762. 海龍の皮・強さと安心について
馬車に干している海龍の皮は、午前の早い時間で乾いていた。
扉は開放しているし、風も抜ける乾燥した地域の春。西へ進む馬車に、朝から当たる日差しは、皮の水分をゆっくり奪い、10時を回る頃には殆どパリッとさせるまでに至る。
「これ以上はカチカチになりそう」
イーアンは片側の綱を解いて皮を下ろし、裏にして脂を摺り込む。二つ折りの大きな本の背表紙みたいな皮を開き、丁寧に摺りこみ続けて浸透具合を見る。
3m前後の長辺で、短辺も一番狭い箇所で2m近い皮。形は一定ではないけれど、厚さは均等に感じる。乾いた厚さは5mm程度。一体どこの部分の皮なのか。あの大きさで、この薄さ。
「でも。別にべろんと剥けたわけではない。フケっぽいなら、薄皮がへろーんと剥けていたのかも知れません」
そう思うと、どこがへろーんと剥けたんだろうと、今度はそっちが気になるが、深く考えても意味のないことなので(※どこの皮でも使うんだから)イーアンは皮を揉んで、脂を馴染ませるのに専念する。
海龍の皮に、普通の皮と同じような扱いが、効くのかも知らないけれど、とりあえず木灰を振りかけて、それも摺り込み、畳んで少し置く。
「この大きさですと。クロークのような物が良いでしょう。あまり切るのも気が引けます。夏に向かうのにクローク・・・うん。でも。コルステインと仲良くする時だけ使用すれば」
ドルドレンとの話が終わった後。後ろの馬車の御者台にいたミレイオに、この皮をどう使うのが良いか相談したイーアン。
「私も分からないけどさ。何か出来るだけ体を包めれば良いんじゃないの?あの時も、コルステインが手に持っていたでしょ?あれがあったから、もしかしてイーアンが近くても平気だったのかと思って」
「でも私が受け取る時、あの方はすっとお顔を引きました。やはりキツイのかと」
「あ。それはだって、近いからじゃないの。あんたはむき出しで近寄ったわけでさ。
要はさ、コルステインの腕の上に皮が乗ってた状態で、あんたと向かい合って話している分には、グィードの皮が衝立になってくれたような。かな?と思うの」
ああ~・・・イーアンはその説明だとそんな気がする。自分が受け取った時は、コルステインと皮の間を遮るような感じだったのだ。
ということで。『手袋もあれば尚可』とのご意見を頂戴したので、手袋とクロークにする。着物でも良いのだが、今から作るとなれば今夜に間に合わないのだ。
手袋は簡素にミトン型。親指だけ別付けで、手の平から残り4本の指は、スポッと被せる形に作ると、あっという間に出来上がる。
『ミトンは昔、さんざん作りました。型紙がなくても作れます』うんうん、頷き、イーアンは経験に感謝する。
皮を開いてみて触ると、信じられない状態に変わっていた。『ふわふわしています。なぜですか』皮に質問しても帰る言葉はないが。
内側はふわふわと羊毛のように変わり、外側は滑らかなエナメルのよう。青と黒が複雑に混ざり合う色に、鱗の影がない。
『これは。ウナギちゃんでは』一瞬、皮の下に鱗がある魚を思い出すイーアンは(※ドジョウでも良いはず)もう二度と食べることのないと思われる、ウナギが食べたくなった。
グィードの皮=ウナギ。と思いきや。裏はムートン状・・・・・
『これは一体。どういう仕組みなのか』呟くイーアンに答えられる者はいない。思うにご本人(※海龍)も答えてくれない気がする。無論、ビルガメスだって『そういうもの』で完了だ(※おじいちゃんは当てにならない)。
とにかく切りましょう・・・イーアンは頭の中に、この皮の質を考える知識がないか、自問自答しながらちょきちょきと有難く、海龍の皮を切り始めた。
のんびりした馬車の道は、魔物出現国まで3日を切った状態。誰もが一時の休息を味わう時間。
ミレイオはドルドレンの横に動いて、ドルドレンに相談を受けた。『何かあったの?』呼ばれて来たミレイオは、御者台に座る。
「ミレイオが知っているかどうか。俺の首にビルガメスの毛があるだろう?これ、不思議だったのだが、コルステインはなぜ、この贈り物があるのに俺と話せるのだろうか」
「ああ。なんだ、そんなこと。話すだけだからじゃないの?」
え。どう違うの。質問した答えが分からないドルドレンは、ミレイオをじっと見て、詳しい解説を求めた。刺青パンクは何度か瞬きして『分からないの』と頷く。
「コルステイン。あんたの夢に出ないでしょ?あんたの意識のある時に、あいつの顔が出てくるとか」
「ない。そういうのは一切ないな」
「だと思う。それは『入って来てる』ってことだから。でも、話すことは出来るわよ。それも出来ないとなると、よほど壁が分厚いものを受け取らないと、難しいんじゃない?」
「そうなのか。じゃ、別に効力が薄れたわけではないと」
「私は着けてないから言い切れないけど。でもイーアンだって、コルステインと話すじゃない。タンクラッドだって龍の皮着て、ルガルバンダの祝福も受けているのに、コルステインと喋れるでしょ。話すのは別に。聞こえるのと一緒だから」
聞こえるのと一緒・・・聞こえるって。耳に届くことか?脳に届く範囲があるのだろうか?
ドルドレンはよく分からないものの、とりあえず問題はないと知って、ミレイオにお礼を言った。そしてもう一つ。何となく聞いてみたかったことも質問する。
「ミレイオは。俺たちの頭の中で話さないのだ。コルステインといる時は頭の中で話していたが」
「そうよ。普通に喋れるんだから、口で伝えたら良いでしょ。変?」
あっさり。そういうものじゃないの的な答えを頂いたので、それ以上は訊かなかった。ミレイオは本当に、地下の力を使わないんだなと思う。心の中も読めそうなのに、それもしないのかと思ったら。
「私はさ。頭の中で喋る程度は出来るけど、あんたたちの頭の中で、動き回るとかは出来ないの。そういう力はないんだよね。
ヒョルドあたりも出来るかもなぁ。私、だからいろんな意味で、サブパメントゥっぽくないの」
「そうなのか。ミレイオは実に人間に近い。でも異様に強い印象しかないが。それは言ってみれば、俺たちが如何に弱いかと知る部分でもある」
寂しそうに微笑むドルドレンに、ハハハと笑ったミレイオは、彼の腕をポンと叩いた。
「何が強くて、何が弱いかなんて。そりゃ、人間基準の強弱の項目別で見たら、そうだろうけど。全体をまとめて『人間だから弱い』って思っちゃ駄目よ。
私も『地下にしては弱い』って言う時あるけど、そう言っている時だって、人間の基準の強弱で話している時よ」
「有難う。でも。では、人間があなた方より強い場合などあるだろうか。俺はどうも最近、逆のことしか目に付かなくて」
「バッカねぇ。いくらだって条件が変わるでしょ?砂漠でお金出したって、水の方が物言う時があるのと一緒よ。
思い出してよ。イーアンはテイワグナで、龍になれなかったでしょ。逆もそう。コルステインたちは日中、霧でも出してないと動けないのよ。あれだけ、凄まじい力があったって、使える場所がなきゃ身動き取れないの。
あんたたちが『水の中で戦え』って言われるのと同じだけど、誰だって条件が変われば、いくらも強くなるし、いくらだって弱くもなるのよ」
ドルドレンは、明るい金色の瞳を向ける優しいパンクに、ホッとした笑顔を向ける。『そうか。そうだな』頷いたドルドレン。
ミレイオは『当たり前』と小さな不安を笑い飛ばしてくれる。それがとても安心出来た。
「そうよ。それに人間だけが成長するのよ。力を育てることが出来るのは、人間だけでしょう。私たちは備わった力を動かせない。変な言い方だけど、捨てることも出来ないの。それ、羨ましいと思う内は、成長出来るわよ」
勇気付けてくれる、ミレイオ。ドルドレンは微笑みながら『自分をもっと磨きたい』と答える。
この後。ミレイオと二人で、昼になるまでいろんな話をし、ドルドレンはテイワグナ戦で感じた無力感が、少しずつ薄れていくのを感じた。
お昼の時間になり、イーアンはミレイオと昼食の準備。と思ったら『縫っていて良いわよ』ミレイオがそう言って、イーアンを縫い物に戻した。
「昼は一品ものだから。縫ってらっしゃい。夜までに仕上がった方が良いでしょ?」
優しいミレイオにお礼を言い、イーアンは馬車に戻ってチクチク縫う。これを着けたら、コルステインを撫でたり、ちょっと抱き締めたり出来るのかもしれない。出ている部分が触れるといけないから、顔は付けない方が良いだろうが。
「でも嬉しいです。コルステインもきっと喜びます」
馬車の影から動かなかった、テイワグナの迎えの日。もしかすると、影が濃ければ日中も居られるのかなと思う。
『そうしたら。一緒に話しますよ。たくさん話して友達になります』自分が夜に起きていても良いのだけど、すぐ寝そうで(※自覚はある)自信がなかった。
クロークは切りっぱなしの部分だらけで、出来ればフードも付けたかった。フードがあれば頭も大丈夫。
でも今は、ミトンを先に縫う。手のかかりそうな部分は早めに終えて、余裕を持ってフード等に進もうと、イーアンは急いだ。
お昼に呼ばれ、馬車を出て皆で昼食。大鍋に、硬いものから順に段に積んだ野菜の上、肉の切り身を乗せた蒸し焼きを、ミレイオがお皿によそってくれる。
食べながらちらほら雑談が弾み、一品なので早い時間で終了する。『オーリン。まだね』ミレイオが空を見て言う。オーリンが来たら、もう少し食料を買っておかないと総長に話す。
「そうだな。意外ときっちり食べてしまうものだ。遠征と大違い」
「遠征とは違いますね。一食一食が、楽しみだし料理も豊かです。それなりに材料も使うと分かる分、違いがあるのは承知ですが。もっと食べたいと思うし、この食事時間は落ち着きます」
褐色の騎士の微笑みに、ミレイオは笑顔で頷く。『良かったわ。気に入ってくれて』ミレイオは野菜も肉も魚もふんだんに使う。塩が少ない料理だから、素材の味が濃く出るように、絶妙な材料合わせをする料理は皆に好評。
「次の町。もし食材が買えそうなら、買い込んでおくか。集落を通過する方が多いから、そうすると買い物が出来る場所が少ないしな」
ドルドレンは地図を思い出しながら、町から町までの距離に気をつけて購入しよう、と話した。
そんなことで、残りの2日間の献立を考えながらの洗い物と片付け。ミレイオとイーアンは溜まり場に座って、献立を考えながらの午後。イーアンが縫い物をする横で、ミレイオは在庫を見ながら料理を考えて過ごす。
シャンガマックとザッカリアは、一緒に地図を見てお勉強。ザッカリアが寝る前、ギアッチと毎日交信をするので、シャンガマックが補習授業出来る部分は手伝う。
地理と国の特徴を話しながら、シャンガマックが行ったことのある場所は、豆知識も教えていた。
「いつか。いつとは分からないが。お前は一人でハイザンジェルへ戻るだろう。交代の日が来る。その時に迷うことがないように。
そして自分がどこまで動いたのかを、ちゃんとギアッチに伝えられるように覚えような」
シャンガマックの言葉に、ザッカリアはちょっと笑って頷く。『まだ始まったばっかりだよ。帰る時のこと、考えていないよ』そう言うと、褐色の騎士も笑って『そうだな』と答える。
「タンクラッドさんとミレイオは、世界を旅している。彼らにも、いろんな話を聞くと良い。そうしたことも勉強だ」
「俺ね。シャンガマックみたいに、星を読んだりしたいの。それは勉強で教えてもらわないよ。どうしてだろう」
シャンガマックは微笑んで『特殊な勉強だから』と言い、覚えたいなら少しずつだと教えた。
『星は場所によって見える姿が違う。それは一年を通してもそうだ。ある夜だけ見ても、書き写しても、形が変わるから、晴れた夜に少しずつ見て覚えるんだ』子供の頃からそうしていた、と言う褐色の騎士に、目を輝かせるザッカリア。
「俺もそうする!そうしたら大人になった時、シャンガマックみたいに星が読めるから」
覚えたがる子供に、シャンガマックは頷いて教えてあげると約束。地理の勉強は途中から、星図に変わり、ベッドに広げた夜空の地図を見ながら、二人は浪漫一杯の話を続けた。
親方は総長と一緒。相性が良いのか悪いのか分からない二人だが、こうして度々一緒に過ごす。
なぜか馬車の御者台に居座る親方を、追い払うわけにもいかないドルドレンは、何でかな~と思いながらも、親方が横にいるのを放っておいた(※勝手に乗ってきて会話がない)。
でもあまりに会話がないので、ドルドレンは居心地が悪く(※ちらって見ると『何か話せ』ビームが視線で来る)一応、それっぽい話題を探して話すことにする。
「あの。宝なのだが。俺の受け取った冠は、あれ、いつ使うのだろう」
「ん?被ったか?もう」
「まだなのだ。一人で被っているのも変だろう。皆忘れているし、そのままだ」
「被れば良いだろう。一度。イーアンだってアオファの時は、とにかく被ったんだ」
そうなの?冠なんて気恥ずかしいドルドレンだが『うん、じゃあ』と、後で被ることにすると返事をしたが、直後に親方が話を変えて『昨日コルステインが来たんだってな』と言い始めたので、ドルドレンは止める。
「ちょっと待ってくれ。それはそうだが。コルステインは来たが。タンクラッドの香炉はどうだったのだ。その話も聞きたい」
自分の冠のことだけで、終わってしまいかけた、宝の話。ドルドレンは話を戻して、親方の香炉は使ってみたかと訊く。『あれ。ジジイの香炉みたいに何か出るのか?』総長の質問に、親方は少し止まった。
「うむ。そうだな。香炉。煙が出るな」
「だろうと思うが、そうではなくて。ほら、香炉に情報があったではないか。あれがまた、あったのだろう?何か見えたのか?」
「うん、まぁ。うん・・・しかし。何と言うかな。お前たちには、まだちょっと時期が早いような」
歯切れの悪い親方が自分を見ない上に、『時期早々』と言われ、ドルドレンは首を振る。『何を言っているのだ。そんなに重要なのか』だとしたら、話し合わなければと言ってみるが、親方は顔も逸らす。
「どうしたのだ。何が見えたのだ。言いにくい内容でも、俺たちにいずれ見せるのであれば、早く対策した方が良いだろう。違うか」
目一杯顔を逸らした親方が、もの凄く不自然なので、ドルドレンは心配し始める。前もこんな親方を見たことがあるような・・・すぐ思いだせないから、それは置いといて。
「タンクラッド。何か深刻だな?旅も始まったばかりで、受け取った宝がお前に何の影響を与えたのか、何も分からんまま、放っておくわけに行かない。教えてくれ。力になりたい」
ドルドレンは親方が絶対にこっちを見ないので、手綱を持つ手を片手にし、タンクラッドの側の手を伸ばして、親方の肩を掴んで、顔を覗き込む。すぐ・・・すごく嫌がっていそうに目を閉じられた。
「すまん、総長。俺はちょっと移動する。後ろへ行く。この話は聞かなかったことにしてくれ」
「待て。待ってくれ、タンクラッド。おい、タンクラッド!ちょっと待つのだ。あ」
タンクラッドは逃げた。ちらっと見えた表情はとても困っていそうで、ドルドレンは彼が何を一人で抱え込んでしまったのか、とても心配になった。
親方は御者台を降りてからすぐ、後ろの溜まり場へ入った。そこにはイーアンがいて、縫い物をしていた。後ろの馬車を振り向くと、フォラヴの手綱の横にミレイオがいて、一瞬目が合った。
「タンクラッド。ドルドレンとお話でしたか」
イーアンが話しかけて、ニッコリ笑う。タンクラッドは微笑んで『そうだな。ちょっと』と答え、邪魔にならない場所に座った。
お読み頂き有難うございます。




