85. 運命の道
夜が少しずつ薄れていく時間。
ドルドレンが眠れぬ夜を過ごした部屋に、静かな足音と、それに続くノックが聞こえた。沈うつな表情でドルドレンは立ち上がり、イーアンを少し見つめてから扉を開ける。
「シャンガマック」
淡茶色の髪を整えもせず、漆黒の瞳にわずかに疲れが浮かんだ顔で、シャンガマックが手を差し出した。
「イーアンはどうですか」
差し出した物は2つの薬のようだった。ドルドレンは手渡された薬を見つめてから、それを作った部下の顔を見た。『変化はない』と短く答え、部屋に通す。
「水はありますか。飲ませましょう」
シャンガマックはベッドをちらっと見て、辛そうに顔を歪めた。溜息をついて、総長に水を求める。ドルドレンは机に置いた容器に水を注ぎ、心配そうに渡す。
「ずっと作っていたのか」
「素材同士を馴染ませたり、様子を見る時間もありましたから。・・・・・でも」
一度言葉を切って、視線を逸らす。もう一度、総長の灰色の目を見つめ『彼女は休む時間が必要だったのです。命が危なかったわけではなかったのです』と伝えた。
ドルドレンが眉を寄せて、『それはどうして・・・』と聞きかける。シャンガマックは、イーアンを見つめながら『精霊に教えてもらいました』とだけ答えた。
そして大きく息を吸い込むと、作った薬のうちの1つを包み紙から出す。
イーアンの頭の下に手を入れ、口を少し開かせて、隙間から薬を少し含ませた。ドルドレンが注いだ水を、イーアンの口に少しずつ流し込む。だが、意識のないイーアンは口から水が溢れてしまった。
その様子を『無理だ』と小さく呟いたドルドレンが、シャンガマックから水の容器と薬を取って、
「向こう、向いていろ」
と、部下に命じる。シャンガマックは何のことかすぐには分からなかったが、あっ、と気が付いて、慌てて部屋の外に出た。
ドルドレンは枕元に跪いて、イーアンの頭を少し持ち上げ、唇を開かせ、薬をもう一度含ませる。
そして耳元で『イーアン。ちょっと苦しいかもしれないが、飲み込んでくれ』と囁き、自分の口に水を含んでから口移しでイーアンに水を渡した。
イーアンが苦しいのは嫌だが、と思いつつ、そっと鼻に手を当て、そのまま口付けを続ける。呼吸が出来ないイーアンは、次第に胸が上下に大きく動き始め、ドルドレンの口の中で『うっ』と声を漏らした。
その声と共に、急いで口に詰まる水を飲み込んだイーアンに、ドルドレンは唇を離した。イーアンは息を大きく吸い込み、咽て咳き込んだ。
「イーアン!」
咳き込み続け、肘をついて上体をベッドに起こしたイーアンを、ベッドに急いで腰かけたドルドレンが抱き寄せる。背中を擦りながら『イーアン、イーアン』と必死になって声をかける。イーアンの瞼が少しずつ開かれ、ドルドレンの腕の中で瞬きした。
「ドルドレン・・・・・ 」
何が起こっているのか理解できていないイーアンは、ゆっくり深い呼吸をしながら、朦朧とする意識で灰色の瞳を見つめ、微笑んだ――
「イーアン、良かった!」
ドルドレンが腕に抱いたイーアンをしっかり抱き締める。声を聞いたシャンガマックが、部屋に入る。総長に抱き締められているイーアンの目が開いているのを見て、大股で近寄った。
「イーアン?大丈夫か。分かるか?」
総長が間に挟まっているが、それは全く目に入っていないシャンガマックは、ベッドの空いている部分に腰かけ、(総長の腕の隙間から)イーアンの顔に手を伸ばし、瞼を少し引き上げて瞳孔の確認をする。ドルドレンは気が付いているが、とにかく離さないでイーアンの髪に顔を埋めるに徹する。
「目は・・・大丈夫そうだな。どこか、呼吸や胸は苦しくないか」
イーアンは目元を微笑ませて、小さく首を横に振った。その視線だけで『ありがとう』と声なき声が聞こえるようだった。シャンガマックは漆黒の瞳を少し涙に滲ませ、『良かった』と呟いた。
「今飲んだのは、血の巡りを良くするために作った。一回に使う量は少ないが、人によって差がある。多い場合は危険だ。苦しくないなら、丁度良かったのだろう」
シャンガマックが片手で顔を拭い、一安心して大きく息を吐き出した。扉がわずかに開いたままになっていたので、足音が聞こえてきた。入り口の前で足音は止まり、壁をノックする。
「総長。フォラヴです。ただいま戻りました」
「フォラヴ、入れ。イーアンが気付いた」
フォラヴが急いで入ってきた。総長と、腕に抱き締められるイーアンと、シャンガマック。机の上の水と薬の包み紙。
「シャンガマックが作ってくれたのですか」
フォラヴが泣きそうな顔をして訊ねた。褐色の肌の騎士は静かに頷いて『さっきだ』と答えた。ドルドレンがびっちり貼り付いて離れない腕の中で、優しい鳶色の瞳が自分を見ていた。
「・・・・・イーアン。ご無事で」
安堵の溜息を長々とついて、フォラヴは崩れるように椅子に腰かけた。『夜通し馬を走らせました。妖精の女王に会い、イーアンは無事であると聞きました。そして今後、イーアンの手伝いをするように、と』フォラヴが微笑みながら報告すると、シャンガマックが不思議そうな顔をして首を横に振る。
「似ている。精霊を呼び出してイーアンに何の手が打てるか、と聞けば、イーアンは休んでいると言われた。目覚めには体力を戻すように、と。今後は、俺の言葉の力をイーアンの助けにせよ、と言われた」
二人の騎士の言葉に、ドルドレンの灰色の瞳がすうっと細くなる。
イーアンの髪に顔を埋めたまま、ドルドレンが呟く。『俺は眠れなかったが。あれは現か、それとも垣間見た夢か・・・光り輝く、人でもなく別の何かでもない誰かに、イーアンから決して離れるなと言われた。常に力を合わせて進むよう・・・・・ 』ドルドレンは顔を上げた。
フォラヴとシャンガマックが、ドルドレンを見た。胸に手を当てたイーアンが『夢を見ました』と全員の顔を見渡して小さな声で話し始めた。
その声はまだ聞き取りにくく、弱々しかったが、瞳には力が宿り、視線ははっきりしていた。
イーアンは自分が見た内容を、少し躊躇いながら伝えた。
一度ドルドレンに視線を移して『異世界』の話の判断を頼ったが、ドルドレンが促がしたので、自分が違う世界から呼ばれて来たことも隠さず、夢の中で見た全てを、そのまま打ち明けた。
話の中に出てきた、白い肌の美しい人は、フォラヴが『その方は妖精の女王です』と空色の瞳を大きくして付け加えた。
茶色の肌に飾りを付けた人のことは、シャンガマックが『何てことだ、ナシャウニットがイーアンに会った』と驚いていた。赤い肌の人は、シャンガマックが言うには『恐らく、俺の部族のさらに北、アティクの部族の精霊では』と言い、イーアンが包まる青い布をじっと見た。
「その文字を見たことがあると思っていた。アティクは知らないかも知れないが、遥か昔に最北の地にあった遺跡の中だ。現在の、アティクの出身地の地域だ」
ドルドレンはイーアンを見つめた。
「俺が見た、光り輝く誰か、とは。夢の最後に、イーアンに『化身を』託した者と同一人物だろう」
「化身、とは。イーアンが夢で見た僧院・・・ディアンタの僧院の外にいた、形の変わった龍のことでしょうか」
「民間で配布されている伝説本には、そうした姿は出てこない。だが龍がいたことを遺跡の彫刻で見たことはある」
イーアンはしばらく考えていた。 ――あの龍。もしかすると。いや、そうとしか思えない。
シャンガマックの見た彫刻。そこで話が止まっていた時、イーアンがドルドレンの腕をそっと解いた。ドルドレンが『イーアン?』と囁く。イーアンは『見て頂きたいものが』と全員の目を見た。
「わっ」
何をするのか察したドルドレンが慌てて隠そうとしたが、イーアンはそれより早く、青い布を下ろした、チュニックの肩の布を袖に向けて引っ張った。
隠そうとしたドルドレンの手が止まり、シャンガマックとフォラヴが躊躇いながらも、目の前に現れたものに釘付けになった。
「シャンガマック。あなたのいう龍はこれではありませんか」
イーアンが服を引き下ろして見せた、左の肩には黒い絵。神話の動物 ―――龍――― が、そこにいた。『私には、この姿に似ていたように思えました』とイーアンは静かに言った。
シャンガマックが口を片手で覆い、ごくりと唾を飲む。『とてもよく似ている。翼はなく、雲を纏う。大きな角と逞しい獣の四肢。それだ』こんなことが・・・・・ と声が漏れる。
フォラヴが立ち上がって、イーアンに微笑みながら青い布をそっと彼女の肩にかける。『あなたが石像の人でしたか』とイーアンの前に跪いた。やはり、と笑顔を深めて。
「さて。『化身』もどこかで出会うようですし、その姿は見当がつきました。となると。総長とイーアンは、何が何でも魔物退治に出かけるのですね」
「今も出かけている」
ドルドレンはちょっと考えながら、独り言のように呟いた。
「いつなのかは、イーアンの夢でも言われていない。今がその時、とは言っていたようだが。しかし、今となれば。ハイザンジェルをこの状態で放って、ヨライデへ行くのは無理がある。」
「きっと、それと分かるお導きが。その導きに沿って二人が進んでいくことで、ヨライデへ・・・・・ 」
フォラヴはそこで言葉を切り、ニコリと笑った。シャンガマックが悟ったようにフフ、と笑う。
「お供しましょう」 「俺も行きましょう」
ドルドレンが頭を振って微笑んだ。
「物好きなやつらだ。当てにするぞ」
魔物に負ける気がしませんよ、とフォラヴが笑った。シャンガマックも一緒になって笑う。『精霊付きだ』と。
シャンガマックは笑顔のまま、一息つく。机の上のもう一包の薬を開き、イーアンに紙ごと差出して『これは滋養のために作った。体の回復が早くなるだろう』とイーアンの手の平に乗せた。
「ありがとう。本当にありがとう」
小さな薬の重さを感じながら、自分のためにこれほど尽くしてくれる大きな情を思い、シャンガマックとフォラヴを交互に見たイーアンは、感謝して頭を垂れた。
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