872. 金色の繭の中で
巨大の意味が、段々分からなくなるほどの大きさが登場する。
自分たちに頭を向けた、ウソみたいな大きさの蛾もどきに、言葉を失う4人。だが、絶句している場合ではない。
褐色の騎士は、ぐっと顎を引いて龍に『向かうぞ』と命じた。その声に、ドルドレンが急いで止める。
「待て!一人でお前」
「結界を張ります。総長、後で来て下さい。俺があの大きさの結界を張ると、意識が飛ぶ。俺の意識が精霊と変わる前に来て下さい。無事な状態を確保して」
「ダメだ、シャンガマック!お前だって危な」
ドルドレンが叫ぶのも聞かず、褐色の騎士は龍を飛ばした。『シャンガマック!』ドルドレンが背中に声をかけるが、あっという間にシャンガマックと彼の龍は、金色の光に渦巻かれて輝き始めた。
彼を包む金色の光は、猛烈な勢いで広がり、彼らが魔物の側へ行くまでの数秒間で、魔物を丸ごと金色の光の中に包み込んだ。
閉じ込められた魔物は、中で羽ばたくが移動が出来ないようで、羽だけが勢い付いて、妙な風の唸りが空に響く。
「シャンガマック。お前は」
ドルドレンはどうしたら良いのか分からない。イーアンも、まさかシャンガマックが突っ込むと思わず、でも自分もまだ離れるわけにいかないので、荒くなる呼吸のままに急いで対策を考える。
ザッカリアも恐怖に包まれたように、シャンガマックの結界を見つめ、それから振り絞るように自分の龍に訊いた。
「お前。俺に何が出来ると思う?」
彼の小さな声を拾ったドルドレンは、さっと子供を見て『ダメだ。ザッカリア。お前はここにいろ』絶対動くなと命じる。レモン色の瞳に、恐怖と不安を一杯に浮かべたザッカリアは、震えるように首を振った。
「俺も。戦う。俺も出来るはずだ」
イーアンが止めようとした時、ザッカリアの表情が変わる。その顔に、イーアンもドルドレンも黙って見つめた。彼は何かを見つけたように上を見て、数秒じっとした後、瞬きした。
「お前の力が、そうなの。お前はミンティンと同じ・・・そう。俺、大丈夫?」
龍に話しかけたザッカリアは、何か可能性を見つけたように、恐れを半分は取り去った顔を向ける。言葉もなく、首を横に振る総長に、子供はごくっと唾を飲んで決心を伝える。
「俺は死なない」
「ダメだ!行くな、お前は」
ザッカリアは総長に、頑張って微笑むと、イーアンを見て『俺はイーアンの息子』と言った。イーアンは頭を殴られたような衝撃を受けて『行っちゃいけません!』と叫ぶ。彼の覚悟だと分かった瞬間、止めようと腕を伸ばした。
「俺は龍の目、ミコーザッカリアだ!女龍の息子、ギアッチの息子、総長の息子!空よ、俺を護りたまえ」
意を決したザッカリアが叫んだと同時に、彼の龍は向きを変えて金色の繭に向かって宙を駆けた。
「ザッカリア!!ダメよ、戻って!ザッカリア!!」
イーアンは雲と風を起こしている。身動き取れないまま、顔だけ向けて、駆け出したザッカリアの龍に叫んだ。
「ザッカリア!ザッカリア!戻って!行っちゃダメよ!」
必死に叫ぶイーアンは震える。ドルドレンがイーアンと交互にザッカリアを見て、イーアンの顔に手を添えた。
「俺は。ビルガメスが護ってくれる。そして、タムズの祝福がある。祈っててくれ」
「ドルドレン、あなたは人間です!中へ入ったら」
「そうだ。でも、龍が守っている。君も俺を護っている。部下が飛び込んだのを放っておけない。俺も行く」
ドルドレン、と名を呼んだのも空しく、灰色の瞳が微笑んですぐ、彼を乗せた藍色の龍は、部下の下へ加速した。
「ドルドレン!!待って!ドルドレン!」
イーアンは伴侶の名前を叫び、心臓がどくんどくん早くなる鼓動で体を揺さぶられる。イーアンの叫び声でタンクラッドが振り返り、消えていく仲間の姿を見つけて目を疑った。
「総長!イーアン、総長は!」
「彼は、彼は、ザッカリアもシャンガマックも!魔物の結界に」
「待ってろ」
タンクラッドがミンティンを見て、『ミンティン、全体を凍らせられるか』急いで訊ねる。ミンティンは理解したように、一度息を吸い込んだ勢いで、思い切り大量の白い炎を噴出した。
逃げ回る魔物の手足はもう斬られて、出ている部分は羽と頭と胴体だけ。巨体なのに動きが早くて手こずったが、幅と量が一時的に増えた白い炎を浴びて、全体的に白く薄氷がつく。
動きが鈍くなり始めた魔物に、タンクラッドは『已むを得ん』と剣を振り上げ、バーハラーに間近へ飛ぶように命じた。
「一気に散るなよ」
動きの速度の落ちた魔物に飛び込み、時の剣を目一杯振りかざしたタンクラッド。翔け抜けるバーハラーの背中から、魔物に直に斬り込む。
「おおおおおおっっ!!!」
猛烈に硬い!!何だ、この硬さはと顔が歪むが、タンクラッドはバーハラーの速度に合わせて、柄を握った手に力を一気に籠め、時の剣の威力を動かす。
『消し去れ!この存在を』タンクラッドの怒鳴り声と共に、剣が眩しい金の光に高熱を乗せ、魔物の体を青い熱と共に焼き消しながら切り裂く。剣職人の腕が力ずくで振り切った時、ガンッと最後の部分を落とした。
「終わったぞ!イーアン!!」
斬ってすぐ、ミンティンが炎を魔物の落ちてゆく体に浴びせ続け、バーハラーを戻したタンクラッドはイーアンの側へ飛ぶ。
「行くぞ。あっちだ」
「タンクラッド、あなたは入ってはいけない」
イーアンは、青い龍の噴き出す炎の邪魔をしないように風と雲を操り、真下へ向けながら彼を止める。タンクラッドはイーアンに『大丈夫だ、俺は』と言いかけたが、イーアンが睨む目に言葉を切る。
「ダメです。あなたは入らないで。待っていて下さい。結界の外です」
「総長たちが入った。俺はルガルバンダの祝福を」
「ルガルバンダの祝福の意味が違うのです。ドルドレンは『イーアンを守る力』をビルガメスにもらったのです。シャンガマックは、分からない。でも精霊が一緒です。ザッカリアはもう、もう、どうなっているか」
泣き出しそうな目を瞬かせ、イーアンは首を振る。
躊躇うタンクラッドに、さっと顔を上げて『外で待機して下さい。結界が外れた時、あの魔物がどうなるか。その時のために』それだけ言うと、ミンティンと目を見合わせ、イーアンは体を翻して金の繭へ飛んだ。
「イーアン!お前は」
「私は傷つかないのです!」
飛び去りながら叫び答えたイーアンは、白い龍気の塊になる。ミンティンが真横に付いて、イーアンを支える。
イーアンは分かっていた。自分が最近、どんどん変わっていることを。
躓いても転んでも、手を切ったとしても。痛いと思うのも短い時間。傷も何も付かない。最初は痣くらいは出来たし、切れば血もちょっと出たが、それももうない。
イヌァエル・テレンで過ごした一週間で、自分の体が癒されるだけではなく、増幅する力を無尽蔵に吸い込んでいるのも気がついた。
ビルガメスが常に一緒だったのもある。卵や赤ちゃんたちのエネルギーもある。男龍に囲まれていた力強い龍気も、空を包む龍気も、全部が自分に流れ込んでは外へ出て行き、戻って来ては、自分を通過して空気になる。
目には見えていなくても、その流れと動きが手に取るようだった。そして以前、ニヌルタが話していた『龍に近いほど傷つかない』の言葉を思い出した。自分がイヌァエル・テレンで過ごす時間が長いほど、龍の体に変わっていく、それを知った。
「だから、私は傷つかない。ミンティン。私はあの中に突っ込みます」
真ん前の金色の光の壁の前。飛び込む寸前でミンティンの角に掴まったイーアンは、青い龍と一緒に結界の中へ突き抜けた。
凄まじい耳鳴りと共に、精霊の結界を突き抜けたイーアンとミンティン。耳鳴りに頭が割れそうになったが、ぶるっと一度頭を振って、目の前を見た。
『巨大』の上の表現があれば、それを使うと思う、恐ろしい大きさの魔物と向かい合った。結界の中は、轟音と異様な空気の振動が激しく渦巻く。
轟く異音と激しい振動の理由は分からないが、イーアンはとにかく急いで、伴侶たちを探して見渡す。魔物がイーアンに気がつき、触覚が動いたのを見た時、ずれた触覚の向こうに光るものがあった。
「シャンガマック」
シャンガマックは上にいた。結界の天辺、そこに球形に輝く星のように一際明るい光があり、その中に人の姿が見える。彼はあの中で無事なんだ、と分かり、シャンガマックには一安心する。
「ドルドレンとザッカリアは」
ミンティンに訊くと、青い龍は魔物の後ろを見るように首を動かし、次の瞬間、イーアンを銜えて真横に飛んだ。『おおっ!』何だ?と驚くイーアンは、ミンティンが魔物の攻撃から守ってくれたとすぐに気がつく。
魔物の目に近い場所から、赤い礫が一気に噴射され、イーアンとミンティンのいた場所に凄まじい勢いで吹っ飛んできた。それらは数百発ほどの小さな隕石のように燃え、結界の光の壁に触れて破裂した。
「何だ、あれ・・・ドルドレンとザッカリアを早く探さなきゃ」
イーアンはミンティンの口に翼を摘まれた状態で、その光景に唖然とする。あんなのに当たったら、男龍の加護がどれほどか知らないが、伴侶たちは怪我ですまない。ザッカリアは特に――
「ザッカリア」
無事でいて、と祈る気持ちで、ミンティンと一緒に魔物を避けて飛ぶ。
魔物は大き過ぎて、閉じ込められた結界の中で向きを変えることが出来ないらしいが、羽はばたつかせるし、どこから攻撃が来るのか、横でも斜めでも下でも、動いた先に赤い礫も飛んでくる。
その上、結界の中全て、空気がきらきらしているそれは、きっと金属粉だと思うと、気が気じゃないイーアン。ザッカリアが倒れているのは絶対に見たくなかった。
「お願い。ザッカリア、無事で」
言いかけて、魔物の下から左に抜け、後ろに回った時。イーアンは目を丸くした。ミンティンはイーアンを一度見ると、彼女より先に自分と似た龍の側へ飛ぶ。
青い龍が飛んだそこには、ザッカリアの乗る龍。大きさこそ・・・そのままだったが。
「あれは同じ龍?」
確かザッカリアの龍は。乳白色の鱗に、青い丸点が沢山付いていて、不思議な模様だった。2本の角はイーアンの角と近くて捻れて伸び、背鰭もミンティンのように棘上で長く揺れるもの。
今、その龍は青い点が繋がって縞になり、その縞を黒く縁取るうねる模様がある。鬣のような乳白色の毛も豊かに生え、それは首から胸や肩を覆っていた。その姿はまるで、小型の男龍・・・いや、男龍が龍になった時のようだった。
「ザッカリア・・・は。え?ザッカリア?いないですよ!ザッカリア!!」
2秒ほど目を奪われたイーアンは、ハッとして、背中に誰もいないことにビックリして叫んだ。ミンティンはザッカリアの変化した龍の側に付いて、小型の龍を守っているように飛んでいたが、イーアンの声でこっちを見た。
イーアンは急いで飛んできて、変化した龍とミンティンを見てから、さっと下や横を見渡し『いない』と焦る。血の気が引き、一番嫌な展開が過ぎった。
狂ったように名前を叫び始めるイーアンは、6翼で魔物の攻撃を交わして飛びながら、子供の名前を呼ぶ。
「どこなの!ザッカリア、どこ?ミンティン、ザッカリアを探さなきゃ。ザッカリア、ザッカリア!返事して、ザッカリア!!どこ?ザッカリア」
「イーアン!」
龍のもっと向こうから、伴侶の声。『ドルドレン!』顔を向けた先に、ショレイヤをすっ飛ばして近づく伴侶を見て、彼も無事であったことに感謝するイーアン。だがザッカリアが!と、泣きつくように伴侶に飛びついて『ザッカリアがいません』恐れる涙目を見開き、訴える。
イーアンを片腕に抱いたドルドレンは、首を振って『違う、いる』と視線を向けた。伴侶の顔の向いた先をイーアンが急いで見ると、ミンティンがこっちを見ている。横の小さな龍も自分たちを見て。
「ザッカリアだ。自分の龍と混ざったのだ」
ドルドレンは驚きで目を見開いたイーアンに、頷く。『あれはザッカリアだ』もう一度そう言うと、飛んできた赤い礫を片手に握った剣で薙ぎ払った。
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