840. 不安定な夜
この日。馬車の5人は、野営地に入る頃に、人助けをした。
夕方に差し掛かった時、街道を進む馬車が少し増えたあたりで、横から馬を走らせる馬車が突っ込んで来たのを見たドルドレンは、魔物に追われていると判断した。
見えたのは、馬車の後ろを走る黒い姿。この前、ミレイオたちが倒した魔物に似ていると分かり、ミレイオに確認を求めて声をかけると、ミレイオは見るなりすぐにお皿ちゃんで、すっ飛んで、あっという間に倒して戻ってきた。
回収はしないわよと、お皿ちゃんを仕舞いながら呟くミレイオ。目も合わせず『人助けだけね』どうでも良さそうに言って、馬車に入る。
しかし、そうも終わらず。人助けは、今夜の宿を提供してもらう話に変わる。
魔物に追われていた馬車は土地の人で、旅の馬車の側へ寄って来て、旅の人が助けてくれたことを知ると、お礼に食事だけでもと誘った。
ドルドレンは断ったが、馬車の男性は、近くの農家だと自己紹介し、進行方向の右に入った道に家があると教え、お礼がしたいと頼まれた。
気持ちの塞ぐドルドレンは、もう一度断る。馬車が動かないことで、シャンガマックが見に来ると、男性は人数を訊ね、ドルドレンが何か言うより早く、シャンガマックが『5人』であることを答えたため(※正直者)『5人くらいなら、泊まる場所もある』と男性は言い始めた。
そして、なかなか進もうとしない馬車に、どうしたのかとミレイオが来たことで、男性は彼を見るなり『助けてもらって』と感激を顔に出してミレイオの手を掴み、お礼を言う。
断りにくい雰囲気に、已む無く『食事だけでも』を受け入れる話に進む。
旅の仲間は、気乗りしないものの。テイワグナの民間人は、ミレイオも怖がらない(?)らしいため、嫌なことを言われているわけでもないし、食事くらいはじゃあ、と付いて行くことになった。
農家に着き、馬車を停めてから、男性は家族に客人を連れて帰ったことを話す。命を助けてもらったから食事でお礼をしたいと言う主人に、奥さんと子供たちは賛成し、ここでも『泊まってもらって』のお願いを受ける。
シャンガマックは。ハイザンジェルでも、田舎の人は少し警戒していた。遠征で出かけた回数の中。田舎の人はよく、騎士たちを誘う場面があった。命を助けたとか、魔物を退治して、とか。
彼らは食料を豊富に持つ場合が多く、家も広く、親戚がいる家族が殆どなので、客室も備えていることが普通だった。
騎士たちは、民間人の世話になることを出来るだけ断っていたが、それは、特別扱いや誤解を避ける必要があるからで、絶対ではなかった。
そして、ごくたまに。どうやっても泊まってほしいなどの願いもあった。今日のように――
これが一番怖い。
シャンガマックだけではなく、ドルドレンもフォラヴも、警戒の記憶が警鐘を鳴らしている。
彼らは顔が良い。見た目も良い(※そして公務員は安定している)。彼らを見た、田舎の娘が結婚に取り次ごうとする、そうした行動を取ることがあるのだ。この3人は、漏れなく数回、そうした目に遭いかけたことがあり、どうにか逃げた記憶を持つ。
食事を案内された席で、シャンガマックは間違いを選んだことを知った。農家の子供たちは4人全員女性だったし、彼女たちは年頃と思えた。案の定、騎士たちに話しかけ、様々な質問を繰り出してきた。
田舎の娘の親は、娘たちの素行は気にしない。人目につくような恥をかくようなことでもしない限り・・・つまり、結婚相手を選ぶなどは好きにさせていて、騎士たちは『お礼』と言われた席で、非常に難しい状況に置かれた。
総長ドルドレンは、宿泊は遠慮した。身の危険を感じたからであり、こんな時におかしな事は御免だった。タンクラッドは戻っているのか、どうなのか。夕方までに戻ると言ったけれど、彼はまだ。
とにかく外へ出たいので、総長は食事の礼を伝えて出ようとすると、母親が来て『すぐそこに魔物が出ると分かって、夜が怖い。うちの人は剣を使えない』と言い始める。女所帯だし、今夜だけでも守ってくれないか・・・の頼み事に変わり、ドルドレンは眉を寄せた。
父親を見ると、彼も『私は生まれが農家ですもので』と後押しする。どう考えても、娘とくっ付けさせたい様子にしか思えず、ドルドレンたちは断る。が、やはり魔物が魔物がと騒ぐので、結局泊まることになってしまった。
ミレイオに帰らないでほしいと頼むと、ミレイオも『仕方ない』と頷いて理解した。
5人は宿泊することで、部屋の鍵などはしっかりかけて早めに就寝し、早めに出発すると伝えると、急いで案内された部屋に入った。
シャンガマックはこの流れが非常に心配で、全て装備をした状態で壁に寄りかかって、仮眠を取るだけにした。
だが、シャンガマックの心配は、彼ではない相手で現実に変わる。ドルドレンとフォラヴの部屋に、しっかり合鍵で開けた娘が入り込み、体に触れた時点で驚いて起きた二人が逃げることになった。
騒いだので(※『触るな』『何をするんですか』etc.)他の者も起き、娘が自分を悪く思わせないよう、笑って誤魔化したりする中、親が止めるのも振り切って、騎士たちとミレイオは外へ逃げた。
シャンガマックは全身外出用でいたが、他の4人は少なからず、上着を脱いだり剣を置いたりしていたので、全てを腕に抱えて飛び出した姿。
「何だ。その格好は」
馬車へ駆け込んだドルドレンたちを迎えたのは、空から戻って、コルステインと外にいた親方。彼らを見て、驚いた様子のタンクラッドが、彼らの姿を上から下まで見て怪訝そうに呟いた。
「何してた」
タンクラッドは眉を寄せて、唯一、まともなシャンガマックの姿に訊くが、答えたのはシャンガマックではなく、他の3人。
ドルドレンもミレイオもフォラヴも(※ザッカリアは怖さから急いで馬車の中へ入った)『今すぐここを出る』と叫ぶと、馬を繋いだままだった馬車を動かし、追いかけてきて馬車に縋り『話を聞いてくれ』と喚く農家を無視して、敷地を駆け抜けた。
馬車の急発進に事情の読めないタンクラッドは、ひょいとベッドを片手に掴んだコルステインに抱えられ、一緒に浮上する。
『すまんな。お前には世話かけて』
『大丈夫。どう?何?ドルドレン。逃げる。する。誰?』
『分からん。急いでいるから聞けなかった。馬車が止まるまで追いかけてくれ。ベッドは重くないか』
『大丈夫。コルステイン。平気』
ニコッと笑うコルステイン。片手にベッド、片腕にタンクラッドを抱え、大きな黒い翼を広げ、馬車よりずっと上の位置で夜空を飛んだ。頼もしいコルステインに親方は感謝し、下を走る馬車に何があったか考えていた。
遠ざかる農家の表には、何人かの小さな人影が明かりに照らされていて、女の声が飛び交うのだけは分かった。
暗い夜道をランタンも灯さずに、馬車を走らせたのはミレイオ。唯一、夜目が利くので、ドルドレンに後ろの馬車を任せ、自分が先頭で馬車を飛ばした。
15分も走ったところで、ようやく馬を落ち着かせ、速度を落とす。『ごめんね。走らせて』馬を気遣うミレイオに馬はちょっと振り向いて、うん、と頷く。
寝台馬車も止まり、街道を外れた道で2台の馬車は、森沿いの脇に寄せて、そこで夜営・・・となれば良いのだが、草地が多くて火が焚けない。
「雨用の、炭を熾そう。ちょっと確認。皆いるでしょ?大丈夫?集まって」
ミレイオは馬車の中の炭壷的容器を外に出し、火をつけて僅かな明かりを灯す。コルステインは、停まった馬車と森の間の暗がりに降り、そこにタンクラッドとベッドも下ろした。
『コルステイン。ちょっと話を聞くから、ここで待っていてくれ』
コルステインは頷いて、ベッドの上に座る。タンクラッドはコルステインをナデナデしてから、皆が集まる、小さな火の側へ行った。
「どうしたんだ。あれは農家だろ」
「襲われたのよ。えー。最初は農家のおっさんが、魔物に。で、次はドルドレンとフォラヴが、農家の娘に」
なるほど・・・実に分かりやすいミレイオの説明で、それ以上は聞かなくても良さそうに思ったタンクラッド。シャンガマックだけが武装済みなので、タンクラッドは彼を誉めた。シャンガマックは苦笑いで『経験です』と返した。
「そうか。お前だけは経験が活きたな」
ちらっとドルドレンを見た親方に、灰色の瞳が怒っているように強く向く。『嫌味か』唸るようなドルドレン。下を向いて不愉快そうなフォラヴ。疲れているミレイオ。ザッカリアは怖がっているので、ミレイオが片脇に腕を回して、側に置いていた。
「タンクラッド。人助けの上に、面倒臭い粘られ方だったのよ。そういう言い方しないで」
「お前が付いていて、珍しい。お前ならどうにか出来そうじゃないか」
「タンクラッドっ やめて。別に油断したわけでも何でもないのよ。相手は民間人だし。たまにいる、あからさまにガッつく感じの女だったの。そんなの分からないじゃない」
ミレイオが嫌そうに、タンクラッドを止める。タンクラッドは一度黙り、ミレイオに支えられている怖がっている子供を覗きこむと『大丈夫か』と訊ねた。ザッカリアは首を振り『嫌だよ』小さな声で答える。
そうだな、と同情し、タンクラッドは子供の頭をそっと撫でた。それからミレイオとドルドレンを見て、次にフォラヴとシャンガマックを見た。
「魔物に襲われている親父を助けたわけだな。で、礼か何かで泊まることになったと。この前のエザウィアの農家と同じような」
「泊まって、親がいる娘が忍び込むなんて、まず起こらない事だろう。鍵もかけていたが、合鍵で開けられた。俺とフォラヴは、体に触れられてすぐに跳ね起き、それで逃げたのだ」
総長の言葉に、親方は黙っていた。フォラヴの視線を感じ、親方が彼を振り向くと、妖精の騎士は悲しそうにゆっくり瞬きした。不本意な出来事を恥じているようだった。
親方は、彼も本当は、泊まることに反対だっただろうと感じた。それが分かるので、小さく頷く。妖精の騎士は、通じた気持ちに微笑んだ。
これ以上、この時間に何かを言うのも気の毒かと、判断したタンクラッドは、溜め息をついて全員に言う。
「災難だったな。もう眠れ。ここまで来れば、追いかけては来ないだろう。もし来ても、俺とコルステインが外にいる。ミレイオ、お前も地下へ戻ると良い」
「いいわよ。私、ベッドはあるもの。残るわ」
「なら、好きにしろ。見張りはコルステインがいる以上、問題ない。とにかく、眠れ。今日はいろいろあったからな」
ドルドレンは何かを言い返そうとして、口を開きかけたが止めた。シャンガマックとフォラヴ、ザッカリアは寝台馬車に入り、ミレイオも首を回して『ホント、やな日』ぼやいて、荷馬車に上がった。
親方は炭壷の火を消し、馬車の荷台に乗せる。ドルドレンがずっと立っているので、振り返って『何だ』と声をかけた。月夜の下で、黒髪の騎士は親方を見つめていた。
「俺が。判断を間違えたと思ってるだろう」
「そんなことか。どうでも良い。終わったんだぞ」
「どうでも良いとは何だ。俺だって断ったのだ。何度も断ったし、魔物に襲われたばかりで夜が怖いと、それで泊まってくれと頼まれたから」
「ドルドレン」
声の大きくなる総長に、タンクラッドは静かに名前を呼んで黙らせる。黙った総長は、視線が安定せず、むしゃくしゃしているようだった。
「お前。この状況でな。もし『誤解されるようなことをするな』と言われたら、どうする」
「何だそれは。イーアンのことか。それは朝話したはずだ。今、それを俺に言って、分からせようとするのか」
「もういい。寝ろ」
突然、会話を突き放すタンクラッドに、カッとしたドルドレンは目を見開いて、彼の肩を掴んだ。『何が言いたい?自分だって、空へ行っていなかっただろう。いきなり戻ってきて、見たままで』言いかけて、ドルドレンは声が止まる。
タンクラッドは彼を見つめた。無表情ではなく、少し問いかけるような顔で。その顔が、今朝、向かい合ったタムズの顔と重なり、ドルドレンは目を逸らす。
肩にかかった総長の手をゆっくり外し、タンクラッドもコルステインの待つ馬車の横へ戻った。ドルドレンはその場に少し立ち尽くし、自分が親方に言いながら感じたことを、苦く思っていた。
馬車の裏に置いたベッドで、横になるタンクラッド。コルステインも寝そべっていて、話を聞こうと、じっと見つめている。タンクラッドは微笑んで、今のことを教えた。
コルステインに話している間に、馬車の扉が締まる音がし、ドルドレンも中へ入ったのが分かった。コルステインは少し気になっているようで、ドルドレンの馬車を見る。
『気になるか』
『ドルドレン。困る。する。何?』
『そうだなぁ。難しいな。たくさんの気持ちがあるんだ。たくさんあると、どれが本当か分からない』
コルステインも分からなさそうに考えていて、大きな青い目を月に向けると『うーん』と唸った。
『イーアン。どこ。いない』
『ん?イーアンは空だ。龍と一緒だ。イーアンも疲れたんだ。ええっとな、休んでいる』
『ドルドレン。イーアン。好き。一緒。でも。イーアン。馬車。ない。何で?』
『それが、たくさんの気持ちがあって、本当がどれか分からない部分だ。イーアンと、ドルドレンの気持ちが、少し違うんだ』
コルステインには分からない。どうして好きなのに、気持ちが少し違うのか。好きだと一緒が良いと思う。一緒じゃないのは、好きなのに困らないのか。
それを訊ねると、タンクラッドはコルステインに笑いかけて、頬を撫でる。それからちょっと間を置いて、考えたように呟いた。
『お前くらい。正直で、ちゃんと気持ちが分かれば。誰も困らないな。でも。小さなことがたくさんあると、本物が見えないんだ。俺も時々分からなくなる。お前が教えてくれるから、俺は助かるけれど』
長い文章は難しいので、コルステインはもう一度、分かりやすく言うように頼んだ。親方は笑って『コルステインは本当にカワイイな』と誉めると、もう寝ようかと促した。
笑うタンクラッドに、コルステインも難しいことを考えるは止め、ニッコリ笑って頷く。『お前。寝る。する。コルステイン。寝る。一緒』そう言って、布団をタンクラッドにかけてやった。お休みの挨拶を交わし、タンクラッドを腕に抱え込む。
それから、コルステインは思った。
白い月を見つめて、イーアンが早く帰ってくれば良いのに、と。そうしたらドルドレンは元気になる。だって好きだから。一緒なら大丈夫なのに、と思った。
それにコルステインは知っていた。長く離れると、好きは小さくなる。大事は大きくなる。
ドルドレンは、イーアンが好き。大事だと思う。でも大事だと、一緒にいるんじゃないかなと思う。一緒じゃないと、守れない。イーアンも、ドルドレンが大事だと、やっぱり一緒が良いと思う。
『ギデオン。龍。大事。する。しなかった。龍。いない。する。ダメ』
ギデオンは龍が好きだったと思う。だけど、大事じゃないみたいだった。一緒じゃなかった。コルステインは、ドルドレンとイーアンはそうじゃないと良いな、と思う。
『イーアン。早く。来る。ドルドレン。待つ。する。イーアン』
白い月の向こう。きっとイーアンはどこかにいるんだな、と考えながら、コルステインは呟いた。
お読み頂き有難うございます。




