849. 倒れた勇者 ~仲間の協力
昼になり、馬車は止まった。
ドルドレンは、部下が立つのが分かる。彼が本を閉じた空気がドルドレンに伝わり、椅子をずらした音がして、彼が馬車を降りた振動を少し感じた。
次に、荷馬車にミレイオが上がったようで、調理器具や食材を運び出す音や動きが分かる。それから階段を上がる。『ドルドレン、どうなんだろ』の声が聞こえた。側にいる。
「どうなってるのかしら。イーアンに訊いて分かる感じもしないのよね。あの子は、龍の力も分かってないし・・・この状態のドルドレンは、気絶なのかどうか。せめてなぁ、それだけでも・・・あ。あっ?そうだ、そうだわ」
ミレイオは独り言を言いながら、ドルドレンの頬を撫でていたが、何かを思いついたか、立ち上がった。その空気の動きは早く、ミレイオは階段を下りて、取りに来た食材を慌しくまとめたようで、馬車を出た。
――今。ミレイオは何を思ったのだろう?何か気が付いたようだったが。
ドルドレンは仲間に期待する。それが一縷の望みでも、出来ればどんな形でも、この束縛を解消できることを願った。
努力してタムズの目的『自分で立ち上がる』をこなそうと思うが、初っ端がこれでは、如何せん状態が悪過ぎる。下の世話の心配をしながら、心を立て直すなんて・・・常に心配で(←お漏らし)おちおち、集中も出来ない。
誰かお願いだから、ちょっとだけでも助けてくれーーー・・・・・
ドルドレンの声にならない叫びは、昼食の匂いの漂う外には届かない。それでも、念じればどうにかなるんじゃないか?と、頑張る時間は空しく過ぎる(※念)。
暫くして、誰かが馬車に入り、上に来た。料理の香りがして、ドルドレンは自分が空腹であることに気が付く。間近で嗅ぐ料理の匂いは、漂ってきた時よりも鮮烈な気がした。
「総長。少しだけでも。ダメかな・・・・・ 」
シャンガマックの声がして、その後、彼の指はドルドレンの顎に触れた。少しだけ顎先を押し、口の隙間を作ったようで、そこに匙を傾け、温かな汁物がほんの少し口に入る。
「飲めないか。そうだよな。でも、呼吸はしているから、少しは喉の奥に落ちたかな。これ以上は、窒息するかも知れないが」
僅かな汁物。冷ましてくれたのか、熱くもなく、ドルドレンの口の中と舌を滑り、乾いた喉の通り道に僅かに染み入った、命の料理。ドルドレンの静かな呼吸に、口に含んだ料理の香りが動き、嗅覚と味覚は少量の汁物に感激している。
涙も流せないが、シャンガマックの思い遣りに嬉しくて、泣きそうな感覚を持つドルドレン。
シャンガマックは、もう一度と思ったのか、総長の背中に腕を回して少し立ち上げ、頭を自分に寄りかからせながら、また少しの汁物を匙に取って、総長の口に入れた。汁物は、傾いた総長の顔に垂れて流れる。
「うわ。すみません。こぼれちゃった」
慌てるシャンガマックが、片腕と胸に支えた総長に気遣いながら、急いで布を引っ張って口を拭く。『首にも』しまったなぁと呟きながら、首に流れた汁物も丁寧に拭き取る。
「ダメだ。可哀相だけど、意識が戻るまでは難しい」
謝る部下は、そっとドルドレンの体を戻して寝かせる。汚れているところがないか確認し・・・何やらズボンや足の間もちょっと触れて、漏らした様子がないか確認したようで『大丈夫そうだな』と呟く。それから彼は、食器を片付けにまた外へ出て行った。
ドルドレンは彼の優しさに本当に感謝した。どうにか食事をと思ってくれた。寝たきりでも大丈夫なように、常に気遣ってくれる優しさ。
――絶対、漏らすわけにいかんっ ドルドレンは決意する。
シャンガマックに、俺の粗相を対処させるなんて、言語道断だ。そんなことさせたら、俺は自分を一生恥じるだろう。我慢できなかった自分をっ!
思いやり溢れる部下に、ドルドレンは感動して覚悟を決める。何が何でも、この束縛状態を脱出するんだ、と固く誓う。
考えてみれば。シャンガマックが俺の世話を引き受けたのも、きっと消去法だったんではないかと思う(※当)。
タンクラッドは何があっても、俺の世話なんかするわけない。プライドの高いミレイオも、汚いものは大嫌いだ。フォラヴは、他人のオナラやゲップさえ、相手を軽蔑しかねない勢いで嫌がるから、下の世話など有り得ない。ザッカリアは子供だからムリ。
だから。きっと。シャンガマック。 ――お前だって、嫌だっただろうに―― 誰も引き受けない(※仲間だけど)と分かって、お前が俺を引き受けたんだ。『恩を返す』と覚悟して言っていた。イーアンがいれば、必然的にイーアンに決定する下の世話を、男のシャンガマックが引き受けるなんて。
ここで『イーアンだと、どうなっただろう?』と脱線する。
イーアンなら。俺がまず漏らすとする(※小設定)。『あら。ドルドレン、おしっこされましたね』言いそうだな・・・心に衝撃だ。でもきっと、さくさく脱がせて、せっせと丁寧に拭いて・・・それも別の扉が開きそうだ(※不純)。
そして肝心のお尻だ。あっちはさすがに漏らして、俺も平気ではいられん。
イーアンのことだから、臭いで気が付くだろう。もしかすると、出るのを察知して(※龍気で)服が汚れるのを防ぐために、未然に脱がして、出るのを待ち構えるかも知れない。うおっ それは嫌だ(※真ん前から待つ愛妻を想像)!!
俺が出すところから、彼女は見ているのか(※見そう)!あの人なら、抵抗なく『んまー』とか言いながら、『たっぷりですねぇ。何食べたかしら?』とか何とか感想を呟く愛妻よ(※予想)・・・・・
イーアン。君は。君は冷静で、動じなくて、実に素晴らしいけれど。頼もしさも抜群だが。そんなことになったら、もう俺は、一生奴隷で過ごすかも知れない(※出すとこ見られたから)。
ドルドレンはイーアンの反応を想像し、少なからず消沈してから、シャンガマックにはそうさせないぞっ、と。決意を新たに意気込む(※部下にも奴隷化懸念あり)。
さて。ドルドレンは振り出しに戻って、悩む時間。
ミレイオは何かを感じたようだったが、昼が終わり、片付けも済んで、馬車が再び出発したのに来ないまま。ミレイオの考案は準備があるのかもしれないと、淡い期待を持つだけに引っ込み、やはり自力でどうにかするのが優先。
シャンガマックは横に座り、俺がいつ出しても良いように、待機しているのか。本のページを捲る音だけが聞こえる。
ドルドレンはお腹の調子が心配で、それが頭から離れなかったが。少しすると、気持ちが別の方向に動き始め、以前、ミレイオが説明してくれた『ルガルバンダの行為』を考え始める。
ミレイオがイーアンの工房に来て、コルステインの正体を話してくれた、昼食の時間を思い出す(※551話参照)。
『人間の出す気は、龍気に比べたら、使えもしないような小さなもの。ルガルバンダは、ドルドレンの気を吸い取った。
感情に任せて動く時、人間は気力が増える。気が基本になっている時に気を取られたら、体が動かなくなる』
そうだ。ここに何かある気がする。感情に任せて動く時に気が増える。取られると、体が動かなくなる。ミレイオはそう言っていたのだ。
気力が増えて・・・気力は感情?俺の感情で増やすのだろうか。でも、怒れば良いということでもないし、どうするのだろう?
そもそも、タムズはどうして、俺の気力を奪ったのかと言えば。
『君の心はいつまでも弱さを手放さない。原動力にならないものを手放さないのは、不要な行為だ』
気力を奪ったタムズは『弱さを壊す手伝い』が理由だと言っていた。俺の弱さ?弱いと、自身も困らせ、自信を奪い、他人も傷つける。
そんなこと俺だけに言わないでくれと思った時、タムズは『その動きこそ自信の無さ』と続けた。
俺の、自信の無さ。
ドルドレンは立ち止まる。俺は自信がないのか?そんなこともないような。自信のあること、ないもの・・・それはあるが。どういう意味なのだろう。
イーアンを傷つけることを、自信の無さと結び付けたタムズ。俺の弱さが根底にあり、それが自信を奪って、人を傷つけている。
待てよ。弱さを壊す時、気力が増えるのか?そういう意味か?つまり、弱さを自覚する道具が『自信のなさ』『人を傷つける動き』だとして、この道具がなくなると、弱さは消えるんだろうか。
ドルドレンは立ち止まった場所で、少しずつ内省を始める。
自分の内側に問い、暗い森の天蓋から零れ落ちる、小さな光を頼りに歩き出す。光は自分の本音の欠片で、一つを手の平に乗せて見ても、何のことか分からない。でもその温もりは、自分が隠していた温度で。
『俺は。自分を探すのか』
タムズは最後に言った。『本物の君に会え』と。ドルドレンは探し始める。自分のどこへ向かうのか、抵抗をどっさり抱えて武装した自分が歩く、自分の中の暗い森を。
午後の馬車は静かに進む。今夜の宿泊地・村に向かう道は、両脇に集落もぽつんぽつんと見え始め、山脈側の田舎よりは、地域に人口が増えてきたのが分かる。
ミレイオはタンクラッドと話があり、午後は、フォラヴとザッカリアが寝台馬車の御者に付いた。ザッカリアは楽器を奏でながら、フォラヴとお菓子の話をしている。
ミレイオはタンクラッドが手綱を取る横に座り、今夜コルステインが来たら、お願いしたい内容を伝えていた。
「ふむ。コルステインにドルドレンの中へ入ってもらう気か。お前も出来そうだが、どうなんだ」
「私はやりたくないのよ。疲れるの早いし。あんまり向いてないの。出来ないことないけど」
ミレイオは、ドルドレンの様子をさっき見た時に『あの子の首の。ビルガメスの毛が』龍気が無かったと話す。『だから、コルステイン入れるわよ』とのこと。
「そうか。だとして、コルステインに頼んで入ってもらって。どうするんだ。彼に意識があるかを訊くのか?」
「原因が分からないじゃないの。いつまで、あのままかも分からないし。
男龍の都合もあるだろうけど、私たちに何一つ言っていないでしょ?『困ったら呼べ』とは言われてもさ、ドルドレンが漏らしたって困るんだから(※タムズたちには無縁)」
「まぁな・・・男龍に、そこまで関心ないだろうから。気にしてもないだろうな。そこだけでも訊ければなぁ(※漏らさないなら放っておく気)」
だから、コルステインに少しでも情報もらえばと、ミレイオは言う。『タムズに何を言われたか、くらいは訊けるでしょ』それだけでも違うと話すミレイオに、タンクラッドも頷いた。
それからミレイオは、タンクラッドを見て『ビルガメスが、あんたに言ったことも気になる』と続ける。
「俺に?昨日、話した内容か」
タンクラッドは昨日、ドルドレンの留守を預かり、皆を導いた一日だったが、夜営前の道でミレイオに『空でビルガメス、何て言ってたの。イーアンはどうしてたの』の質問を受けて、ある程度を伝えていた。
ミレイオと話をしていた際、自分が入った遺跡の絵柄と、ミレイオの刺青が似ていることは、どうにも気になって少し話した。
ミレイオは一瞬目を開いたが、すぐに普段の顔に戻って『どうかしらね』と、これについては短く答えて終わった。ミレイオも、遺跡の話を聞きたそうで少し沈黙があったが、結局それ以上は会話がなかった。
その話かと思い、タンクラッドはミレイオに『遺跡での話か』と確認する。ミレイオはちょっと首を振りかけて止め、『うーん。そういうわけでもないけど』考えるように答える。
「言ってたじゃない。変わった遺跡に連れてかれて、そこで過去を重ねなくても良い、って教わったって。あれよ、内容」
タンクラッドは、過去の風景を見たことまでは話さなかったが、遺跡の中で『過去について話した』ことにしていた。その内容を、ミレイオはもう一度聞きたいと言う。
「ドルドレンと繋がるかも知れないでしょ。あんたを空に呼んで、そこまで教えてあげたわけで。ビルガメス・・・あんたは呼んだけれど、昨日ドルドレンが空に自分から上がった時は、何も言っていないのよ。
それで今日、タムズが来たでしょ。タムズがわざわざここへ来て、ドルドレンを動けなくさせて」
「俺には話で、総長には体験。ってことか」
「そう思えるけど。イーアンはしょっちゅう、空であれこれ言われているから置いといて。あんたもドルドレンも、旅の仲間の中では、立場が大きいじゃないの。過去も絡むって聞いた時は、それは一人じゃ対処できない、って私でも思ったもの」
「ミレイオ。お前は、ドルドレンも過去に苦しんでいると思うか?」
「思わないわよ。あの子の先祖、碌でもないじゃない(※初代&ギデオン=最低)。先祖が悪くて悩む程度で、あんたやイーアンみたいに、過去の同じ立場の誰かが被るとかじゃないもの」
そうだなと呟き、ミレイオに頷く親方。でも親方の中では、ドルドレンも気が付いていないだけで、そうした影響があるような気がしていた。
問題は、彼が自覚していないこと。仮に過去の影響があったとしても、自覚がなければ改善しようにも、まずは受け入れたり信じないといけない。それが済んで初めて、改善の取り組みが出来るものだ。
「コルステインに。訊いてみるか」
コルステインなら、何かを探れるかも知れない。親方もそこは期待する。ドルドレンは勇者だが、急に弱気になる部分は何度か見ている。その原因が解消出来るなら、今後の為に良さそうに思う。
馬車は魔物に出遭うこともなく、午後の道を進んだ。
ミレイオとタンクラッドは、そのまま御者台で村に着くまで話し合い、いつしか後ろの馬車から音楽は聞こえなくなり(※子供は昼寝)荷馬車の中では、ドルドレンを見守るシャンガマックが、総長に熱くないよう、結界を張って過ごしていた。
村は、午後3時を回る頃に前方の下った丘に見えてきて、手前に幾つかの遺跡を見つけたミレイオが、シャンガマックに知らせに行った。
気になって仕方ないシャンガマックは、担当を交代してもらい、そそくさと遺跡へ向かい、この間、わぁわぁ揉めた末、苦虫を噛み潰したような顔の親方がドルドレンの側に付く(※ミレイオに負けた)。
村はすぐそこ。夕方に入る前に、今夜は村の中で休むことになった。
お読み頂き有難うございます。




