892. ヨーマイテスと彼の宝石
「ここ。どこなの」
洞窟の外は晴れていた。青空と暖かさがあった。なのに、この場所は曇り空のように、一面が灰色の空。風もなく、空気も湿度を含んだ、霧でも出ているかのような感覚。
足元の草は短く、花は咲いていなかった。枯れてはいないが、生きている感じもしない。
何より奇妙なのは、石の堂が目の前にあるだけで、他がよく見えないこと。薄白い壁がすぽっと、その場所を閉ざしているようで、石の堂と、足元の草と、自分たち以外は、はっきり見えないのだ。
振り向けば、空間に歪な形の刳り貫きがあり、その中は溢れる光ではなく、出てきた場所よりも単に白っぽい明度で、空中にペタッと白い紙が貼られたような印象だった。
「ここか。俺も名前は知らない」
「初めて来たわけじゃないでしょ?」
「ここは、初めてだ。この場所は何度かあるが」
言っている意味が分からないミレイオは、ヨーマイテスを見上げて、もう少し説明を頼む。
「隠さないでよ。私、これで終わりって気がしないんだけど」
碧色の瞳が息子に向く。小さく頷く、焦げ茶色の肌の厳しい顔は、少し笑っている。
「そうだな。始まったばかりだ。これで終わりどころか、俺は付きまとうだろうな」
「どーでも良いことだけ反応しないでよ。隠さないで、ここは何なのか。私にも教えてよ。知らないで、連れ回されたくない」
ヨーマイテスは、ミレイオの質問にすぐには答えず、その背中を少し押して進める。『ちょっと』ミレイオが眉を寄せると、顎で石の堂を示した。
「あの中に入ってからだ。ここは長居出来ない」
「はぁ?」
反抗的で動こうとしない息子の背中をぐっと押して、ヨーマイテスは石の堂へ歩かせた。『長居出来ない場所なんだ。用は早く済ませる』その場で答えない。ここではない、とされた交わされ方に、ミレイオは溜め息をついて付き合ってやる。
石の堂は、12角形の台座に乗った鳥かごのように見える。ぐるりと囲む柱は、半球状の屋根を支えている。中に入ると、ぽかっと床に穴が開いていて、下に続く階段があった。
「下りるぞ」
「ここ?何かヤバくない?」
「危険な場所に連れてくるわけないだろ」
面倒そうに答えるヨーマイテスは、自分が先に階段を下りる。ミレイオも続くが、親父の言葉に何だか違和感だらけで、気持ち悪い。
当分の間は利用されそうだ、と。それは分かる。これからも、皆を相手に曖昧に誤魔化しながら、こいつのワガママに付き合わされるのかなと思うと、ミレイオは同行する旅を重く感じた。
螺旋階段を下りながら、円筒の内側を進み、出た場所は扉のない空間だった。空間の壁も天井も床も、やはり彫刻がぎっちりと詰まっていて、異様な空気を醸し出す。
何が発光しているのか、ぼやっとした青白い光が、彫刻のある石の繋ぎ目から洩れ、空間の中を照らしている。
部屋の真ん中には台座があり、近くに寄ってみると、彫刻だらけの杯のような形をした台座の上には、二つの角型の穴が開いていた。
ミレイオが覗き込んだ右側の穴は、中に生き物の形を彫った卵型の置物があり、ヨーマイテスの見つめる左側の穴には、文字らしきものが僅かに彫られた、手の平大の石板があった。
「これ」
何だろう、と石板に手を伸ばそうとしたミレイオの腕を、ヨーマイテスはさっと掴む。『何よ』見上げた相手の顔は真剣に怒っているようで、ミレイオは手を止めた。
「お前の出番はさっきで終わっている。これは俺の用だ」
そう言うと、もう一方の大きな手が卵形の置物を摘み上げ、焦げ茶色の皮膚に映える、乳白色の置物は彼の手の中に収まった。
「帰るぞ」
「え?こっちは?」
「一つしか選べないんだ」
すたすた歩いて階段へ向かうヨーマイテスに、ミレイオは台座を振り返りながらも、急いで付いて行く。
「どういうこと?さっきから」
「後で話してやる。今後も続くと言っただろ」
「今のは?何だったの?どうして一つなのよ」
「もう一つも取ると、二つとも崩れて消える」
「何ですって?じゃ、あれ、残ったのは誰かが取ったら」
「ミレイオ」
螺旋階段を上がりかけたヨーマイテスは振り向く。
矢継ぎ早に質問する息子を睨み『後で、と言っただろう。黙って一緒に出るんだ』少し怒ったように低い声で注意すると、また階段を上がり始める。
ミレイオは腑に落ちないどころか、癪に障るし、利用されているだけ利用されて、不愉快極まりない。何も教えてくれないまま、ぽんと置いて行かれそうな気がする。コイツ、やりかねない。
螺旋階段を上がり切り、石の堂に出た後。
二人は宙に浮かぶ白い紙のような場所へ戻る。前を歩いていたヨーマイテスは、息子が睨んでいる状態で側に来るのを見て、その腕を掴む。
「ミレイオ。怒るな」
「怒らせることばっかじゃないのさ。この礼儀知らず」
やれやれ、と呟いたヨーマイテスは息子の腕をがっちり掴んで、浮かぶ白い色の穴に入る。引っ張られるようにミレイオも入り、二人が入ると後ろの景色はぼやけて消えた。
再び光の通路が伸び、ヨーマイテスとミレイオはそこを歩き、白い光が吸われたような黒い場所へ下りる。
そこは再び洞窟の中で、二人が出てヨーマイテスが『生きた土はそこにいない』と言うと、岩盤が現れて通路は閉ざされた。
暗い洞窟を、また戻る。滝壺からここまで、体感時間で30分近く歩いた気がする。本当に自然洞窟なんだろうか、と思うくらい長く感じた。
「お前の知りたがっていたことに答えてやろう」
前を歩くヨーマイテスが徐に喋り始めた。ミレイオは何も言わずに、親父の話を促す。低く太い声が、静かな洞窟に響く。
「さっき俺たちがいた場所は、あそこだけだ。お前も見ただろう。周囲を囲まれているのを。あれは、あの続きがないことを意味している」
「でも。向こうにも風景はあったと思うわよ。何か建物みたいな影も見えたし」
「俺の言っている意味がそこにあるんだ、ミレイオ。簡単に言うとな、箱の中が仕切られていて、その仕切りの一つに、俺たちは居た」
ミレイオは理解し始める。あのぼんやりした、壁のような色の空気。あれが仕切り。振り向かないヨーマイテスは続ける。
「長居出来ない理由は、あの中にいると気が狂うからだ。徐々に自分の中が崩れていく」
「え。崩れる?気が狂うって。狂った人、見たことあるの?」
「実体験だ。あれはそうした場所なんだ。戻れなくなる」
「あの場所で誰かが死んでるのとか、そういうこと?実体験って、あんたが危なかったって」
ミレイオが急いで訊くと、ヨーマイテスは立ち止まり、息子に腕を伸ばして背中を押す。『俺の横を歩け』並ばせて、また歩き始めた。顔は無表情だが、どことなく柔らかくなったようにミレイオは感じた。
「俺が危なかった?そこまで鈍くない。調べている時に、そこに何をしに来たのか思い出せなくなった。その後、自分が居る場所は何だったのかと思い始め、俺は何かおかしい気がして戻ったんだ」
「さっき。あんた、だって。『危険な場所に連れて来ない』って。嘘じゃないのよ!」
「だから、怒鳴るな。煩い。長居すると危険なんだ。さっさと出れば済む話だ」
はー??みたいな顔で、呆れながら怒る息子に苦笑いして、ヨーマイテスは、一々立ち止まっては物を言う息子の背中を押す。
「早く帰りたいんだろ?歩け」
「何なの?危なくないって言ったり、危ないって言ったり。気が狂った誰かは、どこのどいつよ」
「お前たちの前の、旅の仲間だ」
ミレイオは黙る。ギデオンの時の・・・旅の仲間?ミレイオの明るい金色の瞳を捉えて、ヨーマイテスは疲れたように首を振った。
「治った。俺が連れ戻って、精霊に渡した。僧侶だったからな」
「旅の仲間の一人が僧侶。その人が、あんたと一緒にあそこへ・・・それで気が狂った、って。それ・・・あんたのせいでしょ」
震える声で呟くミレイオが目を見開く。信じられない。こんな残酷なこと、平気で言うなんて。自分の目的のために、人が犠牲になったのに。
息子の目つきが変わったので、ヨーマイテスは大きく息を吐き出して眉を寄せる。
「治ったんだ。な・お・っ・た。聞こえてるか?彼は治った。俺だって知らなかったんだ。俺と一緒に出たと思ったら」
「あんた。あんたは、何でそんなに、自分の目的ばっかりで生きてるのよっ!人が死ぬかもしれなかったんでしょ?私だってそうじゃないの!私の体にあんたが、自分の目的の絵を入れて、私は命があるのに」
「その命は俺が創ったんだ。勘違いするな。僧侶とお前は、話が違う」
「触るな!」
ミレイオは背中を押す手から、体を反らして距離を開けた。『私は一人なのよ。あんたが作ろうが何だろうが』感情が昂るミレイオは洞窟の中で大声を出す。その声に、碧の目の男は面倒そうだった。
「ミレイオ」
「あんたねぇ!何百年生きてるか知らないけど。そんだけ生きてて、まだ自分のためだけに、他人使うなんて。頭どうかしてるわよ!」
「他人じゃない。俺たちは親子だ」
「私だって一人の命よ。誰が与えようが、私は」
「落ち着け」
ヨーマイテスはミレイオの肩を掴んで、顔を覗きこむ。目を合わせて、自分を軽蔑する眼差しを見つめ、うんざりした顔をした。
「その僧侶は。俺の話を聞いて。一緒に行きたがったんだ。分かるか?俺が強引に連れたんじゃない。彼が一緒に行きたがったんだ。
彼は、俺に出来ないことをした。俺がどうやっても手に入れられないものを、彼が手に入れたんだ。女龍の友達だったから。
それを使わないと、あの場所へ行けないと知ったからだ。彼は自ら、それを手に入れるために動いた」
「だから何よ。その僧侶はぶっ壊れかけて、どうにか一命を取り留めて、また行った、って言うの?」
「そうだ。何度か足を運んだ。だが彼は、動けなくなる日が来た。それは彼が老いたからだ。俺と会った時でさえ、もう年齢が嵩んでいた。
賢い男で、挑戦心もあり、精霊の魔法を使うこともしたが、旅が終わる頃には、年が人間の年齢では終わりに近かった。
俺は彼に託された。彼が手に入れたものを。だが、俺が直に使うことは出来ないものだった・・・だから。とにかく。俺はそれから、この時までを待ったんだ」
ミレイオは、情報を一つ残らず頭に叩き込んだ。そしてすぐに返答する。
「待った。この時。それ、私のことでしょ?意味が」
「話してやれるのはここまでだ。これは俺のことだ。
お前が思うように、僧侶の人生を好きに動かしたわけじゃない。そのことを話したまでだ」
ヨーマイテスはそう言うと、息子の肩をもう一度掴む。『俺を嫌うな。その態度はよせ』苦しそうに顔を歪め、何も言わずに警戒した表情を向ける、ミレイオの視線から目を逸らした。
「行くぞ。帰るんだろ」
肩を掴んだ手を緩め、ヨーマイテスは息子の背中に添える。
目を合わせようとしないが、並んで歩こうとする様子から、ミレイオは黙って従ってやった。私、イイ人よねと思いながら(※理解ある息子として)。
長い洞窟を終え、滝壺の裏側が見えてきた二人は、その光の輝きに目を細めた。ヨーマイテスは、ミレイオの背中から手を放し『俺はここで』と呟いた。
見上げるミレイオは、碧色の瞳を見つめる。碧色の瞳もまた、明るい金色の瞳を見つめた。
「お前の目。それは龍の色。空の色」
「そうね。私の元の目は、青と黄色だった。その黄色は、こんな透き通った色じゃなくて、強い黄色い花みたいな。青も、真っ青だったわ。今、思えば。あんたの目の色が」
「それ以上、言うな。俺の目の色を分けたんだ。お前の目は、もう俺がいない」
その意味を考えるミレイオ。黙ったまま、見上げた顔を戻し、滝の向こうを見た。ヨーマイテスはミレイオの後ろで、遣る瀬無さそうな溜め息を吐き出す。
「お前の髪色もそうだ。俺のこの髪の色を分けた」
「それで二色なのね」
交互に縞になる、赤毛と金髪。それが今更、何なんだ・・・とミレイオは思う。何だか居心地が悪くて、挨拶もせずに滝に向かって歩き出した。
「ミレイオ。お前は俺の憧れ」
息子の背中に言葉をかけたヨーマイテス。立ち止まるミレイオ。振り向かないまま、その場に立つ。
「俺を嫌うな。お前は、俺の道具じゃない。俺の一部だ。俺の、想いだ」
「私は私よ」
ごくっと唾を飲んで、ミレイオは首を振り、急ぎ足で滝へ歩く。
気がつけば駆け出していて、滝が落ちる水の壁を走り抜けた。水量の多さに妨げられそうになったが、地下の力で水を吹き飛ばして潜り抜ける。
ざばざばと滝壺から上がるミレイオ。
追いかけてこない親父のことを振り払うように、頭を振って、肩で息する荒い呼吸に戸惑う。
「私は私。ミレイオ、なのよ」
ぐらっとする頭に、自分で『しっかりしてよ』と喝を入れて、ミレイオはお皿ちゃんに手を伸ばす。震える手が、お皿ちゃんを掴んだようで滑らせ、何度か繰り返して『もうっ!』の一言で掴み出し、荒っぽくお皿ちゃんに乗ると、空へ飛んだ。
「さむっ」
ずぶ濡れになった体。それも上着なし。上着を落とした、と今になって気がついた。『くっそー。あれ、好きだったのに』滝壺を越えるまで、手に掴んでいたのに、力を使った時に落としたんだと思い出す。
舌打ちして、滝を振り向く。『あ』思わず声を上げた。
「寒いのかね」
すぐ後ろに、翼を広げて飛ぶタムズがいた。彼の微笑が優しくて、ミレイオは何だか分からないが涙が浮かぶ。
その顔を見て、何かあったのかと気にしたタムズは、ミレイオの側に寄り『君に時間があれば、少し一緒にいようか』と言った。
ミレイオに伸ばした手は、ゆっくりミレイオに掴まれ、涙を浮かべたままのミレイオを誘導しながら、タムズは暖かな日の差す岩棚へ移動した。
岩棚に降りたタムズは、翼を畳んでミレイオを座らせる。濡れた髪を優しく手で拭ってやり、水を少し落とす。横に座って元気のない顔を覗きこみ、『地下に戻った方が良いだろうか』と訊ねた。
ミレイオは首を小さく横に振り『ここが良い。あなたがいるし、暖かいから』呟くように答えて、濡れた顔を手で拭う。
「タムズ。空に戻る途中だったんでしょ?ごめんなさいね、足止めして」
「構わないよ。ミレイオとも話したかったから」
「そうなの?何か訊きたいことがあるの?」
「そうでもない。単に、最近どうか。数日前にイヌァエル・テレンで会ったけれど。あまり話さなかったから。それだけだよ」
微笑んだ男龍に、ミレイオは微笑み返して頷く。それから金色の瞳が自分を見つめる視線を受け止める。
「あなたが側にいても、私は最近・・・どうしてか全然気がつけなくなっちゃったけど。鈍くなったのかな」
ハハッと力なく笑うミレイオに、タムズは『違うと思うよ』とだけ答える。それから『そんなことは良いんだ。君に元気がないのはどうしてかを、今は考えている』そう伝えた。
「タムズは。知ってるのかしらね。あなたが教えてくれた相手が、さっきまで私と一緒だったのよ」
「それは。君の親かね」
うん、と頷くミレイオ。ミレイオは、そこからは喋らなかった。タムズはミレイオの様子を観察し、上半身を裸にしたままの、彼の体の絵を眺める。
「それか。理由は」
タムズの大きな手が、ミレイオの頬を撫でた。ミレイオは彼を見て『私は。何なの?』と存在の意味を彼に訊いた。
「君は。宝石。世界。知恵。愛。本当の、光。それがミレイオだ。君は君。ミレイオ、たった一つの魂」
優しいタムズの笑顔に、ミレイオは泣く。赤銅色の男龍は、昼の陽射しの中、爽やかな風の吹く岩の上で、光を求めたサブパメントゥの涙に付き合った。
お読み頂き有難うございます。




