738. テイワグナ大津波戦 ~魔物の王の目
沖の青い炎の壁は、浜から見ればすぐ近くに見えたが、実際は、巨大な存在のために遠近感がおかしかったとイーアンは知る。
津波の高さが200mくらいありそうに見える。水平線から曲線を描いて立ち上がった長さ、その距離は、目には映らないが数十㎞は越えそうな印象。この大津波を、コルステインとその家族5人だけで堰き止めていた。何がどうなると、こんな世界の終わりのような、映画のような、嘘みたいな津波が現れるのか。
巨大な波頭の頂点は、青い炎を越えようと飛沫を上げながら、ぶち当たり続けている。青黒い火焔は絶対にその水を通さない。波頭が当たる場所が、湯気に変わって消えていく。テイワグナの国境近い山にまで続く、分厚い霧は、これが理由だったと分かった。
イーアンはこんな出来事を目の当たりにして、すくんでいる場合ではないのに、心の中に怖さが生まれる。とんでもないスケールの存在がいると意識すればするほどに、自分がどこまで出来るのか不安で、息が荒くなる。
「イーアン。この先だ。剣はこの先に反応している」
親方はバーハラーの背中から、イーアンに教える。親方の視線はあろうことか、真ん前の炎の壁。イーアンは、覚悟を決め、唾を飲んで頷いた。オーリンもドルドレンも、あからさまに嫌な顔に変わる。ミレイオは何も言わずに炎を睨んでいた。
「コルステインに頼んだわ。この炎と津波の間に入るわよ」
「ど。ど、どう。入るのだ。突き抜けたら死ぬ」
ドルドレンがミレイオの言葉に目を丸くして、どもりがちにコルステインを見上げて訊く。コルステインは首を回し、炎の壁を見ているだけ。頭の中で話すんだ、と思い出し『どうするのだ。この炎では死んでしまう』と言うと、青い瞳はドルドレンを見て、その顔が不思議そうな表情を向ける。
『死ぬ。何で。死ぬ。しない。お前。守る。コルステイン。大丈夫』
どう守るんだよ~~~ ドルドレンはそれが聞きたいのに、コルステインは具体性0。うん、と頷かれ、ドルドレンは項垂れる。
「えーっと。簡単に言うから、覚えて。コルステインと一緒にいるドルドレン以外は、炎に穴が開いたら、絶対に炎に触らないで、潜り抜けて。潜り抜けた先は魔物と水しかないわよ。息、出来ない人」
ミレイオに、いきなり手を上げろと言われて、イーアンとタンクラッドとオーリンは、さっと片手を上げる。
ミレイオはうんざりしたような顔をして『弱い』ぼそっとぼやく。バーハラーもガルホブラフも、目が据わっている。龍もきっと息出来ない、と推測する。
「うー。困る。それじゃ探せないじゃない。仕方ない。私とコルステインで入るから・・・ドルドレンもよ。あんたたち、ここで待ちなさい。炎に触るんじゃないよ。魔物が出てきたら切り捨てて」
この先なんでしょ?とミレイオは、タンクラッドに確認。親方は剣を抜いて炎の壁に柄頭を向けた。その黒い石に赤い光が動いている。浜で見た時よりも赤は目立ち、動きが激しかった。『ここだな』そう言うと、剣を鞘に戻す。
「いいでしょ。行って来る。私はコルステインの側にいるから、大丈夫だと思うけど、万が一何かあったら、ドルドレン頼んだわよ」
ドルドレンが驚いてミレイオを振り返る。ミレイオは彼の視線には答えず、体に青く光る模様を浮かばせ、コルステインをざっと見た。
その目を向けられたコルステインの体にも、ぶわっと青い霧が立ち上がる。腕に乗せたドルドレンを丸ごと包み『死ぬ。ない』と笑みを浮かべた。ドルドレンも覚悟を決め、慕われているであろう(←ギデオンが)味方の腕に我が命を預ける。
「イーアン、行って来る。こんな最初で死ぬとは思わないが、もしもの時は」
「大丈夫だ。心おきなく行け。俺がいる」
青い霧の内側から愛妻へ、急いだドルドレンが話す言葉を遮った親方は『早く行け』と手で払う。イーアンも『何この人』みたいに親方の失礼に眉を寄せ、ドルドレンが睨みつけて何か言おうとした時、ミレイオが動いた。
「開くぞ」
ミレイオの音のような声が聞こえた瞬間。真ん前の炎に孔が開いた。ミレイオはお皿ちゃんで突っ込む。コルステインはすぐに先回りし、自分が盾になる状態でミレイオの前に出た。
丸く開いた孔から、わっと魔物を含んだ海水が噴出す。突っ込むコルステインに触れるそれらは全て塵のように消える。そのすぐ後ろのミレイオも背を屈めて青い霧の塊に続き、炎の中に入った。
孔が閉じきる前に噴出した海水と、我先にと飛び出た魔物の群れを、イーアンは大急ぎで薙ぎ払う。オーリンはイーアンの側に付いて、イーアンの腕の範囲ではない場所で応戦する。
「好きに飛べ。ガルホブラフはついて行ける」
はい、と答えたイーアン。翼を宙に叩いて加速すると、浜に向かう魔物を爪で切り裂き続けた。
タンクラッドはバーハラーを回し、高さを変えてイーアンの爪の掛からない位置から、時の剣を振るった。金色の光線が放たれ、波と魔物を切り消す。
「お前たちの存在は、終わったことになっているぞ」
時の剣を構えて、龍の皮の服に身を包んだタンクラッドは、向かってくる魔物に、バーハラーを飛び込ませて斬りつける。刃に掛かった魔物は、切り裂かれると同時に、塵とも異なる粒子のように消えていく。振るえば金色の光線が飛び、魔物の気を含んだ海水さえ、光線によって消されて姿を失った。
炎の内側に入ったミレイオとコルステイン。ドルドレンは霧で守られている中から、その内側を見た。それは、信じたくない恐ろしい光景だった。
真向かう津波の壁は、魔物を閉じ込めた水槽の囲いのようで、びっしり魔物が入っている。形も種類も様々。分かるのはどれも、襲うことだけしか頭にないこと。習性も群れも何も関係ない。命じられたままに襲い掛かろうとしているようだった。
その魔物と水を焼き続けるのが、たった今自分が内側に入っている青い炎。
魔物と水は、この青い炎を貫通出来ないどころか、触れることも許されない。触れた途端、消え続けるにも拘らず、消えた側から次が次がと、おぞましい量の魔物が涌いて前進していた。
「20,000頭。そうだな、そんなもんじゃない。これは・・・ツィーレインの谷の魔物と似ているのか」
切っては増えると、北の支部が苦戦した谷の魔物。他のもそうだ。イーアンが解説し始めて、実は倒していたつもりが、増やしていたのかと思える魔物は、過去にも沢山いた。
恐らく、いつでも本体がいたのだ。本体から出てきた魔物は、それはそれとして存在し、本体が倒れない以上は増え続けるのかもしれない。
その中でも、赤い石を持つ魔物は、魔物の王が直に命じた魔物だろう。タンクラッドの剣が反応した時点で、ここにも王が命じた魔物がいる。どこかに、この群れの中・・・・・ 『あっ』ドルドレンは下方に顔を向ける。
ミレイオは振り返って『どうした。何かいたか』と頭の中に訊ねてくる。ドルドレンはミレイオに下を指差す。
『下なのだ。あれ、もっと近くで見ないと分からないが。あれ、赤い点があるのはもしかすると』身動きしない海底に、よく見れば、どっさりと赤い点が並んでいるのを知る。
ミレイオも下の赤い点々を見て眉を寄せ『あれがそうか。全体に気配があるから紛らわしい』と言うと、コルステインに下へ行くよう言いつけ、赤い点の埋め尽くす海底へ進んだ。
「ある。山なんてもんじゃない。恐ろしい量だ。だが・・・まてよ。本当に一国20,000頭が限度なら。
仮に、本体が全てここにいるとして、その全てに目があるとしても、最高で20,000しかないはずだ。目とは言うものの対ではなし。となれば、これは多過ぎるから違うのか」
『ドルドレン。反射だ。海底の岩が反射してる。一つずつ見つけるなんて無理だ。一度に焼き払わないと』
考えていたドルドレンに話しかけるミレイオは、岩と赤い点の温度が違うと言う。赤い点でも、温度がないものがある。それは反射だろうと言うので、ドルドレンは了解した。
『どうして動かないのだろう。海底に留まったままだ』
『知らねぇな。理由はあるんだろうが、まとまっているうちに倒すぞ』
ミレイオは、炎の壁が立ち上がっている場所と、赤い無数の点の場所の間に亀裂があると、ドルドレンに教える。亀裂は一度閉じたようだが、その隙間は黒い線となって左右真横に長く伸びていた。
『この亀裂が、コルステインの家族が出るために開けた場所だろう。手前は炎の壁。亀裂の向こうは津波。津波側に赤い点がある。これは一度開いた時に、魔物が向こうに逃げたのかも知れない。
言わなくても分かるだろうが、亀裂の下はサブパメントゥだ。テイワグナに出るのが条件なら、地下に落ちるわけに行かなかったってことだろう。
ドルドレン。お前にあの赤い石は片付けられない。お前は、向こう側の水の中で剣を振るえない。これはこっちの仕事だ』
『目。オリチェルザム。魔物。沢山。殺す。コルステイン。お前。違う』
ミレイオとコルステインは、どうも自分たちが引き受けると、言っていそうなのだが。でも、と思って、ミレイオにどうするつもりかを訊いた。
『どうやって』
『一度上がる。亀裂沿いに赤い点があると分かった。あれはコルステインの家族に焼き払わせる』
『炎の壁は、これ以上、津波側に動いていないのだ。難しいからここで止まっているのではないのか』
『だとすれば。一回真下に攻撃を向けるだけだ』
『え。そんなことしたら、炎の壁がなくなるのだ。津波が』
『上がるぞ。どっち道、戦うんだ』
地下の国の住人の姿に変わったミレイオは、男らしくてドルドレンは怖い。そんなことを言っていられないのだが、命じられている内容に従うしかなさそうにも思うので、頷いて受け入れた。
ドルドレンを連れたコルステインとミレイオは、もう一度、青い炎の壁に孔を開けてもらって飛び出る。一緒になって出てきた水と魔物は、後ろを守るコルステインが消し散らせた。
飛び出てきた二人に、イーアンたちが気が付いて戻ってくる。同時に出た魔物にコルステインが声を上げると、口の向いた方向の魔物は消滅した。タンクラッドもイーアンもオーリンも、ぞくっとして止まる。
ドルドレンも目がまん丸。お前一人でどうにかなるだろう、と思ってしまう威力に驚くが、思ったことがコルステインに伝わり、青い目を嬉しそうに向けた。
『前。いる。殺す。出来る。横。殺す。ない。全部。違う』
ああ、そうなのと理解するドルドレン。声が向いたところしか使えませんと、謙虚に答えてくれたらしいことが分かった。それでも凄いよと伝えたら、デカイ鉤爪の背中で、鎧の胸をナデナデされた(※鳥だから)。
「ミレイオ。無事で何より」
ドルドレンは、コルステインがいるから無事だろうと思っていても、ミレイオはお皿ちゃんだけ。イーアンは側へ寄って、良かったと微笑んだ。ミレイオも体の模様を収めて微笑み『見に行っただけよ』と答える。
「どうだ。あったのか」
タンクラッドがすぐにミレイオに訊ねる。ミレイオが頷いて、ドルドレンは状況を話した。
「海底か。それもあっち側とは。倒しに掛かっても逃げられる可能性が高そうだな」
「陸に上がった魔物はどれくらいか分かる?」
タンクラッドの言葉に、ちょっと考えたミレイオが、オーリンとイーアンに訊く。二人は、自分たちが倒している範囲であれば、内陸へ進んだものはそう多くないと思うが、と顔を見合わせて濁した。
「実際。私たちの手の届かない範囲からも上がったなら。もうそれは・・・どれくらいの数かまで、想像が付きません」
頷くミレイオ。イーアンもドルドレン同様に察していた。魔物は増えるのだと。ハイザンジェルでもきっと、本体がある魔物がいたのだ。
分裂する魔物の特性を最初の頃に見たから、ああした特性の魔物だけが本体系魔物かと思い込んでいたが、それにしても、数が合わないなとよく感じていた。
2年の報告で上がった数は、今年初めで1万5~6千とは言っていたが、実際の記録数は大まかだと。支部も8つあり、正確な数など、一々押さえられる状況ばかりではなかったと思う。そうすると、どうやっても20,000頭なんて越えていそうだった。
もし、イオライの町を襲った傀儡使いみたいのも、本体以外を数に入れたら、凄い数の敵が一度にいたことになる。だがあの時、実際の敵は一人だったのだ。
このテイワグナの魔物の始まり。今既に、自分たちが見えていない場所から、陸に上がった魔物がいる。それを思うとイーアンは、もうテイワグナにどれくらいの被害が出始めているのか、心配でならなかった。
「そうか・・・どうしようね。まだ増えてるわけだろうから。でもまぁ、まずはこの海の化け物を片付けないとね。
大急ぎで意見交換よ。コルステインの家族たちに、海底の赤い石だか、目だかを倒してもらう方向で考えて頂戴。
ドルドレンはさっき、これを聞いて『炎の壁がこれ以上、津波側に進んでいないということは、難しいのでは』と言ったの。そうかもしれない。となれば、彼らに攻撃させたら、この壁が一時的に消える可能性もあるのよ」
「それってヤバイんじゃないの。津波も魔物も一斉に解除だろ?」
ミレイオの話に、オーリンが首を振って無理だと言う。ミレイオもゆっくり頷いて『そうね。大惨事でしょうね』困ったように答えてから『だから、意見交換って言ったのよ』と続けた。
「でもこのまま、コルステインたちに炎の壁で何日何年って、そんなのも非現実的でしょ。すぐそこに本体がいて、それはどこまでも分身を作っているわけで。それも見えない海底から動いて、今も陸に上がってるのよ。
コルステインの家族が頑張ってくれてるけど、本体の魔物を出来るだけ倒さないうちは、津波を止めていても、分身が増え続けるのは変わらないのよ」
全員が炎の壁と、その裏にある津波を見た。音も凄まじいが、蒸発している霧も凄まじい。そこにいるだけで、誰もがびっしょりになるほどの霧の中。太陽の光など届くわけもない霧に包まれた、テイワグナの国。そして皆が気にしていた、時間。
「もう。夜になるのよ」
ミレイオが面倒そうに呟いた。
お読み頂き有難うございます。




