823. ブガドゥムの織手の話
タンクラッドとミレイオが炉場にいる頃。
シャンガマックとイーアンは、昨日の織物工房で民話の解説を聞いていた。
織手の女性は、名をティファウトと言い、彼女の親が染色をしていた影響で、彼女は染められた糸を織り、敷物を作っていたのが最初だと話した。
「私の祖母も叔母も、敷物をよく作りました。私の親族はブガドゥムの出身ではなく、高原地帯の出身で、そちらは織物といえば敷物作りです。幼い私も見様見真似で作り続けました。
大人になってから、テイワグナの染色について調べました。結局、落ち着いたのは織手で、染色家にはなりませんでしたが、両親が染色をする人たちだった影響で、普通の織手よりも、多くの知識と経験を得ました」
ティファウトが若い頃の経験として得た、染色の作業。イーアンの知る染色とはまた違い、世界が違うと面白いなぁと感じた。基本的には同じだが、方法が違うと言うか。
それはともかく。ティファウトはその時、フィギの山奥で民話に登場する材料を求めたようだった。『誰もが一度は。思いつきで探します』笑いながら話すので『子供じみたことを』と思っているふうに見える。
「色に、とり憑かれると。毎回、色に苦しみます。満足するのも束の間。もっと、もっと、と求めるようになります。それは他の職人にもあるかも知れないですが、色の場合は移ろう代表の産物ですから、危険なほどに人を引き摺りこんでしまうのです」
シャンガマックは彼女の話を聞きながら、ちらっとイーアンを見る。イーアンは漆黒の瞳が『イーアンもそう?』の質問を含んでいると気が付いて、少し微笑んだ。
その視線を見たティファウトは、イーアンを見て『あなたも何かを作るのか』と訊ねた。
イーアンはいつも、この質問への答えが難しい。『作るけれど、広く浅く』とだけ答えて、話を続けるようにお願いする。
微笑んだティファウトは頷き、『民話の色については、誰も見たことがない以上、本当は憧れかも』と褐色の騎士に教えた。
「でもあなたが知りたいのは、色ではないですね。その色を持つ材料が、どこに在ったのかを聞きたいのね」
シャンガマックは口元だけ笑みを浮かべ、肯定とする。織手の女性は、何かを思い出すように、左上に視線を動かし眉を寄せた。
「随分。前の話です。それこそ、私がフィギに滞在した時ですから、もう彼是30年以上前。当時のフィギは特殊で、そこだけ古代に迷い込んだような印象がある町でした。
町に使われている言葉は昔の言葉だし、文字も表記も取り残されたように、昔のままでした。川沿いに並ぶ家は、全て染色職人の家で、最も川に近い場所は家がなくて・・・あれは、お守りかしらね。
町の出入り口に当たる部分にお守りがあって。いえ、出入り口と言っても、橋は一本ですから、川に対して左右の端という意味です。どちらにもお守りのように柱が立っていました」
シャンガマックの目が見開く。間違いないと思う、石柱のことを彼女が話しているので、そのまま黙って聞き入る。
ティファウトは当時を思い出しながら、お茶を少し飲んでゆっくり話す。
「今はないでしょ?その話を前、フィギから下りて来た染色職人に偶々したら、彼は知らないと言っていたから。きっと壊されたのかも知れません。
でも、昔はあったのです。今は若い人が古代技術を守るために入って、家も増えたでしょうし、お守りは移動したか、壊されてしまったか」
「柱は大きかったですか」
イーアンは柱の様子を訊ねる。ティファウトは頷いて、川縁の小屋の屋根を、越えるくらいの高さはあったと教えた。『大きかったわ。川原から立っていてね』と言いながら、視線を上に向ける。
「その柱には、遥か昔の御伽噺が描かれていたようよ。近くで見ても、ちっとも分からないけど。でもテイワグナには、あれと似た様な絵はたくさんあるの。
一度調べてみた人がいてね。その人が言うには・・・似ているけれど、在る場所によって、少しずつ絵が異なるのですって。同じ絵も並ぶけれど、その場所に合わせたみたいに違う絵が加わっていると」
シャンガマックは急いで質問する。『それは。フィギにある柱の絵と、民話の植物の場所の関係なのか』聞きたいのは、そこ。褐色の騎士の質問に、織手は微笑む。
「思うに、そうだと言えます。フィギの町にある柱には、人に動きが見える絵が幾つもありました。それは川から始まり、山へ続き、何か別の場所へ出たような絵でした。
私がいた頃は、フィギの老人がその話もしていまして、民話が先か、柱が先か分からないと。だけど、調べていた人が言うには、柱の方が先にあって、民話は後からじゃないかと言っていましたね」
「その、その絵は、柱のどの辺りに描かれていたのか」
シャンガマックが食いついたので、ティファウトは少し驚いたようだったが、彼女は自分が聞き返すよりも先に、褐色の騎士に答えることにした。
「上の方・・・ではないわね。中頃です。上はまた違う絵でしたが、川原から見上げた時に、柱の真ん中辺りにありました。
下の方は、あまり覚えていませんが、民話の『失われた紫色』に因んで、老人が染色を手がける若手に話して聞かせていたので、その部分はよく覚えています。
詳しい人に言わせると、その絵のあった箇所は、地方や・・・先ほど話した『絵の在る場所』によって、少し異なることが多い部分でもあるようですよ」
艶やかな漆黒の瞳に、焦りが浮かぶ。あの石柱の突端に近い部分しか見ていない。ミレイオが掘り出してくれたが、川原から伸びているなら、ティファウトの見た絵は土中にあることになる。
昔は、あの柱の辺まで、土も高さもなかったのかと分かる。人が増えたから、土地の面積を増やすために、土をかけて、町の地面を広げたのかも知れない。
それに―― シャンガマックは気が付く。アゾ・クィの立て碑も、もしかすると。一つの推理が浮かぶが、確認に行けるかも分からない今。気持ちだけが急ぐ。
褐色の騎士の表情に困惑が浮かぶのを見て、ティファウトはお茶のお代わりを出してくれた。それから、話をまた少し続けた。
「シャンガマック。この本には載っていませんが、フィギの町にある民話の中に出てくる『迷い込んだ場所』と『川を目印に通う』部分は、あの柱に描かれていた気がします。
この本。あなたが受け取った本に手がかりがあるとしたら、ここです。民話に『一回目と二回目は上手く道を進めたが、三度目は印を隠された』とあります。それは、この本のこの部分です」
急いで覗き込むシャンガマックは、彼女の手に開かれたページの文を見つめる。『どれだ。どれを差しているのだろう』分からなくて彼女を見上げる。ティファウトは、分からないの?と目で答えて、指差してあげた。
「よく読んでみて下さい・・・ここに、水の話があります。フィギの前を流れる川は、季節で水量が変わります。『印を隠された』その隠した相手は誰、と民話は示していないです。
私は、川の水量で見えなくなった印がどこかにあるのではないかと、それは未だに疑問です」
シャンガマックは眉を寄せて、『じゃ、一度目と二度目はどうして』とすぐに訊いた。
イーアンはピンと来る。さっとティファウトを見て、彼女が自分を見たので、推測を伝える。
「もしかして。植物だから、時期で・・・花と言っていらしたでしょう?この色のため、染色に使う近い紫色の材料が、花と。仮に、民話の中でも、採取した植物が花だったとしますと。
民話の捜し人は、花の時期に迷い込んで、一度、二度と集めに行ったけれど、花の時期に雨が増えて山の水が流れれば、川は増水するから」
イーアンは魔物退治で上流へ動いた時に、山の水が岩盤を伝って流れる洞窟を見ている。それを思い出して、ティファウトに訊ねると、彼女の表情は深い笑みを湛えた。
「そうです。あなたはどこの方か分からないけれど、よく気が付きました。染色をしたことがありますか?」
「はい。少しだけ。染色と言っても、私は発酵染色ですが。でも基本はどうにか知っています」
それまで黙っていたイーアンの答えに、シャンガマックは振り向いて驚いた顔をした。
自分も長年、草木に通じ、植物は薬にもすれば、その染料の様子などは知っている。薬と染色は近いと感じることも屡。
だが、繋げて考える癖が足りないのか。単体の知識は豊富でも・・・シャンガマックはすぐそれを思う。
『イーアン。あなたはそんなことを考えて』呟いた騎士に、イーアンは笑って首を振る。『染色をしたことがあれば、恐らく誰でも思う』と答えて、ティファウトに向き直った。
「一番良い色の出る時期を求めるのは、染色をするなら気にしますね。魅入られるほどの色なら尚更。
もう一つ、伺いたいことがあります。水が引いている時に、あなたはそれらしい印を見つけたことがありますか?他の誰かとか」
「それが見つかっていれば、こんなに回りくどく話しません。残念だけど。でも探しましたよ」
町にいる間、誰もが探しますよ・・・とティファウトが笑ったので、イーアンも頷いて笑う。そうだよねと思うが、一応確認したかった。
――普通の人が見える範囲にない―― それが分かるだけでも情報になる。つまり、普通の人が見えない範囲で、大昔と現代の地形の違いを探ることも出来る。そう捉えても良いことになる。
情報は幾つも得られた。イーアンは頭の中に情報を叩き込む。
シャンガマックが見た石柱は、1本だけ。『出入り口』とティファウトが呼んだ、町の両端にあったなら、少なくとも1対は、つまり2本はあったことになる。
となれば、大抵、対に描かれた情報があるのだ。彫刻で意味を持たせるなら、すぐ近くに立てる物に、同じことを描きはしないだろう。
石柱がどのくらいの昔なのか。その時代にフィギの町があったのかどうか。それによって、町の土均しの範囲は大きく変わるはずである。実際、たった30年程度で、一本の石柱は見える位置から消えてしまっているのだ。
後はあの川の、両脇の木々の樹齢を調べれば。土壌の変化は難しいにしても、川なら堆積物を調べることも出来る。
お茶を飲みながら、イーアンは面白そうに微笑む。『とても凄い話を聞かせて頂けて嬉しい』と言うと、ティファウトはニッコリ笑って『あなたの名を聞いても良いか』と言った。イーアンは、名前を言い、これ一つですと教えた。
「そう。イーアン。あなたを見ていると、伝説の中に入り込んだ気持ちが蘇ります。言わなかったけれど、あなたは龍の女みたい。ゼーデアータ龍の話はご存知?フィギの柱にも龍があったのですよ」
イーアンは笑顔のまま、目だけ素に戻る。あったのか。そう分かれば、調べに行きたい気持ちが湧き出る。
ティファウトは『機会があったら、またフィギに出かけてみても』と微笑み、それからシャンガマックに『同じような柱が、この続きの岩沿いにある』ことを教え、そこは採石している現場の奥で、温泉がある近くだと話した。
「もしかすると。これは私が勝手にそう思うだけですが、温泉のどこかにも、神隠しの場所があるかもしれないです。
詳しく調べている人が、時々この町にも来るけれど、その人にでも訊けたらもっと面白いでしょうにね」
「その方は、どこにお住まいでしょうか。訊ねて伺うことは出来ないでしょうか」
イーアンはちょっと気になって訊いてみる。ティファウトは『彼は、ウム・デヤガのテイワグナ史実資料館の館長』と教えてくれた。シャンガマックはイーアンを見た。
「ウム・デヤガは、本部のある町だ。資料館に行けば、もしかしたら」
「そうなのですか。では、是非立ち寄りましょう」
イーアンの中に、情報追加。神隠しの場所と思われる温泉地帯の柱。ウム・デヤガの館長。
それはシャンガマックも同じで、二人は目を見合わせて、同じような胸の高鳴りに笑みを深めた(※謎解き小学生の気持ち:♂33才・♀44才)。
魔物退治の旅は、伝説を追いかける旅。紐解く謎が面白くて、二人はワクワクしながら、織手のティファウトにお礼を言い、織物工房を後にした。
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