844. イーアンに会いたい
イヌァエル・テレンに到着した、ドルドレンのその日。心臓が縮むような時間の連続だった。
タムズに連れて行ってもらった場所は、ビルガメスの家ではなく、彼を呼び出す別の場所。このことから、イーアンはビルガメスの家にいるのかと、ドルドレンは察しを付けた。
浮島の一つに降りたタムズは、ショレイヤにも降りるように言い、それからビルガメスを待った。『すぐに来ると思うよ』赤銅色の男龍は微笑む。その微笑に、いつもなら喜ぶところ、ドルドレンは緊張した。
間もなく、重鎮が登場。
「ほう。昨日はタンクラッド、今日はお前か。二日連続で人間がイヌァエル・テレンに来るなんて(※親方は呼んだけど)時代が変わったな」
ハハハと笑うビルガメス。空で見ると、余計に大きく見える。彼らの敷地にいるのだと、強く意識させられるドルドレンは、深呼吸をして頷いた。
「イーアンに用か」
「そうなんだけれどね。彼はまず、自分の心を見つめ直して謝りたいらしい」
「ふむ。謝るためだけに来たわけじゃないだろう」
「そうだよ。ドルドレンはイーアンに、毎日会いに来たいそうだ」
ふぅんと、眉を上げたビルガメスは少し笑う。『お前が旅の仲間を置いて、ここへ来ると言うのか』やっぱり訊かれるその質問に、ドルドレンは答えが用意出来ていない。
「そうしたい、と思ったのだ。少しの間でも良いから」
「少しとはな。ここまで来て、5分で帰る気もないだろうに(※おじいちゃんは意地悪)。お前が不在の間は、さすがに旅路は困難じゃないのか?」
「う・・・そう。思うが。でも。イーアンが動けないなら」
縮まるドルドレンに、タムズとビルガメスは顔を見合わせて、声を立てずに笑う。笑った顔のままタムズは目を閉じ、ビルガメスに答えを出させることにする。
ビルガメスも笑みをそのまま、違う方を見て『さて。どうするかな』と呟いた。
自分よりも、1mも2mも背のある男龍の表情など、顔を俯かせるドルドレンには全く分からない。二人が可笑しそうに決めかねている様子は、俯いたままのドルドレンには厳しい沈黙に感じた。
「お前がいない旅を思うとな。そこは俺たちも安易に『良い』とは言えない。
タムズもイーアンの代わりくらいなら出るが、お前まで不在となれば、それは呼ばれる回数も増えかねん。タムズにとっても都合が良くないぞ」
あまりに尤もなご意見で、ドルドレンは悩む。これは自分の我儘だろうと分かっている。でも、会いたかった。
「毎日はムリでも・・・二日に一回とか。夜は?夜はコルステインがいてくれるのだ。夜なら、毎晩通える」
なぜ思い出さなかったのだろう、とハッとするドルドレン。そうだ、コルステインは、絶対に夜間は来てくれる(※By親方)!コルステインが倒せない魔物は、まず、いない。
希望を持ったドルドレンは、彼らを見上げて『夜なら』と交渉に出た。いきなり上を見たドルドレンに、おじいちゃんは、さっと顔を戻して真顔になる(※おじいちゃんは意地悪2)。笑いそうになるタムズは、顔を擦って後ろを向いた。
「なるほどな。夜なぁ。夜はでも。イーアンも寝るだろう。うちに泊まる気か?お前も」
「あ、いや。イーアンはビルガメスの家なのか。夜も」
「そうだね。ビルガメスが独り占めしているんでね。そうだろう?」
ここは突っ込もうと、タムズが笑みを浮かべたまま、ビルガメスに訊ねると、鬱陶しそうな顔のビルガメスが『だから何だ』と答える(※最近、ちくちく他の男龍に言われる)。
「あいつは俺の家なら慣れている。最初からそうだったんだから。今更、お前たちがあれこれ言うのも変だぞ」
煩がっているビルガメスの言葉に、ドルドレンは軽く衝撃。
言われてみれば、イーアンが回復する時も、確かビルガメスの家だった。彼の家で寝かせてもらって、と話していた。
今もなのかと思うと、昨晩はどうしていたのか・・・気にしてもどうにもならないが、また不安の虫がざわめいている。
そんな黒髪の騎士を見て、ビルガメスは『来ても良いが』笑顔のない顔で呟く。
あっ、と声に出したドルドレン。会わせてくれる。時間は短いかも知れないが、会えるには会える。不安になっている場合ではない、今が機会なのだと考えて『イーアンが眠る前に戻る』と答えた。
タムズとビルガメスは、必死になっている彼に何を思うのか。二人は暫く黙り、タムズが先に口を開いた。
「だそうだよ。どうするね」
「ふーむ。まぁ。お前が気に入っている男でもあるし」
「気に入っているだけではないよ。大切にしているんだ。ビルガメスだって、イーアンはそうだろう」
「俺は愛しているぞ。お前と違って」
「困るね。私だって彼を愛しているよ。そんな小さな差を持ち出さないでくれ」
二人の会話に、ドギマギするドルドレンは、少し赤くなったり青くなったりを繰り返す。
タムズに大切にされているとか、愛されているとか(※昨日も言ってもらったけど)。
それは最高に幸せな言葉を聞けているのだが、ビルガメスが事も無げに『イーアンを愛してる』とはっきり目の前で言うと。
彼から、直に聞いたこともあるし、分かってはいるものの、この心境では不安にもなる。今、イーアンは彼の元にいるのだ。自分ではなく。
そしてビルガメスは、ドルドレンとは比べられないくらいに、強く、堂々として、頼もしく、格好良い。それにイーアンは、ビルガメスたちと同じ龍族なのだ。自分と異なる種族。その違いが埋められないことが辛かった。
「仕方ないな。ちょっとだぞ。来ても良いけれど。今回、イーアンは基本的に動けないんだ。彼女が卵の側を離れると、卵が孵らなくなる可能性が高くなる。これは龍族の都合で」
「それは話したよ。私たちとイヌァエル・テレンに影響するから、って。彼女が選んだわけではないと言ってある」
タムズがビルガメスを短縮。おじいちゃんは遮られるの嫌い。少し機嫌を悪くしたように、若手の男龍を見て『何言おうとしたか、忘れただろう』とぼやく。ドルドレンは話が消えると困るので、慌てて言う。
「ちょっとなら、行っても良いと・・・ビルガメスは言ってくれたのだ」
「うん?そうだった(※ボケ)。そう、少しな。イーアンがお前と会うのも、本当に僅かだぞ。お前はイヌァエル・テレンに来ることは出来ても、彼女のいる部屋に入るわけにいかんから」
「そうだね・・・ドルドレンは、建物から離れた場所にいる方が良いだろうね」
ビルガメスとタムズの話題がよく分からないが、ドルドレンは少しでも良いからと頼み込んだ。
あまりに少しだと『意味がないだろう』と拒否されそうで心配だが、そんなことはドルドレンに関係なかった。少し、本当に少しでも良いから・・・毎日会いたい。それが叶えば、と願う。
本当は。おじいちゃんとしては。
『ドルドレンも、何か言ってやらないといかんなぁ』と思っていた矢先なので、飛んで火に入る夏の虫状態である今回、こんな勿体ぶることなく、すんなり『手間が省けた。よく来たな』で済ませて良いような話でもあるのだが。
今は、動き始めたビルガメスたちの都合がある。
そして、ドルドレンの様子から、やはり引っ掛かりもあって、それについては、後日にでも教育しようと考えていた分、あれこれ思案していた。
横にいるタムズは、ビルガメスの性格が分かっているので、一緒になって合わせるのみ。
タムズの目から見れば、ドルドレンは可愛いもので、少々、その人間的な性質から躾ける時もあるが、基本的に物分りも良く、素直で忠実に懐いている彼には甘くしがち。
なので、あまりビルガメスに翻弄されては可哀相になる(※自分も笑ってるけど)。困って悩むドルドレンを見ると、つい『大丈夫だよ』と言いかけて、ビルガメスにちらっと見られる(※おじいちゃんは自分のペースを崩されたくない)。
でもね。ちょっと思う。
タムズはこの時、ビルガメスに合わせて言わなかったが、ドルドレンが眉を寄せて一生懸命、ビルガメスと交渉する可哀相な顔を見ていると、教えてあげたくなることがあった。
――イーアンは卵部屋なのだ。初日の朝はビルガメスの家で眠っていたが、昨夜はもう、卵部屋(※勤務)。
ドルドレンは、ビルガメスの家に彼女がいると思って心配そうだが、そんな心配はないのだ。それに今の君がそこまでしても――
「ここでいつまでも話しているわけにも。どうするね」
「仕方ない。ここまで来たんだ。とりあえず、今は連れて行ってやろうか。ドルドレン、お前が離れては旅が大変だろう。そう長くはいない方が良いぞ」
タムズは気掛かりもあり、時間を促すと、ビルガメスは察したのか、いい加減ふざけるのをやめ(※自分の楽しみで)ドルドレンを動かすことにした。ドルドレンは目を見開く。会える!
「有難う。滞在時間は気をつける。今すぐ行くのだ。案内してほしい」
「ふむ。よし、付いて来い」
ビルガメスはそう言うと、タムズにちょっと手で方向を示してから、さっと飛んだ。タムズはドルドレンに『彼に付いて行くと良い』と教え、自分は用があるからと挨拶すると、微笑んで別の方向へ飛んで行ってしまった。
タムズが一緒じゃない理由は分からなかったが、ドルドレンは言われたとおり、すぐにショレイヤにお願いして、ビルガメスの後を追う。
ショレイヤは男龍があまり得意ではなさそうに、消極的な反応を見せていたが、ドルドレンは今はとにかく、イーアンに会いたかった。朝まで抱えた彼女への不満を後悔し、反省した自分の気持ちを形にしたかった。
「イーアン。ごめん」
龍の背で呟くドルドレン。いない時間に怒鳴って八つ当たりした。彼女の悪い面を作り上げた。そんな自分の弱さを恥じる。
ミレイオに言われるまで、不安に負けて、彼女の優しさを思い出しもしなかった恩知らずな自分を、情けなく思った。『毎日。会うのだ。俺が来れば良いだけのことだ。一分でも、二分でも。いや、一目見れたら』それが本当の想いだ、ドルドレンは頷く。
ビルガメスは、龍の子の住まいある、大きな一枚岩に向かって飛んでいた。ショレイヤが後に続いて、男龍と、人間を乗せた龍は、一枚岩の屋根の下へ入った。
岩の屋根の下へ入り、光が差し込む不思議な空間を飛び、すれ違う龍にちらりと見られながら、ドルドレはそこがどこだか理解していた。そして、龍の子の住まいの近くに降りるビルガメス。
ショレイヤも降りると、男龍は振り向いて、ドルドレンに『ここで少し待て』と言う。彼はそのまま歩いて行き、建物の影に入った。
「ショレイヤ。俺はこんなところに来ると思わなかった。でも、今ここにいる。
あると思ってもなかった場所があり、入れるはずもないと思っていたのに入れた。
この先もしも。俺が住めるはずもないが、もしも。戦いが終わり、旅が終わったら。俺がここに住めるなら。イーアンも生活が楽だろう。そう出来れば良いのに」
ショレイヤは黙って聞いていたが、ちょっと目を動かして乗り手を見た。金色の目が自分を見たので、ドルドレンは藍色の肌に頭を寄せる。『そう思っただけ』何でもないよ、と呟いた。
暫く待っていると、ふと、気配を感じた。気配というべきか。そんな感じというべきか。曖昧なそれは、ドルドレンに確かなものを齎す。さっと顔を向けると、白い翼が飛んでくるのが見えた。
「イーアン!!」
叫ぶドルドレン。白い翼はどんどん近付いて『ドルドレ~ン』間延びした朗らかな声で、自分の名を呼んで手を振る。
イーアン、イーアン、と叫んでショレイヤを飛び下り、ドルドレンは駆け出す。両腕を広げて『イーアン、おいで』と呼ぶと、イーアンは降下してドルドレンに抱きついた。ドルドレンは両腕を巻きつけて抱き締める。
「こんなところまで来て下さって」
「会いたかった。会いたかったのだ。どうしても」
ドルドレンは涙を流す。笑顔のイーアンに『勝手に逃げて』と思った自分が恥ずかしかった。すまなくて泣いた。
イーアンも自分が信用に足らないと知ったので、彼の気持ちを汲めない自分に戸惑い、何とも言えず。でもこうして会いに来てくれた伴侶に、感謝するだけ。
「ごめんね。俺はいつも」
「いいえ。私も」
見つめ合って、ぎゅうっと抱き締めて、ドルドレンは何度もイーアンにキスして『悪かった』と謝る。聞こえていないはずの、自分の苛立ちや文句だが、この人によくそんなことを思ったもんだと自分が情けない。
イーアンは何かを知っているように微笑み、しがみ付く伴侶の頭を撫でて『何も気にしていません』と伝え『私が飛び出たのがいけませんでした』と謝った。
二人が抱き締め合っていると、後ろからおじいちゃんが来て『ちょっと離れろ』と命じる。イーアンはちらっと見て『感動しているのです』冷ややかに答える。
「お前は。俺にはしないのに」
「それは、しませんでしょう。ビルガメスとドルドレンは違うんだから」
何言ってるのとばかりに、イーアンはおじいちゃんに据わった目を向ける。ビルガメスは不満丸出し。
ドルドレンはちょっと男龍を見て、少し笑う。そうか、ビルガメスは面白くないのか・・・イーアンがどう過ごしているのか、毎度不安になるけれど。彼女は彼女の境界線がある。
「一緒に寝るのに」
おじいちゃんのぼやき。ドルドレンがびくっとする。びくっと反応した伴侶に驚き、イーアンはさっと男龍を見て『寝るなんて聞いたら、驚くでしょう』おじいちゃんを叱る。
「寝るだろう。一緒に。何度も(※おじいちゃんは悔しいから言うだけ言う)」
「ドルドレンが恐れています。やめて下さい。横にいるだけですよ」
彼のベッドは広いです、とイーアンはドルドレンを見て頷く。言われてドルドレンも思い出す。一度行った時、そう言えば部屋のようなベッドがあった。あれか、と思うと『そうか。あの大きさなら』と納得する。
「頭を撫でたりね。頭にちゅーしたりはありますよ。寝てるとお腹に手を置いてくれたり。布団ないの」
「布団ないのか。確かになかったな。枕もないのだ」
そう、と頷く愛妻(※未婚)。だから転がるだけと教える。そんな二人の会話に、ビルガメスはつまらなくなる。『お前。そろそろ戻れ』早くしろ、と急かし始めた。
「来たばかりですよ。ビルガメスが交代で入ったではないですか。ビルガメスが卵ちゃんたちを見ててあげて下さい」
何で来たんだと、イーアンは攻撃する。ビルガメス。それを言われると返せない。不満そうな目つきで『ドルドレンは旅の最中だぞ、早く帰さないと』と悔し紛れに言い、それからひゅーっと飛んで戻った。
見送るドルドレン。『ビルガメス』名前を呟いて、ちょっと笑った。イーアンもおじいちゃんの背中を見送りながら、少し笑う。
「ビルガメスはイーアンを愛していると言っていた。だから、俺と一緒にいるのを見ると嫌なのかも」
「それはないと思います。単に。自分にしてもらえないことを見たから。何で?と思っています。彼らは皆、そうですよ。男龍は皆、そう」
「妬きもちではない?」
「違うと思います。そうした感情は少ない・・・いえ。そもそも、あるのだろうか。ないような。
『誰かにあって自分にはない』それが不思議に思えた場合、自分にない理由を知りたがります。好奇心でしょう。教えてもらえないと、しつこく訊いて、どうにかしようとします(※特にタムズ)。いつもそうでした」
それからイーアンは、話を聞こうとするドルドレンに、一度話を変えて教える。
「あなたは、旅を皆さんに任せたのですね。まだ午前も早い時間ですが、今日はティグラスにお会いすると良いでしょう。私は卵ちゃんの責任がありますから、戻らないといけませんけれど。
ドルドレンは、こうして抜け出せる時間も限られています。今後、何度あるやら知れません。折角ですから、ティグラスと一緒に過ごしても」
「おお。そうだ。ティグラスにも会いたいと思っていたのだ。この前、シムがそう話していたから。ティグラスの家なら、俺がいても大丈夫だろうか」
「多分。あそこは離れていますし、ティグラスは生まれ変わったけれど、完全な龍の体ではなく、人間が入っています。きっとドルドレンがいても、他の龍族は、そこまで気にしないと思います」
ニヌルタが仲が良いから、ニヌルタに訊いてみるとイーアンは言い、ドルドレンはお願いする。イーアンをもう一度、しっかり抱き締めて『また会いに来る』と約束し、イーアンも『急ですから申し訳ない』と謝り、二人はちゅーっとして明日の約束をした。
こうした流れで、イーアンは迎えに来たおじいちゃんに(※また来た)ドルドレンをティグラスの家へと頼み、ビルガメスが『旅はどうする』とぶつぶつ言うのを『今日だけですよ』の言葉で往なし、ドルドレンを送り出した。
ドルドレンはビルガメスに送ってもらって、弟ティグラスの歓迎を受け、この日は結局ティグラスの家で一泊することになる。
彼の、イヌァエル・テレンでの貴重な話を聞き、一緒に龍で飛び、久しぶりに・・・不安も責任も忘れた自由に浸りながら眠った。
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