776. フィギの魔物
ずぶ濡れのイーアンと男性は、土手を上がって、町の端から通りへ向かう。
イーアンは爪も翼も仕舞った後なので、濡れた髪の毛から見える角だけが、男性の目に不思議に映る。
男性は何度か、横を歩く女の頭にある小さな白い角を見て、彼女と目が合ったので、微笑んで誤魔化した。
「気になりますか。これは角です」
「あ。はい。すみません。見たことがなくて、その。角のある人を。本物ですよね」
「そうです。私も最近生えたので、それまでは考えたこともありません」
ハハハと笑ったイーアンに、男性はニッコリ笑って『角があると、何か違う力があるのですか』と抵抗もなさそうに話を続ける。イーアンは自分が龍であることを隠さずに伝えて、驚く男性に『だからあなたを助けることが出来た』と話す。
「龍とは。お話の中の存在だと思っていたけれど。本当にいたんですね」
イーアンはこの言葉を、北の防具工房の職人サンジェイ・アイヤに言われたことを思い出す。この前の津波の時も、浜の男性たちは『龍の女』と。ハイザンジェルよりもテイワグナの方が『龍の人』は、割と馴染んでいるお話なのかと思った。
「お一人で旅をされて?今日、フィギに来たのですか」
「いいえ。仲間がいまして、彼らと一緒に今日到着しました。馬車は宿屋の前にあると思いますが・・・・・ 」
「どうかしましたか」
「いえ。皆が宿屋を決める前に、私はここへ来たので。どこだったかと思い出せなくて」
困って笑うイーアンを見つめ、男性はその背中を押して、坂道を上がるのを手伝う。イーアンがお礼を言うと彼は微笑み『まだ町が動き出したばかりで。旅の客が来ても少ないから、きっとすぐに見つかります。一緒に行きますよ』そう言って、イーアンに自己紹介をした。
「私はエスケンダル・オレスです。染色が仕事です。機織は妻の仕事で、妻は今、家にいますから・・・命を助けてもらったことを妻にも話したいです。濡れていて寒いかもしれませんけれど、少しだけ良いですか」
「私はイーアンです。姓も名もこれ一つです。それで、龍ですね」
ハハハと二人は笑いながら頷き、イーアンは自分がハイザンジェルから来たことを話した。
「奥さんはおうちにいらっしゃるのですか。では、少しだけ挨拶して、私は宿へ向かいます。
私は水に潜ったわけではないですから、濡れていてもさほど。でもオレスさんは水に入ったから、早く温まってください」
「着替えたら、ご一緒しますよ。仲間の方たちも心配されているでしょう」
イーアンは笑顔でお礼を言い、染色と機織の話を少し聞かせてもらいながら、あっさりオレスの家に到着する。オレスの家は川に近い場所にあり、そこは春夏の仮の住まいだと教えてくれた。
長屋のような続き屋が特徴的な町で、時々個別に建つ家がある。オレスは敷地が欲しかったからと話し、自分の家は一戸建てであると言っていた。
『機織もあるから。織った布に絵も入れるし、庭が大きい方が良かったんです』気さくにあれこれ話してくれるオレスは、家の裏手に回って妻の名前を呼んだ。
大きな声で2度ほど呼ぶと、女性の声が戻ってすぐに姿を現し、そして彼女は、ビックリした様子で夫の状態を見つめた。
「どう、どうしたの!何が・・・あ、もしかして魔物」
「そう。でも大丈夫だよ。怪我はないから。この人が助けてくれたんだ。彼女は旅の人でイーアン」
紹介されてようやく気が付いた、後ろにいる女性を見て、さらに目を丸くする。『女の人?女の人が魔物から』うそーっと声を上げる奥さん。イーアンも苦笑い。そうなるだろうなと思いつつ頷いた。
「まぁまぁ!とにかく着替えて。そんな濡れていては、もう夕方だし冷えるわ。ええっと、あの。イーアンは、着替えは」
「大丈夫。彼女は仲間が町にいるらしいから、宿屋まで送っていくよ。それじゃイーアン。すみませんけれど、私はちょっと着替えさせて頂きます。風の当たらない場所で待って下さい」
オレスはそう言うと、ちらちら心配そうにイーアンを見る奥さんと一緒に、家の中へ入った。イーアンは風を受けない場所・・・をキョロキョロ探し、建物の影に少し寄った(※でも風は受ける)。
少し待つと、すぐにオレスが戻ってきて、乾いた服に身を包み笑顔を向ける。『すみません。私だけ先に』笑うオレスに、イーアンは首を振って『良かったです』と答える。
すぐに奥さんが来て、イーアンにと、布の包みを差し出した。これは何かと彼女を見ると、奥さんは『食事はどこかで食べるでしょうけれど。この前来たばかりで、私たちもお礼らしいものがなくて』と言う。どうやら食料、と推測したイーアンは、丁寧にお礼を言って頂戴した(※食料はいくらあっても良い)。
「じゃ。送ってくるよ。すぐに戻る」
オレスは奥さんに挨拶し、イーアンも会釈してご挨拶。奥さんに見送られた二人は通りへ出た。オレスが言うには、旅人向けの宿屋は大体同じ通りにあるようで、恐らくそこへ行きさえすれば見つかる、と言った。
山間のこの町自体が小さいので、通りを5~6本も渡れば散策は終わってしまう。主要の通りへ入って、オレスは何軒か宿屋を教えてくれた。
『多分。馬車は店の裏手に停めるので。表からは見えないですね』馬車ではなく、雰囲気で探そうと言ってくれて、数軒回った後に、扉が開いたままの宿屋の前で立ち止まった。イーアンが覗き込むと、オレスは微笑む。
「彼ら、ではありませんか」
指差された、まだ明かりの灯す前の店内に、同じような体格の男性が何人もいるのが見えた。そのうちの背の高い一人が、こっちを振り向いて『イーアン!』と叫んだ(※ルガルバンダ・センサー付きの人)。
「タンクラッド」
「イーアン。お前どこへ・・・おい、どうした。その格好は。この人は」
急いで出てきた親方は、イーアンの濡れた髪を撫でて、同じように濡れた服を、上から下まで見ると眉を寄せる。横に立つ男も見て、彼は誰かと訊ねたので、イーアンはこの人が魔物に襲われていたと話した。
「何だと?お前、一人で魔物退治か」
「彼女が助けに来てくれました。私は一人、川でいつもの作業をしていたのですが、誰も側にいなかったから」
親方がイーアンの名を呼んだ後、あっという間に皆が出てきて、口々にあれやこれやと質問をした。
ミレイオが割って入って『後にしなさいよ。この子、濡れてるのよ』と怒った。そしてイーアンは、着替えのために連れて行かれた(※保護者付き)。
連れて行かれそうになってすぐ。イーアンは振り向いて『オレスさん。それでは』と手を振った。
オレスも笑顔を向ける。『有難うございました』大きな声で返し、その後、旅人たちに質問されることへ答えると、自分は向こうの通りの、端の家に住んでいると教え、『町を出る時。良かったらまた、挨拶だけでも』と言い、帰って行った。
中へ入った皆は、宿屋の1階でイーアンとミレイオを待った。
宿を決めた後。代金を支払ってすぐ、どこへイーアンが向かったのかを話し合い、魔物の話もあるからと相談していたところだった。
宿屋の主人の話も聞きながら、町にいる民間人に、自分たちが魔物退治する連絡をしてもらうよう頼み、イーアンを探す組と魔物退治に向かう組に分けた矢先。イーアンが戻ってきたのが先ほど。
「一人で倒してきたのか」
「イーアンなら出来ますよ。飛べますから」
親方にシャンガマックが答え、それを聞いたフォラヴが笑った。『飛べても一人ですよ』強さが違うと言う。オーリンもそれは同意。『彼女は逃げないからさ』と。逃げない分だけ早く始末することを言う。
ドルドレンは心の中で『うちの奥さんは最強』のフレーズを何度も繰り返し、頷いていた。ザッカリアは、魔物がまだいるのかと総長に訊く。
「どうだろうな。イーアンが戻ったら、現場が近いから一回、見に行こう。まだいても困る」
鎧は要らないが、武器だけは持ち、全員支度は済ませてある。間もなくして、着替えたイーアンとミレイオが戻った。
龍の皮の上着を干すとかで、イーアンは、ミレイオ製タンクトップと布のズボン。手甲と脚絆はそのまま、作ったばかりのグィードの青黒いクロークを羽織っていた。
「イーアンはカッコイイのだ」
ドルドレンはちょっとポッとして、そそそっと抱き寄せると頬ずり。これで安心。もう、怒っていないようだと確認。イーアンは多分、魔物退治をして忘れているのだ・・・よしっこのまま仲直り!!
そんなドルドレンの予想通り、すっかり怒っていたことを忘れているイーアンは、誉められたことにお礼を言って『意外とグィードの皮は適温』と着心地を教えた(※まるで忘れてる)。それから伴侶に訊ねる。
「行きますでしょ?現場へ。まだ魔物はそのままだと思います。私は一頭しか倒していませんから、調べないと」
「そのつもりだ。よし。ではイーアンに案内してもらって向かうぞ。皆、女には重々気をつけろ」
徒歩だからこその、この最後の言葉。イーアンとミレイオだけが、少し笑いそうになったが、他全員、気を引き締めて頷いた。
カウンターの中で聞いていた宿屋のおじさんも笑いかけたが、自分の奥さんの目の色が変わったのを見ているので、これは笑い事じゃないんだろうなと理解した(※見事なまでのイケメン軍団)。
そして、今は奥さんが、普通に戻ってくれて何よりだと感謝していた(※自分の立場が危うかった)。
そしてイケメン軍団とイーアンとミレイオは、魔物を倒した現場へ歩く。
ちょくちょく、女性が吸い寄せられるように寄って来たが、ミレイオがいると気が付くと、この短時間で女性の中で噂が回ったのか、接近するほどには誰も近付いてこなかった。
ミレイオに聞こえないくらいの声で、前を歩く皆はひそひそと『ミレイオがお守りのよう』と話し合う。これからは、町に入る際にミレイオに出来るだけ守ってもらおうと、一致団結(?)で決定した。
男たちに振り向かれて、ニコッと微笑まれたミレイオは『?』の状態。何だか分からないが、とりあえずミレイオも微笑み返しておいた。
イーアンと一緒に川へ下りる坂を進み、暫く土手の上を歩いた後。誰ともなく、魔物が浮かぶ妙な水面を見つける。
「あれか。随分大きかったんだな」
タンクラッドが目を凝らして、大きさをイーアンに訊ねる。イーアンは、あれが頭の部分と教え、胴体はきっと流されたか、川の中だろうと話した。
「イーアン。魔物だが。オレスを襲ったというが、俺たちが訊いた話の魔物は、一昨日の夜に出て、人間を襲わなかったそうだ。家を壊して川へ戻ったと聞いた」
ドルドレンは宿で聞いた話をする。イーアンは首を少し傾げて、考えながら答えた。
「どうしてでしょうか。私が見た時は既に、オレスさんが食べられかけているところでした。彼は、突然に襲われた感じです。彼を助け出してすぐに、私もオレスさんを抱えたまま、丸呑みされかけたのです」
翼も曲げるような力ですよ、とイーアンは言い『食べるという表現が、合っているのか分からないですが、とにかく口に入れる習性があると思う』ことは付け加えた。家屋で満足するように思えない魔物と。
「イーアン。翼は大丈夫なのか」
「はい。元々、龍気で出し入れしているもので、痛みなどはありませんから、それは無事。でも曲がったのは感じますため、頭に来て爪を増やし、口の中から斬り裂きました。それがあの割れた頭」
むふぅ・・・・・ 様子を想像したドルドレン。
質問する時は勇気が必要、と久しぶりに思い出す。魔物を退治する時のイーアンは、おっかないのだ。うっかり質問すると、怖い場面を想像しかねない。最近、魔物退治がなかったから忘れていた。気をつけねば(※怖いと夜に響く)。
川原へ下りて、イーアンは爪を一本ビュッと出し、ゆらゆらしている黒い塊に引っ掛けて引き寄せた。その様子が便利な竿のようで、見ている一同は微妙な気持ち(※龍の爪武器=竿)。
「これ。私は切り刻んでしまいましたが、ここが口の一部です。あと4つか5つくらい、どこかにあるでしょう。歯がないのですが、この系統は、南支部で以前に倒した魔物と似ています。あれより大きいですが」
ドルドレンも思い出す。『あれか。ベレンと一緒に3人で回った時の。川にいたヤツ(※210~211話参照)』そう言うと愛妻(※未婚)は頷く。
『それです。もし似たような習性ならですけれど、この上流にもいるでしょうね』ちょっと暗くなった辺りを見渡し、イーアンは答えた。
「待てよ、イーアン。確か夜間に動くのでは」
「そうですね。オレスさんは偶々、この魔物がここで休んでいたのを知らずに、来てしまったのかもしれないです」
イーアンは、黄昏を越えて暗くなりつつある山間を眺め『まだいますね。私が倒しましょう』と見上げたまま呟く。
騎士たちは知っている・・・何度となく見た、あのイーアン。龍になる前から、怖いもの知らずのイーアンが、そう言って自分たちを見た。その顔はニッコリ笑っていたが、目はやる気満々だった。
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