747. ザッカリアの兄・ シゾヴァの話
抱き締めあう兄弟は、会えたことと涙が一緒になって、暫く、会話が会話らしく続かなかった。一頻り泣いて喜んだ後。ようやく、体を起こしたシゾヴァは、弟の顔を両手で挟んで涙を拭いてやり、大きく息を吐いた。
「オルフェミ。もう会えないと思って。まさか、またこの場所で会うなんて」
「俺だって思わなかった。生きていたのか。良かった。生きていると思っても、見えなかった」
「僕は。見せなかったんだ。魔物の王に見つかるのが怖くて。ずっと隠れて」
魔物の王。その言葉に皆が反応した。シゾヴァは、弟の後ろにいる、大人3人に改めて向かい合うと『中に来て下さい。弟を連れて来てくれて有難う』とお礼を言った。
「中。この奥にも、お前のような子供がいるのか」
親方の言葉に、シゾヴァは頷く。『今は6人です。僕を入れて』短く答えると、弟の背中に手を添えて、暗い廊下の奥へ歩いた。彼に続いて進むと、数段上がった廊下の突き当たりに、左右から光が漏れる場所を見る。
「階段を上がると、中庭に出ます。中庭は神殿の中から見えません。神殿の中心にあるのですけど、壁に覆われているので、ここからしか上がれません」
その意味は。そこに追い詰められたら逃げ場がないという意味か、と親方は思う。
普段は神殿に大人がいるようだが、どうしてこんな妙な場所を造ったのやらと、ともすれば危険な場となるその中庭に、子供を誘導する危機感の少なさに苛立った。
シゾヴァが先に進んだ先には、やはり、扉のない入り口があり、そこをくぐると小さな庭に出た。庭は天井に開けられた幾つかの穴から光が入り、明るい外の時間を伝える。
中庭に隠れていた5人の子供は驚いて、一瞬逃げようとしたが、急いだシゾヴァが彼らに説明して『弟のオルフェミだよ』と嬉しそうに紹介すると、子供たちは近付いてきた。彼らはどことなく不安そうだったが、珍客を見つめると納得した様子だった。
「この子供たちもまた。お前と同じように、何かを知るのか」
親方はシゾヴァに訊ねる。シゾヴァは頷いて『皆。僕より小さいけれど。それぞれに優れた、神様の力を持っています』と答えた。
彼らは、全員が同じような服を着ているが、皮膚の色や目や髪の色、顔つきは様々だった。
シゾヴァとザッカリアだけが、飛び抜けて明るい瞳を持ち、並んで見ると『なるほど』とすぐに思うくらい兄弟と分かる似方をしていた。
シゾヴァが中庭の石畳に座ったので、ドルドレンたちも腰を下ろす。濃霧の影響で、そこかしこが濡れていたが、この石畳は水を吸い込みやすい火山岩に似て、乾いてはいないにしても濡れた感じはしなかった。
花壇が壁沿いをぐるりと囲む中庭は、中心に石像が立ち、その周囲にも花壇がある。幾つかの切り出したままの石が置かれ、そこに腰掛けたり、石畳の敷かれた場所に、彼らは直接座るようだった。
全員が落ち着いたのを見てから、シゾヴァはドルドレンたちに自己紹介を頼んだ。彼はもう、大人たちを恐れておらず、弟を守っている人と理解していた。
ドルドレンは、自分たちはハイザンジェルの騎士修道会にいて、タンクラッドは剣職人だと教えた。そして今日。津波の被害を知ったから助けに来たことも、ざっくりと教えた。
子供たちは真剣にそれを聞き、突然やって来た来客の言葉を真実だと話し合い、信頼してくれた。
来客の紹介を聞いた後、シゾヴァは自分たちの自己紹介をした。シゾヴァが一番上で15才、次が13才、12才の男女が2人、10才の男の子、小さい女の子は6才と言う。男の子が4人と、女の子が2人。
一番年下の子供以外は10代と紹介されたが、彼らの痩せ方や背の低さは、その年齢よりもっと幼く見せていた。シゾヴァは、背が170cmを超えてはいるものの、ザッカリアよりも痩せており、華奢だった。
「今はザッカリアと名乗る彼は、僕の弟・オルフェミです。僕も彼も、7年前に起きた地震と津波の被害で、人攫いに売られました。僕は当時8才で、オルフェミは4才になる年でした」
紹介が済むと、シゾヴァは無駄な話もせずに、すぐに事情を話し始めた。それは何かをもう知っているように、急ぐふうにも思えた。大人とザッカリアは彼の話に耳を傾ける。
シゾヴァの語り口は穏やかだったが、傍観しているわけもなく、思い出す恐怖を乗り越えたと分かる落ち着き方だった。しかし2度目の地震、津波、それに伴う人攫いの不安に、押し潰されそうなさっきがあったと、ドルドレンたちは理解する。
彼の話で、過去と今日までの出来事を知った時間。
――7年前にあった地震も今回と同じように津波を引き起こした。
津波はどうも今回よりは高さがなかったようだが、それでも溢れた海の波頭は、高い岬の神殿にまで掛かったという。
神殿よりも低い、丘を下った集落や漁村の被害が酷く、一部の住民の仮住居として、神殿に保護することを大人たちが緊急で決定した。そのため、食品他生活用品など、最低限の揃いをかき集めたり、保護名簿を作ったり、集落の人々との連携作業で、あっという間に、大人たちの動きが慌しくなった。
その日ほぼ、出入りばかりの大人たちは、子供たちに日常の祈りの時間を過ごさせる他は、中庭にいるようにと安全のために言いつけた。
保護する近隣住民の支度に意識を取られた大人たちの留守。人攫いは入ってきて、子供たちは見つけられて連れて行かれた。それは呆気ないほどにあっさりと、誰もいない神殿にやすやす入られて実行されたらしかった。
夜になり、大人たちが捜索しても子供は一人も見つからず、避難民の馬車に紛れて連れて行かれた子供たちは、実際には行方を捜すことも出来なかった。
この年の内に、3人の子供がテイワグナの山村、ヨライデの国境沿い、ティヤーの連絡船で発見され、連れ戻されたが、これは謝礼金がかかったからと言う。
テイワグナの山村では、男子のいない家庭の働き手として地主に買われ、ヨライデ国境では商人頭の召使に、ティヤーの連絡船は海賊の船積み用に雇われていた。
彼らは異能の持ち主であることから、幾分人買いに高額で引き取られたようだったが、子供のために能力が安定せず、すぐに他の子供と同じように使役に出されていた。
いずれも、テイワグナに近い場所だったので、謝礼金で戻されただけの話のようだったが、残る5人は離れた場所へ連れられたのか、それきり音沙汰もないまま数年が過ぎた。
今から2年前。ハイザンジェルの南、テイワグナとの山境に巣食った山賊に働かされていたシゾヴァは、魔物の出現と共に逃げた山賊に、テイワグナへ連れ出され、5年間の雑用を解かれて放された。
行き先もないシゾヴァは、テイワグナに入ってから保護され、過去の神殿の事件を話したところ、このベデレ神殿に戻ってきたという話だった――
「僕が戻った時。当時の大人たちはとても驚き、喜んで迎えてくれました。戻ってからですが、子供たちは現在までに6人に増えました。2年前は3人でした」
シゾヴァの話はそこで一度終わる。親方は少し考えてから、シゾヴァが山賊にどう扱われたのか、また戻ってきた子供たちはどうだったのかを訊こうと思ったが、話させては辛過ぎるかと思い直して止めた。あまりに酷ければ、その山賊を見つけた折にと。そう考えたのだが。
親方の心を見つめたのか。シゾヴァは大きな男を見てニコリと笑った。
「優しいタンクラッドさん。僕は最初こそ怖いと思ったけれど、山賊に辛くされていません。彼らは働かずに奪うけれど、僕を雑用に使うだけで、乱暴や残酷な扱いをしませんでした。
僕は8才で、出来ることは彼らの安全を教えることくらいです。でもそれが頭には重宝だったようで、僕は頭に守られていたと思います」
彼は続け『ここにいるこの3人も。戻ってきた3人ですが、他に攫われた子供たちと一緒にいたそうで、深刻な傷を受けてはいないのです』と男の子2人と女の子1人に微笑んだ。
心を読まれたような親方は、咳払いして目を逸らす。『そうか。なら。うん。でも大変だったな』言葉を探しながら答えた。
ドルドレンの気持ちは、一つのことが浮かび続けていた。ザッカリアの時もそうだったのだが、あんなハドロウのような男が、この遠いテイワグナから、子供を攫ってこれるのかどうか。それが引っ掛かっていた。
ザッカリアは『売れ残り』だから、働かせていたような話も知っているが。それにしても裏ばかりがありそうにも思えて、当座の心配を口にする。
「今は。どうなのだ。なぜここにまた、お前たちが残っているのか」
「大人たちは避難民の道の確保へ行きました。魔物の影も見えていると聞いています。それで僕たちはここで」
「なるほど。7年前。この状態で、子供たちが一人残らず攫われたと知っている大人たちが、再び留守か」
ドルドレンの言葉は、はっきりとして、タンクラッドとシャンガマックはさっと彼を見た。ドルドレンはシゾヴァの明るい黄緑色の瞳を見つめたまま、答えを待つ。
シゾヴァは黙った。ザッカリアは総長を見てから、何度か瞬きし目を伏せた。兄は伺うように質問した。
「その。どういう意味ですか」
「そのままだよ。俺なら繰り返さないだろうと思った。お前たちが子供で、一番上のシゾヴァさえ15才と分かっていれば、お前に刃物など持たせて『他の子を守れ』と言いつけはしない」
「僕たちは神様に使えています。奉仕はいつでもしなければいけないし、大人は緊急事態や被災した人たちに役に立つのは」
「シゾヴァ。俺と、タンクラッド。シャンガマック。この3人が例えばもし、お前たちを攫うとしたら。お前は勝てたと思うか?」
ザッカリアは、総長の腕に触れて首を振った。その顔は悲しそうだったが、総長の言葉は理解しているようだった。
シゾヴァと子供たちは一瞬にして、凍りついたように恐れ戦く。『そんな』一人の子供が、今こそ自分が攫われる瞬間と勘違いして泣きそうになった。
「落ち着け。例えば、と言ったのだ。攫うなんて考えもしない。ザッカリアが・・・ええっと何だ。オルフィミが、神殿の子供が無事か知りたいと言うから来ただけで。
俺が何を言いたいのか。口にしたところで、信じられないかも知れん。だが心配はある」
ザッカリアは総長に、自分が言うからもう止めてと頼む。総長は頷いて『お前から言え』と促した。兄に向かい合うザッカリアは言葉を探して話す。
「シゾヴァには、良くしてくれる人たちかもしれないけど。俺たちがここに来るまで、誰とも会わなかった。大人がこんなに離れていたら、困ることがあっても助けられないでしょ」
「オルフィミまで、そんなことを言って。今は魔物が出ているって、皆が大変なんだ。僕たちも迷惑かけられないだろう」
「話を切るぞ。ここに残って何時間経った」
突然、親方が遮る。シゾヴァはすぐに『夜明けからです』と答えた。夜に見回りに出た大人たちが、夜明けが来てから、霧が薄れ始めたと言い、様子を見に行くことを伝えて出かけたらしかった。
それを聞いた親方は立ち上がる。
「そうか。霧が深かったからな。魔物も出てきただろうし。見えないと困るだろうな」
何の話かと、不安そうにシゾヴァが首を振る。親方は彼を見ずにもう一度質問した。
「もう一つ教えてくれ。馬車は神殿に何台ある。そして大人たちは馬車で出かけたのか」
「馬車は神殿に置きません。使う用事の時は、近くの漁村で借ります。大人たちは漁村まで行きました」
「それで彼らはここへ戻ったのか」
「そのままです。それが夜明けでした」
親方は困ったように目を瞑り、小さな溜め息をついてから、見上げる総長を見下ろした。『だそうだぞ。どうする』話を振られた総長は頭を掻いて『対処するしかないだろう』と答えた。シャンガマックも嫌そうに首を振った。
ザッカリアとシゾヴァ、子供たちは何の話か分からないが、ザッカリアはもしかしてと視線を動かした。その動きに親方が目を留め『見ないでも良い』と言った。
「あのな。俺たちがここへ来たのは歩きだ。この神殿に続く道に馬車の轍があったが、その轍の返した土は濡れていた。
意味が分かるか?濃霧でどこもかしこもびしょ濡れで、土も湿気を吸った。その土が車輪で動かされていたんだ。車輪はこの神殿の横の森に入ったようだ。だから俺は、馬車はあるかと訊いたんだ」
シゾヴァの目が見開く。『それは。それは、でも。大人たちが戻って』荒くなる息で怖さを感じながらも、可能性を教えると、シャンガマックが彼の前に立った。
「聞け。お前は賢い。大人が戻ったなら、ここにいても良いはずだし、お前たちが心配なら、安全か確認にも来る。急ぎの用でも、森に馬車を入れてまで、神殿に用事を済ませに来ると思うか」
褐色の騎士は、自分を見上げる澄んだ瞳に同情して、その肩に手を置いた。『本当だ。もう、いるだろう』シャンガマックの言葉に震える小さな唇は、シゾヴァの中で悲しみと恐怖が生まれたことを示していた。
「総長と俺で行きますか。タンクラッドさんは、ザッカリアと、この子たちを導いてあげて下さい。もしかすると、仲間が中にいるかも。そうなれば俺と総長よりも、タンクラッドさんの方が、交渉に向いているでしょう」
お読み頂き有難うございます。




