789. アゾ・クィの魔物 ~魔法使いの姿
振り下ろされる、時の剣。タンクラッドが意識を入れなければ、剣は力を発揮しない。ドルドレンが急いで、自分の剣をシャンガマックの前に出し、タンクラッドの剣を受け止めた。その隙に、驚いた褐色の騎士を引っ張って逃がすフォラヴ。
「総長!離れろ」
「タンクラッド、お前の意思じゃないのに」
「当たり前だ!」
タンクラッドの剣を使う力に対抗出来るのは、同じくらいの体格のドルドレンだけ。振り上げる剣を、止めようとするタンクラッドの苦い顔を見ながら、ドルドレンは彼の剣を自分の剣で受ける。鳴り響く金属の音が、洞窟の空気を揺らす。
イーアンは黒幕のいる向こうを見て、壁のように立ちはだかる蔓を切ろうとしたが、フォラヴに『その蔓を切ると増えるのです』と叫ばれて止まる。
打ち合うドルドレンとタンクラッド。時の剣の威力は発揮しないものの、ガチンガチンと打ち鳴らす音が、その剣の重さを嫌でも教える。
剣一本で戦ってきたタンクラッドの力。豪腕とはいえドルドレンも、何度も受けていると手が痺れ始める。
「止められないのか!」
「止められたらとっくにそうしてる!」
二人が打ち合う姿に戸惑う4人にも、その恐ろしい状況が降りかかった。シャンガマックが『うお?!』の驚きの声を上げたと同時に、大顎の剣を抜き払ってドルドレンに腕が動いた。
慌ててイーアンが剣を抜いて止める。『シャンガマック!』名前を呼ぶが、褐色の騎士はイーアンに止められた剣をもう一度振り上げた。
「イーアン!俺から逃げろ!」
シャンガマックも豪腕の騎士。細身の体で力が強いその腕に、大きく重い、鋸のような牙が並ぶ剣を真っ逆さまに振り下ろされると、イーアンの細い剣では、牙と牙の間に剣身が入り込んで、引き裂かれそうになる。
「イーアン!」
ドルドレンが振り向いて焦る。イーアンは引き裂かれる前に飛び退き、急いでザッカリアを隠す。『俺から離れろ、イーアン』シャンガマックが悲痛な声で頼みながら、大顎の剣を振るい、イーアンはすぐにそれを受け止める。
ドルドレンも余所見が利かない。次の一秒で、自分にも重い大剣が振られる。大急ぎでそれを受け止めて返し、息を荒くしながら間合いを取り、この状況の解決を必死に考える。
突然に始まった苦境。どうすれば、この恐ろしい状況を抜け出せるのか。仲間同士で戦い、剣に打たれる一瞬を避けながら、どうにか知恵を絞るしか出来ない。フォラヴはザッカリアを守り、イーアンとシャンガマック、ドルドレンとタンクラッドは討ち合いを続ける時間。
耳を劈く剣の音に震えるシサイ。自分が捕まったから。頭の中にはそれしかなかった。
昨日、自分を空へ連れて行ってくれた人たちが。助けに来てくれて。そして今、目の前でお互いを攻撃している――
夕べ。家畜の群れと一緒に戻る道。家畜を先に歩かせて、シサイは村へ向かう森の道を、いつものように歩いていた。突然、家畜が怯えて駆け出し、何かと思って、辺りを見渡したら意識が消えた。
気が付いたらかび臭い地下のこの場所にいて、灰色と黒の混色に包まれた男が側に座っていた。顔の見えない男は赤い椅子に座り、自分は体が動かなかった。何が起こっているのか分からないまま、質問しようにも口が開かないシサイは、ただただ恐怖に怯え続けた。
自分がここにいる理由。それがまさか。この人たちを捕らえて殺すためだったなんて。
動きを封じられたシサイは口も利けず、震えながら涙を落とす。
タンクラッドの剣を受けっ放しのドルドレン。いい加減、撥ね返すしか出来ない受身の剣に、手が痺れて使い物にならなくなってきた。
どうにかしなければ―― 横を見れば、ザッカリアを抱えたフォラヴは土の壁際に寄り、イーアンはシャンガマックの剣を、懸命に受けては流している。
分厚い蔓の壁の向こうから見える赤い光は、シサイの姿と彼を捕まえた男の影を映し、その男は、疲労してきた自分たちが、仲間の手で倒れるのを待っている。
考えるのは。なぜタンクラッドが。なぜシャンガマックが。彼らの意識はあるのに操られているのか――
偶々彼らが操られたのか、それとも彼らには操られる何かがあったのか。逆は?自分たちは操りを防げたのか。
ひたすら、剣がぶつかる音を聞きながら、脳裏を掠めるのはサブパメントゥの力のこと。
彼らは操るが、対象が限られていた。こんな時にミレイオがいないことを悔やむ。この苦境を抜け出す方法に気がつける人かも知れないのに。
コルステインは?コルステインだったら、あの男を、シサイを傷つけずに助けられるのだろうか・・・ドルドレンはハッとして、剣を勢い良く重ねた男に囁いた。『お前の翼を』金属の音に消されかけた囁きを、タンクラッドの鳶色の瞳が捉えたのを、ドルドレンは知った。
タンクラッドは次の手を振り上げながら、目を閉じた。ドルドレンはそれが、彼の呼びかけだと理解する。横から滑る大剣の刃を受け止め、ドルドレンも必死に『彼の翼』の名を呼んだ。
イーアンもヘトヘト。シャンガマックの剣が重くて、刃も多く、捌くのに鈍る。攻撃出来ない相手は、一番苦手。どれくらいの間、彼の剣を止めているのか分からないが、疲れが出てきた。
褐色の騎士は、目の前で辛そうに顔を歪める女に泣きたくなる。自分が制御できない力を、イーアンはひたすら受けては捌いて、剣を構える。
男だってここまで討ち合い出来ないのに、自分よりも頭一つ分、背の低いイーアンは、いくら龍の力を持つとは言え、それも使えず、剣で応じ続けている。うっかりしたら、彼女の首や胴体を切り裂きかねない怖さに、シャンガマックの精神も疲労していた。
カンッ 小さな音が洞窟に響いたその時。イーアンの手から剣が弾かれた。
力の緩んだ手から抜けた白い剣は、皆の凝視する恐れの眼差しを受けながら宙に飛ばされ、その空っぽの手に向かう、同じ白さの大顎の剣が、イーアンの髪を切った。
「イーアン!!」
シャンガマックの剣がイーアンの見開いた目を掠める瞬間。ドルドレンが叫んだ。
その叫び声と同時に、イーアンの前から剣が消える。ドルドレンの剣がシャンガマックの剣を貫いて止め、振り下ろされたタンクラッドの大剣を、ドルドレンは腕で弾いた。
全員がこれまでと思った瞬間を、ドルドレン自身も分からないうちに回避した。ドルドレンは鎧を着けない片腕で大剣を受け止めて払い、大顎の剣を貫いてイーアンから振り払っていた。
「ドルドレン」
イーアンが驚いてその名を呼んだ時、赤い炎が吹き消された。急に訪れた暗闇に、今度は何だと思えば、蔓の向こうで割れ金のような声が悲鳴を上げた。
タンクラッドの力が抜ける。シャンガマックもへたり込んだ。ドルドレンは急いでイーアンを手探りで探して掴み、両腕にしっかり抱き締めた。フォラヴもザッカリアを抱え直して守る。
青白く揺らぐ霧が立ち込め、僅かな青い明かりに、蔓がボロボロと崩れるのが見えた。シサイも地面に倒れ、シサイを抱えていた男は、絞り出す声で苦しげに呻き声を上げる。
「コルステイン」
タンクラッドが霧の名前を呼んだ。『まだ。殺すな』息切れしながら、青い霧に命じると、呻き声が止まる。
『タンクラッド。呼ぶ。コルステイン。来た。コルステイン。これ。殺す。タンクラッド。苦しい。痛い。嫌。これ。殺す』
コルステインの声が、タンクラッドを始めとする仲間の頭に響く。ドルドレンは理解した。コルステインがとても怒っているのを。
『イーアン。痛い。ドルドレン。痛い。タンクラッド。苦しい。コルステイン。嫌。これ。死ぬ』
『待て。コルステイン。まだそいつに聞くことがある。殺すな』
タンクラッドが剣を落として、その場に腰を下ろすと、コルステインは姿を現し、呻いている男の頭を鷲掴みにすると、それを引きずり、タンクラッドの側に来た。
そっと鉤爪で頬を撫でる。その顔がとても心配そうで、タンクラッドは微笑んだ。『助けに来てくれたんだな。有難う』助かったよと伝えると、コルステインは泣きそうな顔をして、小さな月の光のような涙を一つ落とした。
『これ。殺す。ダメ。どうして?』
『話をしてからだ。殺すにしてもな。お前のお陰で俺は助かった。皆も。お前は強いな』
『コルステイン。タンクラッド。好き。助ける。いつも。これ。後で。殺す』
どうしても殺してやりたいと言い続けるコルステインに、タンクラッドは腕を伸ばしてその首を引き寄せ、コルステインの額に自分の額を付ける。『そうだな。後でな』そう言うと、ニコリと笑って見せた。
額を付けてもらえて嬉しいコルステイン。でも疲れている可哀相なタンクラッドに、悲しかった。
タンクラッドは、コルステインに頭を鷲掴みにされたままの男に話しかける。コルステインの鉤爪が食い込んで、男の首や肩に血が滲んでいるのが見えた。
「お前を。殺したいそうだ。お前が絶対に勝てない力の持ち主が、それを願っているんだが」
『俺を殺しても何もならない。俺の代わりがすぐに来るだろう』
「そうか。じゃ、死ぬか」
『待てよ。知りたくないのか?お前たちだけが、俺の手に掛かったわけじゃないことを』
こんなヤツでも命が惜しいのかとタンクラッドは思う。聞けることは聞いておこうと黙っていると、男は交渉したと勘違いして『まず離せ』と言う。
「それは無理だ。理由があるなら言えば良い。だが俺は親切ではないんでな。今死ぬか、話し終わったら死ぬか、時間の差だとしか言ってやれん」
若い男が黙る。言葉を探して命拾いを考えている様子に、コルステインは苛立ったのか、もう片方の手で男の服を突然、破いた。
『コルステイン。ダメだ、まだ』
慌ててタンクラッドが止める。コルステインは注意されて、困った顔をした。『イイコだからな。もうちょっと待て』落ち着かせるようにタンクラッドが伝えると、コルステインは頷いた。
コルステインが仄かに照らす青い光に、若い男の顔が浮かび上がる。両目を潰された傷を持つその顔。
一瞬、誰もがぎょっとするが、それを見たザッカリアが『あ』と声を出した。全員が彼を見ると、ザッカリアは口が震えていた。
「大きいお兄ちゃん・・・お兄ちゃんだ」
「何?お前の知り合いか?え・・・それは。もしかしてコイツが」
「お兄ちゃん。何で、何で魔物の力に」
ザッカリアが近付いて、潰れた目の若い男の顔を見つめる。
肩で大きく息をするザッカリアは、ごくりと唾を飲み込み『お兄ちゃんは、魔物に攫われたの』と呟いた。
お読み頂き有難うございます。




