790. ザッカリア試練
目の潰れた男は、ザッカリアの言葉に反応した。
『大きい?お兄ちゃん・・・お前は誰だ』
何かを知っているように呟く男。タンクラッドはザッカリアを見つめる。仲間たちも、この妙な様子に緊張する。
ザッカリアは、コルステインの鳥の指に、鷲掴みにされた男の顔を覗き込み『お兄ちゃんが人攫いから守ろうとしてくれたんだ。俺たちを』まるで彼が、その人物かのように話しかけた。
『人攫い。神殿の中にいた子供か?お前は』
「俺。俺は、子供だったんだ。もっと小さな時。オルフィミ」
『オルフィミ』
若い男は、割れ金のような耳障りな声で、かつて知っていた名前をなぞる。彼の声は、とうに人間臭さを捨てた響きで、その声にザッカリアは、当時のお兄ちゃんの声を思い出すことは出来ない。
「オルフィミ。覚えてる?俺もこの前まで忘れていた名前だ。でも俺はオルフィミ。お兄ちゃん、魔物に攫われていたの」
『魔物か。全員魔物だろう。お前も俺も。あの神殿の子供も。僧侶も。俺たちを金に換えた客も。全員、魔物だっただろう。お前の仲間だって』
「何?何でそんなこと言うの。魔物じゃないよ、人間だよ」
『違いが分かるのか。魔物の王だって違いが分からないと言っていたのに。お前たちは何が魔で、何がそうじゃないのか。知っているか?』
目の潰れた男はせせら笑う。ザッカリアの大きな目が不安を湛えて、小さな顔を曇らせる。タンクラッドは静かにその男を睨んでいた。
『俺をとっ捕まえてるヤツだって化け物だろう。その辺にいる龍だって化け物だ。気に入らなきゃ殺しちまう。好きなこと言って好きに使うのは、誰でも同じだろう』
「そんなことないよ。そんな。そう思うの?だからお兄ちゃんは魔物の味方になったの?魔物が全部壊しちゃうのに、どうしてそれが良いの」
『じゃ。どうして壊しちゃいけないんだ。形を変えるってのは、壊したら悪者で、無理やり説得すれば良い者だとでも言うのか。そんな単純なことか?やってることは一緒なんだ。
オルフィミ。お前の仲間もお前も魔物みたいなもんだ。信じてるものが、俺とちょっとばかり見た目が違うだけで、中身は一緒。
教えてやろう。俺が追いかけたお前の仲間の魔物を。そいつのやろうとしていることは、サブパメントゥの支配。厄介な長生きヤロウが、何を目指しているのか。想像してみりゃ、お前らの言う『魔物』の方が有難く思えるぜ』
ザッカリアは何のことだか分からない。首を振りながら『魔物じゃないよ。誰も、そんな。違うよ。魔物は悪いことするのに』と、自分の信念を上塗りするように呟く。
『子供だから分からないのか。お前の剣で倒れて消える姿を、お前は何とも思わないくせに』
「お兄ちゃん」
潰れた目の男の放つ言葉に、ザッカリアは自分の剣を触る。タンクラッドもドルドレンも。シャンガマックもフォラヴも黙っていた。
イーアンはコルステインの気持ちが伝わる。コルステインが動くのも。
『お前。殺す。コルステイン。お前。嫌』
ザッカリアと若い男の会話の途中、コルステインが皆の頭の中に伝えた。伝えた瞬間、男は塵になって消えた。ザッカリアの目が見開く。
『あ。あ、お兄ちゃん』レモン色の瞳に、青い僅かな明かりの中で、一瞬だけ、男の額に赤い宝石が煌いたと見えたすぐ、黒い粒がパラパラと落ち、それも薄い煙を伴って消えるまでが映る。
タンクラッドも少し反応したが、聞くことは聞いた。コルステインがそう判断したのも理解した。イーアンも目を閉じ、少し顔を俯かせる。龍の愛を過ぎらせる、コルステインの行動に、イーアンは何も言えない。
「お兄ちゃん。お兄ちゃん・・・どうして、何で。どうして殺したの?どうして、お兄ちゃんを」
震えながら目に涙を湛えるザッカリアは、大きな青い体のサブパメントゥを非難する。
コルステインは青い目を向け『コルステイン。守る。タンクラッド。イーアン。ドルドレン。お前たち。仲間。守る。これ。殺す。する』当然とばかりに伝えた。
そんなひどいよ、と声を荒げそうになったザッカリアの側に、イーアンは動いて抱き締めた。
「後でお話しましょうね。そしてコルステインは酷くありません」
「イーアンまで。何で?お兄ちゃんは魔物に攫われただけなんだ」
イーアンは小さな間を開けて、息を吸い込む。
これか、と思う瞬間。自分はこれを言わないといけない立場なんだと、苦い覚悟をする。ビルガメスの求めた答えを、ここで実行する自分に責任を持つ。
「では訊きます。あなたのお兄ちゃんは、何も罪のないシサイを攫い、私とシャンガマックを、ドルドレンとタンクラッドを殺し合わせようとしました。魔物に攫われた彼だと知らなかったら、あなたは彼をどうしましたか」
「イーアン」
ドルドレンは名前を呼び、静かな質問をしたイーアンを止めようとしたが、タンクラッドが大きな溜め息をついて、それを遮る。ザッカリアはイーアンを信じられないといった顔で見上げ、その腕を解いた。
立ち上がったザッカリアの腕を掴んだのは、タンクラッド。剣職人は子供の腕をしっかり掴み、コルステインの青い光の中で子供の目を捉えた。
「コルステインが来なかったら。俺たちは誰かが死んでいたかも知れない。お前はそれで良かったのか。
コルステインが今、お前の昔の知り合いを片付けなかったら、あの村も、この先に出くわす多くの人間も、被害にあったかも知れない。お前はあいつを同情で助けて、さらに多くの誰かが死ぬ方を選べたのか」
「タンクラッドおじさん・・・・・ 」
「ザッカリア。そういう旅だぞ、お前が参加している運命は。
お前の剣。お前が喜んだ剣。それで多くの魔物を倒すだろう。お前の知り合いが言ったように、それが正しいか魔物と同じか。中身は一緒かどうか。お前が迷ううちは、お前も相手もその剣は切り刻む。
すぐに分からないかも知れんが、剣を振るう意味を理解しろ。剣を持つことは、何かを徹底して信じることだ。
そして、コルステインを責めるな。今後、決してコルステインを責めるな。俺はコイツを守ると決めた。お前も守るし、コルステインも守る。俺を悩ませるな。コルステインは俺たちを助けたんだ」
子供の大きな目に、注ぎ込むように言い聞かせた後。
タンクラッドは立ち上がり、膝を着いているコルステインの前に行くと、その頭を両腕に抱えて胸に抱き寄せた。『有難う。お前が助けてくれた』ちゃんと伝えて、感謝する親方。
コルステインはとても嬉しい。タンクラッドの体をゆっくり抱き返し、頷いた。『コルステイン。タンクラッド。好き。いつも。助ける。いつも』鉤爪の手で丁寧に彼の背中を撫でて、抱きかかえられた頭を心地良さそうに、タンクラッドの胸に寄せて微笑む。
ザッカリアは震えている。真顔のまま、理解しようとしているのか、抵抗に苛まれているのか。誰とも目を合わせようとしない子供を、フォラヴが側に寄って世話をすることにした。
「ここから出ますよ。思うことがありますでしょう。それは今すぐに解決しません。今は、ここから出るのです。シサイを村へ連れて行って介抱しなければ」
ハッとするザッカリア。シサイはまだ意識を失って倒れたままだった。彼を見たものの、すぐにまた自分の感情に苦しむ。そんなザッカリアを、妖精の騎士は優しく扱い、肩を抱き寄せて出口へ促す。
ドルドレンはシサイを抱え、シャンガマックとイーアン、タンクラッドは剣を鞘に戻して歩き始めた。
コルステインにはタンクラッドがお礼を伝え、『外は明るいから』と、また夜に呼ぶ約束をした。コルステインはニッコリ笑って、淡い霧となって消えた。
一行は言葉もなく、その場を後にして出口へ向かう。イーアンを先頭に、彼女の小さな角が光るのを頼りに進む。
暗い道を歩きながら、フォラヴは、肩を抱いたザッカリアの心境を思う。彼の心をどう癒せるのかを考えていた。
イーアンの質問と、タンクラッドの質問の意味は違う。
それを彼は、まだ理解出来ない。ただ『命を取るのも良し悪し』と・・・困った方向への解釈を大雑把にし、心を一杯にしていることだろう、と見当を付ける。
イーアンがした質問への答えは、命を取る条件についてだった。
タンクラッドのした質問への答えは、自分が何を信じて戦うか、そのことだった。
似ているようで、質の違うこの質問。同じ題材に投げられた質問を、いくら聡い子とはいえ、10才11才の子供に訊くのは難しい。それに彼は、悲しい暴力と恐怖の過去があるのだ。
有無を言わさず、命を消したコルステインに思うことは、自分の過去の記憶と直結したに違いなかった。
地下に開いた穴の中を通り、羊飼いを取り戻した6人は地上へ出る。飛び込んだ穴の縁を見て、ドルドレンはシサイを抱えたまま跳び上がる。フォラヴはザッカリアを背中から抱いて浮かんで上がった。
シャンガマックも二度ほど壁を蹴って跳び上がり、イーアンは親方に抱えられ(※飛べるから断ったけど強行)親方が跳んで上がる。
「お前は疲れているんだ。バニザットの剣をあれだけの時間、捌いたんだから」
「まー。そうですけど」
翼ちょびっと出すくらい何でもないのに、と思いながら、軽くお礼を言って、親方に下ろしてもらうイーアン。
その態度が気に入らないのか。親方は下ろした後も、イーアンにチクチク言う帰り道。
剣を研がないと、とか、最近使っていないだろうとか、お前が怪我したらどうする気だったんだとか。今更のようなことを、ずーっとチクチク言って聞かせていた。
イーアン。はいはいと頷きながら、目を据わらせて、大人しく聞きに徹した(※こっちのが疲れる)。
この二人以外は特に喋ることもなく、彼らは口数少なく、龍を待たせていた場所に戻る。
ドルドレンはシサイの血の気の引いた顔を見ながら、彼に迷惑をかけたことを悪く思っていた。そして、イーアンを守ろうとして取った自分の行動、その奇跡的・・・超人的とも言える、あの一瞬を思い出す。あれは何だったのか――
今はまだ答えが出ないが、今日。きっとこの話題も仲間内で出されるだろう。その時、皆の意見も聞きたいと思っていた。
そしてもう一つ。コルステインの取った行動。
ザッカリアのかつての知り合いが、重要なことを話し終えたからなのか。ザッカリアを惑わすと感じたからなのか。それとも、もう良いだろうと判断しただけなのか。
いずれにしても。まるでビルガメスのような制裁の加え方に感じた。コルステインは、地下で最強位と言われている。
命の采配とその力の使い方に、決定権が託された存在だからこそ、精霊にこの旅の仲間として参加者に命じられたのだろうと思うと。
コルステインの取った行動にも、学ぶことがある気がする。イーアンがザッカリアにした質問も同じで。
待たせていた龍に跨り、魔物の気配を訊くと、龍は特に何も反応しなかった。
ドルドレンはシサイを運ぶ。イーアンは翼を出して空中へ上がってミンティンに乗り、他の者も自分たちの龍に乗って浮上。一行は、昼に近くなる頃、アゾ・クィの村へ戻った。
アゾ・クィの村へ到着すると、壁の外で龍を降りて、6人は龍を帰した。門番は彼らが戻ってきたのが見えているので、扉を開ける。『本当に龍を。魔物は』言いかける門番は、ドルドレンの腕に抱えられたシサイを見て目を丸くした。
「彼が捕まっていた。意識を失っているが、早く介抱してやれば」
「助けたんですか?魔物から」
「そのために来たんだ。とにかく彼を早く横に出来る場所へ」
ドルドレンは門番の馬にシサイを預け、自分たちは村長に報告へ行くと話した。門番の一人が急いでシサイを馬で運び、その後姿を見ながら、ドルドレンたちも歩いて村長の家へ向かった。
すれ違う村の人たちの目が、少し警戒気味に感じる。一行が歩いていると、距離を取ったり、目で追ったり、分かりやすい。警戒されるのは心外、とも思うところだが。村にもう滞在する用事はないので、大事に至らないで出られれば、それで構わなかった。
ドルドレンとシャンガマックが村長の家へ寄る。朝と同様、奥さんが出てきて、シサイの無事と連れ戻った話をすると、彼女は素直にお礼を言ってくれた。それから二人を家に通し、村長に面会させた。
イーアンたちは宿屋へ戻る。もう朝食もないだろうと思って、空腹を感じながら戻ると、宿屋の主人は無事の帰りを喜んでくれて、朝食を用意しがてら(※既に昼)魔物退治はどうだったかと話を聞きたがった。
ドルドレンとシャンガマックの2名がまだ来ないことと、昨日夕方に一緒にいた2人の仲間が来ていないのを伝え、先に4名分の食事を出してもらう。腹ペコの一同は、先にがつがつと食べ始め、主人の質問に答えながら、腹を満たした。
ザッカリアも空腹には勝てない。心は沈み、苦しい場面に頭が痛むとしても、目の前の食事は食事として一生懸命食べる。横で見ているフォラヴは、お腹が満ちれば彼も少し落ち着くかもと思い、自分の分を分けてあげた。
間もなくして、ドルドレンたちも戻り、主人は魔物を退治したことと、シサイを無事に戻してくれたお礼に、いくらか肉を奮発して出してくれた。ドルドレンもシャンガマックも、有難くそれを頂戴して食事にがっつく。
「村長がね。皆さんが出発したあの後、煩くて。追っかけてきて、龍について聞かれたんだけど」
「知っている。今、それを話してきたところだ。今夜、感謝の席を設けたいと言われた」
宿屋の主人は、総長の言葉に頷いた。『本当に龍がいたと知れば。龍の騎士たちに助けてもらったと、皆が誇りに思うから』そうなると思う、と彼は言った。
「テイワグナで暫くは魔物退治だ。今こうしている間にも、被害に遭う人々がいる以上、ゆっくり一箇所に留まることは出来ない。家畜の被害と井戸を少し調べさせてもらってから、出発する」
その旨を村長にも伝えたと言い、ドルドレンは主人に丁寧に断ると、協力してもらったことを感謝した。
それからドルドレンは口をもぐもぐさせたまま、腰袋に入れておいた革の小さな袋を取り出し、宿屋の主人に渡す。『それ。龍の鱗なのだ。魔物が出たら、一枚取り出して、宙に吹くと良い。龍の風に変わって魔物を倒す』使い切りだよ、と教えると、主人は目を丸くした。
「これは私が受け取っては」
「うむ。良いのだ。村長に渡しても良かったのだが、彼は皆に配るか分からない気がした。商売をしている人々の方が、表通りに面していて、いつも安全を危ぶまれる。商売仲間と家族から分けると良い」
主人は信じられなさそうに、袋の中の小さな花びらを見つめると、大きく息を吐いて首を振り『有難う。もしもの時は使います』と約束する。
そして仲間内から先に配ることを了解し、また機会があったら是非寄って下さいとお願いした。ドルドレンは微笑み、頷いた。
イーアンは思う。彼らの龍への意識はやはり浸透が早いことを。この村で、民話の話などは聞かなかったにしても、龍の存在へ抵抗が少ない気がする。
村に戻ってすぐ、警戒されていた様子はあったが、それは恐怖や排除ではなく『龍』の存在と共にいる者たちへの距離、と感じた。
お読み頂き有難うございます。




