75. 慰労会の夜
広間に人が集まっている間に、イーアンは寝室へ行って着替えを取り、ドルドレンと一緒に風呂へ行った。ドルドレンが番をしてくれている間にさっさと入って、さっさと出る。
着替えに関しては『広間は暖炉を焚いているから、上着は不要』と言われていたので、さっきまで着ていた透かし模様のブラウスに、細いプリーツと裾に花柄の刺繍フリルが入ったスモーキィ・ベージュのスカート、コルクブラウンの胸をわずかに覆うターンオーバードレスを着た。ターンオーバードレスの膨らみはあるものの、ブラウスだけだと胸が丸見えになるので、さすがに何かを被せておかないとならず、上着ではない、2重のスカート状態にした。
着替えを用意する時、イーアンは『食事はチュニックの方が良いのでは』と話したが、ドルドレンが『いつでも着てもらいたい』と言ったため風呂上りも着用した。番をしていたドルドレンの反応は、前回同様である(固まる⇒感嘆の吐息⇒抱きつく)。大変、有難い反応に、いつか慣れるのだろうかと悩むイーアン。
ドルドレンは、夕食が済んでから風呂に入るということで、広間へ向かった。
帰還部隊には慰労会があり、今回の10名が一つの机に着いて酒と料理が振舞われた。全体慰労会ではないので品数は少なめだが、量はたっぷりあった。
イーアンが広間を通ると、トゥートリクスがどこからともなく走ってきて、真横の席に座りたがった。ドルドレンは、トゥートリクスとロゼールには若干甘いので、トゥートリクスが横に来ることに何も言わなかった。
全員が着席した時、ドルドレンが『援護遠征ご苦労だった。全員無事、無傷で帰還したことを感謝して。好きなだけ食べて飲むと良い』と無骨な挨拶をして、一斉に食事が始まった。
イオライの慰労会を思い出していたイーアンは、ドルドレンに『お酒はお部屋で』と耳打ちした。頬を赤くして眉根を寄せたドルドレンが頷きながら吐息をつき、一呼吸置いて『それが良い。そうしよう』と微笑んだ。その時、ドルドレンは何か思い出したように目が動いた。
「イーアン。ちょっと席を外すが、すぐ戻る。ポドリックに酒を渡す約束を果たしていない」
そして斜め向いに座っているロゼールに、イーアンの横に座るように(防御の駒)言い、自分が戻るまで決してアホどもを近づけるな、席を立つな、と固く命じた。ロゼールは『力の限り努力します』と答えた。
ポドリックは普段の夕食を離れた机で食べていたので、ドルドレンは声をかけて、厨房へ一緒に向かった。
食事も始まった矢先だったので、イーアンは皿に幾らかの料理を取る。トゥートリクスが辛い料理ばかり食べているのを見て『おなか痛くならない?』と訊くと『辛いのが得意』と返ってきた。
「イーアンも食べてみて下さい。辛いのは嫌ではないですよね」
どちらかというと好きだけど、トゥートリクスの場合は皿が赤い気がする。赤い(唐辛子)料理ばかりのように見える。ちょっとどうぞ、と自分の皿を差し出したので、イーアンは匙で少しもらって食べた。
「結構辛いわ。これ、こんなにたくさん食べるの?」
驚いて緑の目を覗き込むと、へへへと笑って頷く。『このくらい辛くないと美味しくない』と言うので笑ってしまった。イーアンは野菜の少ないトゥートリクスの皿に、余計なことかもと思いながら訊いてみた。
「野菜は嫌い?食べられますか?」
うーん、と唸って『食べるけど好きじゃない。遠征でいつも食べるから』と答えた。
多分。それは味付けによる・・・と思ったイーアンは、近くにあった蒸し野菜を取って、別の料理の薄切り燻し肉で巻いてから匙に乗っけ、トゥートリクスの皿の赤いソースに浸した。
「口を開けて下さい。野菜もこうすると、きっと好きになると思います」
はい、と匙を口の前に運んで、あーんをさせる。トゥートリクスが目を丸くして、褐色の肌が真っ赤になる。ほら、と口を開けるようにもう一度言うと、目を瞑って口を開けたので食べさせた。
「そんなに必死にならなくても。野菜もちゃんと食べたほうが、体には良いと思いますよ」
うん、うん、と頷くトゥートリクスは真っ赤なまま俯いている。『ちゃんと食べて偉いわ』とイーアンは誉めた。美味しい?と訊くと、とても困ったようにもぐもぐしながら頷いた。
「ちゃんと一口食べたのだから、無理強いはいけないわね」
そう言うと、大きな澄んだ緑の瞳を上目遣いに向けて『美味しかった』と小さな声で言った。イーアンは『少しずつ好きになると良いわね』と微笑んだ。このやり取りを見ていた周囲は、何も言わずに黙々と食べ、淡々と飲んだ。――自分も『アレ嫌い』『コレ好きじゃない』と言えばああなるだろうか、と考えながら。
「そんな優しく食べさせるのは、トゥートリクスだけかい?」
真後ろから危険な甘い声が響いた。イーアンの向いに座っていたフォラヴが、その姿を見ながら溜息をついた。
「クローハル隊長。この前、隊長は、イーアンの席でひと悶着起こされませんでしたか」
「何て誤解を生むような言い方をするんだ。フォラヴ。あれはブラスケッドが火種で、弓部隊の小僧が元凶だ。しかし、あの時はすまなかった。イーアン」
君のためなら何度だって謝るよ、とクローハルはイーアンの肩越しに顔を覗き込む。横に誰も居ないように。さすがにクローハルは隊長なので、ロゼールもトゥートリクスも何も言えない。しかしこの人物が問題児であることはよく理解していた。
「ドルドレンは留守か。君を放ってどこへ行ったんだ。イーアン、こっちに座らないか?」
「いいえ。今日は慰労会ですから、ここに。クローハルさんは」
「イーアン。シンリグと呼んでほしい、と頼んだろう?それに俺は、君にトゥートリクスと同じように、俺にも好き嫌いを直してほしいと思ったんだけど」
「クローハルさんは、何でもお食べになりますでしょう」
クローハルはイーアンの鳶色の瞳を覗き込んで、黒い髪の毛をくるくると指に絡みつけて囁く。
「シンリグ、と。何でも食べるというなら、イーアンも食べたい。こんなに美しいんだ」
フォラヴが立ち上がり『クローハル隊長。イーアンは遠征で、力を振るって私たちを助けた人です。その方に失礼はお控え下さい』と空色の瞳に若干の怒りをこめて窘めた。
スウィーニーも席を立って、クローハルの横へ行き『隊長ほど女性に困らない方が。イーアンだけに構うと、町の数多の女性が嘆きますよ』とイーアンに触るクローハルの手をそっと、しかし力強くどかした。
「やってくれるな、スウィーニー。フォラヴ、彼女に命を預けたのは俺も一緒だ。異国の女神に恋しただけだろう」
「一体、あなた、恋何百回しているんですか。四六時中、女性が絶えないのに」
ギアッチが苦笑してクローハルを見た。ギアッチはクローハルより年が上なので、言い返せないクローハルは少し嫌そうな顔をした。
「イーアンから離れろ」
クローハルの耳に一番聞きたくない低い声が聞こえた。黒い髪を目深にかけて、怒りの形相で近づいたドルドレンは、クローハルを見下ろし片手を『しっしっ』と振って、イーアンの背中からどかした。
「お前は性懲りもなく邪魔しに来たのか。諸君らご苦労だった。よく害虫からイーアンを守ってくれた」
ドルドレンがイーアンの椅子の後ろに立ち、立っていたフォラヴとスウィーニーに礼を言う。ロゼールが席を移動したので、ドルドレンはイーアンの横に座った。
「先ほどイーアンに『食べたい』と失礼なことを仰っていましたので、僭越ながら注意させて頂きました」
フォラヴの一言にドルドレンが殺気立つ。クローハルは『壁が増えたな』と笑って、その場からいなくなった。
ドルドレンは改めて食事を始め、周りもぼそぼそと会話を再開し、慰労会は徐々に楽しい時間に変わった。
途中でイーアンに、トゥートリクスに野菜を食べさせたと聞いて、ドルドレンは頭を振りながら『イーアン。甘やかしてはいけない』と溜息をついた。目を離す=こういうことが起きているとは・・・・・
「ちゃんと野菜を食べられたのだから、そこを誉めてあげないと」
彼は辛い肉ばかりなんですもの、とイーアンは笑う。トゥートリクスが縮こまっているのを、他の者は同情の目で見ていた。ドルドレンもどうぞ、とイーアンが同じものを匙に載せて差し出すと、ドルドレンはあっさり口を開けてぱくっと食べた(よく見る光景だけど周囲ドン引き)。
「これは美味いな。なるほど。こうなると、野菜があったほうが良い食べ方のように思える」
『味とか食べ方なんですよ、好き嫌いは』とイーアンは言い、トゥートリクスに『ね』と笑った。
ドルドレンは渋い顔をしていたが、多分これは自分が『彼らはイーアンを姉だと思っている』と話したせいだ、と感づいていたので何も言わなかった。
この日の慰労会は、最初こそ若干の問題も起こりかけたものの、その後は穏やかに過ぎた。イーアンも衣服について特別誰にも何も言われなかったので、今回は気楽に過ごせて楽しかった(あの人は除く)。
遠征で、無傷で、全員が無事に戻れたことと。 ――北の支部の2名は助からなかったが―― 他19名が回復したこと。誰も口にはしなかったが、慰労会の和やかな笑い声の基盤だった。
ドルドレンはそれを今回もしみじみと感謝した。こんなふうに笑って慰労会が出来るとは。それが殊の外嬉しかった。
しばらくして食堂からの料理終了の合図に、慰労会はお開きになり、各自労いの言葉をかけ合ってそれぞれの部屋へ下がった。
ドルドレンは風呂へ行くので、イーアンは鍵をかけて部屋にいた。
自分の部屋に、大きな箱が4つあるのを見つめた。クローゼットがそれほど大きくないので、衣服が全部掛かるか分からなかった。昨日と今日、着用した服は、とりあえずクローゼットの中に掛けた。膝上までの薄いブラウスのような下着に着替えてから、他の畳まれたたくさんの服を掛ける方法を考えていると、ドルドレンが戻ってきたので扉を開けた。
ドルドレンに衣服のことを相談すると、しどろもどろで『明日には何とかしよう』と答えた。いろいろ疲れさせたのかも、と思って『お酒は飲みますか。やめて眠りますか?』と言うと『飲む』と即答した。
ドルドレンの部屋の机で酒を注いで、二人で乾杯をした。
「遠征からの無事な帰還に」 「皆が元気であることに」
酒を一気に飲み干したドルドレンに、イーアンはちょっと驚いたが、すぐもう一度注いだ。ドルドレンが灰色の瞳を銀色に光らせてイーアンを見ているので、イーアンはどうしたのかと思って、微笑んで首を傾げた。
「イーアンが来てから。いろんなことが変わったと思ったのだ」
ドルドレンは目を伏せて静かに笑った。注がれた酒をまた一気に飲み干し、大きく息を吐き出した。手に持ったままの容器に、イーアンは黙って酒を注いだ。注いでいる手に、ドルドレンが触れた。イーアンの持つ酒の瓶をそっと取って机に置き、イーアンを引き寄せる。イーアンを自分の膝に座らせて、腰を抱き締めた。
「ずっと一緒にいるみたいだ」
イーアンの髪に顔を埋めるドルドレン。イーアンもそう思っていた。なぜかずっと前から一緒にいるような気がする、と。
「私もそう感じています。ついこの前、泉に落ちた時からそんなに経っていないのに」
微笑んで答えると、ドルドレンがイーアンの鳶色の瞳を見つめて、顎に指を添えてゆっくりキスをした。
「最初から好きだった気がする。会った時から」
唇が触れ合いながら、温かい腕の中で静かな告白が続く。
「俺はイーアンを夢で見た。泉の前の日。王都の宿で転寝した時に見た夢に、森の泉で出会った夢を」
「夢で?」
ドルドレンの銀色に輝く瞳を間近に見つめて、イーアンが不思議そうな顔をする。柔らかい頬に大きな手を添えて、唇も頬も口付けながらドルドレンが頷く。
「だから翌日に泉を見た時に驚いた。森は何度も通っているのに知らない場所だった。そしてすぐにイーアンを見つけた。まさかと思ったよ」
イーアンは自分が運命的にここへ来たこと、そして彼と出会う必要があったことを理解した。
「見つけてくれてありがとう・・・・・ 」
イーアンがドルドレンの頬を両手で包んで、唇を開けて絡めた。絡める唇がどこまでもお互いを求めた。
「でも窓に布をかけていません」 「要らない」
「でも」 「無理。こんな格好で待っていたイーアンに我慢できるわけないだろう」
キスを続けながらドルドレンはイーアンを抱き上げて、蝋燭を一つずつ消し、ベッドに倒れこんだ。薄いブラウスの中に手を滑らせ、抱き合いながら、二人が一緒にこれからも生きていくことを感じた。
お読み頂き有難うございます。