94. 街道沿いの魔物退治へ
翌朝は少し余裕があった。
準備を整え、騎士は鎧と武器を身につけた。イーアンは青い布を羽織り、白いナイフと毒の容器、イオライのガス石・黒い液の容器を、一応全部持って出かけた。
現場まで1時間くらいの近さから、8時頃に出発。
街道沿いであるにしても、報告された地点は、通常は人もそれほど通らず、また夜間はまずその道を選ぶ者がいない。なぜなら、もう一本の街道が少し先に平行して通っており、見晴らしはそちらの方が断然良いからだった。
「旧街道なんですよ」
パドリックがイーアンに説明した。『昔はこの辺りは、農家が多かったから。旧街道の近くに家を持ったほうが、楽に馬車も使えるし、都合が良かったんですね』と、私が子供の頃ですけれどね、と笑った。
専ら旧街道を使っていた時代もあったが、農村が寂れてきて、休耕地も増えたからということで、新街道を作ったらしい。未だに旧街道沿いに家がある者は、農家は辞めていても居住はしているため、道は使われているとか。
イーアンは周囲を包む草原を見渡した。進むウィアドの膝くらいまで伸びた金色の草が、黄金色の波のようにうねる。
「綺麗だな」
ドルドレンが頭上で呟いた。イーアンはその言葉が、あの時 ――最初の日にここを通った時―― の言葉であることに気がついた。
「綺麗ですね」
そう答えて、上を見上げると。灰色の瞳を細めて、同じことを考えているドルドレンの笑顔。
横でパドリックが『昔は全部、畑だったんですけどねー』と会話に参加する。イーアンがちょっと可笑しくて笑うと、ドルドレンも声を出さずに笑っていた。パドリックは『もう草しかないから、畑の復活は無理でしょうね』と普通に話している。
黙っていたシャンガマックが、ふと何かに気がついた。ドルドレンもすぐ、何かの気配を感じる。
「総長」 「そうだな」
パドリックがまだ何か一人で喋っている間に、シャンガマックの剣が抜かれて、青空に銀色の光が閃く。ちらっとドルドレンとイーアンを見たシャンガマックが頷いた。ドルドレンも頷く。
シャンガマックの斑馬が進行方向ではなく、右に向かって走り出したと同時に、馬の向かう方向の草が激しく動いた。
シャンガマックの馬が跳躍する。飛び越えた場所から、真上の馬に向かって何かが飛上がった。
膨れたトカゲのような姿。シャンガマックは馬の背から跳んで、剣を振り下ろす。トカゲの顔が剣で斜めに落ちた。トカゲの開いた口と顔が切られて飛ぶと、残った体も力が抜けてそのまま草の中に落ちる。
先まで駆けた馬は、体を返して戻ってきた。走りながら何かに気がついて、再び体を捻らせて跳び上がる。反応したトカゲが馬の横腹から跳んだのが見え、シャンガマックが走ってトカゲを薙ぎ払った。
そのまま馬に飛び乗って、シャンガマックは戻ってきた。
「まだいるか」 「いえ。この近くには今の2頭だけです」
離れた所にいるのかもな、とドルドレンは呟いた。草が覆い茂る中、どうして2頭だと分かるのかな、とイーアンが不思議に思っていると、シャンガマックがその表情に気がついた。
「勘だ」
勘なの?と目を丸くしてしまうが、ドルドレンが特に何も言わないので、本当に勘なのだと理解する。長く戦うとそういう能力も伸びるのか。それだけ厳しい世界なのだ、と思うイーアン。
左前にいたパドリックが『さすが』と他人事のように感心している。この人は勘は働くのだろうか、と不安に感じてしまった。
――パドリックは50前後だと思う。小柄で、イーアンと同じくらいの身長。少し中年らしい肉付き。太ってはいないが、筋肉質ではない。巻き毛の茶色い髪と、すこしポチャッとした顔が、気の良いおじさんといった雰囲気だ。見かけは普通の人だけれど、一応、弓部隊の隊長なので、そこはきっと腕が良いのだろう・・・と思う。
「シャンガマックは騎士修道会に入ってから、メキメキ上達しまして。あの若さで、馬術も剣の腕も一級だから総長の部隊にいるんですよ」
笑顔でイーアンに豆知識を教えてくれる、パドリック。ははは、と笑い『単に長くいるから、部隊長になった私とは違って、いや、頼もしいねぇ』と朗らかな笑顔を向ける。
――それは言わない方が。そうだったのね。そうかな~とはちょっと思ったけれど。イーアンの中で、この方に毒薬を渡して良いのか、やや悩むところだった。
それからは、何事もなく現場 ――森の街道―― に着いた。
見たところは普通の道。馬車が2台すれ違える位の幅。土の道なので、乾いた地面には轍が残る。森沿い、と言うけれど、道脇から10mくらい離れて森が始まる。
「ここら辺だ」 「そうみたいですねー」
「パドリック。矢の準備をしておけ」 「そうしますか」
パドリックの応じ方はのんびりしていて、何だか戦闘という感じがない。この方は和みなのね、とイーアンは一人納得する。
パドリックが、馬を降りてウィアドの横に来たので、イーアンも馬を下りる。自分の革袋から容器を取り出して、パドリックの差し出した鏃を浸すように伝えた。
「これは。普通にこう、液体に浸せば良いのですか?」
「はい。そうです。すぐ使うのでないなら、垂れない程度に浸して頂いて」
「もしですけど、自分の手や顔などに触れたら、どうなります?怪我します?」
「分からないです。誰かでそれを見たことがありませんので・・・お気をつけ下さい。」
「パドリック。試しに付けてみてはどうだ」
ドルドレンの一言に、パドリックもイーアンもぎょっとして黒髪の騎士を見上げる。2人の視線に、ドルドレンは頭に疑問符を浮かべているような顔で見ている。
「私が付けて、様子を見ましょうか」 「何て危ないことを言うんだ、イーアン。痛かったらどうする」
イーアンは俯いて笑うのを堪えているが、パドリックは笑えなかった。駄目駄目、と慌しくイーアンを引っ張って、馬に乗せるドルドレン。
「その毒は、鏃にしか使えないのか」
悲しそうなパドリックを無視したシャンガマックが、イーアンに質問する。イーアンは『使えないことはないでしょうが』と前置きし、今は鏃が効果的に見えます、と続けた。
「剣ではどうだ。鏃と同じ金属かは断定できないが、剣が傷みはしないだろう」
そういうと自分の剣を抜いて、イーアンに見せた。綺麗な剣に、とろっとした体液を塗る・・・と思うと、少々胸が痛むが。シャンガマックが気にしていないなら、やってみても良いかも、と思って頷いた。
後ろで見ていたドルドレンも『自分もやる』と言い出したので、馬を下りて二人の剣に毒を塗布する。
少し垂らして、剣を傾けて液体を走らせる。風が吹いていて液体はすぐに乾き始めたので、裏返して同じように塗布した。
イーアンが容器をしまった時、森の中で何か音がした。ドルドレンが反応し、続いてシャンガマックも森へ体を向ける。
「イーアン。決してウィアドから離れてはいけない」
ドルドレンにウィアドに乗せられて、イーアンは魔物が側にいることを知る。パドリックも凹みから立ち直り、腰に下げていた弓を取り出した。
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