807. 船探し・狭間空間の王
岩礁も遠い場所で、ミレイオは大海原に、白いお皿ちゃんと一緒に立ち尽くす。
見渡す限り、青。柔らかな淡い青の空と、深くはっきりした青の海。
「ここ。どこなのよ」
ずっとウロチョロしてるのに、一向に見当が付かないまま、もう『何日ぃ?私、どれだけこんなことしてるのかしら』疲れる~と嘆きながら、ミレイオは海面を睨み、小さく溜め息をつくと再び海に飛び込んだ。
目印らしい物が全然ない。場所も曖昧で、陸の影もない。お皿ちゃんで出来るだけ、上空まで上がったが、それでも見えるものは、どこの島だか大陸だか分からない、おぼろげな影を遠くに認めただけ。
どうにか。何か。手がかりを掴んでから帰りたい。海流に乗って動いてしまうような場所にある、それは分かったが、どこの国の沖か、海流はどこの特徴なのか、それが分からないとどうにもならない。
海に潜って海底へ向かうミレイオは、既に4日目に入った今日も、朝からこれを繰り返していた。
海底に近づくにつれ、暗い夜空よりも更に、暗く黒く変わる辺りの海。サブパメントゥが始まっているように思う、その感覚。
海を境に、眩しさと暗さを何往復もし続ける日々に、ミレイオの疲れが溜まっていた。
そんな状態でも、海底にぼんやりと見える、あの白い光とその膜の中に包まれる船をみれば、この現実を自分の物にしたくて足掻くことを厭わない。
どこなんだろう。
頭の中で、同じ質問を何百回も繰り返している。テイワグナの津波の方向を見た時。船がまずいんじゃないか、と焦ったミレイオ。
以前、一人で確認しに来た時には、テイワグナ沖だったと場所の見当を付けていた。あの津波は、海底にあった船にも影響を与えただろうと思い、あの日から、船を探しに出たくて機会を待っていた。
魔物退治もあり、村にも動いて、自分が留守でも大丈夫かなと・・・2日くらい抜けるつもりで出てきたが、2日では済まなかった。
海底を移動した船をどうにか探し出したのが、その2日前。潮流があることを見つけて、流れを手繰って温度を見ながら探し、ようやく見つけたは良いものの。
目の前にある、穏やかな白い光の膜に包まれた大きな船と、それを見つめる自分が、一体どこにいるのか。それが分からないで立ち往生――
周辺に何かないかと探しても、海中も海底も、海面も何もない。サブパメントゥに下りてみると、あのだだっ広い、グィードのいたであろう空間に出てしまう。
方向もわからない、グィードのいた巨大な部屋。空っぽの空間は、どこへ進めば、普段のサブパメントゥに向かうのかも見えない場所だった。
サブパメントゥなのに、気配が紛れているのが厄介で、ミレイオは不確かな気配を追うのは疲れるだけ、とすぐに止めた。
その後も手がかりを探して、船の周辺を調べたし、海面に上がって、かなり遠くまで範囲を広げて飛び回ったが、努力空しく。ミレイオは悩んだ。夜も帰らず、見失いたくない気持ちに包まれて、その場で過ごした4日間。
目の前にぼうっと浮かぶ白い光を見つめて、これは一時諦めるべきかと船を離れた。
真上に泳いで海面へ出ると、暫くその波間に体を横にして浮かぶ。もし。ここで帰って、また船が動いてしまったら。また振り出しに戻る。
香炉の煙が見せた、遥かな古代に置き去りにされた船は、あの津波まで、殆ど移動していなかったのか。それとも運良く、移動した船を見つけ出して、予想が当たったとぬか喜びしただけだったのか。
本当のことは分からない。目を瞑るミレイオは、これからどうするべきかを、自分に尋ねる。やはり戻るしかないのか。そこを考えると躊躇う。
「参ったわね。前に見た、あの後ろの大陸もどこだったか分からないし。あれもありそうなのに・・・方角でも間違えたか、全然、影も形も見えないって。
ここ、ホントにどの辺なのよ。それだけでも分かれば。大まかでも良いから」
もー・・・ 目を閉じて眉を寄せるミレイオは一人、イライラしながら起き上がり、海面に浮かぶお皿ちゃんの上にちょっと座って、諦めが付かずにそのまま少し過ごした。
昼の太陽が傾く頃まで、そうしていたが(※寝てた)。徐に、体を動かしてお皿ちゃんの上に立つと、ミレイオはくさくさした様子で『お皿ちゃん。帰るわ』と呟いた。
来た方向だけは覚えている。どれだけ離れ、どこから斜めに動いたかなんて思いだせないが、ミレイオを乗せたお皿ちゃんは、言われるままに飛んで行った。
*****
船と同じように。地上でもなく、地下でもない場所に佇む男。彼も面倒そうに溜め息をつき、自分の根城から動けずにいた。
根城の場所。地下と地上の狭間を、彼だけが自由に動かして、遥かな年月が流れている。
しかしこの、中途半端な場所を手に入れた、人っ子一人いない場所の王様気取りにも、彼はいい加減どうでも良くなり、それさえもう久しい。
この別空間を移動する彼は、大地のどこにでも爪を立てられるし、大地のどこへでも駆け上がれる。だが、それも何の意味があっただろう。
大きな獅子の体の男は、人間のように仰向けに寝そべり、狭間の空間に触れる全てのものを感じる。背中の下はサブパメントゥ。腹の上は地上。
碧の目を天井に向け、ずっと・・・海のどこか、すれすれを動き回るサブパメントゥの者に、神経が向いていた数日間。
「船か。船を見つけ出すとは。偶然にしては早いな。そこから出せるはずもない・・・・・ 」
隠した宝は数え切れない。イヌァエル・テレンから降りた多くの欠片は、獅子の男には、ただの宝以上の価値。それらは貴重な情報。
そのうちの一つ。船は、希望も期待も膨れ上がり、彼を虜にする宝だった。
悲しいことに、彼を相手にしてはくれない存在であった以外は、常に船は完璧な宝で、彼の求める想いを永い間、鷲掴みにしていた。
誰にも。渡せなかった。
うんざりするほどの、永い永い時間が遅々として流れて行き、彼を見つける者もいない世界で、彼が生き延びる目的のために集めた、船を初めとする多くの宝は、いつも―― いつでも ――最後の続きに、彼以外の誰かを待っている。
そのことに気が付き始めてから、獅子の男は、気がおかしくなりそうな時間も執念で乗り越え、ひたすら、その時が来るのを待った。
一つも、何も渡す気はない。誰にも、手渡すわけにいかない。この狭間の空間に入り込んだのも、自分の探求の一部。精霊は咎めなかったし、止めなかった。遮りもせず、取り上げなかった。
狭間の空間は、獅子の男だけを迎える世界だった。
他の誰も入れず、通過することは出来ても立ち止まれない、不思議な空間に彼は一人、そこの主として暮らして生きていた・・・これまで。特別な場所を受け取ったのも確かだったが、一人天下であるのも確か。空しさも悲しさも、心の外には出て行かない。行く道も戻る道もない、閉じ込められた空間の王。
「もう少しだ。もう少し・・・・・ 今度が最後だろう。俺だけでは進めない。この孤独に耐えた俺にしか、受け取る資格もない。
時が満ちる。鍵も動いた。龍も絡んだ。予想外の出来事だったが、急加速に付いて行ける俺だ。どんな展開でも、振り落とせないことを見せてやる。
ここまで来たんだ―― 最後の宝まで俺が手に入れることに、何者も立ちはだかることは出来ない」
獅子の体を仰向けにした男は、両腕をぐっと突き出した。その腕は、人の男の腕に変わる。獣の爪の生えた太い指は、長く細い5本の指となって動き、毛を失った腕の筋肉は、磨かれたように艶のある皮膚になった。
腕に続き、肩も胸も、腹も背中も腰も足も、ふさふさと全身を覆っていた金茶色の毛が消え、四足歩行に適した肋骨は平たく幅を持ち、曲がった足は真っ直ぐに伸びる。
金属で作ったような、滑らかで、艶やかに膨れた筋肉を持つ男の体が現れ、鬣のあった大きな獅子の頭は、金茶色の豊かな頭髪を背中に垂らし、厳しい切れ長の目元と、高い鼻筋、ぐっと引き締まった唇を持つ、精悍で獰猛な戦士の顔に変わった。
碧色の瞳はそのまま。青と碧の混ざる妖しく力強い瞳は、獅子の顔の時と同じくらいに爛々と輝く。
焦げ茶色の引き締まった体は、ゆっくりと立ち上がる。
その背中には大きな刺青。天と地の物語を一枚絵にした黒い刺青が、大きく広い背中をびっしりと覆い、鬣のように垂れる金茶色の髪の毛の隙間から覗く。
「息子よ。お前の体を作る土が、俺の代わりにお前を絶大な運命に導いた。俺が送り出してやろう。例え、お前が断っても。俺はお前を鍵として、開けられた扉の向こうに進むために生きてきたんだ」
獅子の男は、一人だけの空間に話しかけるように想いを口にすると、首を回して『この姿でいる時間が短いのが困りものだな』そう呟き、腕を伸ばし、天井から垂れ下がる緋色の古布を取ると、腰にぐるっと巻きつけた。
「この姿であれば。そう、気にすることはない。あの女は、俺の元の姿を口にする気はなさそうだから・・・こっちも気遣ってやるくらいはしないとな」
この姿を知っている者は僅か。しかし、取引をする場合は両方の姿を見せるのが、彼のやり方。彼なりの『裏表ナシ』を示すこれ。
「前の女も。俺がこの姿で望んだ時に、意識を変えた。しかしな・・・今度はどうなるやら。
あの、気の強い女龍が、こんなことでどうにかなる気もしない。人間には人間の体の方が、説得しやすいのは確かだが、あの女はどうも・・・見た目は人間だが、中身が(※中身さえ人間じゃないと判断されるイーアン)」
しかし。今回が大詰めの舞台。
獅子の男は、出来るだけ上手く早く、立ち回りたかった。そして、遥か昔から望み続けていた宝を、今度こそ、この手に掴むため。出来るだけ、自分の計画通りに動かす必要がある。
「行くか。夜が来る前に」
重く低い声が空間に落ちると同時に、男の姿は遮るものなどないように、天井をすり抜けて消えた。
*****
サブパメントゥの自宅に戻ったミレイオは、倒れそうな気持ちをもう一頑張りして、お風呂にお湯を張る。
くたくたに疲労した体を風呂場の壁に寄りかからせ、床にへたりこんで目を閉じた。
船の場所。フィギの町の石柱。龍の彫刻された木の柱。
考えるそれらのことは、何一つ先へ進んでいない。ほんの数日間で矢継ぎ早に入った、情報の群れ。答えも導きも見当たらないまま、古い時代から飛び込んできた情報は、常にミレイオの意識を占め、頭の中も疲れていた。
あの石柱。シャンガマックが、ミレイオの模様と似ると話した、あれ。
山奥にあったのも気になるけれど、それより手前で気になることもある。
自分たちを知っている誰かが、あの町に先にいたこと。そのことはミレイオにとって、どう捉えるべきか難しく、また見つけた時にはどう対処するべきかも、考え付いていない。
それは、ミレイオの耳に付いた指輪の音を鳴らして、わざわざ存在を伝えた誰かだろうと思うからこそ。
「意味が分からないわ。何で意味深な動きしているのか」
何の目的で。何が知りたくて。何を教えたくて。どう関わらせたくて。親の影が先回りしては、自分に何か気づかせようとしているのか。
溜まったお湯を見て、ミレイオはズボンを脱ぐと、のろのろ動いて湯船に入る。そのまま眠りそうな自分を懸命に叩き起こして、早く地下を出て馬車に戻らなきゃと、何度も呟く。
でもそれは叶わず。
ミレイオは湯船で寝て(※溺れない人だから出来る技)温くなってきたところで目が覚め、うーんうーん唸りながら風呂を上がって体を拭いて。そのまま寝室へ倒れ込んで眠りに落ちた。
謎は増えるばかり。頭がついて行かないどころか、時間もついて行かない。急かされるのが嫌いなミレイオは、一人だけの時間にもせっつかれながら、ひたすら昏々と眠り続けた。
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