74. 作業部屋と最初の試作考案
鍵を受け取ったイーアンとドルドレンは、会議室の向かいの部屋へ入った。
そこはがらんどうで、ドルドレンが話していた、作り付けの天井まである棚が壁の2面を覆い、部屋の中心から棚に近い場所には、大きな机が置いてあった。机の幅が1m50cmほど、長さは3m近かった。がっしりした分厚い天板と足を持っていて、薄い引き出しが天板裏にぐるりと四方付いていた。窓はそれほど大きくないが、採光には充分だった。燭台と新しい蝋燭があり、火打石が側に置いてある。
「ここを使っても良いのですか」
部屋を見渡したイーアンが感動して呟いた。ドルドレンが肩を引き寄せて『そのための部屋だ』と答えた。イーアンが机の側に寄って、無骨で頼もしい机の表面を撫でる。嬉しかった。これで仕事が出来る。可能性が広がる。そう思うと、遠征以外の日はここに居たいと強く思った。
「イーアン、どうだ」
後ろからポドリックの声がした。振り向くとポドリックが入り口に来ていて『使えそうか。俺も片付けたんだよ』と笑いかけた。クローハルが後に続き、ドルドレンが警戒の表情に変わる。クローハルも部屋に入って『なかなか良いじゃないか』と見渡した。
「ところで。その服はどうしたんだい?素晴らしく魅力的だ」
クローハルのすかさず入ってくる触手?に、音もなくドルドレンが間に立ちはだかる。『俺が買った。彼女に冬服が必要だったからだ』とぶっきらぼうに言い放ち、後ろ手にイーアンを隠す。
「見立てはお前じゃないな。服屋にでも頼んだか。ずいぶんと繊細で、彼女の魅力が・・・」
そう良いながらクローハルはドルドレンの後ろに回って、イーアンの顔を覗き込む。『実に綺麗だ』と微笑む。 ――いろいろすみません、とイーアンは心の中で謝る。騙しているみたいで恐縮。服です、その綺麗さは、本当に服のおかげのみ。
「クローハル。あっちへ行け」
「なぜお前はいつも独り占めするんだ。これだけ綺麗な姿を持ち込んでおいて、何もなく済むわけないだろう」
胡桃色の瞳が半端なく甘く輝く。『凄く良いね。胸に絵があったのか。これがまたそそるったらない』と微笑む。ドルドレンの重力が増し、イーアンをあっという間に両腕に抱き上げるとクローハルから遠ざける。
「出て行け。ここはイーアンの職場だ。用がないなら、飯でも食ってろ」
ポドリックが苦笑いしながら、ドルドレンにまとわりつくクローハルの首根っこを掴む。
「確かにイーアンに良く似合っているな。さあ、行くぞ。お前らは本当に、顔を合わせれば毎度これだ」
そう言いながら、『ポドリックに掴まれても嬉しくない』と嫌がるクローハルを引きずっていった。
「後で、酒でも飲もう」
廊下に出て行ったポドリックが振り向いて、ドルドレンに声をかけた。ドルドレンはイーアンを抱き上げたまま『おう』と返事をした。そう言えば、まだポドリックに部屋を移動させた礼をしていなかったことを思い出した。
「とりあえず、寝室から土産を運ぼう。良いか?」
イーアンは『そうしましょう』と頷いた。下ろしてもらって、そそくさ寝室に行き、床に置いた土産を5袋持って戻った。すれ違う騎士たちの目を気にせず、とにかく運ぶ。作業部屋に置いた骨の袋を見たドルドレンが『壷が要るな』と言い、明日にでも探すことになった。
袋から容器や本を出し、いくらか棚に並べてイーアンは考えた。
「あの。少しここで過ごしたいのです。夕食には行きますから、一人になっても良いですか」
ドルドレンは心配そうな顔をして『俺が一緒ではいけないのか』と訊いたが、イーアンは考えていることがあってそれをまとめたい、と伝えると、ドルドレンは渋々『30分くらいで迎えに来る。それまで鍵を掛けるように』と注意して了承した。
ドルドレンが退室してから、イーアンは寝室から持ってきた紙に書き始めた。
計画表と、企画書に分ける。 ・・・・・これから試したいこと。作業に使う道具。素材。量。手順や工程を考えながら、書きなぐるようにペンを進める。今回持って帰った、ディアンタの材料と道具。森の道の魔物から採取した尻尾。
知りたい時に一人で本が読めないのは歯痒かった。早く文字を覚えなければ。
作れる物と、使えるもの。利用できる範囲などが、本で確認してからだ。本に載っていなければ試すよりないが、材料を極力、無駄にしたくなかった。 ――先ずは、アレだ。魔物の尻尾と毒袋の利用。
棚に置いた箱に目をやり、蓋を開けて中から布で包んだナイフを取り出す。
「あなたにも、早く鞘を作ってあげなきゃね」
独り言を言って、ナイフを撫でた。白い刃に静かに光が動く。それを見つめて『きっと何かを話してくれているのね』と微笑んだ。ナイフを箱に戻し、鞘に使う革のことをドルドレンに相談しよう、と決めた。
「それで」
手を打って、紙に向き直る。魔物の尻尾の使い道を、いくつか思いついた順に書いた。
机に袋から一つ取り出して、尻尾の特徴を書き記す。触った感じは細くて硬め。無毛で、甲虫の体の一部みたいな筋と艶がある。尻尾ではなく、針だろうとは思う。体の形から見て尻尾に見えただけで。長さは付け根から先端まで50cmくらい。付け根の直径が6~7cm程度に見える。こんなに細くて刺さるんだろうか、と思うが、刺さるんだろう。
毒袋と思しき袋は、サイズは小さいけれど、質は哺乳類の膀胱のような張りがある。臭いは特にないが、開けたらするかもしれない。そうすると、容器が要る。保存用の容器も必要だ。汚れたら、拭くための布や紙も要る。
気持ちはすぐにでも毒袋を開けたいところだが、それにはイオライセオダで購入した容器の中身を、別の容器に移さないと。そういう細かいことも、計画表に書き込んだ。『明日、どこにも行かなかったら容器を準備』と。移し替え用の壷や箱も、骨の粉の壷と一緒に探すことにした。
この時、ふと浮かんだ。――この針は毒を流す筒なのよね。ということは、耐水性とか耐毒性とかあるのかしら。
毒袋を傷つけるわけには行かないが、針であれば何かが出てくることもないのか。ナイフを取り出して、尻尾の付け根内側から刃を入れる。
中心にある毒袋の分泌腺を傷つけないように、慎重に慎重に、ゆっくり刃を動かす。ナイフが恐ろしく切れ味が良いのか、魔物の体が切れやすいのか。とにかく力を入れなくても切れるので、大変都合が良い。
先端まで刃を入れてから、何層かになっている断面図にナイフを当てて開いて観察する。できるだけ見たままを図にして紙に描いてから、一番上の層 ――表面層―― にナイフを滑らせて一辺切り取ってみた。
イオライの岩の魔物の体液を用意して、その一辺の、まず表に垂らす。反応がない。裏面に垂らす。若干の反応はある。わずかに引き攣れたように見える。だが、この表面層は、イオライの魔物の体液には強いらしいと分かった。
それに直に素手で触っていても、今は自分の皮膚にも何も異常がない。
少し考えてから、イーアンは端切れ布に唾液をわずかに染みこませた。湿らせた布で、表面層の表に水分を付け、そこに骨の粉をほんの少し置いてみる。骨の粉は水分に反応して熱を持ったが、表面層は何も変化がない。裏面に同じことをすると、やはり裏面(肉面側)は若干縮むように見える。
「これは使える」
イーアンは呟いた。他の物質にも耐久性があるのか知りたい。『おそらく』と燭台を見る。火打石で蝋燭に火を点け、炎に表面層をかざす。炎の色がある部分は全く反応しない。炎の揺らめく上、色の薄い部分の熱にかざすと若干の反り返りを見せた。
内炎と外炎は1000度を超えているはずだ。それに耐えるとは。イーアンはゆっくり首を振って、満足そうに微笑んだ。
「大したものだわ」
これで最初に思いついたのは、ロゼールの手袋だった。彼の手袋には金属の板が貼り付けてあった。これもああした保護手袋の材料に使えるのでは。
紙に書き留めて、次に移る。氷点下はどうだろう。ここで氷・・・ 真空ポンプでも作ったほうが良いかしら。外が冷えてきているけれど、もう氷は張るのか。
「イーアン」
扉のノックと共に、ドルドレンの声が響いた。イーアンは急いで扉を開ける。ドルドレンが少し寂しそうな灰色の瞳で見つめる。中に通して扉を閉めると、ドルドレンが『何をしていたんだ』と声を漏らした。
机に分解中の尻尾(※針と確定)。ナイフ。書きなぐった紙とペンとインク。
「尻尾・・・・・ 何に使えるかと」
笑いながらイーアンが答えると、ドルドレンが困ったように笑って『早速なんだね』とイーアンの髪を撫でた。
「そろそろ夕食だが、もし風呂に入るなら今のうちだ。もう片付けられるか?」
イーアンは頷いて、尻尾を布で巻いて乾燥しないように包み、くっついている毒袋を空き箱に入れてから、ナイフを端切れ布で拭いて、紙をまとめた。
片付けながらドルドレンに、イオライセオダの容器を使いたいから、遠征で持ち帰ったものを移して保存できる別の容器が欲しいことと、鞘のための革のことを話した。
「欲しいものがあるなら、必要な順に紙に書いて、経理に渡そう。後で俺が書いてあげよう」
ドルドレンが微笑んだ。それからちょっと天井を見上げて『ここは広いから、ランタンがいるかもな』と言った。寒さも心配だから暖炉を用意しよう、と窓の外を見ながら呟く。
「ドルドレン。それと私、すぐに手袋が欲しくて。余っている手袋はあるでしょうか」
ドルドレンはニコニコしながら『用意しよう』とイーアンの肩を抱く。二人は作業部屋の蝋燭を消して、部屋に鍵をかけて廊下に出た。
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