92. 活用に向けて
厄介者とセダンカが戻って行った午後。遅くなった昼食をドルドレンとイーアンは食べた。
厨房はヘイズが担当だったので、二人が面倒なことになって昼食を跨いだことを知っており、『ちょっと温くなりましたが』と昼食を取っておいたものを出してくれた。
ドルドレンはイーアンを気遣っていたが、イーアンは口数も少なく、何かを考え込んでいる様子だった。名前を呼べば笑顔で返事をするが、やはり傷つけてしまったらしいことに、あの場 ――厄介者との会話―― に連れて行ったことを反省した。
イーアンは察したようで『考え事をしています。さっきのことは気にしていません』と微笑んだ。
それでも気がかりだったが、食器を下げる際に『そうでした』と言ったイーアンが、灰を頂きたい・・・と頼んできたので、ドルドレンは暖炉の灰を鉢に集めてやった。そういうところをも見ると、イーアンは本当にさっきのことを気にしていないかも、と思えた。
「あ。総長、丁度良かった」
広間の暖炉で灰掻きをしている、奇妙な総長の姿に戸惑った様子で、廊下から近づいてきたパドリックが立ち止まった。
「何? 何されてるんですか」 「灰を集めている」
そうですけど、とパドリックが怪訝そうな顔をして近寄り、総長の影で見えなかったイーアンに気が付いて『ああ。そういうことか』と笑った。イーアンが絡むと変なことも普通、と理解。
「イーアン、体調は大丈夫ですか。元気になったから、また面白いことを始めるのかな」
イーアンはこの人が部隊長の一人と覚えていたが、名前を思い出せなかった。それでちょっと微笑んだ。
ドルドレンが用を訊ねると『イーアンもいて良かったですよ』とパドリックは言う。
「昨日の大きな魔物を、弓で倒したでしょう?ダビが。矢に特別な仕掛けでもあるか、と思って、あの後ダビに聞いたらね。ダビは笑って『一番細い矢ですよ』と言うんですね。
そんなもの遠目で見たって分かる、って私が言うと、『自分も知らない。イーアンに言われるまま射掛けたら、魔物が倒せた』って言うじゃないですか。
それでこれは、イーアンに直接聞かないと分からないなぁ、と思ったんですが、イーアンは夜は大変だったでしょ。今日はどうかな、と思って探していました」
ドルドレンは意外そうな顔でパドリックを見た。総長に驚きの眼差しを向けられ、パドリックもちょっとはにかむ。『いや、ほら。これから遠征で弓部隊に使えるなら、と思いまして』と恥ずかしそうに説明した。
パドリックは弓部隊の隊長で、コーニスと同じ。ただパドリックはあまり積極的な性格ではなく、大体コーニスが弓部隊の先を進めて、大人しいパドリックはその後ろから援護射撃するのが通例だった。
「弓は、負傷者も死者も比較的少ない部隊ですが、でもやはり・・・・・ 部下が少しでも安全な方が。上司としては。ねぇ」
しゃがんだパドリックは、一緒に灰を集めながら、目を合わせないように打ち明ける。ドルドレンはその気持ちはよく分かる。イーアンを見ると、イーアンがニッコリ笑っていた。
「イーアン」 「はい」 「だそうだ」 「ええ」 「どうする?」 「私をお望みのままに」
『そういう答えは非常に危険だから、違う言い方で』ドルドレンは顔をしかめた。パドリックが笑うのを堪えている。イーアンは『すみません』と、目元に笑みを浮かべたまま咳払いをする。
「パドリックさん。ご用件にお答えします。
ダビさんにお願いしたのは、魔物の体からもらった体液に、鏃を浸してもらうことでした。細い矢をお願いしたのは効果を知りたかったからです。
ダビさんも最初、大きな魔物に細い矢とは、疑問がありそうでした。だけど毒を使うとを察してくれたので、二つ返事で引き受けて下さいました」
「毒でしたか。その魔物の毒はどういった効果ですか」
「実のところ、毒かどうかを試すための矢でした。だから、効果の例について言えることは、とりあえず試行した、あの大きな魔物の反応だけです。
この毒の持ち主であった魔物の攻撃方法と、攻撃に使う体の一部を見て、多分、毒だろうと思っていて。有難いことにその魔物の対戦では、どなたも怪我をされませんでしから、この推測は推測でしかありませんでした」
「そうだったんだ。すごい効果でしたね、恐ろしい毒だったわけですか」
驚くパドリックに、イーアンは頷いた。『あれを人間が受けていたら、即死だったかもしれません』と困った笑顔で続けた。
「ただ、全ての魔物に使えるとは思いません。また、状況にも依るでしょう。
あの大型の魔物は毛深く、皮膚が硬いとダビさんは教えてくれました。皮膚に射掛けた矢は1本です。
皮膚に入った毒に若干の効果があったのか、分からなかったのですが、続けて彼が魔物の口内に放った矢は、明らかに魔物の体に影響していました。
結局、口内に2本使った後、先が長そうな気がして、ちょっとまとめた毒を放り込んでもらいました。最終的に放り込んだ毒の量は、魔物が倒れるには充分な量であったようです。」
「つまり、使った矢は4本?」
ドルドレンが訊ねる。その時、離れた場所から魔物戦を見ていたので、状況は詳しく知らなかった。イーアンが『はい』と答える。
「あの魔物の特徴を、外見から挙げます。体が大変大きい、毛が深い、皮膚が厚い、鱗質ではない、口内が柔軟。それと、土の上にいたことです。
もし、体がさらに大きかったら。毛ではなく鱗だったら。皮膚の質が全く異なるなら。もし口らしい場所がなかったら。それに、もし水の中や土中であったら。 ――毒の矢は使えなかったかもしれません。
そして、あの毒に抵抗を持っている質の魔物であれば。既に毒矢を攻撃に使う意味がありません。ですから、相手と状況によりけりです」
「じゃあ、イーアンが捉えるあの毒の効果は。どのような効果だったと思う?」
ドルドレンの質問に、イーアンは『あの毒には、呼吸を止めるような効果がある気がしました』と答えた。
「魔物の反応を見ると、息が苦しそうでした。1本目から始まって、3本目を受けた時は、体が揺れていました。痙攣も見えたので、自分の体液に合わない毒だったのかもしれないです。4本目の矢には毒を入れた袋を結んでもらいました。それが届いて10秒もしないうちに魔物は倒れました。
ドルドレンたちが首を切るまでの間、倒れても生きていた様子から・・・単純に彼らの体が大きく、致死量に至らなかったのかもしれないし、また、毒にそれ以上の効果が出ないという解釈も出来ます」
『また違う魔物で試せれば、少しずつ使い道も定まるでしょう』とイーアンは結んだ。
「そうか・・・・・ まだ実用には早いのかな。でも持っていたら、安心かもしれないけど」
パドリックが残念そうに呟いた。ドルドレンは少し考えてから『今後も試行をすれば良いだろう』とイーアンに言う。それから『あっ』と何か思いついたように声を上げた。
「イーアン。近所に遠征に行くか。さっき報告書に目を通していたら、近所で魔物がちょっと出たような報告があったから」
イーアンは突然振られた話に戸惑う。行きたいのも試したいもの山々。でも、まだ処理が終わっていない回収した材料がある。遠征に出ると数日は使うから、と悩んだ。
絶対喜ぶと思って(そんな印象)持ちかけた話に、イーアンが困ったように唸っているので、ドルドレンが『どうした。行きたくないか』と顔を覗き込む。
「まだ片付けていない作業があります。それで」
イーアンが言いにくそうに伝えると、白髪の入った黒い髪をかき上げて、ドルドレンが安心したように微笑んだ。
「それなら大丈夫だ。遠征とはいうが、近所と言っただろう。すぐ戻れる距離だ」
「数が少ないなら、私が代わりましょうか?」
パドリックが気を遣った。ドルドレンは『そうだな。一緒に行くか』と意外な答えを出した。イーアンも少し驚いて『魔物の数が多いですか?』と質問する。
ドルドレンの読んだ報告書では、『今日の夜明け前』に『すぐそこの街道沿いの森』で『魔物4頭確認』されたらしい。『時間が時間だから見えなかったのか、形状については報告なしだが』とドルドレンは続けた。
「街道沿いだから早めに倒した方が良いだろう。魔物4頭を確認した民間人は、襲われたために馬車の破損はあったものの、負傷はしていない。逃げ切ったということで無事だ」
「そうですか、無事なら良かった。馬車は気の毒ですが。で、どうしますか。すぐそこと言うと、そこの?」
パドリックが指差す。その方向は、最初にイーアンがここへ来たときに通った森の方向だった。ドルドレンは頷いて、こちら側の街道の手前だ、と情報を添える。
「明日にでも、クローハルに行かせようと思っていたが。まだ指示していないから、俺とイーアンとパドリックで行くか」
イーアンは『なぜクローハルさんに』と何やら一癖を感じたが、クローハルさんも強いからか、と思うことにした。愛する人の意向を訝しんではいけない。
パドリックは『もう少し人数がいた方が』と心配そうだった。
自分とイーアンでも充分だと思っていたドルドレンは、それを聞くとちょっと考えた。確かに目を放した隙にイーアンに何かあっても困る(※パドリックはあまり強くない)ので、内気なパドリック以外にもう一人連れて行く提案に賛成した。
お読み頂き有難うございます。