902. ウウィド・ケペリ出発の朝
夜明け前の宿の部屋で。ドルドレンは目覚め良く、ぱちっと目が開く。腕に抱える愛妻(※未婚)を見ると、スースー寝ている。
「この状態で目が覚める幸せ。素晴らしいことなのだ」
微笑んで呟くと、愛妻は目を覚ました(※ぱちって)。ハッとして『ごめん。起こした』起こす気はなかった、とドルドレンが言うと、イーアンはニコッと笑う。
「おはようございます。特に何も聞こえていません」
「おはよう。そうなの?俺が呟いたからかと」
「いいえ。すかっと起きただけ」
あ、そう。ドルドレンはそれはそれで、ちょびっと残念だった(※幸せ~の部分、聞いてほしかった)。
今は何時?と訊ねる愛妻に、ドルドレンは壁の時計を見て『4時前だね』と答える。これから支度をして、町の入り口へ行けば、待ち合わせの5時に丁度良いと教える。
「彼らは早く来そうです」
「バイラは来るだろうな。ユータフは分からんが」
ちょっと笑って、二人はベッドから体を起こし、髪を梳かしたり着替えを始めたり。イーアンは昨日から思っていることを、伴侶にも言っておこうかなと思い、着替えながら話す。
「バイラ。私、あの方が気になります」
「えっ」
何ですかその反応はと、笑うイーアンに、ドルドレンは、自分のこういう部分は素だから、抜けないなと思う。でも気になるんだもの・・・そういうのは仕方ないよねと自己納得。
「何で気になるの。バイラは俺と同じくらいの年だ。性格も良さそうで、頭も良さそうで、度胸もあって、要領も良くて、見た目も男って感じで」
「ですからね。何を仰ってるの。そういう意味じゃないことくらい、分かるでしょ」
困ったように笑うイーアンは、伴侶の側に行って、不安そうな目を向ける顔を撫でながら教える。
「あなたは心配しがちですよ。私が話を続ける時間を下さいな。気になる続きね、それ大事」
うん、と頷く伴侶にちゅーっとしてから、イーアンは『彼は誰かに会うために、私たちと絡んだような』と言う。不思議そうなドルドレンに、考えていたことを伝える。
「昨日。すぐにそう思いました。ユータフは、彼と私たちを引き合わせるためのきっかけかも知れません。きっかけ、だけではないでしょうけれど」
「そうか?俺はユータフに会わなかったとしても、駐在所には行ったし、おそらくバイラも、俺たちの行動に参加したいと言っただろう」
「だとしても。ユータフのことがなかったら、バイラの人となりを、一気に知るまで至らなかったと思いませんか。話し方や、応答には好感を持つでしょうけれど、ユータフの話を出すのと出さないのとでは」
「あ。分かる。それはそうかも知れない。同行すれば知りえる情報だろうが、先に沢山見たのだ」
そういうの大事でしょ?とイーアンは言う。
「昨日、ミレイオも言いました。
昼食時。あなた方に、午前の話を聞けなかった状態は、かえって突然現れたバイラを知るにあたり、良かったのかも・・・と。
先入観になる誰かの言葉ではなく、彼への認知が、第一印象だったのです。これは大きいですよ」
ドルドレンは着替えながら、ふーむと唸る。『俺の奥さんは見てるところが違う』ちょっと誉めると、イーアンはエヘッと笑う。コロッとやられたドルドレンは、奥さんにちゅーっとしてから、今の話は『ありだね』と答えた。
「ユータフも第一印象が強烈だったが。良い意味で、バイラも強烈な第一印象ではあったな。ユータフを扱おうとする、一つの動きが、彼のあらゆる面を一度に紹介してくれたのか」
「そうではないかと思います。それによって、彼・バイラは、私たちにあっという間に受け入れられています。ユータフは、バイラをこの急な展開で私たちが知るために、必要だったのでは」
ドルドレンはイーアンの頭にちゅーっと(※クセ)して、うんうん頷く。『そうだな。ユータフは囮』そう言うと、イーアンは笑って『囮って、意味が違う』と否定する。
「少々、良くない言い方をしますとね。引き立て役として、ユータフが先に登場したような。ユータフへの感情は、私たちには、良いものではありませんでした。彼に悪気がないと分かっていても、です。
そこへ、そのユータフを管理しようと言い切った、警護団員バイラが出てきました。彼が警護団員であったことも、これまでの流れからすれば、とても大切なお膳立てに感じます。後付けですけれど」
「彼は・・・バイラは。俺たちが問題視する警護団の在り方を懸念し、自分が動こうと姿勢を見せた。それだけでも、俺には充分に感心な態度に思えたのだ」
イーアンは伴侶の答えに同意し、『良い印象のない警護団と、心配な同行希望者を案じる、自分たちの意識に、バイラは最も効果的な状態で浸透した』と、まとめた。
「そうして考えるとね。引き合わされたのは『バイラ』って感じなのだ」
「私もそう思います。かなりきちんとした運命的働きかけですよ。だとしたら、たった3日でサヨナラって感じ、しません。私たちの誰かしらに会うため、齎された出会いでは」
「もしくは、俺たちを介した誰か?」
その可能性もある、とイーアンは頷く。ドルドレンは『とりあえず。バイラは3日じゃなさそうだね』と、そこに気がついて嬉しそうに笑った。
イーアンも笑顔で『そう思う』と答え、二人は支度を整えた後、部屋を後にした。
1階のホールに集まった7人は、宿の主人に挨拶して馬車を出す。宿の主人は、警護団員が首都までユータフを支えてくれる話に、心から安心したように笑顔を見せた。
「昨日の夜。ユータフが来たんですよ。夜って言っても、お客さんたちがもう部屋に入った後です」
首都まで旅人たちと行くと話したから、気になることは細かく聞いて、本当に行くと分かったから送り出した話をした。
「この箱のお金。少しユータフに持たせたんです。食費のことを口にしたんで。だけど首都に着くまでの食費代と、口ごもったから『多めに見積もって一週間分』と。それだけ渡しました」
宿の主人は、箱を総長に渡しながら『警護団に渡して下さい。ユータフの食費です』とお願いした。
「これ。一か月分の食費と、あなたは話していたのだ。こんなには」
「警護団の人がお金も取らずに、任務がてらで同行してくれるんです。ユータフの私情ですよ。少しは警護団のその人にも、ユータフにももしかしたら、役に立つでしょうから」
宿屋の主人の温かい人情に、胸を打たれる旅人一行。箱を受け取って『すぐに警護団に渡す』と約束し、馬車を出した。主人は『またどうぞ』と、朝方の人のない道を進む馬車を送り出した。
馬車の荷台で、イーアンとミレイオは主人に手を振った。『イイ人って感じ』ミレイオが呟く。
「あのガキんちょ。ちょっと足りないけどさ。ああした良い人たちに愛されてるんだから、中身はイイコなんだろうね(※まだそう思えないけど、の意味)」
「そう思います。世の中、手に負えない若者なんて、山のようにいます。
ユータフはお調子者みたいですが、悪い人ではありません。明るくて好かれやすいでしょう。若いから、これから経験を積むだけ」
イーアンの返事に、ミレイオも微笑んで頷く。イーアンは真面目な顔で『私の若い頃なんて。とんでもなかったですよ』とぼやいた。それを聞いたミレイオは爆笑して『私だってそうよ』とイーアンを腕に抱え、二人で大笑いした。
タンクラッドは横で二人の会話を聞いていたが、可笑しそうに笑みを浮かべて『俺も人のことは言えないかもな』と、若い頃=ロクなもんじゃない組・・・に参加した。
前を行く荷馬車の荷台で、朝っぱらから大笑いする中年組の愉快そうな様子を、後ろの馬車の御者を務めるシャンガマックは、微笑んで見守っていた(※大人)。
御者のドルドレンも同じで。馬車の中から響く中年組の笑い声に、一緒になって笑顔が浮かぶ。
俺の仲間は良い仲間―― 出会う者がこれからも出てくるだろうが、きっと良い仲間に巡り会うのだ。
そう思えることが、ドルドレンは嬉しい。そう・・・思わせてくれる楽しい時間、楽しい様子、心強い思いを、いつも与えてくれる皆に感謝した。
そして馬車は町の壁に近づく。門が開きかけた入り口を通り、表へ出ると、一頭の馬が人を乗せて待っていた。
「おはようございます」
黒髪をきちっと結んだバイラは、青毛の馬に跨り、荷物を一式積んだ状態で、背中に盾を背負った鎖帷子という井出達だった。
「おはよう、バイラ。カッコイイなぁ」
御者のドルドレンは、バイラの鎖帷子に少し笑う。『初めて見たよ』と伝えると、バイラも頷く。
「ハイザンジェルは鎧ですよね。テイワグナは、本当に鎧が少ないです。大体、こんな感じですよ」
煌く銀色の小さな輪をびっしりと繋いだそれは、バイラの鍛えた広い肩や胸を曲線に沿うように包み、彼の体を、一際大きく肉体的に見せていた。
2台の馬車が彼の側へ来て、ミレイオもいそいそ出て行く(※見たい)。ちょろっと鎖帷子を見て『へぇ』と感心。ヨライデにもあるけれど、テイワグナの鎖帷子は衣服みたいに見えた。
「素敵ねぇ。これ、剣を受けても大丈夫なのかしら?」
「おはようございます。はい。ただ細身の剣は怖いですよ。鎖の隙間に入ることもあるから」
うっかり呟いた声に、挨拶と一緒に説明を返してもらい、ミレイオはハッとして『ごめん。おはよう』と挨拶をまず交わす。それから笑顔を向けて『私はミレイオ』と自己紹介した。バイラはニコッと笑う。
「馬の上から失礼ですが。改めて。私はジェディ・バイラ。ミレイオ、宜しくお願いします」
ミレイオは朝日に輝くバイラに、うん、と頷く(※テレ)。『盾もあるのね。後で見せて』どうにか自然体で、後の約束に漕ぎ着け、バイラの返事も待たずにそそくさと荷台に戻った。
イーアンはそんなミレイオを、じーっと見ていて、自分も荷台に戻る。
「ミレイオ。バイラが気になりますか」
「ん?あー・・・そうねぇ。何か、ほら。昨日、見抜かれちゃったから」
変わった人ですよねと、イーアンは静かに答えると、それ以上は何も言わなかった。
ミレイオは、イーアンをちらちら見て『何?』と探る。振り向くくるくる髪の女は、いつもと同じ垂れ目の笑顔で『何も』と答えた。
バイラと騎士たちと親方は、外で暫しの間、雑談。
ユータフが来ないことを、皆が話していた。『後10分待ってこなかったら出ましょう』バイラは太陽を見て、旅の一行にそう伝えた。
「時間に来ないなら、理由は何であれ、それまでです」
ばさーっと切り捨てるイイ感じ具合に、ドルドレン満足。うんうん頷いて『そうだな』と笑顔で同意。無駄を省く、この姿勢。ドルドレンはこういう性格が好き(※実父と祖父は、ムダでダラダラ)。
親方も、バイラの仕事慣れした雰囲気は気に入る。彼を見ながら、ふと『ドルドレン。箱』と思い出し、もう預けてしまえと促すと、ドルドレンは『そうだな』と箱を御者台から持ってきて、バイラに渡した。
「これは何ですか」
「ユータフの食費だ。彼とは別の人物から受け取った。ユータフが来たら、きっと彼からも受け取ると思うが、これは彼の与り知らぬ金」
不思議そうに茶色い瞳を向ける男に、総長は宿屋の主人の話を伝える。バイラはゆっくりと頷いてから、箱を手に少し考えたらしく、箱を荷袋にしまうと『ユータフが来なかったら返しに行く』と答えた。
「彼が来れば。彼に使います。私の金ではない」
「そう言うと思った」
ドルドレンが微笑むと、バイラも笑顔で頷く。それから何かに気がついた馬の様子で、バイラは壁に目を向けた。騎士や馬車は壁に背を向けているので、気がつかなかったが、バイラは『ユータフ』と名を呼んだ。
皆がそちらを見ると、簡素な袋を持った若者が歩いてきて、背の高い面々を見上げた。ザッカリアはすぐに寝台馬車へ戻り、ユータフの視線と挨拶を避けた。
「遅くなってごめん。家でちょっとね」
言い難そうな顔から、伯父家族の誰かと揉めたのだろうと理解した大人たちは、何も聞かずに『出発だ』とだけ言った。バイラは、自分と荷物の間にユータフを乗せ、自分の腰に掴まっているように指示した。
「ユータフ。俺は彼らに必要があれば話しかけ、会話もする。だが、お前は控えろ」
「分かってるよ。あのさ、食費なんだけど」
先に渡してしまえといった勢いで、袋から引っ張り出した布の包みを、バイラに差し出すユータフ。バイラはそれをひょいと摘み上げ『これで足りる分を買う』と断りを入れた。
「この中身の額を知らない。後で確認して、俺と動く間に、お前が食べる回数に振り分けるぞ」
「足りなかったら?」
「今、話を聞いていたか?『これで足りる分を振り分けて買う』と俺は言ったんだ。一日分程度の食費なら、それを3日に分けるだけだ。それをお前の食事とする」
バイラの言葉を、準備を済ませ、馬車を出そうとするドルドレンは聞いている。すごいな、と一々思う。
言葉もなく黙ったユータフを見向きもせず、バイラは馬車の脇についた。『総長。宜しくお願いします』そう声をかけ、馬は歩き始める。
ドルドレンも『こちらこそ宜しく』と答えて、馬車を動かした。
朝陽を横から受ける、旅の一行。街道に乗って涼しい時間を進む。精悍な護衛の男に案内される馬車。
ドルドレンは思う。若者にも容赦しないんだなと、さっきの言葉に感心する。ドルドレンもそういうところはあるけれど、そこまで突き放せない。だからドルドレンの評価は『優しい』が付いて回る。
ところが、バイラは全然違う。
優しさが余計なことをしないのだ。彼も優しいと思うが、優しさ不要な場面では、一切において、優しさの欠片は微塵も見当たらない。
あの言い方。ユータフが例えば、本当に3日分に足りない金額を渡して、足りない分は少し出してもらおうと、思っていたとしても。
バイラは、無視。完璧な無視だ。『それしか持っていないんだろ?』と言った具合に。
金に対して、バイラは何も妥協しない。思うに、自分の仕事に妥協しないのだ。誰が相手でも。
世間知らずの、ちょっと甘い若者にも。自分に頼んだ以上、それはバイラの仕事の範囲でしかない。
そこまでしっかりと・・・線引きして付き合えるか、と訊かれたら、ドルドレンは自分には難しそうだった。
多分、タンクラッドも出来ない。彼は優しいから。うちの部下も出来るわけないな、と(※上司が俺だから)思う。
ミレイオはどうだろう。ミレイオも何のかんの言って優しい。面倒だとか口悪く言いながらも、助けそうな気がする。そして思う―― イーアンは。ふと、思い出す。愛妻の厳しい一面。
イーアンは、出来る。
彼女の優しさは、その行動に広く及ぶが、本気で相手を思った時、突き放す態度を取れるのだ。
イーアンはバイラと似ているかもしれない。彼女も・・・バイラのように、恵まれない環境で生き抜いてきたから、その厳しさが育てる時間の大切さを身に沁みて知っている。
相手にそれが必要と判断したら、イーアンは突き放す。冷たいと言われようが、詰られようが、徹底して行動を貫く。
「幸いなことに。俺は食らったことがない」
ボソッと御者台で呟く独り言。イーアンの目が、表情が、冷たくなる時を何度も見た。あれは有難いことに、自分には向けられたことがない。
『そんなことあったら、凹むどころで済まないのだ。泣くかも』愛妻の厳しい一面である。
横を進む黒い馬。バイラは目が合うと笑顔を向ける。
守られなかった現実の中を生きた人たちは、優しさの範囲も領域も、普通の温もりとは違う場所にある。
笑顔は、作っていない。自然体で、その意味を重要に捉えるから、誰にでも微笑む。
でも厳しいところは、一切、妥協もしない。泣こうが縋ろうが、困惑しようが、相手を甘やかさない。それもまた、その時間に得ることの出来る、大きな糧を知っているからだろう。
ちらっと見た、ユータフの姿。望んでいただろう、移動に喜ぶこともせず、不安と不満を抱え込んだような顔で俯いている。
ドルドレンは、彼がバイラと一緒にいる時間で、彼もまた・・・成長する新しい感覚に恵まれることを祈った。それは、必ずユータフの人生にとって、良いものだと思うからだった。
お読み頂き有難うございます。




