833. はぐれ親方・野営地5人の夜
夕方の空を、タンクラッドを乗せて飛ぶバーハラー。どこへ行くのかも聞いていないが、ただゆっくりとテイワグナの空を飛び続けていた。
馬車のもとを飛び立ったは良いものの。胸中の片付けが難しいタンクラッドは、夜が来る前にコルステインを迎えないといけないし、まずはどこかに降りなければと考えていた。
今日。馬車に戻る気はない。明日には戻った方が良いだろうが、気持ちが静まるまでは、一人でいたかった。
テイワグナの大地の上を飛ぶ。昔、若い頃に旅をした様子と同じなのかどうか。上から見ると、別の場所のように思う。こんな機会を得たのも、全てイーアンがいてこそ・・・タンクラッドはいつもそれを感じていた。
だが、それは遠く魂の向こうから導かれていたのだ。始祖の龍と、過去の俺と。ズィーリーと巡り逢い、イーアンと巡り逢った。ズィーリーの時代のヘルレンドフもまた、今の俺と同じように彼女によって人生を開かれたと思ったかも知れない。
そう思うと、どこまでも続く、永遠の愛の上に自分がいるのが分かる。
葛藤もある。俺は?俺はどこなんだ・・・・・ 俺の意思は?俺の存在は?
3度も同じ顔。3度も同じ女に巡り逢う為に生まれた。 ――タンクラッド・ジョズリンはどこにいるんだ。
イーアンは好きだ。妻に出来たらと何度も思う。今も思う。でも、これは俺の気持ちなのか。
香炉の煙を見る前、自分自身の気持ちだと信じていた。突き動かされる衝動は、逢ったことのない求める女への渇望だと疑わなかった。だが、ジジイから買った香炉の煙を見て、喜んでいたのも束の間。暫くして、自己の存在に疑問を抱いた。
ほんの小さな疑問だったから、何かあれば脳裏を掠める程度。動きを止める程度の毒しかなかった。イーアンと一緒に動けることがいつも嬉しかったし、いつも自分が触れたらと。
グィードから受け取った香炉の煙を見て、その思いの真裏に、別の道がくっ付いているのを見つけた。窓に垂れた布を振り払ったら、実は窓じゃなくて通路だったんだと知る。それが始祖の龍の想いと一緒に記憶を揺さぶり、帳を打ち壊し、遠慮を引っ張り出して掻き抱いて、本当の俺と俺の運命を見せ付けた。
受け入れるのは始祖の龍だ、と気が付いた時。
全身に喜びと安心が満ち溢れた。それが正解で、そこへ導かれていた。認めたら、心が突然浮かぶように軽くなった、あの時。
だからイーアンに『お前ではなかった』言葉を含めて、伝えたのに。なのに。なのに、どうだ。
ふと、足元に転がった人形に気が付けば、それはこの人生に使うために作られた形の、俺だった。
俺は外側。俺の中身は、俺の魂は、俺自身は、どこにあるんだと、最後の抵抗のように、足元の人形が叫ぶ声が聴こえる。聴こえなくなったら終わる。
認めたら、俺じゃないってことだ。俺の人生は、今、ここにあるはずなんだ。だけど俺の魂は『違う』と言い続けるんだ。
タンクラッドは大きく息を吐いて、目を閉じる。夕暮れの空が少しずつ、星の白い点を浮かべ始める中。バーハラーにどこでも良いから、降りてもらうことにした。
森林の続く大地。その一箇所。少し木々がない場所に、バーハラーは降りた。『明日呼ぶから。有難う』そう言うと、親方に似た龍は目を一度、返事するように瞬いて空へ戻った。
タンクラッドは火を熾そうとして、意味がないことにすぐに気が付いて止めた。
何もない、森の中。下草は乾いているので、木の幹に寄りかかって眠ることにする。頭の中にコルステインの名前が浮かび、タンクラッドは何度かその名前を呼んだ。
誰も。過去の二人のどちらも、コルステインだけは呼んでいない。それが救いのような気がした。
始祖の龍の大きな愛に、何度香炉の煙を見ても心を鷲掴みにされる。一生を捧げたくなる。実際。捧げようと決めた。だが、それは俺の意思であることが前提。
俺は、タンクラッドを振り切ってまで、従おうと思っていない。
イーアンもそうだろう、と気が付いてからは、イーアンも俺も皮肉な存在だと同情する。彼女もまた、自分ではない誰かを演じさせられるために、この世界へ。
始祖の龍の愛。たまらないほど、熱く大きな愛。それを説明することも難しければ、そこに従うことに抵抗を持つ、自分の存在への疑問を説明するのも難しい。そして相手もまた、同じような立場となると、この息つく間もない壮大な輪廻――
「どうでも良い、下世話でくだらない枠に、押し込むな」
馬車で怒鳴った気持ちが苦く思い出され、タンクラッドは簡単には言い様のない、我が身に降りかかった出来事への対処に頭を抱える。
「ああだこうだと、俺に理解しているように接しているのは上辺か。
何で、あんな程度のことで、殴りかかったり怒鳴ったり問い詰めたり。それも俺に言わせたい言葉は、下世話な想像一つからじゃないか。
所詮、そんな程度の付き合いなんか、こっちから願い下げだ。本音で話し合ったと思った俺がバカだった」
吐き捨てるように悔しさを口にしたと、同時に。
『タンクラッド。苦しい。どうして』
頭に響く声に、ハッとして見上げると青い霧が浮かんでいた。霧は少し柔らかな形を作り、すぐにコルステインが現れた。コルステインは、タンクラッドが一人でいることも不思議そうだった。
『コルステイン。来てくれたか。こっちへ来てくれ。俺を抱き締めてくれ』
苦い表情のまま、両腕を伸ばすタンクラッドを心配し、夜空の色の体はすぐに近くへ寄り、タンクラッドの腕を引いてそのまま、自分の腕の中に包む。タンクラッドはコルステインの体にしっかり抱きつき、目を閉じた。
『苦しい。どうして。誰。する。タンクラッド。何?』
『良いんだ。コルステイン。お前がいてくれたら。良いんだ』
温度のないコルステインの体に、筋肉や胸の感触。それは紛れもなく、コルステインはそこにいる証だと思う。いつでも霧に変わり、死ぬ時は感情が消えた時と聞いているが。コルステインは、今。紛れもなく・・・俺の体を包んでいる。俺はコルステインを抱き締めてるんだと、タンクラッドは強く思う。俺も、存在している。存在しているはず。そう思いながら。
辛そうなタンクラッドの思いが、手に取るように伝わるコルステインは、どうしたら元気になるのか考える。
聞いても話さないので、コルステインはタンクラッドの心に入って良いか、訊いてみた。きっと言いにくいのかもと、そう思う。
『タンクラッド。コルステイン。お前。中。入る。良い?』
『え。俺の中に入るって?どうするんだ』
『大丈夫。すぐ。入る。出る。する。タンクラッド。気持ち。分かる。良い?』
コルステインが思い遣りを持って訊ねていると分かり、タンクラッドは何のことか分からないものの、承知した。ニッコリ笑ったコルステインは、すぐにタンクラッドの目を見つめた。その途端。
自分の頭の中にコルステインが現れた。目の前にいるはずなのに、視覚ではないもっと幻想に近いような感覚。それにコルステインは、色も顔も大きさも同じであるが、手足が人間のものに変わっている。
コルステインはタンクラッドを笑顔で抱き締め、彼の頭に自分の顔を乗せて微笑む。タンクラッドも安心して、幻想の中で夜空の体を抱き寄せる。
コルステインは彼の頭に顔を乗せたまま、少し悲しそうな微笑を湛えたが、それは見えない位置のタンクラッド(※コルステインの方が大きいから)は分からない。
コルステインは理解した。彼は、昔の龍が好きなんだ、と。昔の龍も彼が好きなんだ、とも。
でも。それはコルステインを作った親が追いかけた、あの心。コルステインもまた、『龍に連れて行かれてしまうかもしれない、タンクラッド』を寂しく思う。
その龍は、イーアンじゃない。昔の龍。ずっと昔の龍。昔の龍はもういない。コルステインの親が求めた彼も、もういない。それに彼は空に連れて行かれた。
自分を作った親の記憶を受け継ぐコルステインの、声にならない思い。分かるのは切なさだけ。どうしよう、と思う切なさ。
コルステインはタンクラッドに、質問することにした。頭の中から出て、夜の森の中で真向かうタンクラッドを覗き込む。ぼんやりした様子の表情が戻り、笑顔が浮かぶ。
『タンクラッド。昔の龍。好き・・・ずっと昔の龍。タンクラッド。好き。そう?』
『そうだな・・・そうなんだけど。お前はそれを知るために、俺に入ったのか。説明し難かったから・・・有難う』
『タンクラッド。コルステイン。好き?』
大きな青い目で、真っ直ぐ見つめてくるコルステインに、タンクラッドは戸惑った。もし、コルステインが好きだと答えたら、始祖の龍の想いは。それを感じた自分は。
ここで、ハッとする。自分は、コルステインが好きじゃないか。始祖の龍もイーアンも大切だが・・・今、コルステインだけは、はっきりと自分だけの感覚で言える。
『俺はコルステインが好きだ。お前がとても大切だ』
言い切ったタンクラッド。始祖の龍が、イーアンが、とそれはさておき(※こじれるから)。自分の存在だからこそ、はっきりそれを教えてくれる相手が目の前にいる。コルステインは嬉しそうに頷いた。
『コルステイン。タンクラッド。好き。同じ。昔の龍。いない。コルステイン。いる。一緒』
たどたどしい、素直で濁りのない言葉に、タンクラッドは心が温かくなった。コルステインは分かっている。自分が誰を好きで、どうしたいのか。コルステインにはそれだけで充分なのが分かる。
昔の龍。始祖の龍はもういないけれど、コルステインはいるんだ、と。
タンクラッドが例え、既にいない始祖の龍が好きでも、今ここにいる私もあなたが好きで、あなたも私が好きなんだよ、と教えてくれた。
どっちが、じゃない。コルステインは、自分の気持ちを自分が握っている。自分がどうしたいのかを伝えた。それが存在なのかと、タンクラッドは感じる。
タンクラッドは、コルステインをぎゅっと抱き締め『有難う』とお礼を言う。何度も言い、一緒にいてくれることに感謝した。コルステインも満足したように頷いて、抱き締めた彼の背中をナデナデしていた。
それから、タンクラッドは。自分が森にいる理由。総長たちと、どうしたのかを話す。コルステインはちゃんと聞いてくれて、分からないことはすぐに確認した。
話すだけ話すと、タンクラッドは黙って目を閉じる。疲れたのか、少しして寝息を立て始めたので、コルステインは彼を腕に抱いたまま、そのまま一緒にいた。
眠る彼を見つめ、ちょっと考えてから・・・そっとタンクラッドを地面に降ろすと、コルステインは夜の空気に消えた。
*****
ドルドレンたちは夜営。5人で夜営だが、ミレイオは今日は馬車に泊まる。イーアンの帰りを待つつもりの宿泊。夕食を作り、大食漢のタンクラッドと肉好きイーアンがいないのを意識した料理が出来上がる。
口数少ない皆に配給で渡し、焚き火を囲んだ静かな夕食の時間が流れる。ザッカリアはとても大人びて見え、何も話さないが、いつもの不安そうな雰囲気ではなく、距離を置いている様子だった。
ミレイオは溜め息をつき、『美味しい食事なのに。美味しそうじゃない』と呟く。以前、ヒョルドの件でも、この台詞を口にしたのが思い出される。質問に答えられないイーアンが困って黙りこくった、一緒の夕食時のこと。
ミレイオの呟きを拾う者はいなくて、シャンガマックが『お代わりありますか』と訊ねたのが、唯一『美味しい』意味を持つ言葉だった。
ドルドレンは無言。『俺は、悪いことをしていないと思う』。それがどうにも外せなくて、立ち往生。そもそも責められる理由もなければ、それほど酷いことをした覚えもなく、それなのにと思うと、余計に苛立つだけ。
そんなドルドレンを見つめたフォラヴが、夕食の最後の一口を食べ終えてからドルドレンに向き直る。
「あの目は何ですか」
不意に放たれた聖なる矢は、ドルドレンの動きを止めた。皿に残った、僅かな量の料理を口に入れる手前。ドルドレンは料理を乗せた匙を皿に置き、フォラブを見る。険しい表情のドルドレンを、焚き火が映し出し、妖精の騎士は彼の顔を見て『あの目は何ですか』もう一度、訊ねた。
「何のことだ。目と言われても」
「あなたがイーアンを見た目です。教えて下さい。あなたが見た時、彼女の頬に涙がありましたか」
「何?涙」
妖精の騎士は空色の瞳で、総長を見つめている。頷きもせず、微笑みもない、そんなフォラヴを見たことが記憶に新しいドルドレン。彼は怒っているのだ。躊躇いを見せないように、総長は答える。
「涙なんて」
「あなたがあの目を向けた後なのですね。分かりました。イーアンは涙を落としてから、飛び去りました」
ザッカリアはフォラヴの言葉を理解している。ザッカリアも見ていた。総長の目つきが、イーアンの心を突き刺したのを感じた。だからザッカリアも、総長に容赦しなかった。
ドルドレンは、フォラヴを見てから、自分の皿に残った料理をかき込んで食べると、大きく息を吸い込んで『何が言いたい』と彼に訊ねた。フォラヴは少し顎を上げて、見下すように総長を見た。
「あなたは。普段はとても優しく、思い遣りに溢れる人です。でも、なぜでしょう。一番、信じてあげなければいけないところを、無下にする。タンクラッドに怒鳴られ、彼が離れた後。なぜイーアンにあんな目を向けたのか。
まるで、彼女が悪いように。旦那さんなら、彼女を疑っても良いのですか。一番疑ってはいけない部分を、安易に思い込みと苛立ちで疑う自分を許した、あの目」
「おまえにそんなことを言われたくない」
「私も言いたくありません。あの目。何て蔑んだ目なのでしょうか。私は大ッ嫌いです」
フォラヴは、はっきりと強く言い切り、立ち上がる。驚く総長やミレイオたちを見向きもせず、彼は皿を丁寧に、ミレイオの横の片付けものの場所に戻す。
『申し訳ありませんが、今晩これをお願いします』洗い物を頼むと、妖精の騎士は寝台馬車へ歩いて行った。
ザッカリアは自分の食事を急いで食べ終わると、ミレイオの横にお皿を運んで『ごめんね。俺も明日洗うの手伝う』と伝えて、フォラヴを追いかける。
シャンガマックは彼らの背中を見送り、ちらっとミレイオを見てから、ミレイオが小さく首を振って『あんたも』と視線で促したのに頷き、皿を置いて立ち上がった。
「総長はとばっちりかも知れません。知らないから。急に騒ぎに気付いて・・・驚くような話を聞いたし。
だけど、いつも思うんですよ。総長は、他人の仲裁に入る時は、慈悲深くて思慮もあるのに、どうして自分の時は浅いのかなって(※ザックリ)」
「あ。浅い」
褐色の騎士にまで『お前は浅い』と言われ、ドルドレンは驚いて彼に顔を向ける。シャンガマックは大きく首を振って『すみませんけど』困ったように呟く。
「嫌なのは分かります。俺だって嫌ですよ。だけど、彼女はタンクラッドさんと、どうこうしないでしょう?彼もそう言っていたけれど。俺もそう思います。
そんなこと、これだけ一緒にいれば、分かるじゃないですか。タンクラッドさんだって、彼女が大好きだけど・・・手を出すなら、とっくにそうしていますよ。あれだけ堂々と『好き』を貫いているんだから」
『問い詰めたり、注意する方が、ちょっと』・・・・・ 褐色の騎士はドルドレンに憐れみの目(※フィギの町でもあった眼差し)を向け、彼もまた立ち去った。
残されたミレイオとドルドレン。お互いの目をちらりと見て、溜め息が行き交うだけ。
皆の洗い物をカチャカチャ集めると、ミレイオは灰と水で食器を洗う。ドルドレンは側へ来て、無言で洗った食器を拭く。何度も。二人の口から溜め息が漏れる。
「俺。そんなに。目つきが悪かったのだろうか」
「ごめん、見てない」
ドルドレンの質問にミレイオはあっさり答えて、会話は終わる。
「私は心配だったのよ。ただ単に」
「分かってる」
これもすぐに終わった。会話にならない二人。目を見合わせることもない。各々が胸に持つのは一つ、後味の悪さ。
それを解釈するのは、他人事ならすぐなのに。自分の事だと、言い訳も想いも煩く口を出して、心の整理が先に進みゃしない。参ったな、と思う度に溜め息。
ドルドレンは片づけの終わった後、焚き火の側に腰を下ろした。ミレイオも静かに近くに座る。
何を話すわけでもなく、二人は焚き火の前に居続け、火が小さくなると枝をくべた。ここで待つ気はなかったけれど、気が付けばそうした状態に変わっていた。
時間は過ぎ、辺りは暗さを増すだけ。部下たちは姿を見せなかった。
そんな二人の焚き火に、青い霧が近付く。『火。消す。明るい。嫌』二人の頭に、焚き火を消すようにと願いが届いた。
お読み頂き有難うございます。
『We Don’t Have To Dance』(~Andy Black )という曲があります。凄くカッコイイ曲なので大好きなのですけれど、タンクラッドの『本音で話し合ったと思った俺がバカだった』の台詞を吐いた時と、この歌が被りました。
ちょーっと全体の意味合いは違うのですけれど『無理して楽しむ毒みたい』とか、無理しても相手に本音など晒せない、地獄チックなシニカルが、タンクラッドのシビアなくせに人情が沸々する感覚と似ているなと・・・私が思うだけですが。
この歌の声が、まーカッチョエエので(※私大好き)もしもご関心ありましたら是非!!




