739. テイワグナ大津波戦 ~津波とグィード
悩むイーアン。分厚い霧の中も暗さが増しているのは分かっていた。
夜戦で、この範囲、この量の魔物なんて、どうにか出来る気がしない。津波を解けば一瞬で浜は消えるだろう。港も丘も、波が覆い被さる高さだし、流れ込めばその先へ押し寄せるに決まっている。その上。長大な津波にひしめいている魔物が、テイワグナに溢れ返るのだ。
大被害どころではない。内陸までが壊滅してしまう。何が何でも阻止しないと。
短い時間で、イーアンは必死に考える。もっと本を読んでおけば良かったと、知識の限界に泣きたくなる。せめて情報だけでも、参考になれば違うのに。
――津波は、海底に動きが出るから、上の勢いが治まらないのだ。海底に衝撃があるから、海水全体に波動が生じる。
津波の伝播特性で、水深4000mの海上で1mの波が起これば、水深1mの海上は8mくらいの津波の被害と、本で読んだことがある。それも、衝撃のあった場所からの距離や、湾岸の形状で速度もサイズも変わると言う。
テイワグナのこの津波の高さは、もはや尋常ではない。どこから来た津波なのかは分からないが、海水があれば、1万㎞を越えてでも津波はやって来る以上、どこかであの地震を作った衝撃が、海底に影響したのだ。この津波のずっと向こうで、その衝撃は起きたのだ。
いや、まだ続いているのだろうか?起きたのではなく、未だに起こっているのだろうか?
押し寄せてのし上がった大津波は、コルステインの家族たちが止め続けて、もう何時間経つのか。これだって異常だ。続いている衝撃のせいで、こんなことが起こっていないとも限らない。
普通に考えれば、こんなわけないのにと思う。だがここは異世界で、何が理由の津波なのか見当もつかないのだ。魔物の王が絡んだ津波なら尚更、カラクリなんて分かるはずもない。
しかし、やらねば。海水を力ずくで引かせるなんて出来るのだろうか。
そんな荒唐無稽な、エネルギーの動かし方が可能なのかどうか。それで可能ならもう、全く科学的な考えの関係ない状況だが、そこに藁をも縋る気持ちで挑戦するしかないのか―――
そうとなれば。方法で思いつくことは、今のイーアンには一つしかなかった。
イーアンは腰のベルトに下がった綱を握り締める。グィードに賭ける。巨体のグィードに、津波を静める力があってほしいと願い、探しに行こうと決めた。
「ミレイオ。オーリン、タンクラッド。グィードを探しに行きましょう」
イーアンの言葉に、ミレイオは小さく頷いた。『そうね。それしかないかな』イーアンの思ったことが伝わったのか、ミレイオは、苦しげな表情のイーアンを覗き込み、同情の眼差しを注ぐ。
「あんた。知恵者って。騎士たちが話していたわ。でもあんたでも思いつかなかったのね」
「知恵者なんかではないです。私は、こんな時に何にも出てきません。神頼みです。グィードに頼るしか思いつかない」
グィードが強力な龍とは知っているが、かといって津波を、どうにか出来るかどうかまでは別なのだ。ただの時間の無駄になるかもしれない。でも、この危機のサイズは手に負えない。テイワグナの沿岸地域全体に津波が被るような、恐ろしい大きさに見える。
これをどうにか出来るのは、自分よりも大きな存在だけとしか、イーアンには思えなかった。
女龍だ最強だと言われたところで、その力に制限が掛かる。自分が動けば、コルステインたちは動けない。男龍に手伝いに来てもらっても、同じことが起こるだろう。どちらかしか、この場には居られないのだ。どちらか、しか・・・・・
「だから、そう。グィードなら。地下から現れるグィードなら。空の力を持つあの仔なら」
「行こう。私、この前に見てきたのよ。グィードのいる場所。かなり正確に覚えてるから、海から入るわよ」
イーアンの絞り出す『神頼み』のグィードへの希望に、ミレイオは了解した。この方向を見て、ずっと船のことも気掛かりだったが、今はグィードだと同じく思う。
「俺は?」
ドルドレンがコルステインの腕の上で、心配そうに訊ねる。イーアンがなぜ自分を求めないのか、なぜ自分とコルステインだけが残るのか。ドルドレンは理由を訊いた。
「グィードが龍だからです。サブパメントゥにいますが、あの仔もまた完全なる龍なのです。コルステインは、グィードの影響が心配です。
私はグィードを、コルステインたちの影響力の範囲に、連れてくるつもりはありません。でもコルステインと一緒に迎えに行けば、グィードの大きさから、近づいたためにどのような影響が出るか、気掛かりです。
それにコルステインはここを守らないとなりません。あなたも、フォラヴたちがいる浜を守らねば」
「ミンティンは?アオファを呼び出すのだ。彼らはすぐに来てくれる。グィードじゃなくても」
「ドルドレン。さっきも言いました。グィードだけなのです。サブパメントゥにいられる龍は。
ミンティンとアオファが来てくれたら、もしかすれば、ここは解決するかもしれませんが、同時にコルステインたちに、身動きが取れないほどの龍気が湧きます。私が龍に変わらないのも、それが理由です。私たちに近い選択肢を選べません。
サブパメントゥと、同時に動ける味方が要るのです。彼らと一緒に戦えるのは、今、私が思いつく範囲でグィードです」
「でも。だって。そうかも知れないが。では、オーリンとミレイオは分かるにしても、何でタンクラッドも」
「私とタンクラッドの腕輪が。グィードを呼ぶのに必要だからです。これを着けて以来、外れたことが一度もありません。一緒に行かねば」
「それは分からないのだろ?本当にそれが必要かなんて」
「総長。粘る場面が違うぞ」
イーアンの説明に食い下がるドルドレンに、タンクラッドが止めた。灰色の瞳が怒ったようにタンクラッドを見る。
「本当に必要だった場合。どうするんだ。彼女たちだけがグィードの目と鼻の先に辿り着いた時。本当に必要だったなら。俺に連絡して、呼んで待つ時間が勿体なくはないか」
親方はドルドレンに言って聞かせる。自分もイーアンも、この腕輪がなぜ、二分割したのか分からず仕舞いでも。この腕輪がそうだと、シャンガマックの言葉にもあった以上は、それを信じている。総長だって聞いているはず。
ドルドレンは、コルステインたちを信用していないわけではなくても、一緒に残れと言われるのは抵抗があった。フォラヴたちも浜にいるが、浜にいる分には龍にも乗っているし、そこまで危険はないと思った。
「俺も行く」
「駄目だ。お前はここに残れ。コルステインの家族が守っている間、お前もここにいろ。お前はイーアンが言ったように、フォラヴやシャンガマックたちの無事も見るんだ」
「あ。ダメだわ。タンクラッド」
嫌がるドルドレンに説得しようとしたタンクラッドを、ミレイオが止めた。親方はミレイオの遮りに訝しそうな目を向けて『何が』と訊ねた。
「あんた。龍の服、着ているし。人間だった。ダメだ、入っちゃ」
「オーリンは入るんだろ」
「入らないわよ。飛んでる間は一緒だけど。地下は私とこの子だけで入るから。オーリンなんか龍の民なんだから、もっと無理」
「イーアンは龍だぞ?言っている意味が分からん」
「龍だけど。グィードが迎えに来い、って呼んだんだから、彼女は平気でしょ」
うぐぅ。親方、まさかの逆転負け。ドルドレンの目が冷たい。『ちょっと待て。じゃ、俺はどうすれば良いんだ。腕輪が必要なら』その場にいないんだぞ、と思い出させる。イーアンを見て『そうだろ』と同意を求めると、彼女は考えて、眉を寄せながら首を振った。
「呼んでみます。サブパメントゥに人間が入れないことを忘れていました。
呼んだその時なら、どこからかタンクラッドが、引っ張られて入れるかもしれません。それまでは一か八かで」
そんな馬鹿な、と親方が口を開きかけて、ミレイオが『それが良いかも。コイツが必要なら、その場だけ通れるかもしれない』と頷く。唖然とするタンクラッドに、イーアンは一度だけ確認しようと言った。
「何を?俺がここに残っても呼べるようにか?」
「そうです。離れます。これまではタンクラッドが呼んでいます。今は私が呼びますから」
そう言うとイーアンは、4人が見ている前で、5~6mほど距離を取り、タンクラッドを見た。タンクラッドも『置いてけぼり』確認と分かって複雑だが、とりあえず頷いた。
「 ・・・・・三度呼んで三度応じる、知恵の女と龍引く手」
イーアンが呟いた瞬間、タンクラッドの体が浮き上がり『うおっ』の声と共に、イーアンに吹っ飛ばされた。焦ったイーアンは大きい親方をがっちり抱き止めて、大急ぎでバーハラーに来てもらい、乗せてもらった。
「な。何だ、今の」
「本当に呼び合うのか。すごく嫌だ」
「エライ効力」
コルステイン以外、目を見開いた3人は眉を寄せ、驚きを口にする。『でもそれ。海とか階段とか扉はどうなるの?関係なく、ジャブジャブ・ガンガン、ぶつかりながら呼ばれるってこと?』ミレイオは想像すると少し笑えると言いながら、タンクラッドに訊く。
「知るか。そんなのやったことないんだ。海上まで迎えに来い!」
ミレイオに怒るタンクラッドに、ドルドレンはつくづく、嫌だなぁと思った。イーアンは俺の奥さんなのに。何、今の。何で呼び合っちゃうの。どうして俺じゃないの・・・・・
そう思うドルドレンの気持ちは、コルステインに聞こえる。コルステインは、ドルドレンが寂しそうなので、鉤爪で鎧の胸を撫でてあげた。『コルステイン。一緒。大丈夫』元気を出すようにと励ます。ドルドレンはしんみり頷き、お礼を言った。
「では。こうしたことで、ドルドレンの気持ちも汲めそうです(?)。親方はちょっとお待ち下さい。ご一緒した方が良いと思いましたが、ここぞという時でもないと、サブパメントゥに足を踏み入れるわけに行かない様子ですから、ここぞという時にお呼びします」
何となく納得行かない男二人。オーリンはお手伝いさんなので、同行必須。ミレイオも現地案内で必須。
勇者と、時の剣の男に、くれぐれもここを動くなと注意すると、ミレイオは、イーアンとオーリンを連れてあっさり飛んで行ってしまった。
置いてけぼりを食らった親方は、溜め息をついて青黒い炎の壁を見る。これをどうする気なのだろうか。
グィードが何をすると止められるのだろう。ここではない場所へ、グィードを連れて行くとイーアンは言っていたが・・・・・
『グィード。強い。大きい。海。戻す』
頭の中に突然飛び込んできた声に、親方はハッとして夜空の色の巨人を見上げる。『お前か』頭の中で返すと、コルステインは大きな目で親方を見て『ヘルレンドフ。お前。コルステイン。分かる?』気になっていたことを質問する。
「ヘルレンドフ?」
親方が繰り返すと、ドルドレンはコルステインと親方を交互に見て、二人が会話しているのかと訊いた。親方は総長の言葉で理解する。コルステインは、自分の話したい相手とだけ、頭の中で会話していたのかと。
さっきから、なぜイーアンやミレイオや総長が、頷いたり、目を見たりしているのかと思ったら。コルステインは親方を見つめたまま、返事を待っている。声が聞こえていない・・・違うか、音の言葉が分からないんだ。そして、話しかけている相手の頭の中で会話するのか。
『ヘルレンドフ。そう。ここ。話す。呼ぶ。ここ。同じ。コルステイン。中。見る。聞く。する』
『コルステイン。なるほど分かった。今は、俺とだけ話しているんだな。俺はタンクラッドだ。名前だ、タンクラッド。ヘルレンドフは、もしかして昔に見た、俺か?』
『タンクラッド。ヘルレンドフ。同じ?違う?ヘルレンドフ。ギデオン。嫌い。コルステイン。嫌い。しなかった』
ははぁ・・・親方、了解。ズィーリーの時代の俺はギデオンが嫌い(※だと思う)でも、コルステインは嫌いじゃなかった、ってことか。
コルステインは、当時を知っているんだと分かると、色々と聞きたくなった。だが今はそんな暇はない。大事なことだけを話そうと決める。
『俺はお前が嫌いではない。ドルドレンも好きだ。俺たちは仲間だ。俺はタンクラッド』
コルステインは、ちょっと笑みを浮かべたような顔を向けて頷いた。笑うと可愛い顔してるなと、親方は思った。恐ろしい力を持っていても、心が綺麗なんだなと分かる。それが素直に表情に出る。
そう思っていたら、コルステインが側に寄って(※ドルドレン付き)『タンクラッド。コルステイン。お前。好き。お前。仲間。コルステイン。守る』そう伝え、撫でようとして、さっと手を引っ込めた。
『あ。ダメだぞ。俺は龍の皮を着ている。危ないから、触らないでおけ。後でな』
手が痛かったのか。可哀相に、と親方がそう言うと、コルステインは優しい気持ちが分かるようで、嬉しそうだった。タンクラッドも微笑んで『宜しくな。俺もお前を守ろう』と約束してやった。
そんな無言の時間。コルステインの片腕に乗ったままのドルドレンは、つまらなかった。
この二人も、俺を無視して何か会話してる・・・コルステインは俺を慕ってるはずなのに、なぜかタンクラッドに懐いたようだ。何でだ。部下もタンクラッドに懐いた。コルステインもか。早いだろう、早過ぎるだろう、乗換えが!
ドルドレンは仏頂面で、次の展開が来るまでコルステインと親方と3人で待った。
お読み頂き有難うございます。




