912. 旅の二十七日目 ~学び三日目の朝
翌日の夜明け前。
バイラはテントの外、毛布一枚に包まった状態で、今後のことを考えていた。
――自分は凄い集団と一緒にいるんだ。
昨晩。『自分を連れて行ってほしい』と言った後。真剣に考え始めてくれた総長と話し合った。
間もなくして、イーアンたちがどこからともなく来たので(※地下で風呂入った)長話にお礼を言い、戻ろうとしたら、ミレイオに引き止められた。
その後は、イーアンとミレイオも加わって、4人で暫く話し合った。
専ら、盾や魔物の加工について教わり、ミレイオは盾職人だったことと、イーアンは魔物を使い始めた先駆者だったと知った(※これにより、イーアンは『魔物加工職人』と名付けられた)。
素晴らしい彼らの作品も、この話の間に見せてもらい、ランタンに輝く奇跡的な美しさに『魔物を清めた』の言葉も添えられ、感動しっぱなしだった。
感動は終わらない。馬車に剣職人が現れて、バイラを呼んだ。
理由は。『コルステインがあんたを見ると言う』そう言われて、コルステインとは誰かと思ったら、馬車の合間の壁の中へ導かれた。『コルステインは光を避ける』剣職人はそう言うと、バイラをそっと中へ通した。
そこには、夜空と同じ色の体に、天井のない空間に差し込む月光と、同じ色の髪の毛を垂らした大きな女性が、簡易寝台に腰掛けていた。
その大きな目は海のように青く、真っ直ぐで、考えていることを全て読まれてしまいそうなほど、透き通っていた。
黒くしっかりした2対の翼。美しい顔立ち。ワシの足のような手足。自分が出会ったのは、夜を守る支配者だと、鳥肌が立った。
すると、その大きな女性は少し笑ったように見えた。口端がちょっとだけ上がって、大きな目が微笑んだ。バイラはつい、跪いた。イーアンと同じように感じたからだったが、相手は一層、笑顔を深くした。
「バイラ。立ってくれ。コルステインはあんたが良い人間だと分かって、喜んでいる」
肩に乗せられた大きな手を見上げると、剣職人が優しい笑顔を向けていた。
そして、ここで見た彼女のことを他言しないようにと、静かな注意をしたので、バイラは『勿論です』と頭を下げ、立ち上がってお礼を言った。心が感動と幻想に包まれて、テイワグナの生きた神話の中にいる時間に打ち震えた。
大きな女性は、そっと指を伸ばし、ゆっくり何かを確かめるように軽く突いてから、大きな鍵爪でバイラの胸を撫でた。
「彼女の親愛の表現だ。とても優しい存在だ。とても気高く、崇高で」
「はい。偉大な存在。私は言葉を知りませんが、この方が私の人生に現れて下さったことに、感激しています。触れてもらったことを、私は一生忘れないでしょう」
剣職人はバイラの背中をちょっと押し、『紹介は済んだ』と微笑んだ。バイラはもう一度大きな女性を振り向き、有難うと伝えて壁の外に出た(※そして親方夫婦は寝る)。
出てきたバイラに、ミレイオたちは『どうだった』と感想を訊ねた。その顔は笑みを浮かべていて、バイラは、彼らが自分を信用していると分かることに、最初に感謝し、素晴らしい時間だったと答えた。
この後も、夜は続く。
総長がイーアンに『魔物退治の戦法指導』の話をしたと思ったら、イーアンは何度か頷いて、総長と各地の遠征の話を始めた。
その話が驚くことばかりで、人の力でそこまで出来るのかと信じられなかった。それを言うと、イーアンはニコッと笑って『人の力ではないのです。自然の力ですよ』と答え、本部に着いた時、時間があればその話も出来るかもと言う。
バイラは驚いて、そんな貴重な機会があるなら是非とお願いし、この先のテイワグナに大きな影響を与えると思うことを伝えた。イーアンと総長は笑顔で受け入れてくれた。
そして。バイラは決心する。
自分はこの人たちと動くために、一時的に警護団を辞めよう、と。連れて行ってもらうにあたり、ある程度の自由を得なければ。
また警護団に復帰出来れば、その時はそうするし、無理なら護衛の仕事をすればいい。
この機会は運命に授かった祝福。人生は一度きり。幸い、養う家族もない。自由な身なんだから、今こそ、動く時と感じる。
魔物製の武器を作る工房を、彼らと一緒に探し訪ねよう。彼らと一緒に戦って、魔物を克服することを民に伝えよう。自分に出来ることは沢山あるはず。いつでも、彼らの協力者でいよう。そう、ありたい――
バイラは、夜も遅くまで話をしてくれた彼らにお礼を言い、決心した内容は本部で言うことにし、テントに戻った昨晩。
夜明け前の時間。淡い青い霧が馬車の上にふっと浮かび、そのまま消えたのを見つめ『コルステイン』微笑みながらその名前を思った。多分、今のはそうだろうと何となく分かった。
この数日で、人生が急展開した気がして、バイラは自分の魂に感謝する朝を迎えた。
一方。ユータフもテントの中で起きていた。空腹で眠れなかった夜を過ごし、疲れて眠り、朝も早くに腹が鳴って目が覚めた。昨日は干し肉だけだった。
でも、昨日一日考え続けたことが、ユータフの心に大きく膨らみ、彼の中で、もう自己憐憫は見えないほど縮まっていた。
『優しい理由がある。ウラじゃない。経緯だ』
イーアンに叱られた夜、なぜか刺さったまま抜けなかった、この言葉。刺さった棘に痛みはなかったが、翌日・・・昨日朝にバイラに言われた内容は、痛みが強くて、恥ずかしさや情けなさで埋め尽くすほどの傷口に変わった。
もう一つ。はっきりとユータフが、変化を意識した瞬間があった。
それは、警護団員の4人が現れた時だった。彼らは自分と近い年に見えたし、この辺の訛りがあったから、地元だとすぐに分かった。だが。
彼らは。ユータフに視線を動かしたのも1~2回で、後はずっと、バイラとドルドレンを相手に話し続けた。まるで、ユータフがいないように。地元意識も共有しなければ、同じ年頃の自分に関心も持たなかった。
それは、ユータフの若い経験からすれば、無視に近かった。しかしその無視は、当たり前の行動のように時間を占め、つまりその空間から漏れた自分こそが、そこに満たないと意識せざるを得なかった。
話をぼんやり聞いていたが、ふと皆が微笑んだり、思い遣りある笑顔に崩れる瞬間に、ハッとしたら。それは、ドルドレンが泣いていたからだった。
突然、彼が泣いている。顔は笑顔なのに、泣いているドルドレンに、大の男が真昼間に他人の前で涙を流すなんて、と驚いた。
何があったのか、ユータフには分からなかった。確か、報告がどうとか。そんな話だった気がする。その程度で何で泣くようなものがあったのか。
話半分、自分の戸惑いに気を取られていたユータフには、全く理解出来ない時間だった。
でもそれは、ユータフだけの話。彼を除く警護団も、ドルドレンも。出会ったばかりなのに、あっという間に距離を縮めて、気遣う言葉を掛け合って、次に会える約束をして別れた。
これによって、ユータフはようやく理解する。自分が足りていないのではないかと。
これまで、町の生活では知らなかったことが、出発してからずっと起きている。初めて出くわすものは、降りかかる出来事だけだと思っていたが、その出来事の大半は、自分の行動が作り出していたのではと気付いた。
抵抗は拭えないものの。気が付いたことが真実のように思える。その板挟みに揺れた一日を過ごし、一言も話さずに3日目の朝を迎えた。
――今日。首都に着くんだろうな。入った時点で馬を下りることになる――
バイラを怒らせ、旅の一行とも接触しない状態のまま、首都に到着したら。自分は勿論、そのすぐ手前かもしれない。下ろされて、後の身の振り方をすぐに考えないといけない。
親はいるはず。自分を伯父家族に預けた3年前。首都の向こうにある、もう一つの大きい町に親は出かけた。そこは距離があって、町からだと回り道で半月近くかかると噂で聞いた。
その町は、首都と同様に人も仕事も多いから、親たちはそこで仕事を大きくすると言っていた。
それが半年前に、首都に移ったと知らされた。伯父家族は、ユータフの親が首都に動いた経緯を話していたが、自分は知りたくなかった。
早く迎えに来てくれるか・・・早く伯父家族が出て行って、親がまた町で暮らせばいい。それだけだった。
こんなことを思いながら、ユータフは体を起こす。複雑な気持ちと、行方の定まらない親探しを胸に抱える朝。
今日の昼前に、首都に入るだろうか。親がどこに暮らしているか、調べないといけない。手紙は自分が受け取っていないから、住所を知らないユータフ。一人だと心細く思えた。
テントを出ると、焚き火は消され、バイラがテントの杭を抜いているところだった。
ちらっと目が合ったが、挨拶もなく終わる。ユータフが片付いた焚き火の脇に立つと、バイラは遠慮なくテントを崩し、あっさり畳み終えて馬に積んだ。
干し肉を突き出され、ユータフはそれを受け取る。手渡したバイラの顔は、彼を見ることなく、すぐに馬へ向けられ、彼は出発に向けた細かい準備に入った。
寂しいような。仕方ないと思うような。
佇み、干し肉を持った指に、一滴の涙が落ちて伝った。その意味は、本人もよく分かっていない。単に、悲しいだけの涙とも言えた。自己憐憫とは違い、自分が何かを間違えたような悲しさだった。
「おはようございます」
二人が馬の側にいると、横から声がした。その声ですぐ、ユータフは振り向く。イーアンが来た。イーアンはニコニコしていた。
バイラがすぐに挨拶を返し、昨晩の礼を伝えると、イーアンは手に持った何かをバイラに手渡し『良ければ使って』と言った。お礼を言うバイラの顔が明るく、それを見ているユータフは、自分が彼を怒らせただけだったことに、何だか悪いことをした気がして反省した。
「ユータフ」
イーアンは次に自分の名前を呼んだ。目を向けると、イーアンは近づいてきて、ニコニコしている顔をそのままに『どうですか』と訊ねる。ユータフは答えに戸惑い、目を瞬かせて逸らした。イーアンはじっと見ていて、フフンと笑う。
「今日は首都です。お別れですよ。これを持ちなさい」
ユータフが下を向いたままの頭に、イーアンは何かを掛けた。ふと顔を上げると、首にするっと紐が抜けた。それは、手の平に収まるくらいの、白い円盤に紐が付いていた。円盤は、作り物とは思えない不思議な存在感だった。
「それは私の鱗。私が龍になった時の鱗です。あなたがこれから、沢山の優しさと涙に触れて成長する時、与えられる想いを信じなさい。今、目の前にいる私が龍であることを信じるように」
イーアンの言葉に、ユータフは目を丸くする。『龍・・・・・ 』呟く声に、イーアンはニコッと笑う。
「私があなたくらいの年だった頃。とんでもない荒くれ者でした。私に比べれば、あなたは成長早いですよ」
ハハハと笑って、イーアンはユータフの側を離れた。ハッとしたユータフは急いで呼び止め、お礼を言おうとしたが。
少し離れた場所に動いた龍は振り返って、もう一度笑みを浮かべ、背中に白い翼を出した。そしてすぐに真上へ上昇したと思ったら、真っ白の光を放って。
「おおお、龍!イーアン、あなたは」
バイラが叫ぶ。朝焼けの空に、大きな白い龍が浮かんだ。ユータフも目を疑う。馬車の方から拍手が聞こえ(※Byミレイオ)白い龍はぐるっと体を回して、首を地上に下げた。
その鳶色の瞳は、イーアンの瞳の色。ユータフは声も出ないほど驚き、首に掛かった白い円盤がぼんやり光るのを見て、もっと驚いた。
「イーアン。イーアン、俺は」
声にならない涙が落ちる。ユータフは今、自分がバイラに言われた『恥晒し』で『心無い魔物』で『未熟』な若者であったと認めた。心の真ん中に、子供の頃から聞かされた龍の話が、熱を持って蘇る。
白い龍はユータフをじっと見てから、ぐーっと上昇し、咆哮を上げた。その声は大地を揺るがす。空気に伝わり、風を起こし、明け方の赤と金の空が輝きを増す。
馬車から歓声が上がり(※ひゃっほう、みたいな)拍手が増え(※By騎士たち)ユータフの濡れた頬に風が吹き抜けて涙を攫った。
それから白い光がもう一度、星のように光ったと思うと、人の姿に戻ったイーアンが翼で降りてユータフを見た。
「スペシャルサービスですよ」
ニコッと笑ったイーアンは、駆け寄ったバイラの感動を受けながら、笑って馬車に戻った。
ユータフは再び聞いた『スペシャルサービス』の意味を知らなかったが(※英語のない世界だから)絶対に忘れないと、首飾りの鱗を握り締めた。
朝の光の中。朝食も終えて出発した馬車と青毛の馬が、旧道を進む。
バイラは感動で何度も目を閉じ、何度も感謝の祈りを呟いていた。後ろに乗るユータフは首飾りの鱗を握り締めたまま、自分が教わったことを頭の中に繰り返していた。
馬車では、イーアンが御者台のドルドレンの横に座り、伴侶に質問を受ける。
「鱗あげたの。どこの鱗だったの。イーアン龍の鱗は大きいのだ」
「え。どこって、指の内側です。アオファたちも指の内側って、細かい鱗でしょう?」
「そうか、そうだね。アオファは全体的に鱗がよく分からないのだ。あれ、巨体だから」
「グィードもですよ。ヌルヌルしていますので分からない。私とミンティンは似てるかしらね」
小さめ鱗はどうやら、指の内側の目立たない部分だったらしく、イーアンがお空で特訓した時に落ちたとか。
『ですからね。ビルガメスと今日もこれから練習ですから、また手に入りますよ。結構、落ちてるの』ハハッと笑うイーアンに、ドルドレンも一緒になって笑った。
ドルドレンが『俺も欲しい』というと『ビルガメスの鱗、引っぺがしてきます』と、恐ろしいヤル気(※負けん気とも言う)で答えてくれた。
そこまでしなくても良いのだけど。愛妻(※未婚)は昨日負けたとかで、今日はビルガメスに勝つつもりでいるため、その意気込みはそっとしておいた。
鱗と龍変化はともかく。ドルドレンは、横に座る角のある女を見つめる。
前を向いた顔は、いつも何だか笑っているみたいに見え、くるくるした螺旋の黒髪が風に揺れる。白い角がちょこっと見えていて、自分の肩くらいしか背のない、小さな女龍。
世間知らずの若者。あっという間に離れる相手。でも、イーアンは彼を放ったらかしに出来なかったんだな、と思う。叱って、説教して、様子を見て。別れる前に確認して、学びの思い出を残す。
優しいイーアン。ドルドレンは、奥さんの肩に腕を回して抱き寄せ、頭にちゅーっとした。
見上げる鳶色の目に微笑みかけ『イーアンは優しいのだ』と言うと、イーアンは『私は、あんなカワイイものじゃなかったのです』と答えてカラカラ笑っていた。
ドルドレンは、こんな奥さんが出来た自分が幸せだなとつくづく思った(※でも自分は絶対怒られたくない)。
お読み頂き有難うございます。




