796. 雨の日の午後・男女差異譚
雨が落ちてきて、そぼ降る雨の中を馬車は進む。午前中にオーリンが戻ってきて、ガルホブラフを帰すと、すぐさま荷馬車に乗り込んで作業を始めた。
「体調はどうなのですか」
無言で飛び込んできたオーリンが、何も言わずに骨組みに手を出したので、ちらっと見たイーアンが様子を訊ねた。
黄色い目をさっと向けたオーリン。少し怒っているようにイーアンを見つめてから『大丈夫』との返事。
「大丈夫なのですか。でも無理されませんように」
「ベッド作ったら戻るよ・・・その。まぁ良いや。はーっ。もう」
「何ですか。あなたがいない間に戦闘もあったのに。留守だったあなたに、そんな目で見られたくありません」
「戦闘?ホントかよ。どこで」
イーアンは、何か分からないオーリンの態度の悪さに、くさくさしただけだったが。オーリンは自分が戦闘時にいなかったことを、少し戸惑ったようで、表情が変わった。
昨日の朝から起こったことを簡単に伝え、午後は意味の分からない相手にも連れ去られたと、ざっくり話すと、オーリンは目を見開いて眉を寄せ『呼べよ。何で呼ばないんだよ』と言う。
「呼べるわけないでしょう。体調が優れないという人を。あなたはお手伝いさんですし」
「そりゃ、俺がいなくても。最近はイーアンは、自由に飛んだりするし。側に龍がいなくても、爪も使えるようになってるけど。
でも、戦闘なんてなったら。そんな・・・攫われるとか。もっと龍気がいるだろう。そういう時の手伝いだろ」
「私一人で戦うわけではありませんから、常に龍気に頼ることもないです。オーリンが不在の時は、それなりに加減しています」
目を瞑って溜め息を吐いたオーリンは、嫌そうに首を振った。『何で頼らないんだよ。呼んで良いよ』何か負い目でもありそうな、目の逸らし方をする龍の民。
じっと見つめるイーアンは、そこを察するものの(※思うに女性の影)突っ込まないであげた。
「呼べって。俺の都合・・・体調なんて良いから。頼ってくれよ」
「次はそうします」
はーっ、と大袈裟に溜め息をもう一度ついて、オーリンは鳶色の瞳を向ける女を見る。それから何かを言おうとして躊躇い、開いていた口を閉じると、するべき作業に手を付けた。
「あのさ。タンクラッドの体とか。触るなよ。揉んだりとか、変だぞ」
作業を始めたと思いきや、説教かとイーアンは目が据わる。オーリンを見ずに頷き、縫い物をしながら『事情が事情ですよ』とだけ返した。
その答えが気に食わないのか、オーリンは突っかかってくる。『事情って。総長だってイヤだろ』考えてやれよとまで言い始める。お前が言うな、とイーアンは見上げた。
「イーアン。そういうところ、少し抜けてるぞ。タンクラッドはイーアンが好きなんだから、変に触ったりとかするなよ」
「変に触ったわけではないですよ。体を痛めているから、揉んだだけ。なぜオーリンが気にしますか」
「イーアンが怒るところじゃないだろ?あれだろ?俺がどうせまた、女と一緒にいると思って」
もう、コイツ嫌・・・イーアンは目を瞑って首を大振りに傾げ、そこに触れないでいてやってんじゃねぇか、と思う(※オーリン相手だとすぐ素地が出るイーアン)。
「えー・・・あのですね。そんなこと、一言もお伝えしてません。話が違います」
「俺が注意しても、嫌だって感じだろ。俺に言われたくない、って顔に書いてある(※当)。空で、俺が女と一緒だと思ってるから、タンクラッドのことでアレコレ言われたくないふうにしか見えないよ」
「オーリン。前にも言いましたけれど。あなたが、どこのどなたとご一緒でも、私、関係ありません」
黙るオーリン。手は動いているが、目はイーアンに向いている。その目が非難めいていて、イーアンは眉を寄せる。イーアンも、ちくちく縫っては、ぴーっと糸を引きつつ、目を逸らさない(※ガン垂れ中年)。
「何だよ。その言い方。女といちゃついて、戦いに来なかったって思ってんだろ」
「思っていません。いちゃついても体調が悪くても、あなたの用事に関与しません」
いい加減にしてくれよと思うイーアン。そろそろキレちゃうから、のイラつきで睨みつけるが、オーリンは鈍いので気が付かない。
「早くベッドを作って下さい。そうしたらご自由に」
「つっけんどんだな。ベッドは作るよ。タンクラッドに触られても嫌だし」
「あなたが嫌がることじゃないでしょう。それに何度も言っていますが、そんな触り方」
「どっちみち、触ったら一緒だろ。そんな年で分かんねぇのかよ」
イーアン。ブツン・・・・・ 大振りに舌打ちして、布を掴むと立ち上がり『好き勝手言ってやがる。意味分かんない』と怒鳴った。オーリン、ちょっと怯む。
「あんたがどこの女と一緒でも、知ったこっちゃないわよ。
タンクラッドに触るだとか何とか、あんたの感覚で言わないでよ。誰が苦しんでたって、私は同じことするのよ!
自分の負い目だか何だか知らないけど、そんなもん、私にぶつけるな!とっととベッド作って、女のところでもどこでも帰れっ、このバカ!」
大声で怒鳴ると、怒ったイーアンは翼を出して、雨の中を飛んで出た。『あ、イーアン!』オーリンが急いで声を掛けたが、無視したイーアンは後ろの馬車へ入ってしまった。
立ち上がったオーリン。後ろの御者にいるシャンガマックと目が合う。怒鳴った声が聞こえていた、褐色の騎士の視線が困惑気味で、オーリンにはイタイ。
暫くして、ドルドレンが後ろの馬車から出てくると雨の中を走って、オーリンの立つ荷馬車の後ろにひょいと飛び乗った。
灰色の瞳を向けられたオーリン。さっと目を逸らす。ドルドレンは困ったように首を振り『何した』と一言。
それからオーリンとドルドレンは、昼まで話し合った。後ろの馬車の御者台から見ていたシャンガマックは、今日はいろいろ、事情が荒れていると感じた。
お昼。雨の日でも、外で煮炊き出来るようにと、庇を作っておいてくれたミレイオに感謝。馬車の外壁に付けられた板を持ち上げ、つっかえ棒で固定してから、イーアンは庇の下で火を熾す。
火を焚くのは濡れた地面では難しいので、これも雨天用の炭壷的なものに火を入れて対処。小さな炎で出来る範囲の料理を作る。
ミレイオが留守の時。ミレイオの細やかな気遣いに、有難く感謝するイーアン。
2段に重なる蒸し器で、野菜と肉、穀物と木の実を、それぞれの段に入れて蒸した。
鍋底にたまった野菜と肉の水分に、硬質のチーズを砕いて溶いてソースにし、7枚のお皿によそって、皆の集まる溜まり場に運ぶ。
タンクラッドはまだ体が痛むので(※総長による影響)起きて来れないとなり、フォラヴが微笑んで『彼の食事は私が』と引き受けてくれた。
こってりたっぷりの味に、皆さんが喜んでくれて、イーアンもニコニコするが。オーリンと目が合ってぷいっと顔を背けた。オーリン、ちょっと複雑。ドルドレンはそれを見ていて、苦笑い。
食後、洗い物と片づけをドルドレンは代わってやり、イーアンにオーリンと話すように促した。
「彼はちょっと、気にしているのだ。いつも、ちょっとだけ。怒ってはいけない」
「ドルドレン。私はあなたのように大人になれませんね。でもこれでも、我慢しました」
知っているよと笑って、ドルドレンはイーアンの頭にキスをすると、顔を覗き込んで『オーリンなりに。イーアンが好きなのだ。オーリンは自分のことを、あまり分かっていない』と教えた。
触る触らないの話題は面倒臭い。別に、股間触ってるわけじゃないでしょーと、イーアンはウンザリするが、それを言うとドルドレンは笑って首を振り『前もこの話をしたことがある』と言った。
「あの時は、ダビとタンクラッドだったのだ。オーリンもそうだが・・・自分の相手ではない女性でも、男は何となく気になっていれば、その女性の行動に反応してしまうのだ。どう気になっているかは、あまり関係ないかも知れない。どのくらい気になっているか、だろうか。
その男なりに守ろうとするというか、自分の範囲で押さえたいというか・・・勘違いとは違うのだが。
例え、俺という伴侶がイーアンにいると、頭で分かっていても、そういうことはある」
「申し訳ありませんが。全く分かりません」
ハハハと笑うドルドレン。イーアンはムスッとしている。早くミレイオ帰ってきて~と心で叫ぶ(※唯一の女性的理解者認定)。
話してきなさい、と伴侶に背中を押され、半ば強制的にオーリンと話すことになったイーアンは、渋々(※伴侶が言うから仕方なし)目が据わったまま、オーリンの側へ行った。
二人が話している様子をちらっと見たドルドレンは、少し笑って洗い物を進めた。
自分がタンクラッドの体を揉んだ時は、タンクラッドに知らず知らずの鬱憤を与えていた気がするが(※自覚ナシ)。俺の立場と彼らは違う。
今、フォラヴがタンクラッドの世話をしようとするのも、彼なりのイーアンを守ろうとする行為だし、オーリンが口煩く言うのも、オーリンなりの守ってしまう本能だろうと思う。
今回、シャンガマックは大人しいにしても、彼だって、フィギの町でイーアンを怒らせた俺に、グサグサ言葉で攻撃したのは、シャンガマックの守り方なのだ。
タンクラッドに至っては、言わずもがな。目に見えて、旦那と間違うくらいの堂々とした守り方を実行する。それがイーアンに嫌がられても、タンクラッドは止めない。彼の守り方なのだ。
「そうか。となると、ミレイオはやはり少し違うのだな。守りを固めているのは、見て明らかだが、男の守り方とは違う気がする」
意識がミレイオに流れたドルドレン。ふむふむ言いながら、洗い物を終えて片付けると、イーアンとオーリンの笑う声が、早めに聞こえるように祈っておいた。
「あの二人もまた。ミレイオとは異なるが、何となく兄妹のようなのだ。くっ付き過ぎると癪に障るが、龍族の二人はいつも笑っている方が良い」
フフンと笑うドルドレン。
ドルドレン自身は気が付いていなかったが、ドルドレンもまた、最初の頃に比べると、イーアンへの守り方や気にする範囲は、かなり変化していた。仲間に大切にされる愛妻であることが、ドルドレンには良いことのように感じていた。
しとしと降る雨の中。御者台にも出した庇の角度を調整し、雨足が強くなっても濡れにくいようにすると、お昼も終えた馬車は出発する。
向かう先はゆったりした下り坂で、先の方に少し広い道が交わることから、それが旧道と判断した。
ドルドレンは旧道から方向を確認して、左へ進むとさらに大きな街道があるのを見つけ、地図と照らし合わせて方向を確認。
そう言えば。馬車を進めながら、ドルドレンは変なことも思い出した。イーアンは地図を見ても逆さにしたりしないな、と。
昔、馬車の家族の女たちが、親父の見せた地図を見て、地図をひっくり返したり、向きを変えたりしながら、場所を話し合っているのを見たことがある。
親父は笑って『そんなふうにして、よく場所が分かるな』と言っていた。逆に、女たちは『こうしないと、どこか分からない』と答えていたのだ。
地図なんて頼らない馬車の家族だが、親父は物好きだから、ちょっと面白いと思うと、何でも集めていた。地図はある日の余興だったが、印象的な場面として、ドルドレンの記憶に残っていた。
支部でイーアンが地図を見る時、向きを変えたりしなかったような。龍で飛ぶ前も、龍に乗るようになってからも。彼女は少し、男性的な感覚があるのかなと思う。
「でも。男の心は分からないのだ。当たり前だが。・・・だけど、戦わせれば強いし、戦うことを躊躇いもしない。不思議なのだ。イーアンは」
ミレイオと喋ると延々、喋り続けるあたりは『女だなぁ』と思うし、細かい気遣いや、料理が好きだったり、家の中のことが好きだったりの面も、女の印象そのものと思うのだけれど。
ドルドレンは、雨の中を進む馬車の御者台で、イーアンの男女率を考えては、男の中での旅路に不便があると可哀相だとか、ミレイオがやはり早く戻ると良いけどとか。そんなことを頭に巡らせる。
すれ違う馬車もない、雨の道。ゆっくり進みながら旧道へ出ると、今度は街道を目指す。見晴らしだけは良い、草原と疎らな木のある風景に、灰色の雲で覆われた空と雨は必要ない気がする。
「晴れていたら眺めも良いだろうに」
だだっ広い、なだらかな丘を見渡して、雨の午後を勿体なく思う黒髪の騎士。街道は、大きな角度で緩い坂を見せていた。一度下って、また上がるような道を前に、ドルドレンは気が付く。
馬車。向こうから1台の馬車が来る。離れているが、雰囲気は民間の馬車に見えないので、もしかすると郵便物や配送の馬車か。『次の町か村を聞けるだろうか』すれ違うと分かる一本道なので、馬車が近くに来るのを待った。
地図に乗っていない道や村があると分かった、シサイの話を思い出すと、地元民に会う機会にちょくちょく情報を集めた方が良い。
近付くにつれ、黒っぽい頑丈そうな馬車と分かり、その雰囲気から民間ではないことを意識する。テイワグナの馬車なんて知らないが、2頭立ての馬車で、荷台は少し長く見えた。
中が重いのだろうか。馬が2頭、必要な理由を考えていると、すぐ間近まで黒い馬車が進んで来て、向こうから声が掛かった。それは『声が掛かる』というよりは『呼び止められる』と表現した方が近い様子。
「見慣れない馬車だな。どこへ行く」
御者台に座るドルドレンに、すれ違いかけた馬車から男の声がした。御者は普通のおじさんだが、御者台の背中に開いた窓に、50代くらいの男の顔が見える。
馬車は止まり、ドルドレンの馬車も止めるように言われた。『どこから来た』問い詰めるような言い方に、ドルドレンは眉を寄せると、どこの誰かも分からない相手に答える理由はないと、それを答えにした。
「テイワグナの人間じゃないな。どこの者だ。身元を言え」
「その問い詰め方は、おかしいと思わないのか。こちらに聞く前に、自分の名前を名乗るものだ」
「テイワグナ共和国警護団だ。名乗ったぞ。お前たちはどこの誰だ」
ドルドレンは、ふぅんと思う。こんなエラそうなのもいるのか、と。
前に並んだ馬車を、後ろから見ているシャンガマックは、何かあったのかと状況を見守る。
イーアンとオーリンが扉を開けたままの前の荷台にいるので、二人は褐色の騎士の視線を捉えて、状況が変なのかと目で訊ねた。シャンガマックは小さく首を傾げ、まだはっきりしないことだけを伝える。
前の馬車では、ドルドレンが身元を説明し始めた。『俺たちは、ハイザンジェルから派遣されている騎士と職人だ。各国に配信があったと思うが。テイワグナの警護団も』そう答えると、男は少し黙ってから、中の誰かと短い会話をした。
黒い馬車の男は、また窓に顔を寄せ、向かい合う旅の馬車の男に『騎士修道会と聞いているが』と怪しむように言い、御者の男を上から下まで見ると『騎士に見えない』の一言で身元を疑う。黒髪の騎士は、その言葉に不愉快な顔を向ける。
「俺から質問だ。身元の確認をした上で、怪しまれたとして。この雨の中で、馬車を止められる理由が見当たらない。俺たちは道を塞いだわけでもないし、そちらの馬車の邪魔もしていない。いつまでこの状態を一方的に続ける気だ」
ドルドレンは、警護団と名乗った男の無作法に呆れて、用がないなら放っておいてくれと伝えるが。
黒い馬車の男は、そんなことを気にする様子もなく、ドルドレンに向かって『馬車を下りろ。仲間を全員見せろ』と言い始める。そう言う割には、自分は馬車から動こうとしない。男は思いついたように、また続けた。
「早くしろ。全員、下ろせ。全員の名前と職業をこの場で言わない限り、解放はしない」
溜め息をつくドルドレン。どこにでも、こういう輩はいるのだが。
面倒になって、横柄な男に『見たければ、お前が降りて来い』と答えた。そしてもう一言伝えておいた。
「名前を教えてくれ。ハイザンジェル国王に、お前の名前を伝えておこう。俺たちの任務妨害をした男として」
お読み頂き有難うございます。




