891. 滝壺の裏
午前も10時を過ぎ、斜め前方に見えていた広い森に沿って、ぐるっと回る道を通る頃。
荷台から、時々注意して外を見ていたミレイオは、街道から左に向かう細い道を、通り過ぎた後に見つける。
あれか、と思い、道先を少し見送る。道はゆっくり曲がって森へ続くように見えた。森は遠くはないが、歩けば距離もあり、また森までの間は遮る木々もなく、自分が動いたら行き先が見えてしまいそうだった。
どう行こうか―― ミレイオは遠くなる道を眺め、それから視線を手元に戻して、作業中の盾の握りを作る。
ミレイオは立ち上がって、作業中のものを箱に仕舞うと『ちょっと出てくる』タンクラッドを見ないでお皿ちゃんを出し、すっと乗って前に座るドルドレンの元へ出た。
何も言わずに、それを見つめたタンクラッド。ミレイオの動いた地点だけは記憶に残しておくことにした。
「ドルドレン」
前に回ったミレイオは、タムズに撫でられているドルドレンに声をかけて、ちょっと笑う。
「タムズには甘えるのね」
「タムズがこうしていた方が良いと言ってくれた」
嬉しそうな黒髪の騎士の言葉に、男龍も微笑んで『慣れていたようだ』と肯定する。
ミレイオも笑顔で頷き『私、ちょっと出かける。お腹も痛いし』と、あんまり使いたくないトイレ作戦をやんわり申し出た。
ドルドレンは灰色の瞳を向けて『大丈夫か』と気遣うが、ミレイオはこうした話題を嫌がるとも思うので、そこ止まり。
ミレイオは、ハハッと軽く笑うと『うん。じゃあね。後で町に行く』さらっと挨拶し、タムズにも視線を移し『またね』と言って、お皿ちゃんで後方へ飛んだ。
「ミレイオ。地下の家に戻るかもしれない」
「そうなのかな?腹痛は地下に戻ると、気力で良くなるのか」
「ええ~・・・っと。そうではないと思うのだが。その、タムズたちには思うに、理解し難い体の都合なのだ」
「体の都合か。君たちと異なるからね。ミレイオもそうなのか」
「そうだと思う。ミレイオは人間に近く創られていると、前に本人が話していた」
そう、と頷くタムズ。ドルドレンは、お腹の都合の話は詳しくする気になれず(※この前自分も悩んだ)はぐらかして、理解を求めた。
「ミレイオは、ではもう。地下に戻ったのかな」
「分からない。戻るのはあっさりだ。何度か見たことがあるが、すぐいなくなる」
「そうだね。そうして彼らが戻るのは知っている。そう・・・では私もちょっと、この辺りを見てこようかな」
タムズはニコリと笑って、見上げる灰色の瞳を見つめ『楽しい時間だったよ』と囁く。
「もう?もう帰るのか」
「この辺りの風景を少し見てからね。暫く、イヌァエル・テレンにばかりいたから。久しぶりに中間の地でゆっくりしている。見て回ったら、イヌァエル・テレンに戻るよ」
ドルドレンは寂しい。もうちょっと一緒が良いのに、と思う。
でもタムズは、赤ちゃんの世話もある中で、こうして時間を作ってくれたのだと分かるから、頷いて、彼に貼り付く手を離した。
タムズは陣羽織とズボンと靴を脱いで、翼を出す。浮かび上がって、体を元の大きさに戻すと、ドルドレンに微笑んで『また来るよ』と挨拶した。
「有難う。とても嬉しかった。とても幸せだったのだ」
「そんな悲しそうな目で、私を見てはいけないよ。戻ってきてしまう」
素敵なことを言ってくれるタムズに、ドルドレンは心が絞られる(※恋絶好調)。『戻ってくれたら嬉しいけれど』ムリは言えない、とドルドレンが理解を示すと、男龍は笑顔を一度向けて飛び去った。
「行ってしまった・・・タムズ。俺はどうしてこう、タムズが大好きなのか。いや、愛しているのか」
悩む総長。イーアンへの愛があるのに、男龍にも愛がある自分。うーん、うーん悩んで、苦しい焦がれる胸への対処に頑張る。
ザッカリアが来てくれて『総長、寂しいでしょ』と見透かすような言葉と共に、弦を鳴らした。
悲しそうに頷いた総長を見て、ザッカリアはベルたちに習った、少し切ない曲を奏で始める(※察しの良い子供)。
そうして心優しい子供は、馬車が町へ着くまでの間ずっと。恋に悩む総長の横で、浸れるBGMを弾いてくれた。
お皿ちゃんで飛んだ後のミレイオは、馬車から離れてすぐに行けるだけ上昇し、馬車から見られない高さまで上がってから、森へ向かった。
「上から見ても、川があるのは分かる」
あれかなと、目星を付けた場所は、奥の台地を這う長い川の続き、街道に背を向けるように幅のある滝。その滝の落ちた続きに流れる川は、広い森の合間を抜けて、街道を横切って緩い傾斜の向こうへ走る。
「あれくらいしかないわよね」
そのまま下降し、滝壷へ飛ぶミレイオ。馬車と思しき影は、もう既に点のよう。馬車を横目でちらっと見て、深い森の隙間にある滝壷付近へ降りた。
お皿ちゃんを背負い袋に戻し、ミレイオは、木々が生い茂って影を作る場所に立つ。
目の前に川。左手に滝。覆い被さるように張り出す、背のある木々の枝の影は気温が低く、滝壷の水飛沫が風に乗って、周囲を更にひんやりとさせていた。
滝の高さは、せいぜい10m前後。高さはないが幅があり、へこむ様に岩を削っている様子から、裏手に入れるのが見て分かる。
「ミレイオ」
名前を呼ばれて反応するが、振り向くこともない。『どこよ』探すのも面倒。何でもかんでも、親父に振り回されているような感覚に、面倒臭さがあるミレイオは、相手を呼び出す。
「影を伝う。滝の裏に入れ」
「濡れたら、服代もらうからね」
「金の話か。そんなものに気を遣うなんて」
ふーっと嫌味っぽく息を吹いて、ミレイオはざくざくと滝壷の近くへ歩く。話すと疲れる。手伝うんじゃなくて、利用されると分かっていて動くことに、抵抗が拭えなかった。
滝の裏に回るために、滝壷に頭を出している岩の上を飛び、飛沫を受けながら、ミレイオは裏手の濡れた岩の上に入る。
「やっぱ濡れた。こんなことなら、これ着てくるんじゃなかった」
袖のない革の上着の水を払って、気分を悪くするミレイオに、声が後ろから響く。
「昨日の夜には、水がある場所だと教えてあったぞ。自分のせいだろう」
「一々、ウルサイ!独り言よっ」
イラッとして振り向くと、滝裏の暗い洞窟の中に、あの男がいた。『その格好。何よ。動物じゃないの?』相手の人間の姿もイラつく(※羨み)ミレイオは、嫌味を言う。
「あれで良ければな。あの姿でも良いが」
フフンと笑った男に、昨晩、自分の頭の中を読まれたと分かったミレイオは、少し赤くなって悔しい歯軋りをした。
「こっちのがお前は良さそうだから」
「知るかっ お前が好きに形変えてるだけでしょ!」
「キィキィ煩いのは変わらない。一生、そんなか。サブパメントゥの姿で動きもないとは」
「余計なことばっか言うな!早く用事済ませてよ」
親父に見えない相手に、ミレイオは調子が狂う。早くしろ!と急かし、さっさと用を終えて戻りたい。
焦げ茶色の肌の男は、可笑しそうに鼻で笑うと『ついて来い』と息子に言い、洞窟の奥へ向かって歩き出す。
外よりも、一層冷える洞窟に進む二人。表の晴天の明るさと、裏腹な黒さに呑み込まれるように、その姿は闇に消えた。
滝の上。ずっと上の、雲の間。タムズは腕組みをして見下ろす。
「ふむ。ヨーマイテス。やはりそのつもりの宝石だったか」
男龍は暫く考える。付いて行こうか、それとも待つか。ミレイオに問題はないと思うが、ヨーマイテスの行動は分かれ道。
「どうしたものだろう。ビルガメスに伝えるか」
金色の瞳は、彼らが入った洞窟の上、その茂る木々を眺める。ビルガメスに伝えたところで、恐らく自分と同じように思うだろう。それだとすれば、ヨーマイテスが得るものまで見届けた方が良いか。
「そうしよう。彼は何を持って出てくるか。持ち物次第だな」
タムズは雲の間で、体を包む龍気を少しずつ変化させて、自分をすっぽり包む特別な状態を作る。彼の赤銅色の皮膚は輝きをそのままに、彼が常に体にまとう白い光は消える。
「何度か試したが。どうもこれが一番、使い勝手が良さそうに思う」
フフッと笑う男龍は、自分の体に、龍気状態ではない気体の膜を張り巡らせ、ゆっくりと滝壷へ向かって降りた。
片や、ミレイオ。
「どこまで行くのよ」
カッチョエエ親父の背中を見ながら、ずっと洞窟を進む道。
足元は水に濡れ、天井からも滴る水滴に頭も濡れ、機嫌が悪くなり続けている最中。雨に濡れても気にしないけど、親父の用事で濡れるのは腹立たしい。
「ちょっと。答えなさいよ。うわっ!虫!もう、ヤなんだけどっ」
べちょっと落ちてきた虫を振り払って、騒ぐミレイオ。肩越しに振り返る碧色の目が、面倒そうに煩い息子を見て『静かにしろ』と注意する。
「騒ぐな。響くだろう」
「どこまで行くんだって訊いてんのに、言わないからでしょ!」
「ミレイオ!騒ぐな」
「騒いでないっ!」
ヨーマイテスは、久しぶりの息子の煩さに、眉を寄せ、目を瞑って首をゴキゴキ鳴らす(※親譲りの癖と判明)。はぁぁぁぁぁ・・・鬱陶しい溜め息を大振りに聞かせ、金茶色の髪をかき上げると、睨みつけている息子に静かに言う(※教育その1=親が態度を見せる)。
「ミレイオ。騒ぐな。もうすぐだ」
「さっきも、もうすぐって言った!」
「シーーーーーーーーーーーッ・・・・・ 」
息子の顔の高さまで、顔を寄せて、ヨーマイテスは歯の隙間から音を出し、威嚇に近い『静かにしろ』の教育。ミレイオも、目の前でガキ扱いされて、ぐうっと唸って黙る(※50過ぎてるのに教育受ける)。
親父の碧色の瞳にがっちり睨まれ、ミレイオは唸るだけ。ヨーマイテスは首をゆっくり振って、息子の額に指を当てる。
「頭で話す、って方法もあるはずだぞ。無駄に声を使うよりも、よほど有効だ」
囁くように低い声で嫌味を言われて、悔しくも黙るミレイオに、ヨーマイテスはちょっと笑ってから、また歩き出した。『もうすぐだ。短気なミレイオ』頭の中に滑り込むように話しかける。
――短気なミレイオ。子供の頃に散々言われた言葉。
自分では短気なんて思いもしない。物を作るのも絵を描くのも、根気良く何日も使う。宝や遺跡の調査は、情報収集にも何ヶ月も使ったし、一度で諦めることもない。
誰と会話したって、ちゃんと人の話も聞くし、相談だって時間をかけて乗る。そう簡単に怒らないようにも変わった。
それを、この親父は。人の数十年間も知らないくせに、『短気』と簡単にからかう。
ミレイオにある自覚として、親父との相性の悪さ。それはこの先も、絶対に変わらない気がした。
「着いた」
親父の声と共に、ミレイオはその背中にドンとぶつかる。悔しさとムカつく気持ちで、前を見ていなかった。金茶色の髪の毛に、ばふっと顔がついて、慌てて後ろに下がった。
振り返ったヨーマイテスが、頭二つ分下にある、ミレイオの頭に腕を伸ばして引き寄せる。びくっとしたミレイオは『何すんのよ』と抵抗したが、ヨーマイテスはそのまま自分の脇に息子を寄せた。
「おかしな抵抗をするな。よく見ろ。ここがお前の出番だ」
「何?出番?」
驚いたり不満だったりで、ちっとも落ち着かないミレイオは、聞き返して前を見た。『何これ』岩盤にびっしり彫り込まれた、古い古い時代の絵。その絵は、自分の体にある・・・この絵。それに。
「分かったか。お前がテイワグナで見た遺跡の幾つかは、これと同じ場所が由来だ。
ただ、今。俺たちの見ているこれは、そうは会わない。世界中に散らばっているが、少々大きめなんだ」
「ハイザンジェルは?ないの?」
「ん?ハイザンジェルにか。あるぞ。だがお前は知らないだろうな。山奥だから」
ミレイオが岩盤の絵をじっと見ているので、ヨーマイテスは指差して、少し説明した。息子が関心を示す箇所で止め、質問を聞いて答えてやる。それから、少しして目的を告げた。
「ミレイオ。上着を脱げ。お前の体と照らし合わせる」
「ゲッ。脱げっての?ヤダ!」
「良いから、脱げ。脱がないと先に進まないんだ」
えええ~~~~~!!! ミレイオ、裏声で素に戻る。
数秒前まで、遺跡の話で気持ちも落ち着いてたのに。脱げと言われて、この親父(←ムキムキ&パツパツ)の前で脱ぐのかよと、嫌がるが。
「早く脱げ。手の掛かるヤツだ」
全くと眉を寄せられて、デカイ手に腕を掴まれ、『離せ』『嫌だ』『やめろ』と抵抗したものの。相手の力が普通じゃないので、敢え無くミレイオは脱がされた。
「何をそんなに嫌がるんだか。照れる年でもないだろう」
「お前なんかに、繊細な私の気持ちなんか分かるか!」
苦笑いするヨーマイテスは、細い息子(※自作=細マッチョ)の怒る顔に困って『俺がお前を創ったんだぞ。体つきは、お前が気にすることじゃない』と、何だかよく分からない上から目線で宥めた。
一気に機嫌が悪くなったミレイオの背中を押して、岩盤に両手を当てさせる。『良いか。そのままでいろよ』ヨーマイテスの言葉が緊張を伴う。
「どうすんのよ。何か説明してよ」
「黙れ。お前の・・・ここだ。これと同じ。これが通行手形だ」
何?聞き返そうとして、ミレイオが振り向きかけた時。
ヨーマイテスの片手が、ミレイオの左の肩甲骨をぐっと掴んだ。驚いて声を出しそうになるミレイオ。それを遮るヨーマイテス。
「開け。生きた土が通る」
はっきりと大きな声で。ミレイオの頭の上に降った言葉。その声と共に、岩盤がワッと光り、ミレイオの手は宙を押したように岩が消えた。
「うわっ」
つんのめりそうになったミレイオを、ヨーマイテスの太い腕が抱える。目の前は光の空間。『行くぞ、ミレイオ』光を体中に浴びるヨーマイテスに体を支えられ、ミレイオは何が何だか分からぬままに、空間の中に踏み出した。
「あんた!眩しくないの?体が」
「大丈夫だ。お前がいる分には」
「え?何だって?私が?」
眩い光は、イヌァエル・テレンの光と似て、通路なのか何処なのか。歩みを進めるその場所を包む。ヨーマイテスは光に耐えられないはず、とミレイオは不安になったが、彼は自分を見て微笑んだ。
「お前がいる。お前とじゃなければ、倒れただろうな」
「どういう・・・・・ 」
「俺を捨てるなよ。倒したくても」
冗談っぽく言われた言葉に、ミレイオは、ここで親父を置き去りにしたら、呆気なく死ぬのかと理解する。どうも、自分に触れているから大丈夫そうな様子に、渋々頷いた。
光は徐々に和らぎ始め、二人が歩く場所に音が聞こえ、光が弱くなった時。ミレイオは自分が何処に来たのか、やっと眺めることが出来た。
そこは平坦な草原に、不思議な形の石の堂がポツンと立つ、全く別の場所で、ぼんやりした空気の壁らしき雰囲気が、不思議さに輪をかけて奇妙な印象を持たせていた。




