846. 男龍の躾け方
馬車に戻った朝。ドルドレンの態度は変わっていた。
心に抱えたものが払拭されたように、彼の表情に明るさが戻り、朝食を作り始めたミレイオに、一日留守にした詫びを伝えてすぐ、空の上で起こったことを伝える。
ミレイオは微笑んで頷き『良かった』と、彼の腕を撫でた。ドルドレンがこうして、少しずつ自分の中に自信を持つようになると良い。急には難しいけれど、少しずつでも。
タンクラッドが起きてきて、ドルドレンと目が合った。ドルドレンは立ち上がり、イーアンに謝った話や、毎晩出かけることを言う。タンクラッドは静かにそれを聞き『毎晩。コルステインがいるからか』と聞き返した。
「残り、今日を入れて5日だ。イーアンが空にいるのは。男龍の都合だと言うし、俺が会いに行こうと」
「5日。待つことは考えないのか」
「毎日会いに行けば良いと思った。俺が不安を感じるのは、彼女が側にいない気持ちだから」
タンクラッドは黙る。ミレイオは剣職人の沈黙は理解出来る。友達の剣職人をちょっと見ると、彼もまた視線を返した。ミレイオは小さく首を振り、ドルドレンに丁寧に話す。
「ドルドレンは、それが本当の不安だと気が付いたのね」
ミレイオの言葉に、ドルドレンは頷いた。『だから。俺は一緒にいようと思う』一目見るだけでも、一日一回でも、と熱く気持ちを話す騎士に、ミレイオはやんわり遮り教える。
「会いに行く。その気持ちはあんたの不安でしょ?」
「そう。不安を感じないようにすれば」
「そうかな。感じないように気をつけるのも大切だけど、不安をなくした方が良くない?」
「え。どういう意味だ。だから俺は、俺なりに動こうと考えて、一日に一度は空へ」
「ドルドレン。お前は不安を守っている気がする。お前の言う不安は、タムズが話していた『殻』じゃないのか」
ミレイオの言葉に理解が届かなかったドルドレンに、親方が続きを引き取って伝える。ドルドレンの灰色の瞳が困惑の色を浮かべた。『意味が。よく分からない・・・・・ 』何が違うのか、分からないと彼は呟いた。
「タンクラッドだって。3日に一度はイーアンと会おうとしたのだ。イーアンは疲れていても通った。お前から連絡が来て叱られる、といつも言っていた」
それを言うと、ミレイオがじろっとタンクラッドを見る。突然、暴露された剣職人も咳払いし『そうだな』と肯定する。
「あのな。あれは不安じゃないぞ(?)。会わないと不安、それで決めたわけじゃない。会いたかったからだ」
「それ。何が違うのだ。会いたいのは不安だからだろう。タンクラッドだって」
「だから。そうじゃないんだよ。会っていないと不安なんて、まず、ない。
心配はあった。あいつは会えばいつでも怪我をしているし、どんなに頼んでも、戦うのを止めなかったから。でもそれは、不安を根本に、生まれた心配ではないんだ。
俺は単に、彼女に会いたいだけだった。会って、話をするのが楽しいし、一緒にいる時間はいつも有意義だからだ。それを楽しんでいたから、会いたくて呼んだ」
あまりに赤裸々に、ご自身の気持ちを打ち明けてくれる剣職人に、聞いた自分がバカだったと、ドルドレンは眉を寄せた。横にいるミレイオも、苦笑いで首を傾げている。
「タンクラッドの言いたいことは何となく理解した。だがな。そんなお前がいるから、俺は不安が募ったのだ。お前だけじゃないけど。不安を募らせたのは周囲だぞ」
親方は小さな溜め息をついて、目の前の男に説明する。
「人に被せるな。いつまでも解決しない。自分の心を動かせるのは、自分だけだ。そんな目で見るな、ドルドレン。
お前が留守の時。フォラヴも話してくれたが(※ここでドルの目が瞑られる)・・・騎士修道会の環境にイーアンを置いた時点で、彼女にはどうにも出来なかったとは思わんか?
男所帯に引き取られて、そこで誰とも話さず、笑顔も向けず、手伝いもせず、イーアンが過ごせたら。それがお前の安全だったと思うか?そうじゃなかったイーアンの性格で、お前が不安になる要素が増えたのか?
仕事だって、職人仕事だ。女の職人がいるのは家族工房くらいだぞ。協力を求めれば当然、男と話す状況が整うくらい、分かるだろう。彼女は一生懸命だし頑張るから、誰もが撫でたり(※特に俺)労ったり(※これも俺)したくなる。
状況を考える前に、境遇を考えろ。彼女を取り巻く人間を見るんじゃなくて、彼女がいる場所を考えろ。
考察に忘れ物がないか、隈なく考えた上で、自分が何を見ていたのか、もう一度見直せ」
タンクラッドの言葉に、ミレイオは何も言わなかった。同じように感じるから、ドルドレンの反応を見つめる。
彼は、見落としている何かに気が付いたようで、表情に戸惑いが見えたが、それが何かまではまだ掴めないようだった。
「なるほど。タンクラッドの言い方は良いね」
3人が焚き火の周囲に立って話している間に、いつの間にか来ていたタムズが、馬車の向こうから現れた。
驚く3人が振り返ると、男龍は微笑んで『気が付かなかった?』とミレイオを見た。
「ごめんなさい。ちょっと、ここのところ。私も鈍くて」
「謝らないでくれ。ミレイオにイーアンは大事な存在だ。無理もない。でも彼女は君をとても好きだから、元気をお出し」
タムズは近付いて、ミレイオの背中を撫でる。タンクラッドも、龍に反応する自分が気がつかないことに、少し疑問を持った。
男龍は、焚き火にかかった鍋や、側に置かれる道具を見て『これから食事?』と訊ねる。
頷くミレイオは、どうしていつもの『眩しいほどの男龍の光』にさえ、自分が気が付かなかったのかと疑問に感じたが、それぐらい鈍ってるのかもと思い直す。
「そう。これからよ。皆が集まったら食事。今日は次の村に入るから、泊まるのは村だと思う」
「では、そこで少し休めると良い。タンクラッド。君の言葉で、ドルドレンが理解を深めることが出来るなら良かったのだが」
ミレイオからタンクラッドに視線を移した男龍は、剣職人の不思議そうな目つきに頷く。
『私の来た理由かね?』無言の問いかけにタムズは確認する。彼がゆっくり頷き、それからドルドレンを見た時、男龍は悲しそうに下を見た。
「そうなんだ。ドルドレンを助けるためにね。ビルガメスに言われて来たのだよ。
さて。最初に伝えておこう。ミレイオ、タンクラッド。聞きなさい。これから私はドルドレンと話がある。彼が動けない時間に魔物に困った時は、迷わず私を呼びなさい。遠慮は要らない。ザッカリアにも伝えてある。
夜間はコルステインが来てくれるようだから、日中だけだね。君たちの無事を守ろう」
ドルドレンは目を見開いて、瞬きも忘れ、赤銅色の男龍を見上げる。金色の瞳がドルドレンに向けられ『少し話そう』と穏やかに誘った。
驚いているのは、ミレイオもタンクラッドも同じだが、『ビルガメス経由の動き』であることを伝えられた時点で、タンクラッドは感じる。ドルドレンも、何かを導かれると。
二人の見ている前で、タムズはドルドレンを連れて、荷馬車へ入った。タムズは大きいままなので、荷馬車に腰掛けたようだった。気になるミレイオはそれを見て、剣職人に訊ねる。
「タンクラッド。あれ。何だと思う」
「お前の想像と一緒だ。ドルドレンが試練を受けるって気がする」
荷馬車の後ろから少し見える、赤銅色の足を見つめ、ミレイオは黙っていた。親方も同じ方向に顔を向けたまま『男龍の。何かあるんだろう。事情や、考え方や』聞こえないくらいの声で呟く。
男龍にわざわざ、教えを施される機会を得た人間・・・その立場は、普通に考えれば、恵まれた存在以上の関係にしても。特別中の特別と感じても。
一歩。立ち位置がずれていれば、出会うことも関わることもないわけで。それが幸せかどうかもまた、人間の目から見れば『複雑かな』親方は心の中で呟きを繰り返した。
タムズは、荷馬車の中に入って座ったドルドレンの頬を撫でた。不安そうな灰色の瞳を見つめて『教えることがある』短く言う。
「様々な事情が絡んでいる、今。君にもこの機会が丁度良いと判断した私たちは、実行する。
何、大袈裟なことはない。よく考えてみれば、人間の成長を促す男龍なんて皆無だったのだ。ほんの少し、気紛れに似た手伝いをしてあげようと、その程度のことだよ。
・・・・・しかしね。
私たちには些細な気紛れでも、君たちには大きな出来事にも思うかも知れない。だから、先に言う。
今から私は、君を鍛える。私がしないと、ビルガメスが来る。彼に任せる気になれず、私が引き受けたんだ」
「俺を、鍛える。どうやって。理由は?俺がイーアンに会いに出かけて、昨日、何か言ったのが」
「静かに。聞くんだ。聞きなさい。そうだ、私の話を聞いて。
君は私が見ても、優しく愛情深く、素直で忠実だ。ビルガメスもそれは知っている。だが、君の心はいつまでも弱さを手放さない。原動力にならないものを手放さないのは、不要な行為だ。
その弱さが、君を困らせ、自信を奪う。自信がないと、イーアンを傷つける。思うに、他の者たちも傷つけているだろう。
ドルドレン。何も言うな。まだ私は話している。どうして自分だけ、と思ったな?他の皆もそうだと言いたそうな顔だ。そうだと思うよ。人間は皆同じような感覚を持って、生き続けるようだから。
さて。そこだ。今、君が私を遮ろうとした、その動きこそ、君の『自信の無さ』だ。
確かに、放っておいても良いようなことだよ。龍族には、一人の人間の性格など、本来は気にもかからない。
でもね。君はドルドレンだ。その辺の誰かではなく、私の祝福を受けた、ドルドレンだよ。女龍の伴侶であり、空に無関係ではない男だ。
この前も話したが、君が勇者かどうかは二の次だ。それは形だ。使命はあるだろうが、形は自分で変えられるもの。
大切なことは、『誰が』勇者として選ばれているのかだ。君が勇者だから、私たちが手を出すのではない。勘違いしてはいけない。君がただの騎士でも、私たちは君に関わる。
それは、君が私と約束し、イーアンと約束した男だからだ。何度も伝えているが、祝福を受けた以上、人間とはいえ、私たちの一部なんだよ。
だからね。私たちは、君を鍛える。君の中にある、弱さを壊す手伝いをしよう。
何をするか。君の気力を奪う。一時的ではなく、しっかり奪う。怖がるな。
ルガルバンダが最初に君に行ったことを知っている。彼はその時、イーアンにもそうした。
君は動けなくなり、彼が解いたら動けるようになった。
イーアンは自分の力で外した。彼女は、魂が龍だからというのもあるが、元々の魂に龍気も蓄えていれば、龍に未熟なあの時でも、凄まじい猛りを宿していたからだと思う。
君に、イーアンのようになれ、とは言わない。彼女は彼女で、君は君だ。君は・・・君の力で、立ち上がりなさい。自分を信じて、立ち上がった時。君は弱さを既に後にしている」
タムズは全て話終えると、ドルドレンの額に指を置いた。その指は恐れを持つ灰色の瞳に見つめられ、少し力を持って押される。
「タムズ・・・・・ 」
「ドルドレン。本物の君に会え」
男龍の金色の瞳に揺れが見えた瞬間。ドルドレンは倒れた。瞼も開ける力が消えたことに、ドルドレンは焦った。体が、動きを感じない。意識はあるのに、焦る気持ちはあるのに、何も動かない。
タムズが立ち上がったのが分かる。影が自分の上に過ぎり、男龍は馬車を立って消えた。
それから、少ししてドルドレンの側に仲間が集まったのが分かった。皆の言葉が聞こえるのに、唇は石のように固まり、指は馬車の床に貼り付いたようだった。
唯一、瞼が少しだけ開いていたが、睫で遮られ、ぼやけた視界には光の丸みしか見えなかった。
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