意味合いを話しています」
取り繕うビルガメスに、他の男龍は意外な気もするが。彼は本当にもしかしてとも思えるのは、付き合いが長いからで、しかしイーアンにその変化は理解してもらえそうにないとも気付く。
恋する男・ルガルバンダだけは、この状況を正確に読み取った(※貴重な得意分野)。
――イーアンは。『愛している』『大切』と何度もビルガメスやタムズに言われていたんだな。だが女は、それで信じ続けてくれるほど、簡単じゃない(※経験から)。
最初こそ、その言葉を笑顔で受け取ってくれるが、すぐに敏感に真意を探り始めるのが女だ(※これも経験)。少しでも言葉と違うと反応した時から、男の愛の言葉なんて、耳に入らなくなるんだ――
そこに気付けないまま、自分たちの『利用』を中心に立ち振る舞った、二人の男龍。それでとうとうこれか、とルガルバンダは頷く(※当)。イーアンにはとっくにバレていたんだ(※大当)。
「信じてもらっています。それは私も重々承知しているのです。でもそれとは別に、何かあなた方の中でのみ、存在している目的が在りますでしょう。それに私が関わっている気がしますが、知らないだけに、もう限界です。
赤ちゃんがいる部屋で争い、外へ出るようにファドゥに言われたら、今度は赤ちゃん部屋の建物の側で、力を出し合うなんて。何のための赤ちゃんたちですか。誰のための?皆の赤ちゃんです。
目的が見えませんし、仮に見えても、私や赤ちゃんたちが、個人的な何かのために動くようであれば、私は今後」
「待ってくれ。イーアン。違う」
「タムズは先ほどもそう仰いました。何が違うのかと訊ねれば、話が逸れます」
困るタムズは目を閉じる。龍王のことは言えない。言えば、確実にイーアンは離れる気がした。それはビルガメスも同じだった。どうにか龍王の話はせずに、イーアンと二人きりで話し合い、説得したいところ。
「続きを話してくれ、イーアン。今後、お前はどう動く」
ニヌルタがイーアンの横に座り直し、女龍の顔を覗きこんだ。見上げる鳶色の瞳に、ちょっとだけ微笑むと、彼女も仕方なさそうに微笑み返す。
「私はどなたの家にも伺いません。子供たちのためだけに、ここに来ます。
私も子供たちも、イヌァエル・テレンの光りある未来に繋がりたい。でもそれは、何かを含む誰かの思いのためではありません。自発的な志です。私はそれを態度で示します」
そう言うと、イーアンはファドゥを見た。目が合ったファドゥは微笑む。イーアンもいつものように微笑む。
「ファドゥだけは。私に、龍の子の時から同じ態度で接してくれましたね。嬉しいですよ」
「そんな・・・いや。有難う」
ビルガメス、さっと顔色が変わる。タムズも俯かせていた表情に緊迫が走った。シムとニヌルタが目を見合わせ、その視線がルガルバンダに動くと、彼もちょっと雲行きに不安を持ったようだった。
銀色のファドゥは、照れたように微笑んで下を向き、疲れて眠る息子を抱え直す。イーアンは二人をじっと見ていて『また一緒に遊びましょうね』と眠るジェーナイに呟いた。
「俺もだと思うぞ。俺はお前に、何も強いらなかっただろ?」
ニヌルタはイーアンの顎に指をちょっとかけて、自分を見せながら確認する。ハハハと笑ったイーアンに、ニヌルタも笑い『そうではないか?』ともう一度確認する。イーアンは頷いて『本当ですね。ニヌルタも』それは認めて笑った。
思いがけず。控え目で大人しいファドゥと、関心もなさそうにしていたニヌルタに、風向きが変わったのを感じた、他4人。
女龍の笑顔が自分たちを通り越して、二人の男龍に向けられる様子に焦る。
「ニヌルタ。さっきの話、どうする」
シムがここで差し込む、奥の手。諸刃の剣と成り代わる可能性大の、龍王の話。彼らに風が吹いた現時点で、躊躇うかどうか。ニヌルタは、ちょっと目を見開くと『別に。言えば良いだろ』と答える。
「俺は都合に問題ないね。面倒な方が嫌だ」
ニヌルタらしい、軽い答え。シムはそのまま、視線をファドゥに向ける。ファドゥは微笑を引っ込めて、小さな溜め息をつく。
「私もニヌルタと同じ意見だ。聞かせて傷つけるかもと思うと、それは苦しいけれど。イーアンは、知ってから動きたいと思う。知らないで動くよりも」
シムと、ニヌルタ。シムとファドゥの短いやり取りに、イーアンはじっと耳を澄ます。そして、自分に注がれ続ける熱ある視線の方に顔を向けた。
「ビルガメス。あなたは」
イーアンがシムの代わりに質問した。内容は知らなくても、同じ問いであることは誰もが理解している。大きな男龍は、女龍の視線を受け止めて頷いた。
「俺から話す」
見詰め合うと言うよりも、心の内を探るように睨みあうような、空の最強の二人。イーアンはゆっくりと首を縦に動かし『二人で、と思っていらっしゃる』と呟く。
ビルガメスは横に首を振りながら『そのとおりだ』少し笑って返した。
お読み頂き有難うございます。




