795. 前日夜・旅の七日目 ~親方介護の午前
話し合いも終わって、後は寝るだけの長い一日の終わり。
早く戻るようにと言っておいたのに、来なかったイーアン。さて、どうしたかとドルドレンが影を覗き込むと、コルステインの片腕にがっちり抱き締められて、せっせと頬ずりされていた。
目が合うと、愛妻は少し申し訳なさそうに笑ったので、ドルドレンは苦笑いして了解し、先に馬車へ上がると手振りで教えた。もう片方の腕には、きちんとタンクラッドが抱え込まれていた(※衰弱中)。
コルステインは幸せなんだろうなと、ドルドレンは微笑む。凄まじい力の持ち主だが、使い方を間違えはしない。真逆のように存在する、天と地のイーアンとコルステイン。だが、どちらも。
「同じなのだ。采配の線は、彼らの手の内。知らぬは惑う人間だけか」
ザッカリアがいつか。出来れば早くに。理解出来るように願う、総長ドルドレン。ベッドに入って、イーアンの解放を待ちながら暫く過ごした(※この後もなかなか戻ってこなかった)。
ザッカリアは眠る前に、ギアッチに連絡を取る毎日。フォラヴにお休みの挨拶をしてから、連絡球を握り締めた。
いつものようにギアッチが応答し、今日の報告をする。
重く始まった話を、ギアッチは静かに『うん、うん』と相槌を入れながら理解し、ザッカリアの吐露が済むまで、身を入れて聞いてあげた。
『そうか。今日は苦しかったんだね。最後まで総長たちと会議までして。頑張ったね』
『俺はコルステインとイーアンの気持ち・・・タンクラッドおじさんも。総長もだよ。分からない。ギアッチは分かる?』
『そうだね。分かるかな。ザッカリアは、怖い思いをして子供の頃に育ったから。今回のことには、暴力の印象が強いのかな』
ザッカリアは答えない。苦しい気持ちは、生きることを足蹴にされた過去の記憶が重なる。ギアッチは察する。
『ザッカリア。思い出してご覧。イーアンが、一番最初にあなたを守った日のことを。イーアンは炎の中に、あのハドロウという男を閉じ込めたでしょう?イーアンはね、あの時。彼が死ぬなら、それはそれ、と言っていましたよ』
『え。殺すの?そういうつもりだったの』
『イーアンは許すことも知っています。だけど、守ると決めたら、あなたを守り通すから。そのために、あなたを襲う可能性のある相手を・・・例え、死なせても、彼女は責任を取るつもりだったでしょう』
ザッカリアは黙る。そんなこと考えていなかった。懲らしめているんだと思っていたのに。
『コルステインだっけ。強い、その人。その人も、皆を守りたかったんです。自分が何を信じていて、それが本当に大事かどうか、ちゃんと知っているんです。
ザッカリアの友達だった人はね。とても気の毒でした。ですけど、その人を助けてすぐ、総長やフォラヴたちがもしも血を流したら。ザッカリアはもう一度苦しんだよ。自分が選んだことで苦しむ』
『うん。そう・・・だね。うん』
『タンクラッドさんが。あなたにね。剣を使うなら徹底して信じろ、って言ったのでしょ?
それは確かですよ。私だって、魔物と戦う時、魔物なら殺して良いのかと何度も考えた。でも、誰かを助ける力を持ってるなら、私はそれを使うだろうと考えたらね』
『そうか。ギアッチも悩んだんだね』
『そりゃそうですよ。これが友達相手なんてなったら。ザッカリアみたいに心を痛めますし、自分も周囲も疑うかもしれない。だけど。では、世界を守るって意味を考えたら。何を信じるんでしょう?』
ギアッチの言葉。ザッカリアはしみじみと、心に沁みる言葉を感じる。
ギアッチはこの後も丁寧に教えて、今日は早く寝るんだよと挨拶して、通信を終えた。ザッカリアはベッドに潜り込み、ギアッチの連絡球を両手に握り締めて眠った。
敵ではなかったはずの者が敵になり、敵にしか思えない者が協力者。入国3日目にして、惑わされる印象の付いたテイワグナの旅の夜。
そうして過ぎた夜を越え、翌朝。
タンクラッドは、毎晩のように繰り返される体の痛みに、気がおかしくなりそう。
コルステインの、ニコニコしながら伝える『帰る』の言葉と共に、消えていく姿を見送り、うんうん唸りながら、タンクラッドは苦しむ体の一日が始まる。
「このままじゃ。俺はもう戦える気がしない。いや、日常の動きもマズイ。どうにかしないと」
オーリンがなぜか戻ってこないから、ベッドも進んでいない。ミレイオもいない。後、頼れるのはイーアンだけ・・・だが、イーアンは仕事が木工に携わらないため、肝心の『ベッド骨組み』を頼むには無理がある。
「くそっ。自分で作るしかないのか」
寝違えた痛みだらけの体に悲鳴を上げつつ。タンクラッドは夜明けの空気に冷や汗をかいて、イーアンに相談する時間を待った(※タンクラッドは外)。
朝ごはんの支度に起きたイーアン。ぼえーっとしたまま、むくっと起き上がり、目を擦って着替えると、眠る伴侶にちゅーっとしてから、とことこ表へ出る。
火を熾そうとして、側に聞こえる人の呻き声に気が付き、もしや親方と思って馬車の横を見たら、いた。
「タンクラッド。表で」
「うう。イーアン。もう無理だ。俺は体が痛くて死ぬかも知れん」
こりゃ気の毒。タンクラッドはコルステインが消えた後、地面に放り出されている状態で転がっていた(※体が痛過ぎて身動き取れない)。
優しい親方だけど、毎晩ではさすがに無理があるだろうと同情し、イーアンは側へ行って、呻く苦しげな親方の体を擦る。『少し。今日は体を揉みましょう。これから朝食・・・火を熾したらですが。だからちょっと待って頂くかしら。でも朝食の後にでも』イーアンはとりあえず、そう伝えて、親方の腕や肩を揉む。
タンクラッド。ちょっと嬉しい。痛いのは辛いが、頑張った褒美のように、イーアンが心配そうに自分の体を揉み始めたことが、何だか幸せだった。力の強いイーアンの手で、温もりが伝わる冷えた体は癒される・・・・・
「痛いですか。どうしよう。背中を向けてもらうにも、どこかに横にならないと。地面では冷えてしまう」
「イーアン。良いんだ。今は。皆の朝食を作ってくれ。お前の手が空いたら、馬車の溜まり場にでも寝転がるから、その時に頼む」
可哀相に、と呟いたイーアン。少し考えてから親方に、食事が出来るまでベッドで休んでとお願いし、火を熾して急いで朝食を作ることにした。
見送るタンクラッド(※ベッドに移動できないので地面に転がってる)。
後で・・・楽しみだなと、一人ニヤニヤしていたが、イーアンに起こされたか。総長が間もなく来て、転がるタンクラッドを担ぎ上げると、無表情で寝台車のベッドへ運んだ(※起き掛け一番の労働)。
「毎晩これでは。少し、コルステインと話した方が良いのだ」
「あいつは嬉しいんだから、そんなこと出来ない。大丈夫だ、後でイーアンが体を揉んでくれる」
ギロッと見た灰色の瞳。どうやら伝えられていたらしく、怒っている。
タンクラッドは少し笑って、ベッドに横になると『仕方ないだろう。コルステインの気持ちも、俺の気持ちも、分かってくれているんだから』と言っておいた。
総長はぶすっとした顔で、首を振ると『俺が揉んでやる』と不穏な一言を残して去った。タンクラッド。それは嫌だった(※イーアン代替⇒総長=♂)。
そして朝食。タンクラッドが起き上がるのに四苦八苦していると、イーアンが食事を運んできた。その姿を見て、親方は幸せ。感動してお礼を言い、迷惑をかけて済まないと伝える。
「コルステインを大事にしようとして、我が身を省みない人に。こんなくらいで、私がお礼を言って頂くのもね」
イーアンはそう笑うと、親方に起き上がれるかを訊いた。無理そうと知ると、躊躇うことなく、匙で食事を与え始めた。
タンクラッドは感無量。頑張った体の痛みに耐えた日々(※4日目)が報われる。礼を言いながら、イーアンに有難く食べさせてもらっていた(※心の妻復活)。
食べさせてはいても。イーアンは別に、誰が相手でもこうするので、何にも特別ではなかった。助け合いの一環である。
でもタンクラッドは嬉しいだけ。この幸せな食事の後も、体を揉んでもらえるのだと分かっている(※総長は既に却下)ので、ひたすら幸せを満喫する時間に感謝。
と。思っていたら。
「イーアン。私が代わりましょう。食事を食べていらして下さい」
妖精の騎士が、食事をしていないイーアンを気遣って交替に来た。ちらっと、親方を見て微笑むと『彼女は食事が』そう短く言い、立ち上がったイーアンに『私はもう終わりましたから』と、笑顔で匙を受け取った。
そしてイーアンは、後をお願いして馬車を立ち去る。残された親方。どんな運命のいたずらか。フォラヴに食事を食べさせてもらう(※微妙)。
フォラヴは親方に食べさせている間、終始、貼り付けたような微笑で見つめながら『あなたはコルステインに優しい』『陰ながら私もお手伝いしましょう』の前置きに似た言葉を言い続けた。
そして『私もあなたを揉んであげたいと思う』と・・・イーアンから引き離す本題を伝える。
親方は理解した。こいつ。総長も。俺からイーアンを引き離す気か。
剣職人の気が付いたと思われる目つきに、フォラヴはコロコロと鈴のような声で笑い『私たちは仲間ですから』の一言で、話を閉じた。
食べさせ終わった親方の口元を、フォラヴは丁寧に布で拭うと(※ある意味素敵な場面)ニッコリ笑って『では後で』と立ち上がり、さっさといなくなった。
朝食を終え、片づけをしてから馬車は出発。少し雲が多く、空を見上げると雨が降り出しそう。ドルドレンはイーアンに、御者台ではなく、溜まり場に入っているように言う。
フォラヴもザッカリアに、今日は馬車の中にいなさいと伝える。それから彼をシャンガマックに預け、勉強を教えてもらえるようにお願いした。
『私は手綱を。少ししたらタンクラッドの体を介抱するので、その時は交代して下さい』微笑みながら伝えるフォラヴに、シャンガマックは少し笑って頷いた。
タンクラッドはベッドの上。野郎が体を揉みに来るのかと思うと、自分で揉んだ方がマシに思え、仏頂面で頑張って、体を揉み続ける時間を過ごした。
馬車は街道に向かう。村から離れて、暫く行くと旧道の最後の部分に繋がり、そこから街道に出る話だったので、馬車はゴトゴト草原の道を進んだ。
溜まり場に座ったイーアンだが。親方が気になる。気の毒なので、少しだけでもと思って、翼を出してパタパタ後ろの馬車へ飛んだ。
御者をしているフォラヴが、ハッとした目で見上げたけれど、イーアンは『ちょっとだけ』と伝えて中へ入る。
シャンガマックとザッカリアが中にいるので、挨拶をする。少し驚いた顔のシャンガマックは、苦笑いでイーアンを通してあげた。
タンクラッドは嬉しい。イーアンの声が聞こえたと思ったら、やっぱり来てくれた。
「フォラヴもドルドレンも御者です。雨が降りそうだから、私は中にいるのですが。彼らの手が開く時まで、私が先に」
「本当に嬉しいぞ。すまないな」
タンクラッドはベッドに横たわりながら、介護を受ける。もう『介護』でも良い。そんな年齢ではないが、これを介護と茶化されても構わなかった。
イーアンは、タンクラッドの体をよっこらせと裏返し(※雑)呻く親方の背中に手を当て、モミモミし始める。
力の強いイーアンなので『モミモミ』は意外に『グニグニ』くらいの痛みを伴う(※握力60kg超えイーアン)が、親方は、痣が出来ても気にしないと思えるほど、ただただ嬉しかった。
若かりし頃のイーアン。四六時中ケンカしていたので、しょっちゅう体を痛めては、裏通りの整骨院でゴリゴリ・グニグニされて、わぁわぁ、ぎゃあぎゃあ言いながら、イタイ治療を受けていた。
そんな話をすると、タンクラッドは笑って『お前の経験はなかなか面白い』と感想を伝えた。イーアンも笑って『少しは活かせる経験になったかもしれない』と答える。
「痛いですか?私は自分が、こんな具合の印象でいるものですから」
「いや。女の力にしては、というだけだ。お前が触れているだけでも痛みが引く」
それは思い込みですよと笑ったイーアンは、親方の背中や肩や首、腰、腕と、遠慮なくグニグニ揉む。親方も幸せそうに笑顔のまま目を閉じ、二人はあれこれ和やかな会話を続けた。
こんな様子を、シャンガマックは時々ちらちら見張り(※扉開いてる)少し羨ましいような気もしていた。
少ししてフォラヴに呼ばれ、手綱を頼まれたシャンガマック。妖精の騎士は代わったすぐ、いそいそ馬車の中へ入り(※親方幸せ時間終了)代わりにイーアンがパタパタと飛んで、前の馬車に戻る姿を見た。
この後は。ドルドレンとフォラヴが交代して、ドルドレンが親方を揉みに行き(※容赦しないつもり)馬車の中から、わぁわぁ叫ぶタンクラッドの声が聞こえた。
シャンガマックは可笑しくて御者台で笑っていたが、時折、ザッカリアが止めに入る(※『可哀相』『痛いと思う』)声も聞こえて、総長がよほど手加減しないと分かると、剣職人に同情する。
「彼はコルステインに優しくしただけ。イーアンがそれを思い遣っただけでもある。・・・後で俺も、薬を作ってあげよう」
何とも言えない気の毒さに、苦笑いを浮かべる褐色の騎士は、痛みの緩和に必要な材料を思い浮かべて、馬車の手綱を取っていた。
イーアンは、親方と話した時に聞いた『簡易ベッド』の話から、オーリンが作っていた、組み立て骨組みを荷物から引っ張り出して眺める。
「本当。これは私では分かりません。ミレイオは張り布を担当していたようですが・・・それなら縫えるのか」
ミレイオの縫っていたと思われる、厚い生地の縫いかけを出して眺め、これならと見当を付けると、イーアンは早速縫い始めた。
そして、念のため。オーリンに連絡を取り、現状を聞くことにする。多分、空でいちゃついているのだろうが、それはともかく。ベッドだけでも、と思うところ。しばらーくして、オーリンが応答した。
『オーリン。今日も来ませんか』
『うん・・・そう。うん、行った方が良いなら(※行く気ナシ)』
『いいえ。体調が優れないと仰っていたので、無理はいけません。ただ、タンクラッドの簡易ベッドが』
『あっ。そうか。それはちょっと、あれか・・・どうなの?彼はまだコルステインと一緒なのか?』
イーアンは事情を説明し、相当体が痛んでいると話した。さっき自分も彼の体を揉み、フォラヴとドルドレンも交代で揉んであげていると伝えると、オーリンの声が変わる。
『え?体揉むだと?イーアンはタンクラッドの体を揉んだの?』
『そうですよ。そんなに驚くことではありませんでしょう。フォラヴたちも世話して』
『ちょっと、ダメだろ。そういうの。ミレイオは?』
『何がダメですか。彼は苦しんでいます。ミレイオもお留守ですよ。ご用が終わるまでは』
『何だよ、こんな時に。ダメだ。ダメ、何してんだよ。ちょっと待ってろ。ベッドだけでも作りに行くから』
オーリンはとても慌てたように応答を切った。イーアンはオーリン球(※命名)を見つめ、腰袋に戻した。
オーリンは。変なところで、男女の境目みたいのに過敏・・・そんな印象がある。オーリンは大鈍なのに、人は気になるらしいと、イーアンはよく思う。
「若い子ならいざ知らず。私たち中年組ですよ。体揉むって言ったって、普通の範囲なのに。何を想像してるんだか(※ミレイオに触発されたイーアン)」
ヤダヤダ、と頭を振り、とりあえず来るらしいオーリンの話にそれはそれ、として。自分に出来る針仕事を、せっせと進めた。
後ろの馬車では、ドルドレンに揉みくちゃにされ続ける親方が苦しんでいた。
悲鳴に近い声を聞くたび、シャンガマックは、助けた方が良いのかと何度も振り返って、ハラハラしながら進んだ午前の道。曇り空は、少しずつ雨を落としていた。
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