808. 獅子は女龍に会いに
夕方になり、オレンジ色の光が少しずつ濃くなる時間。
馬車の開け放した荷台(※溜まり場)で、イーアンは親方に手伝ってもらいながら、簡易ベッドを作っていた。
親方に『このダボはこっち』『角度が付くから、そこは先に落とせ』『内側に入る部分をもう少し削れ』など、チマチマ(※親方指導はチマチマしてる)指示され、はいはい言うことを聞きながら、頑張って作業する。
ちらっと親方を見ると、笑ってはいないが幸せそうなオーラを感じる。きっと、作業自体も楽しいのかもだけど、コルステインと二人で安心して眠れるベッドの完成間近が嬉しいのだ(※少し違う)。
そう思えば。イーアンは、どうにか夜が来る前に仕上げたくて、ちょっと指を怪我しても(※親方慌てて騒ぐ)気にしないで続けた。
コルステインは夜の間、親方を守ってくれる。
それは大切な部分だと思う、イーアン。タンクラッドにお守りを用意しないうちは、彼を守れる環境がないといけない。
それはシャンガマックも同じで、親方に関してはコルステインが夜間だけでも付いていてくれるものの、シャンガマックはそうした誰かがいるわけでもなく、イーアンは気になっていた。
シャンガマックの精霊の証。あれ、どうなったのだろう・・・・・
ビルガメスが戦闘を手伝ってくれた時。終わり次第、あっという間に帰ってしまった(※おじいちゃんはあっさり)。でも、シャンガマックの姿を見ているとは思う。なのに、彼に何も言わなかった。
おじいちゃんが忘れているとは思えないから、きっと何かしら、形を取ってくれるのだろうと思うけれど、肝心のシャンガマックも何にも知らない様子。
いつまでも放っておくのも気掛かりだし、おじいちゃんに訊いた方が良いのかなと、イーアンは思う。早めに『証』で守りを付けないと。ライオン男がいつ交渉に現れるか分からないため、心配が残る。
一度目はどうにか交渉相手を自分にするとしても、不便に気付くライオン男は、すぐにイヤイヤし始めるだろうから、その時にはもうお守りがあるように願うところ。
「と、するとですね。早めに空へ上って訊かないといけません。うーむ」
「何か言ったか。指が痛いのか。俺が代わるから」
タンクラッドは、ぼそぼそっと呟いたイーアンを覗き込み、心配そうに怪我をした手を見た。イーアンは首を振り『痛くない』と答えてから『お守りのことで考えていた』と教えた。
実のところ、イーアンはちょっとナイフで指を切ったが、血はもう早くに止まっていたし、深く見えた傷は表面だけのようだったので、怪我なんて忘れていた。
そう言われても心配な親方は、彼女の血が付いた指をそっと手で包み、『別のことを考えると、お前は手元が狂う』と注意し、ここからはもう、調整だけだから自分が引き受けると言った。
そうしたことで(※大丈夫なのだけど)親方にナイフ作業を代わってもらい、イーアンは張り布の用意に移ることにして、布を広げる。
今日。朝食の後にも縫えたので、殆ど完成している状態の張り布。これを実際に引っ掛けてみて、耐荷重の様子を見れば・・・・・
「話がある」
重く低い一声が、馬車の外からイーアンとタンクラッドの空間に投げ込まれる。顔を上げたものの、警戒した二人は目を見合わせて、ゆっくり馬車の外を見た。
見たと同時、タンクラッドは目を見開いて驚く。『誰だ』の声と共に、イーアンを背中に隠した。でも、イーアンも相手の姿を見た後。そして、彼も彼女を見た後。
「誰だろうな。そこの龍に用がある」
「お前・・・お。あ。う・・・ぬ」
夕日の中に立つ、腰布だけの大きな男が余裕そうに近づいてきて、真向かうタンクラッドの声が出ない。イーアンは異変に気が付く。『どうしましたか!』慌てて彼の背中から出て、彼の顔を見上げた。目だけが動く悔しそうな親方に、イーアンは血の気が引く。
さっと近付く男を見て『あなたが』の言葉を言いかけて、向かい合った男の目に気が付いた。ぐわっと怒りが湧くイーアン。
即、固まったタンクラッドの前に躍り出て『貴様か』と睨みつけた。タンクラッドを背中に、後ろ手で彼を押して下がらせ、馬車の足台を降りる。男はニヤッと笑って、小さな女の睨み上げる顔を見つめた。
「貴様、とは。誰って?俺を誰と思っているのやら。来い。話がある」
「貴様、彼を解け!彼に何しやがった」
「解く、か。そうだな。話をするなら解いてやろう」
歯軋りするイーアン。『こんな真似しやがって。こんなことしなくたって話くらい聞いてやったのに』このクソヤロウと、唸る。クソヤロウの言葉を受け、眉を寄せた男はうんざりしたように首を捻った。
「全く。何て口の悪い女だ。行くんだな?抵抗するなよ」
「てめぇ」
苛立って吼えそうになったイーアンを、男はすぐに太い腕に抱え込むと、『てめぇ!ふざけやがって』『殺されてぇか』と、腕の中で大声を出し喚く龍に、痛そうな顔を歪めたまま、親方に『動いていいぞ』の命令を出した。
その途端、タンクラッドの体に走っていた見えない鎖が解ける。タンクラッドは解放されてすぐ、跳ねるように『イーアン』と叫び、腕を伸ばしたが間に合わず。
「ちきしょう、離せ・・・・・ 」
イーアンの怒号は風に乗って残る。男は怒り猛るイーアンを抱えて、目の前の地面に滑り込んで消えてしまった。
「何てこった!」
タンクラッドは消えた地面に駆け寄って、両手でざっざっと砂を払う。『イーアン、くそっ!イーアン!』何の変化もない地面の砂を鷲掴みにし、『俺としたことが』と悔しさに目を瞑る。
「タンクラッド、イーアンは!」
親方がハッとして、名を呼ばれた方に顔を向けると、白金の髪を揺らし、妖精の騎士が血相を変えて走ってくる姿が見えた。『何が起こりましたか!今のは誰です?イーアンは?どこへ行ったのです』フォラヴは、地面に膝を着く親方に走り寄り、彼の肩を掴んで顔を覗き込む。
「すまん。俺がいながら。金縛りのように身動きが利かなくなった隙に」
「あなたにそんなことをした、あの男の人はどなたです?誰だったのですか?地下の住人?」
必死になって訊くフォラヴの質問は、親方にも痛い。自分がいながら、大事なイーアンを連れ去られてしまった。
すまん、分からん、としか言えない苦しそうなタンクラッドに、フォラヴは悲しそうに目を閉じると『イーアン。無事で』祈るように呟いて空に顔を向けた。その表情に、タンクラッドも胸が苦しい。
フォラヴの後ろから来た民家の娘さんも、何事かと急いで来てくれたが、誰かが消えた部分しか見ていなかった。
馬車での大声を聞いた、家の中にいたドルドレンとシャンガマックも出てきて、タンクラッドとフォラヴの様子に、一瞬で何が起こったかを悟った。
不安と驚き、悔しさと悲しさに心を一杯にしたドルドレンは、タンクラッドの横に膝を着いて『イーアン』悲しげにその名を地面に呟き落とす。タンクラッドは自分がこの前、総長を怒鳴ったことを申し訳なく思い、何度も謝る。
「仕方ないのだ。腹立たしいが、お前に腹を立ててもどうにもならない。相手は一枚も二枚も上、そうだとしか思えないし、お前の体を操ってしまうとなれば。手も足も出ないのは、これはもう」
ドルドレンはそこまで言うと、両手で顔を覆う。『きっと。イーアンのことだ。無事だと思う』震える声で、黒髪の騎士は信じる気持ちを言葉にするだけしか出来なかった。
夕日は馬車を茜色に染め、そこにいる全員から、今どう動くべきかの選択肢を柔らかく取り上げる。
これから夜が来る。それは誰もが分かっている。探すことも出来ない中で、彼らは連れ去られたイーアンの無事をただ祈った。
「ほら。下りろ」
どさっと放られたイーアンは草の上。夕方の丘の影になった畑の近く。正確には、畑道を外れた平らな草むらで、すぐ奥に林が続く場所。その一角に、イーアンは放り出され、急いで立ち上がると『貴様』と食って掛かる。
大きな男は、前に出した両手の平をちょっと上に向け『怒るな』と苦笑い。
唸るイーアンの側を離れ、距離を取ってから『お前の龍気でこっちも壊れかける。お互い様だぞ』そんなことを言いながら、疲れたように、影になる草の中に腰を下ろした。
「知るか。お前が勝手に掴んだんじゃねぇか!仲間に手ぇ出しやがって」
「手を出したわけじゃない。無駄に動かないようにしただけだ」
「こんなことされて、話なんか聞く気になんねぇよ!この独り善がり野郎。ちょっとは」
「黙れ。ちょっと静かにしろ」
うるせぇ、知ったこっちゃねぇ、てめぇの話なんか聞かねえからな!・・・他。
イーアンはぎゃあぎゃあ怒鳴って怒る。怒る、怒る。まー、怒ると足元の土も蹴り払い(※ガラ悪い)両腕に爪も出し、男に向かって振り上げる始末(※やる気満々)。
男は土手に背中をどさっと預けて、振り上げられた鎌のような白い爪を困った顔で見つめると、『やめてくれ。本当に消えてしまう』と呟いた。イーアン、振り上げたまま睨む。
「お前の龍気で憔悴している。直に触れてもすぐにどうにか、なりはしないが。お前の、この前と違う何かのせいか?うむ・・・・・ 」
本当に疲れ切ってそうな(※疑)顔で、筋骨隆々の焦げ茶色の肌の男が、土手にぐったりしているのを見て、イーアンは爪を一つ仕舞った。
もう一本の爪を男に向け、碧色の目が疲れた眼差しで爪を見つめるのを見ながら、爪の先で男をちょんちょん触ってみる(※疑2)。男は嫌そうな顔で呻き、『やめろ』と苦しそうに言うだけ。抵抗しない。
イーアンは彼をじーっと見てから、もう一度ちょんちょん突くと(※確認)男の皮膚の色が少し褪せた。男は呻いて『頼むからやめろ』と弱々しく頼んできた。ふーんと思うイーアン。
「ふむ。本当か・・・本当っぽい。油断した隙を狙う、姑息なヤツだと思うけど、本当に私の龍気で苦しいのか」
「姑息・・・とは。何て言いザマだ。お前の仲間だぞ、信用もしないのか」
「お前さんが信じてもらえるようなコトしてねぇって、この前から言ってんだろうが。覚えとけ。
大体、何だその姿は。人間なのか動物なのか。こっちが分からねぇような」
「お前。イーアン。それ以上言うな。俺がこの姿で来たのは、お前に交渉するためにわざわざ取った姿だ。それを酷く言うとは」
イーアンは黙った。コイツなりに、誠意なの?と、目が据わる。はぐらかして正体を誤魔化しているのかと思って(※裏切られ歴長いイーアンは信じない)いたけど。そんなワルイ思いじゃなかった様子。
黙る女龍に、男はゆっくり、大きく息を吐いて碧色の瞳を向けた。
「交渉だ。だが、もう少し待て。力も抜けて体も苦しい。これでは話も儘ならん」
「苦しいの?」
ちょびっと可哀相かもと思い始めたイーアンは、爪を仕舞って、倒れた男を見ながら訊いてみる。男は頷いて『そう言っている』と答えた。
「私が龍気を出したから?出したと思ってなかったのに」
グィードのクロークを脱いでいたイーアン。馬車で作業するからと思って、ベッドを作り始める前に、クロークを一度取り、着物スタイル・龍の皮上着だった。だからかな、とイーアンは自分の姿を眺める。
その質問には答えず、男は目を閉じて、呼吸をゆっくりにする。
彼はとても疲れて見え、力強い見かけに似合わないぐったりした姿は、連れ去られたとは言え、イーアンの目にも少し気の毒に映った。
「あんまり苦しいなら。一度、サブパメントゥに戻れば?話をするつもりなら、私は待つ。次は、誰にも手を出さないって約束するなら」
「夜はダメだ。コルステインがお前たちの馬車に来る」
コルステインが苦手なのかと、はっきり分かる。この前もそう言っていたし、イーアンがコルステインを呼んだ時も、すぐにいなくなった。これも理由があるのだろうが、今はそこではない。
「別の日にすれば良いのでは。今日は日が暮れるし・・・サブパメントゥに戻らないと、回復しないと聞いているけど」
「回復しない、か。そうだな。しかし時間が勿体ない」
何にこだわっているのか分からないので、イーアンは困る。正直に話してくれたら、力になれることも多そうなのに。何でこんな遠回りに、敵と見紛うような態度を取ってまで近付くのか。
「名前を知らないから。何て呼べば良いのか。お前さん、ここで話す気なら。私は一度戻って、皆にもう一度ここへ来ることを言うけれど」
「そんなこと信じられるか」
「 ・・・・・自分のことは疑われたくないくせに、人は疑うのか。面倒なヤツだな。どこまでも自分本位で動きたいってふうにしか聞こえない」
イーアンは面倒臭くなってきた。譲歩してやってるのに、自分から遠ざかる。そのくせ、自分の通したいことは押し付ける、そんな相手に気を遣うのも馬鹿らしい。
「お前さんが嫌がっている、コルステイン。いないと分かれば、私を探すだろう。仲間は夜に来るコルステインに、間違いなく私を探してほしいと頼む。それでも良いの?
ここで話したいなら、夜が来る前に、先に私が無事だと伝えた方が、よほどお前さんに都合良いと思うけど」
これが最後だからなと思いながら、イーアンは譲歩を説明してやった。男は薄っすらと目を開けて、自分を見ている女龍を見つめ『約束するか。ここへ、俺と話すために戻ることを。誰も連れずに』と訊いた。
これだけでも交渉みたいと思うイーアンは、頷いて『そういうつもり。私は裏はかかない』ことを、きちんと伝えた。
「そうか。お前が約束と言うなら。では、そうしてくれ。ここで俺は待つ」
イーアンは男に近寄って、少し怯えるように眉を寄せた男の顔を覗き込む。『何か。食べたり飲んだりするの?ミレイオみたいに』ちょっと持って来てやろうかと思って、そう質問すると、男は驚いた顔をした。
「なぜ?食べない。食べることは出来るが、特に要らない。何でだ」
「疲れているから、食べて元気も出るかと思った。深い意味なんかないわよ」
まぁ良いや、と立ち上がったイーアンは、彼から離れた場所で翼を出すと振り向き『待ってて』そう言って、日暮れの茜色の空に白い翼を広げて飛んで行った。連れ去られた割に、どこに馬車があるのか知っているように(※祠がそこにあるから、どこだか知ってる)。
お読み頂き有難うございます。




