792. 罠と取引き
「イーアン!何を」
振り返ったドルドレンが目をむいた。イーアンはシャンガマックの喉元に爪を当てたまま、振り返らない。
「もう一度聞きますのでね。教えて下さい。シャンガマックはどこですか」
「イーアン・・・なぜ。俺が何だと」
「それは答えではありませんね。あなたの目的は何だと、訊いた方が答えやすいですか」
ドルドレンは固まる。イーアンが突然、シャンガマックを脅しているようにしか見えないのに。何かおかしいことは肌で感じた。褐色の騎士は少し微笑んで首を振る。
「仲間に武器を当てるなんて。さっきの仕返しか?」
「あなたが仲間ならねぇ。私もこうはしないでしょうけれど。とにかくシャンガマックを返して下さい」
苛立ってきたイーアンの声が低くなる。ドルドレンは何も出来ない。今はイーアンに任せる。信じて、任せるだけ。
真顔の二人を相手に、シャンガマックは余裕そうに笑顔で答える。
「爪を下ろさないと。俺が死んでは大変だろう」
「ああ、面倒臭え。早くしろってんだよ。シャンガマックはどこなんだ、って訊いてんだ。お前、耳あんのかよ」
ドルドレン。恐怖。愛妻の言葉が怖い。しかも龍の爪付きで脅している。相手が、見た目シャンガマックのまんまなのに、何にも躊躇わない、この人。
「イーアンは獰猛だと聞いていたが。本当にそうなんだな。シャンガマックはちょっと休んでる」
「そんなこと訊いてねぇだろうが。どこだって言ってんだよ。コロスぞ、この野郎」
答えが、別人と分かった言葉。しかし、イライラしているイーアンは歯をむき出して、目が据わったまま、褐色の肌に爪を押し付ける。
『切れちまうぞ。切れても知らねぇよ』イーアンはぐいぐい押し付け、爪の食い込むその肌に、薄っすら赤い光が見えた。褐色の騎士も目を細くして、眉を寄せる。
「おら。死ぬぞ。こっちゃ妥協してんだ。お前が勝手に死ぬことになんぞ。早く言えよ」
ドルドレンはちびりそうだった。愛妻が怖過ぎる。ホントに殺すかも知れないと思うと、今、止めた方が良いような気もするが、止めたらこっちに向きそうで(※とばっちり心配)それも言えない。
褐色の騎士は眉を寄せたまま、大きく息を吐き出すと、自分を睨み上げながら龍の爪を押し当てる女に囁いた。
『やめろ。その龍気でやられたら、持つ体も持たない。取引だ。シャンガマックを返すが』
声が変わった男に、イーアンは爪を少し緩める。『やっぱそうか。サブパメントゥだな』ドルドレンに聞こえないくらいの声で返すイーアン。
『何て女だ。仲間でも殺そうとする』
『仲間じゃねぇから殺すんだ、バカ。お前の取引なんか知るか。とっととシャンガマック返せよ』
くさくさしたように、シャンガマックの姿の男は視線を外す。首にあたる白い爪を指でちょっと押してずらし、『話くらい聞け』と答えた。イーアンは睨んだまま。
『シャンガマックを返す代わりに、俺の話を聞け。その時間を作れ』
『ああ?お前に命令される義理ねぇぞ。シャンガマックよこせ。殺すって言ってんだろう』
シャンガマックの顔の男は嫌そうな顔をして首を振った。ちらっと後ろのドルドレンを見て『彼を離せ。近いと喋れない』と言う。
『だからよぉ。お前の命令は意味ねぇんだっつーの。シャンガマックだ、シャンガマック。彼を出したら、話くらい聞いてやる』
イラつくイーアンが、一度離した爪を男の首に戻す。舌打ち盛大に男は溜め息がてら、片手の指を鳴らした。『全く。こんな女がよく』そこまで言うと、イーアンが吐き捨てて遮る。『死にてぇか』ぐりっと爪を食い込ませた。
「あ!イーアン、シャンガマックが」
すぐに後ろから声がして、ドルドレンが石碑の足元に屈み込むのが見えた。『シャンガマック!シャンガマック!』ドルドレンが土の中にいる部下を引きずり出すのを目端に見て、イーアンの目がきつくなる。
「お前。こんなことしてタダで帰れると思うんじゃねぇぞ」
『今回の女龍は面倒だな。前も手古摺ったが』
首を掻いた男の顔が少しずつ変わり、黄褐色の皮膚に薄っすらと短い毛が映る。目の色は碧色になり、シャンガマックの細面は、しっかりした獣の顔に変わり始める。
イーアンが見つめていると、男は突然イーアンの爪を避けてその胴体を抱え、一気に地中に滑り込んだ。
「うおっ」
イーアンの驚いた声が耳に届いたと同時、ドルドレンが振り向き『イーアン!』と名前を叫ぶ。シャンガマックが咳き込みながら、目を開けた時には既に、イーアンと男は消えていた。
「イーアン!!」
ドルドレンはイーアンの消えた場所へ駆け寄り、『イーアン、イーアン!』何も変化のない地面を叩きながら何度も名前を叫んだ。
土の付いた体を起こしたシャンガマックは、何が起こっているのか全く分からず、叫んで取り乱す総長の側へ慌てて寄り、事情を聞きだすしか出来なかった。
*****
地中へ移動したイーアン。ミレイオと一緒に動いていなかったら、かなり焦っていたと思う状況に(※真っ暗け)より一層ムスッとしていた。
「ここで話か。何しやがる」
「いい加減に、そうした口の利き方をよせ。お前なんかよりも、俺はずっと長く生きているんだぞ」
「知るか。人攫い(※ルガルバンダの時もそうだった)に言われたかねぇよ」
「お前。立場が逆転したの、分からないのか。お前が龍でもここじゃ力なんか発揮出来ない。俺の方が有利だ」
「情けねぇヤツだ。女相手に、自分が有利な場所選んだってわざわざ言いやがる。クソッタレ」
イーアンの負けん気に、男は大振りにため息を付く。引っ叩いてやろうかと思うが、引っ叩いても、倍になって食いかかってきそうな女に、面倒は減らしたい。
話をさせようにも、女龍は一筋縄でいかない。仲間だけに極力、上手い具合に運ぶには。しかしこう・・・ここまで荒っぽいとは思わなかった。どうしたもんかと思う時間。
「早くしろ。お前の陣地なんだろ。とっとと話せ」
「よくミレイオがお前なんかと組んだものだ。あいつも反抗的だったから」
「何だと?ミレイオ?お前何なんだ、ミレイオに手ぇ出したら」
「イーアン。話を聞け。俺はお前に協力することになるんだ。だが、俺にも協力しろ。その内容を取引するために、お前と話すのに。
夜はコルステインもいるとなれば、呼び出すことも出来ない」
イーアンは黙る。こいつか、と思った。こいつだ。こいつが先回りして、理由は知らないが、フィギでもアゾ・クィの村でも遺跡に絡んだんだ、とイーアンは察した。そしてシャンガマックを捕らえてまで、取引を願う。こいつ・・・を魔物が狙ったのか。ということは。
「お前は、頭も回るな。困った女龍だ。俺が誰だか、見当を付けたかどうかはまだしも。その辺も含めてだ。お前と取引だ。都合の悪い話じゃない。ちょっと旅に時間をもらうだけだ」
「面倒臭えヤツだな。ここまで来たんだ。言うだけ言ってみろ」
暗闇の中で、怒り心頭のイーアンは角を煌々と光らせながら、嫌味ったらしく促した。獣の顔の男は、この女龍を相手に、どこまで叶うのか不安を過ぎらせながら、渋々話し出した。
*****
馬車へ戻ったシャンガマックとドルドレン。事情を説明すると、タンクラッドが駆け出して丘へ向かった。急いで彼を止め、きっとイーアンなら戻るとドルドレンが言い聞かせる。
「どうして戻ると言える?コルステインを呼ぶぞ」
「待て。待ってくれ。俺もそれを思ったが、それならイーアンがそうするはずだ。俺も焦ったが、何か変だったのだ。タンクラッド、ここで夜営だ。今夜はここで。村からそう進んではいないが」
「当たり前だ。ここで待つしか出来ないだろう。お前はなぜそう、いつもイーアンから目を離すんだ!」
「シャンガマックも隠されていたんだぞ!勝手なことを言うな」
怒鳴り合う二人をフォラヴとシャンガマックが慌てて止めに入る。『ケンカしても、イーアンは戻りません。待ちましょう』フォラヴがドルドレンに大声で頼む。
シャンガマックも、タンクラッドの前に回りこんで胸を押さえながら『俺が悪かったんです。俺が一人で油断したから。総長を怒らないで下さい』怒りで歯軋りする剣職人に、どうにか伝える事情。
「とにかく夜営の準備をしましょう。馬車にザッカリアが一人です。皆で一緒にいなければ」
フォラヴもイーアンは心配だが、彼女なら多分大丈夫と。どこかで信じている自分がいる。言い合う二人の男を引き離して、丘を下って馬車へ戻らせた。
*****
イーアンは、獣の顔をした男と話が終わった頃。
相手は既に顔だけではなく、その姿も獣だった。何と形容すれば良いのか。着包みを着た人間が話しているような、そんな感覚だった。
彼は。ライオンそのもの。ライオンにしては、人間的。人間にしては、やたら現実味の強い着包み。そんな具合で、唯一、着包みと思えない点は、人間が入っているとすれば、彼がやけに大きいことだけ。
「どうだ。受けるか」
名乗りもしないライオン男はそう訊ねる。イーアンは腰掛けた場所で足を組み、その膝に、組んだ両手を引っ掛けて首を傾けながら黙っていた。
「イーアン。答えろ」
「あんまり乗り気じゃないね」
「何が。俺が今後、協力するのは確かだろう。今ここでお前が見ている、俺のことを誰にも話さない。これも簡単なことだ。それで、今暫く、合間を縫って俺の要求を叶えるくらい」
「意味が。分かんないわけだ。お前さんの言う意味が、何か隠してる気がして、はいどうぞ、とは言えない」
ライオンの男は碧色の目を向けて、見下すように自分を見るイーアンを睨む。イーアンは強気で続ける。
「何でミレイオがそこに関わるのかも分からない。あの方の力を、お前さんに貸す理由も知らない。シャンガマックを使う理由も分からない。
『自分のことも喋るな』と、頼む意味も分からない。私が頷けない理由が幾つもある。
ここまで来ると、何で私一人に許可を求めるのか。それさえ勘繰る。普通そうなるんじゃねぇの?」
「だから言っているだろう。旅の最中に開ける謎が、世界に散らばっているんだ。俺はそれを追いかけて生きているって。お前が関われば、そっちに都合の良いことも出てくるぞ。
それにミレイオたちを貸せ、とは言っていない。彼らの能力が必要な際に、イーアンが仲介で、彼らを動かして俺のやり取りに応じてくれと言ったんだ。俺の話をする必要はない。その後にどうせ知るんだ。
俺はお前たちの仲間として、役に立って動く時もある。だから、俺のためにもお前の仲間が」
イーアンは、男の言葉を遮る。
「それが分からねぇ。旅が旅が、ってんならなぁ。お前さんが私たちの役に立つのは、精霊が決めた運命だろう。お前さんが拒否したところで、何らかの形で関わりは回されるってことだ。
それをな。さも恩着せがましく『協力してやるから、自分のためにも時間を割け』って、今言われてるわけよ。
それも私じゃなくて、ミレイオとシャンガマックを使いたいと。それ、私に訊くことじゃないだろう。私が仲介ってのも、意味が分からねぇ。要は、他の仲間に出来るだけ、お前さんのこと知られたくないんだろ?こそこそ何がしたいんだか・・・・・
謎解きの重要さは理解しているけどな、得体の知れないお前さんの為に、旅の時間を取るのもどうかと思うし」
イーアンを説得するのが面倒臭くなってきた男は、目を瞑って小さく首を振った。
ズィーリーはここまで苛立つ相手じゃなかったのに。やりにくかったが、条件付で許可を下ろした女龍だったのに。
イーアンは面倒臭い。ああ言えばこう言う。
脅せば食いかかってくるし、力ずくで畳み込もうものなら、牙を向いて攻撃態勢に入る。話し合いになったと思った途端、絶対に自分の主張は譲らない。
気も強ければ、生意気で喧嘩っ早く、怯えも戸惑いもない。こんなに面倒な相手を、交渉に選んだ自分が間違えたか、と男はうんざりした。
だが。約束させるには、龍が一番なのも分かっている。約束させれば決して破らない。
それは、途中までで良い。自分の正体を明かすことなく、旅の仲間の協力を得るには。
女龍に『分かった』と約束させられれば良い。そう思って・・・ズィーリーと同じように動いたが。
「そもそもなぁ。お前さん、誰なんだ。旅の仲間って、平気で言ってるけど。仲間がすることじゃないような態度で、何を好き勝手な交渉だぁなんだって、のたまわってんだ。
ここがサブパメントゥだってことくらい、分かってるけど。残りの3人の仲間の誰がサブパメントゥか、こっちは知らねぇんだよ。やってることが全部おかしいだろうが」
「イーアン。その口の利き方をよせ。俺を苛立たせるな」
「知ったこっちゃねぇよ。前もそんなこと言うヤツいたけど(※某男龍)。まともじゃねぇ相手に、こっちが下手に出る意味ねぇだろ」
自分を睨むように見つめる女龍に、ライオンの姿の男は黙る。まだ名前を言うわけにいかない。
もしかするとそれで、自分の目的に気づく輩が、イーアンの仲間にいるかも知れない。気付かれれば、目的への手伝いを拒否される恐れもある。
しかしもう・・・自分一人では限界のところまで来ている以上、関わらせる以外に手がない。
この状態。自分が協力せざるを得ない時までに、ある程度の情報を集めておきたい。それまで名乗るのも避けたい――
「取引だ。イーアン。お前の求めるものを言え。それと引き換えに俺に協力してくれ。お前の仲間の安全は守るから」
「あのな。初めて会ったお前さんに、求めるものなんかないんだよ。知りもしない相手に。ここから出してくれるって話なら、お前さんに頼まなくても出られる。私の仲間の安全は、私が守る。他に何がある?」
・・・・・本っ当に、この女龍。引っ叩いてやりたいと思った。
引っ叩いてどうにかなる相手じゃないから、しないものの(※引っ叩くと漏れなく攻撃される)。
これだけ話しても、一向に態度が変わらない。俺が仲間と気が付いていても、手を貸そうともしなければ、事情を察して泳がせるなどの動きさえ、ちらとも持ち合わせない。
ライオンの男は、大きく息を吸い、嫌味ったらしく大袈裟に吐き出した。イーアンはじっとそれを見て、呟く。
「私は。納得出来ない以上は約束しない。裏をかかれるのは御免だ。仲間の誰かを、見知らぬ相手に手伝わせるなんて、私が許可しようがない。
焦っているようだが、そんなことはそっちの都合だ。よく考えろ。私に取引させたいなら、何を伝える必要があるのか」
イーアンの言葉に、ライオンの男は少し可能性を知る。取引を絶対にしない、とは言っていない。では、と口を開きかけた時、女龍は『時間切れだ』と笑って、コルステインの名を呼び始めた。
「お前!」
ライオンは驚いて悔しそうな顔を見せた、次の一瞬で姿を消す。
イーアンはグィードの皮を着ていたことに感謝し、少し待ってから青い霧が立ち込めた様子に微笑んだ。霧は形を作り、目の前に現れてニッコリ笑う。
『イーアン。コルステイン。呼ぶ。する。来た。何?』
『地上に上がりたいのです。どうしたら良いですか』
『龍。どうして。ここ?誰?いた?』
『私は連れて来られました。相手の名前を知らないのです』
ふぅん、といった顔で頷いたコルステイン。イーアンにそっと手を伸ばし、触れると分かるとニコリと笑って、腕に抱える。
『出る。明るい?』明るさを気にするコルステインに、『明るかったら、すぐに戻って』とお願いした。
心優しいコルステインに抱えられ、イーアンはそのすぐ後、午後の丘に戻った。
お読み頂き有難うございます。




