81. 騒動と青い光
魔物を片付けた後、既に夜が訪れていた。
最後の魔物の体を置いた騎士たちは、『ひどい仕事だ』とか『気持ち悪い』とお互いにぼやきながら、門を閉めた。
終わったものから建物の中に入り、手を洗いに行く者や部屋に戻る者、夕食に行く者、風呂に入る者など、それぞれ散らばった。部隊長らも『夕方に出なくても』と暢気な文句を言っていた。最近は寒くなってきたから、夜は冷え込むのが寄る年波に辛い、作業が体に堪えると、夕暮れ時の仕事に文句は尽きなかった。
ドルドレンはイーアンが見えないので、作業部屋へ寄った。作業部屋は鍵が掛かっていて、戸の隙間から中が暗いと分かる。もしや、寝室で着替えているのかと思い、いそいそと寝室へ向かった。だが寝室も鍵は掛かっている。念のために扉を叩いたが、戸は開かず、自分の持っている鍵で開けると、中は真っ暗だった。
胸騒ぎがするが、食堂で誰かに捕まっている可能性もある、と考え、小走りに広間へ行った。広間は既に夕食が始まっていて、名前を呼んでも返事はない。厨房へ行き、ヘイズに『イーアンは来たか』と訊ねると『いえ』と不思議そうに首を振った。
風呂場は一人では行かないだろう、と思いつつも、風呂場へ向かった。風呂は魔物運びで汚れた騎士たちが既に入っていた。鍛錬場に行くとオシーンがいて『イーアンを見なかったか』と訊ねると、鋭い目を向けて首を振った。『何かあったのか。いないのか』と察したオシーンが聞き返したが、ドルドレンは焦って走り出した。
「イーアン、イーアン」
後はどこだ?どこにいるんだ?一人にするんじゃなかった・・・!! 名前を呼びながら、支部の中を走り回る。血相を変えて走るドルドレンとすれ違う騎士が、イーアンの不在に気付く。
「総長、イーアンは?」 「いないんですか?」 「誰かイーアンを知らないか」
騎士たちの声も次第に増えて、支部は不安に包まれていく。フォラヴがイーアンの名前に反応して、側にいる騎士に『何かあったのか』と問うと、イーアンが消えたと聞かされた。
フォラヴは慌ててクロークを羽織り、イーアンを探しに出る。彼女は体温が低くなる。この寒さでは・・・・・
同じ頃、夕食を食べていたトゥートリクスも、耳にイーアンの名前を聞いて振り向いた。廊下が騒がしい。誰かが『イーアンを知らないか』と叫んでいるのを聞いて、目が落ちんばかりに見開いて立ち上がった。横に居たシャンガマックも、眉根を寄せて食事を放って駆け出した。
離れた席で食べていたクローハルが、騒がしさを怪訝な顔で見ていたが、ドルドレンの部隊とドルドレンが慌てたことから『まさかイーアンか』と席を立って食堂を出て行った。風呂から出たポドリックが、やけに声がすると思って頭を拭いていると、ディドンが風呂の扉を急に開けて『イーアン知りませんか』と不安そうな顔で聞いてきた。『男がいる風呂に入らないだろ』と笑うと、ディドンは即扉を閉めて走っていった。
「何だ何だ?まさかいなくなったのか?」
ポドリックの不審そうな言葉に、後から出てきたブラスケッドが『誰かいなくなったのか』と体を拭きながら聞き返した。解いた髪をざんばらに散らして服を着始めたブラスケッドに、ディドンがイーアンを探しに来たことを伝えると、ブラスケッドの動きが止まった。
「何だと?」
片目に凄みを含ませたブラスケッドがポドリックに振り向く。『早く言え』と怒鳴って、雑にまとった服のまま、髪も結わずに飛び出して行った。
「イーアン、どこだ!イーアン、返事をしてくれ」
ドルドレンが叫ぶ。支部の隅から隅までの部屋を開け放ち、必死になって探し回る。『イーアン、頼む、どこだ』悲痛な叫びが焦りを伴う。もう探してからどれくらい経つだろうか。誰もイーアンを知らない。
「イーアン!!」
ドルドレンは泣きそうだった。力の限りで叫んでいるのに、何の返事もない。何があったのかと思うといても立ってもいられなかった。階段を駆け下りて、ようやく全員に命じることを思いつき怒鳴る。
「イーアンを探せ、イーアンがいない」
門の外にいるイーアンには、支部の中の騒ぎは聞こえなかった。寒さもあるが、それより、目の前に何かいたからだった。
「こういう時に限って・・・・・ 」
魔物の死体に血の匂いはしない、と自分では思っていた。少なくとも、自分が知っている血抜き後の動物の臭いは、ここからしない。だからイーアンは寄り添っていられたのだ。
ただ、今。自分の側に来た何かは、この魔物を食べに来たのだろうと思う。そうしたら生身の食べやすそうなのがいた、という・・・・・ 『こんな最期ってあんまりだわ』とイーアンは呟いた。
目の前にいる相手の姿はよく見えない。いるのは分かる。草原の草丈より低いのか。立ち上がれば大きいのか。
分かっているのは、自分から相手は見えていなくても、相手は自分を見ていること。
「ドルドレン」
愛する人の名前を呼んで、唇を噛む。ドルドレンに会いたいと思った。
ふと、気が付いた。相手が複数であることを。自分は囲まれている、と草を分ける音で気が付いた。背後には魔物の死体の一部。前と左右、上下はがら空き。
非力な自分に何が出来るとも思えない。白いナイフを握り、自分を包む温かで穏やかな布をぎゅっと前で合わせた。
トゥートリクスとフォラヴが廊下を突っ走って鉢合わせ、ぶつかりそうになった所をお互いに手を出して止めた。
「イーアンは」 「いない、まだ?」 「トゥートリクス。支部の外も探せ」
フォラヴの一言に、大きな澄んだ瞳にさっと不安が走る。「イーアン・・・」と唇から名前がこぼれた途端にトゥートリクスが一目散に裏庭に向かって駆け出した。
フォラヴも嫌な予感がして、全力で裏庭へ飛び出す。ドルドレンが気が付いて『外か?』と聞くが、二人とも答えている暇がない。ドルドレンは全身の血が引くような恐ろしさを感じて、走り出した。
ブラスケッドが背後から叫んだ。『ドルドレン、イーアンは外だ!!自分で魔物の体を回収しに』そこまでしかドルドレンには聞こえなかった。剣も何も持たずに、持っている力の全てで裏庭に飛び出す。
「イーアン!イーアン、早くしないと」
トゥートリクスが泣きそうな顔をして、鍵の掛かった門を叩く。必死になって『門の外だ、イーアンは門の外だ』と喚く。フォラヴは森以外で自分の力が役に立たないことを悔んだ。
裏庭の扉からドルドレンが走り出てきた。何も遮るものなどない様に目一杯の力で跳躍し、門を越えた。
「イーアン!!」
「ドルドレン!!」
イーアンが見たのは、壁を跳んで越える、自分の最愛の騎士。ドルドレンが見たものは、真っ青な光に包まれて、今、正に死体を食べる魔物に周囲を囲まれた、愛する女性。
飛び上がった獣のような形の魔物に、イーアンが体を屈める。ドルドレンの中に猛烈な怒りが湧く。魔物の上に着地し、渾身の力で蹴り倒した。
イーアンを背中に回し、次の魔物を闇の中に探す。『イーアン怪我は』『ありません』短いやり取りに、イーアンの声が震えているのが分かる。ドルドレンは爆発した怒りに吼えた。
裏庭に出たブラスケッドとクローハルが、閉まる門を無視して、ざっと見渡し駆け上がれる場所を見つけ、思い切り走って駆け上がり、壁の外へ跳ぶ。
「イーアン、無事か」 「いるのか、答えろ」
二人の目に映ったのは真っ青な光に包まれて浮かび上がるイーアンと、イーアンから一歩も離れずに立ちはだかるドルドレンだった。周囲に魔物が相当な数でいるのも分かった。
「剣持ってるか」
ドルドレンが魔物を見据えたまま、二人に叫ぶ。『そんなもの忘れてた』『お前も持っていないのか』と戻ってきた返事に歯軋りするドルドレン。
二人は魔物の外側に着地したため、ドルドレンの動きに合わせて、素手で戦う覚悟をした。
――魔物が動く。一頭は倒されているが、他の魔物がじりじり輪を狭めて吐き出す息の音が深くなる。ドルドレンは背中のイーアンに、片手を伸ばす。イーアンはその手を握る。
「大丈夫だ。俺がいる」
イーアンは頷く。白いナイフをドルドレンに握らせると、ナイフは柔らかい光を放ち始めた。
「ナイフを」
ドルドレンは手渡された温もりを持ったナイフを、しっかり握り締める。『ちょっと借りるよ』といつもの微笑を浮かべ、星の瞬く空に跳躍した。
ドルドレンが宙に舞うと、握り締めたナイフはこれまでにないほどの光を放った。
その光で一瞬目が眩みかけたものの、どこに魔物がいるかをはっきり知ることが出来たドルドレンは、真っ逆さまに降下して、最初に見えた魔物をナイフで突き刺した。
刺したナイフを真横に引いて、体を引き裂く。引き抜くと同時に次の魔物へ回りこみ、同じようにナイフで首から頭の上まで切り裂いて引き抜く。白いナイフは光を放ち続け、まるで柔らかな水を分かつように、ドルドレンが刺し込んだ魔物の体を、骨も牙も何の抵抗もなくすんなり切り開いた。
滑るように切れる、穏やかな光を放つナイフに、ドルドレンはこの世のものではないことを感じていた。次に切るべき相手が頭の後ろで見えているような感覚。ナイフはイーアンの体温を伴って温かで、光は円やかに妖精のようだった。
ドルドレンが流れるように魔物を次々に切り裂いていく中で、どん、と衝撃の音がした。クローハルが外側で跳んだ魔物を蹴り砕いた。
その音を合図に、一斉に魔物が飛び上がった。ブラスケッドも襲い掛かる魔物の前足と顔面に、前腕を叩きつけて骨を砕く。鈍い音と耳に残る悲鳴が交錯する。ドルドレンの動きだけが白い道のように暗闇を照らし出す。
一頭がドルドレンの視界を越えた場所から、イーアンの真上に跳んだ。気が付いたクローハルが駆け出す。『イーアン避けろ!!』血の気が引く一瞬にクローハルが叫ぶ。イーアンは頭上を見上げた。
ドルドレンがイーアンを守るより早く、魔物がイーアンに落ちる。
イーアンを包んでいた真っ青な光が一気に光を増し、触れた魔物が勢いよく弾き返された。弾いた魔物を、跳んだドルドレンがナイフで顎から足まで一刀両断に裂く。
青い光は解き放たれたように、どんどん明度を上げて青白く星のように輝いた。光が一帯を照らすと、残っていた魔物は、唸り声と怯えの声を出しながらうろたえ、一頭、また一頭と逃げ出し始めた。
ドルドレンもブラスケッドもクローハルも、青白い光に包まれたイーアンを見つめた。布に包まれたイーアンは蹲るように倒れていた。
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