945. 眠れる褐色の騎士
この日。ドルドレンたちがパヴェルの家に戻り、親方とミレイオも戻ってきて、バイラも戻り、そして誰もが気が付いたこと。
「シャンガマックは」
帰ってきた順番は、最初がドルドレンたちの馬車。暗くなる前、続いて、親方とミレイオの馬車。すぐにバイラも馬で戻った。そして、ここまで揃った時点で、何となく落ち着かないオーリンは『俺、空で休んでくる』と、今夜は一人、空へ上がった。
この後『夕食前にお風呂』がパヴェル邸の流れなので、皆が風呂を済ませた後。まだシャンガマックが戻っていないと知る。
ドルドレンは連絡珠を出して『あれは夢中になるから』と、皆が見ている前で呼び出してみる。
「出ない」
何度か試しても、シャンガマックの珠は応答しない。『使い方、知らないんじゃないの?使ったことないんでしょ?』気付いたミレイオは、ドルドレンに確認。そうかも・・・と、頷く黒髪の騎士に『あれだったら。私、迎えに出ようか』と提案。
「私が行きましょうか」
イーアンが引き受けようとすると、ミレイオは首を振る。
「暗いと見えないでしょ。私は見えるもの。首都であんた、発光したら目立ち過ぎちゃう」
外はもう暗い。窓の外の紺色は、どんどん黒さを溶け込ませていくように見えた。親方は考えて『コルステインに訊いてみるか?』と言う。
「もう、コルステインが来るだろう。シャンガマックに触れることは出来ないだろうが、コルステインなら、気配で見つけるし、どこでも・・・影があれば入れる」
「コルステインが見つけても。万が一、何か起こっていたら、助けるの苦戦するわ。シャンガマックは精霊のお守り付きなんだもの」
「待て待て。何かあったわけじゃない。まだ・・・決めてはいけない。単に、夢中になっているだけかも知れないのだ。彼は没頭するから」
ドルドレンは、親方とミレイオの話に割って入り、不安な要素を増さないようにと注意する。とはいえ、皆は心配そうな様子。何となく、いつもと違うような気がしている全員。
「あ。ちょっと待って」
ミレイオがハッとして、部屋の並びに顔を向ける。タンクラッドもすっと目を見開き『来た』とミレイオに言う。二人が頷いたので、騎士たちは何かと訊ねると『コルステインが呼んでる』と答えが返る。
「コルステインよ。ちょっと、あれ、パヴェル。パヴェルに『私たち後から夕食』って言っておいて」
「ミレイオ、窓から出るぞ」
急ぐ親方はミレイオの腕を掴んで、自分の部屋に走り出す。詳細を訊こうにも、ドルドレンたちは『大急ぎ』らしいことだけは理解したので、口を開けたまま二人の背中を見送った。
「コルステインが呼ぶ、とは。シャンガマックに何かあったのだろうか。それとも関係ないことなのか」
呟くドルドレンに、ザッカリアが側に立ち、見上げる。自分の横に立った子供を見下ろすと、レモン色の大きな瞳は、何かを見たような不安さを湛えていた。
ドルドレンがその変化に眉を寄せる。イーアンも皆も顔を見合わせ、良からぬ想像を過ぎらせる。
「何だ?言ってくれ。シャンガマックか」
「シャンガマック。倒れてるんだ。だけどコルステインが近くにいる。見つけたんだよ、コルステイン」
「何だと?!倒れてる?どこだ、どこに?俺たちも行かないと」
「総長。もうコルステインが一緒だよ、大丈夫だと思うよ。後はタンクラッドおじさんとミレイオが、連れて来てくれるよ」
「ザッカリア、どうしたんだ。何が見えた。教えてくれ、シャンガマックに何が」
必死になる総長はザッカリアの両肩を掴んで、シャンガマックの無事を確認しようとする。ザッカリアが困って『俺はそこまで見てない』と答えるも、何か見えただろう?と詰めるので、フォラヴが間に入った。
「総長、落ち着いて下さい。コルステインが既に発見し、あの二人が向かったのです。帰ってきます。大丈夫です」
「何言ってるんだ、フォラヴ!シャンガマックが倒れるなんて。あんなに強い男が倒れ」
「ドルドレン!大丈夫ですよ、すぐに戻ります」
止めたフォラヴにもドルドレンが声を上げたので、イーアンが伴侶を宥める。『コルステインの気配は感じる』そんなに離れた場所ではないだろうと、イーアンがドルドレンに教えると、ドルドレンは唾を飲み込んだ。
「シャンガマックが」
「とりあえず、魔物については気配ナシです。魔物のせいではないでしょう。コルステインは飛べるし、ミレイオにお皿ちゃんがあるので、タンクラッドもシャンガマックも、すぐに戻ります。
私たちはパヴェルに『夕食には全員が少し遅れる』と言わないと」
心配で潰れそうな顔をした総長を皆で宥め、バイラとザッカリアにドルドレンを任せると、イーアンとフォラヴは夕食の時間を伝えに階下へ行った。
シャンガマック、シャンガマックと、何度も顔を擦りながら、その名を呼び続ける不安なドルドレンに、ザッカリアは背中を撫でてあげて『怪我はしてないよ』と分かることだけは伝え、安心させようと一生懸命。
バイラも総長の側に立って『もうじきですよ。戻ったら、すぐに休ませる場所を用意しないと』次の行動を促す。こんなに部下を思う人なんだなと、深刻な場面なのに、バイラは彼の優しさに改めて感心した。
「ミレイオ。コルステインじゃないか?青い霧だ」
タンクラッドはミレイオに支えられて、コルステインの呼ぶ場所を見つけた。『あれね。どこにシャンガマックいるんだろ』青い霧は見つけたが、霧の内側なのか、人の姿は見えない。
「お前の目で見えないのか」
「遠い。温度はあるから、近くにいるんだろうけど・・・コルステインの影が覆ってるから」
見えにくい、とミレイオは目を細める。とにかくコルステインを見つけた二人は、急いで青い霧に向かった。
青い霧の近くに来ると、霧はすーっと上昇して、ミレイオたちの高さで人の姿に変わる。大きなコルステインが現われて『シャンガマック。いる。でも。見る。ない』と指差した。
自分は触れない、とコルステインが困っているので、親方はコルステインにお礼を言って『お前が助けてくれた』と微笑んだ。コルステインもちょっと嬉しそうに頷く。
「あれ、そうか。何よ、どうしたっての?」
『見る。ない。シャンガマック。目。見る。ない。何?』
彼が倒れていて目が開いていないことを、コルステインは心配する。どうしたのかと思っても触れず、考えた結果、二人を呼んだらしかった。
タンクラッドとミレイオは急いで降りて、仰向けに倒れたままの褐色の騎士を抱き起こす。『シャンガマック』親方が名前を呼んでも、ピクリとも動かない。
「怪我は?どこか打ったとか、血が出てるとかは?」
「ないな。気絶だろうか」
何度か名前を呼び、頬を触って『冷たいが。息はしている』と教えて、親方はミレイオにシャンガマックを預ける。『お前は彼を運べ。俺はコルステインと戻る』そう言って、タンクラッドは腕を伸ばしたコルステインに抱えてもらう。
「息、してるけど。何よ、どうしたのよ。何でこんな弱い息なの?」
やだぁ、と泣きそうになるミレイオは、褐色の騎士を両腕にしっかり抱え直し、お皿ちゃんを浮上させると、大急ぎでパヴェルの家へ飛んだ。コルステインも翼を広げて飛び立つ。
意識のない騎士を連れた3人は、夜闇の迫る暗い森の外れを後にした。
シャンガマックを抱きかかえて戻ったミレイオに、びっくりして駆け寄ったドルドレンは、シャンガマックを受け取ると、叫ぶようにシャンガマックの名前を呼んだ。
「シャンガマック!シャンガマック!俺だ、ドルドレンだ。目を開けろ!どうしたんだ、シャンガマック」
両腕にがっしり抱いた褐色の騎士に、狼狽するドルドレンは、必死に彼を揺すって名前を呼び続ける。親方がすぐに『寝かせないと』と総長の背中を押す。
「冷えてる。どれくらい土の上にいたのか分からんが。外傷はないにしても、この様子・・・お前の時と似てるぞ」
ハッとするドルドレン。イーアンを見て『男龍』と呟いたが、イーアンは間髪入れずに首を振る。
「そんなことしません。彼らは目的も告げずに、こんなことは絶対にしません。もし同じような状態を齎したなら、それは別の誰かです」
「そうか。すまない。ごめん、そんなつもりじゃ」
「気にしないで。シャンガマックがこの状態では、あなたが取り乱しても仕方ない。とにかく寝かせますよ。彼の部屋は鍵が掛かっていますから、私たちの部屋へ」
イーアンがドルドレンを落ち着かせて、シャンガマックを運ぼうと促すと、向こうからパヴェルとリヒャルドが迎えに来て、腕に抱えられた騎士に目を見開いて驚く。
「どうしたんですか!彼に何があったんですか」
倒れていたのを今連れて戻ったと、親方が伝えると、リヒャルドさんはすぐに『こちらへ』と案内した。パヴェルも驚いていて、総長の腕に抱えられた騎士を心配そうに見ている。
「医者を呼びます。すぐに来ますから、容態だけでも」
「すまない。だが人の業ではないかも知れないのだ」
心配する総長の言葉に、『だとしても診てもらいましょう』とパヴェルは答え、リヒャルドに医者の手配を頼むと、1階の応接室奥にある、寝台のある部屋へ招いた。
「ここは、医者に診てもらう時のために誂えた部屋です。ここに寝かせて」
服が汚れているからと躊躇った総長に、パヴェルは『そんなこと気にしないですよ』と注意し、騎士を寝かせる。
「すぐに来ると思います。この地区にいる医者ですから」
パヴェルの世話で、往診用の部屋に一先ずシャンガマックを預けた皆は、医者が来るまでの間、その場から動かなかった。
ドルドレンは部下の枕元に座って、ずっと名前を呼んでいた。イーアンは気力回復出来るだろうかと、少し龍気を注いでみたが、どういうわけか意味がないようで、理由が全然分からなかった。
医者が来る少し前まで一緒にいた親方は、何となく気になっていることがあり、ミレイオに『少しコルステインと話す』と伝えると、暫しの間、席を外した。
この後。医者が来て、シャンガマックを診てくれたが、ドルドレンたちが最初に懸念したように、昏睡状態で判断が難しい、と言われた。
外傷もないし、脈も呼吸も問題ないし、痙攣もしていないし、舌も噛んでいないし、口臭に酒の臭いもない。で、痛みの刺激にも反応しないと言う。
『この状態でどれくらい経ったか』と尋ねられ、総長は『正確には分からないが、数十分は経過している』と答えると、医者は『脳の病気かも』と可能性を伝えた。
イーアンは、ここまでが、この世界のお医者さんの限界かもと思いながら、聞いていた。
意識を失った人の状態を、大まかに判断することは出来ても、対処が限られてしまうのだ。
それに、イーアンが思うに。この状況のシャンガマックは明らかに『別の何か』の『何か』でこうなっている。でもイーアンには、その理由は感じるものの、上手く言葉には出来ないままだった。
お医者さんは、シャンガマックの体温に気をつけることと、目覚めたらまた呼んでもらうように言いつけて戻った。
親方は同じ頃、部屋でコルステインに幾つか質問していた。答えを貰っては確認し、うーむと悩む。
『つまり。お前が中に入ろうとしても、シャンガマックは』
『入る。ない。精霊。いる。コルステイン。ダメ』
『精霊が守っているのに、彼は倒れていたわけだな?精霊の力が強いのか』
『そう。でも。シャンガマック。精霊。変。する。ない。守る。する』
えーっと。親方はコルステイン翻訳を丁寧に考える。コルステインもベッドに座って、タンクラッドの返答を待つ。
ここまでの話だと―― 今日も夕暮れ時にやって来たコルステインは、離れた所から感じた、精霊の強い気配に違和感を感じて、見に行った。そこでシャンガマックを見つけて、彼女は少なからず驚いた。
それはシャンガマックは精霊に守られているのに、何かで閉ざされているのか、身動き一つしない状態だったからだ。コルステインが言うには、精霊が守る相手に誰かが手を出すのは至難の技らしく、即ちそれは『安全』という状態のはず。
精霊の力がぷんぷんしているシャンガマックだが、倒れている理由が分からないので、コルステインは頭の中に入れるかどうか、一応試みた。結果は、ダメだった。
触ることさえ出来ないシャンガマックに、コルステインは悩み、それでタンクラッドたちを呼んだのだが――
『シャンガマックに、精霊が変なことをするわけはないんだな?』
『ない。守る。する』
精霊が何かをしたわけでもないという話に、親方もうーんうーん悩む。
結局、考えても分からないので、教えてもらったことだけでも皆に伝えることにして、コルステインに『夕食を食べたら戻る』と言うと、親方は1階にまた下りた。
この夜。シャンガマックは往診の部屋に寝かされたままで、ドルドレンは彼の側を離れなかった。
イーアンもドルドレンの足元に丸くなって眠り(※龍に変わった以降、丸くなって眠るようになった)他の皆は部屋へ戻った。
*****
シャンガマックは、心のずっと向こうにいた。心、と言うのか。記憶と言うのか。
誰の記憶の中なのか。それに気が付くまで、暫く掛かっていたが、同じように横を並んで進むホーミットと話しながら、誰かの記憶が鏤められた通路を歩いていた。
「お前は若いのに。バニザットと同じくらい勇敢だな」
「ハハハ。変な感じがする。俺の名前と先祖の名前が同じだから、呼ばれるとどっちだか」
「そうだな。どっちでも良い。お前も昔の男も、俺は気に入った」
シャンガマックは、横を歩く大きな男を見上げて微笑む。男も親しみを籠めた眼差しを向けると、少しだけ、その淡い茶色の髪に触った。
「このくらいなら。まだ。触れるな。これ以上は触れそうにないが」
「そう言えば、男龍も同じことを話していた。俺には精霊の加護があるから、触れるのが難しそうだ」
「そうだ。お前はその違いについては、まだ知識がないんだな。教えてやろう。お前の仲間の妖精がいるだろう?あいつは人間も混ざっているから、触れないことはない。長くはイヤだ。
龍相手は、完全にイヤだな(※某女龍)。すぐに影響が出る。実に厄介だ。
お前は人間だから、本当なら俺はお前に何の抵抗もないんだ。だが、その強力な加護のせいで、俺がお前に長く触れたら、俺は崩れるかも知れない」
そんなに・・・シャンガマックは自分の腕の金色の金属を見つめる。それから首に巻いた金属に手を触れて『ホーミットが崩れるほどの』そう呟いて、戸惑う表情を向けた。
ホーミットはちょっと笑って『そんな顔をするなよ。大したことじゃない』と言う。
「完全に崩れなければ、時間をかけて戻せる。
バニザット・・・過去の男は、自分の力が強大と知っていたから、操ることで、そうした加護を身に着けることはしなかった。だから俺は、あのバニザットを助け出したり、付き合いが普通に出来た」
シャンガマックは、彼の話を聞きながら、大きな通路をただただ歩く。通路の壁は、絵の入った煉瓦が組まれたような様子で、その絵はよく見ると、ゆっくりと動いていて不思議な場所だった。
――鳥かごに詰め込まれて運ばれた朝。
暗い空間を滑り抜けた先は、鬱蒼とした森の中だった。ホーミットは森の中を歩き、傾斜した土くれのある場所に着くと、土が崩れ落ちた場所に見える、遺跡の一部を紹介した。
ホーミットに見せられてすぐ、シャンガマックはそれが始祖の龍より以前のものと判断し、鳥かごの格子に貼り付いて、よく見ようとした。
その様子に笑ったホーミットは、鳥かごの扉を開けて少々乱暴に揺すると、慌てるシャンガマックを中から出した(※振り落とすとも言う)。
驚いたことに、鳥かごを出てすぐに体の大きさは戻り、シャンガマックは何が何だか分からないまま、遺跡に駆け寄る。そして読みながら、大男を振り向き、遺跡の文字の続きを口にした――
「まさか。こんな体験をするとは」
朝のことを思い出しながら、まだ信じられないシャンガマックは、絵の動く通路を見ながら呟く。
「お前の調べた遺跡の中に、あの壁の続きがあった。それだけのことだが、それは偶然でもない。壁はお前の声に開き、お前は壁の中の鍵を手に入れた。
その鍵が待つ場所は、今度は俺の調べた別の遺跡だったわけで。俺とお前を繋ぐ・・・まずまずの偶然だった、ってことだ」
満足そうな男を見上げるシャンガマックは、彼をずっと前に知っていたような気がしてならない。先祖の名前が重なったことで、今、そう思うのか。
警戒するだけの相手だったホーミットが、突如、自分の一番近しい相手になったような。
二人は時間の感覚も忘れ、長い長い通路をのんびりと歩いた。放り込まれた不思議な通路は、ホーミットの開けたかった遺跡の一つ。
中へ入り込んだ時、ホーミットはその存在そのままだったが、シャンガマックは自分の魂だけが入ってしまったなんて、四方や気付きもしなかった。




