735. 援軍を呼びに
煉獄の炎のように、霧に反射して青黒く輝く火焔は海を焼く。
触れる全てを塵に変え、その存在の跡形も残さない。火勢が弱まることはない、サブパメントゥ最強の家族の対抗に、魔物も大津波もそれ以上先へ動けないまま。
陸では。沿岸から見ていた人々が、大揺れした地震の後、波が見える範囲の海全体に渡って立ち上がった姿に、7年前の恐怖と諦めを誰もが蘇らせ、一時的に混乱に陥った。
だが、一向に津波が近づいてこないことに、徐々に気が付き始めた人々は、これは救いと、気持ちを立て直し、急いで避難指示を出し始めた。
騒ぎ逃げ惑う混乱の中にも、冷静な誘導が出来る者が少しずつ現れ、家々を回って、大事なものと一緒に、安全な道へ避難するようにと促す。
しかし道に逃がすと、詰め込むように道を急ぐ、数々の馬車や馬の混雑が起こった。我先に逃げようとする恐怖から、乱暴で危険な人間の面が諍いを起こし、所々で怒鳴りあう声や乱闘が怒った。
大津波の高さから『もしも流れ込まれたら』と、そこにいた全員が恐れる。丘の上まで波が押し寄せると想像が付く、巨大な海の刃。川や港にいっぺんに溢れ、巻き返す津波が全てを攫っていく。そしてまた、もっと大きな勢いでやって来るのだ。
それを7年前に体験した人々の恐怖の心は、今、最も危険で繊細な状態にあった。逃げ道も必死な進行に、大勢の人たちの意識は、近づく別の恐れまで気が付くこともない。
少しずつ。少しずつ、地面が揺れる。揺れは磯の岩をゆっくり崩し、波の途絶えた手前の海を小刻みに揺すり、水の染みこんだ砂浜の砂を滑らかに持ち上げる。
恰もそれは、つるりとした芽でも生えるように、自然に、音もなく、砂を付けて盛り上がり、伸びる。濡れた砂が、ぼろぼろと崩れ落ちるほどの高さになると、中に入っていた姿が現れた。そこにいるのは、芽でも何でもない、4~5m丈の魔物。
砂浜に、磯に、港の船に、手足のない長虫に似た形の魔物が立ち上がり、長い体をばたんと倒すと同時に、その体をうねらせながら、人間の群れを目掛けて進み始めた。
コルステインたちの炎の壁が続いている中。テイワグナ沿岸中央にいるコルステインに、家族の一人が教える。『魔物は陸へ』ハッとするコルステイン。声は女の体のリリュー。リリューの場所はテイワグナの岸壁沿い。
コルステインはすぐに自分の後ろ、人間のいる町がある場所を感覚で探ると、魔物の動きを感じた。それに応じるため、炎の壁を一旦戻し、急いで砂浜の町へ、翼を持つ体で飛ぶ。
コルステインの抜けた箇所は、他の家族がすぐに炎を広げるが、勢いがコルステインよりも弱くなる。
家族は次の行動が分からないので、炎の壁を保つのみ。魔物と津波は、弱い箇所にぐっと一度はのめりこんだが、なぜかすぐに下がった。その引き下がり方は、炎の壁全体からゆっくり遠ざかるような動きで、津波とその水の壁の中にいる魔物は、炎から退却するように、徐々に距離を開けて動いていた。
2秒も掛からず、砂浜の町に降りたコルステインは、長い体の魔物が山のようにいる光景に、躊躇いなく対処する。砂地に着けた鳥の足から、青黒い煙が立つ。煙は砂の中を動き、見える範囲の魔物が一気に散った。
魔物が近づき過ぎた人間の側では使えない。使えば人間も散ると分かるので、魔物の出現に悲鳴を上げ始めた人間の群れに飛び、コルステインは彼らの前に立ち、人間たちを背に魔物を倒す。が、今度はコルステインの異形の姿に、人間が絶叫する。
守っても自分が恐れられ、剣を持った男が走ってくる姿に、コルステインはどうして良いか分からず、飛んでそれを交わしたが、そうすると魔物が人間に近づく。魔物を上から倒すために力を使うが、自分を攻撃しようとする人間も、コルステインの力の範囲に入ってしまうので、上手く倒せない。
細かい動きが取れない上、言葉も話せないコルステインは戸惑う。自分が攻撃をやめると、陸に入った魔物が人々を襲う。
『コルステイン。呼びに行くのだ。家族が止めている間に』
頭の中に精霊の声が届く。焦るコルステインは人を襲おうとする魔物はどうしたら良いのか、とそれを考えるが、精霊は『行きなさい』を繰り返す。
魔物相手に、男が何十人も剣を持って戦っている姿。魔物が大きく見えるから、人間はすぐに死ぬ気がした。でも――
精霊が行けと言うならと、コルステインは翼を広げ、ハイザンジェルの北西支部へ飛び立つ。家族に交信してそのまま守るように、味方を連れて戻ることを伝え、霧のない空の下を飛んだ。
飛びながら、動きが鈍くなるのを感じる。体という体のないコルステイン。体を保つことが難しくなる、太陽の光。速度は落ちるが、鳥の姿に已む無く変わり、大きな黒い鳥となって午後の空を飛び続ける。
焦る気持ちを急かすほど速度が落ちたので、これはダメだと、大きな森の陰に一度入り、体を消した。そのまま陰に馴染み、陰を伝ってハイザンジェルの目的地へ移動する。昼間の移動は難しい。
でもどうにか北西支部の外まで来て、ギデオンの匂いを見つけた。
馬車の影に入ったコルステインは体を現す。途端に馬車の中から、金色の目の男が出てきて、体に青い模様を浮かばせながら『来たか、お前がコルステイン』自分の名前を呼んだ。
サブパメントゥの男がいることにも少し驚いたが、そのすぐ後ろに、白い角の小さな龍もいるのを見て、コルステインは戸惑う。
コルステインは頭を振って『悪い。しない。来て。テイワグナ。来て』途切れる言葉で一生懸命伝える。青い模様の男は体を屈め『テイワグナ?』そう聞き返す。龍も出てきて、驚いたような顔で『魔物ですか』と言う。
コルステインはどうにか分かってほしくて、何度も頷いた。すると、その後ろから出てきた男が自分を見た。
「その姿。コルステインか?」
それはずっとずっと、待って、待って、探して、待ち続けた男。ギデオンだった。灰色の瞳が自分を見て名前を呼んだ。コルステインの目から涙の雫が落ちた。すぐに空気に消える、幻の涙。
「泣いているのか。迎えとは、お前のことだったのか」
コルステインは、言葉にされても自分の名前しか理解出来ない。自分の口に指を付け、次に額に当てる。その仕草を見た龍が、すぐにギデオンに何かを話し、ギデオンは頷いて再び自分を見た。
『迎えとは。お前のことだったのか。どこかで魔物が出たのか』
『ギデオン。会う。待った。沢山。待った。嬉しい。魔物。テイワグナ。来て』
『勿論だ』
ギデオンはすぐに頷いてくれた。今は大変なはずなのに、コルステインはとても嬉しかった。近寄って触ろうとすると、サブパメントゥの男と龍がギデオンの前に立つ。
『まだ喜ぶな。連れて行け。やることがあるだろう』
金色の目の男が言う。コルステインは首を振って『少し。触る。会いたい。会う。した』ちょっとだけでも、と願う。龍はそれを聞いた。『コルステインは。ドルドレンに触りたいのですね。会いたかったから』そう?と訊ねられ、一生懸命頷く。
ぎこちない首の振り方を見た龍はニコリと笑って、後ろのギデオンの腕をゆっくり引くと、コルステインの前に引き合わせた。
ギデオンは少し戸惑っているようだった。怖がらせないように、自分を覚えていると思うからこそ、そっと手を伸ばし、鉤爪の弧を描く背中でその胸を撫でる。昔、こうして撫でたことを思う。
この時、爪に少し痺れたような振動を受けたが、コルステインは嬉しくて仕方なかった。
『ギデオン。覚える。お前。コルステイン。覚えた。分かる?』
『コルステイン。俺はギデオンではない。俺はドルドレンだ』
名前がどうして違うのか。それは分からないコルステインは、鳥のようにカクンと首を傾げ、『ギデオン。ドルドレン。ギデオン?』もう一度確認する。
『違う。ドルドレンだ。ギデオンはずっと昔に死んでいる。彼は俺の先祖だ。嫌だけど』
『ギデオン。死ぬ。でも。いる。ここにいる。ドルドレン。ギデオン』
うーん、と唸るドルドレン。横で聞いている金色の目の男と、龍は笑った。龍はコルステインに微笑む。
『コルステイン。彼とギデオンは似ていますが、違う人です。だけど一緒に旅をしますよ』
コルステインは龍を見つめ『龍。名前。何。ある?』昔見た龍と似ているが、この龍もまた違うのかと思い始めて、聞いてみた。
『私はイーアンです。龍だから、あなたに触れないけれど。触れたら良いのに』
イーアン。精霊が何度も言う、龍のイーアン。自分を愛すると言っていた。小さな龍はニコニコ笑う。コルステインは、龍のイーアンは好きだと思った。前の龍(※ズィーリー)は怖かったけど、イーアンは怖くない。
『龍。コルステイン。嫌。好き。仲間?』
『私はあなたが好きです。触ったら痛いと聞いているから、触れませんが、本当はとても撫でたいです。あなたが好きですよ。あなたと私は仲間です』
コルステインはゆっくり頷いた。そっと龍にも手を伸ばしたが、触れる前で自分の指が、塵のように崩れそうになって、慌てて手を引っ込める。金色の目の男が、その手をコルステインの腕に置き、止めるようにと言う。
『どうして。好き。触る。触る。ダメ。お前。イーアン。触る。コルステイン。イーアン。触る。したい』
金色の目の男はちょっと考えて『私は大丈夫なのよ。でもあんたは今は止めなさい。そのうち、何か考えてあげるから』思いつかなかったか、龍には触れないと念を押された。龍は困ったように微笑んでいた。
『イーアン。呼ぶ。精霊。イーアン。呼ぶ。お願い。行く』
コルステインは触らないことにして、自分が何をするべきか思い出すと、もう一度伝えた。精霊はイーアンを呼べと言っていた。小さな龍は頷いて『すぐ行きます』と答えた。
コルステインは安心し、ギデオンを見る。連れて行きたいけれど、太陽の光の下では飛べない。それをどう言えば良いのか、思いつくままに伝えてみた。
『早く。行く。皆。魔物。戦う。する。どうする。飛ぶ?光。ある。ダメ。遅い』
ミレイオは、コルステインの言いたいことを察した。そして翻訳。
「コルステインはね。私よりもずっと光に弱いのよ。光に耐える体も持っているけど、それだときっと、移動が遅いんだわ。
早くテイワグナの戦いに、私たちを連れて行きたいけど、最速で行くには・・・多分、この姿で、ドルドレンを運ぼうって気なんじゃないの?明るいし、どうしたら良いかって」
「え。俺は龍がいる。ショレイヤは相当速い」
「うーんとね。速いと思うけど、背中に乗せたままの限度があるでしょ?龍自体が速く飛べても、あんた付きじゃ、最高速は無理だと思うんだよね。イーアンは多分、翼があるから、自分の最高速で飛べるだろうけど」
ここで喋ってるのも時間がマズイかも、とミレイオは言い、とりあえずコルステインを待たせ、馬車の中を覗きこむ。
中の男たちは、出るなと言われて待っているが、ミレイオとイーアンと総長が、誰と話しているのか知りたい。
「行くわよ。津波、テイワグナだった。コルステインが来ているのよ。で。ちょっと聞いて。
オーリンとザッカリアは、コルステインに触っちゃダメ。あんたたちは空の気力が働いてるから。
あとはフォラヴか。あんたも止しといて頂戴。妖精にどんな影響があるか知らないけど、やめておいて。
んー・・・タンクラッドと、シャンガマックは大丈夫ね。でもまぁ、用事がなけりゃ触らないでもね。
それで。注意事項終わり。とにかく、鎧着けなさい。武器持って。タンクラッドは龍の上着・・・あ、ダメか。龍の皮の服を着たらコルステインに触らないで。
それと、龍でテイワグナの沿岸に向かって頂戴ね。私もタンクラッド、乗せて。コルステインとイーアンとドルドレンは先に行くわ。ザッカリア」
目を大きくして不安そうに自分を見ていた子供の名を呼ぶ。『あんたも龍で向かうけど。お兄ちゃんたちから離れちゃダメよ』しっかり言い聞かせて、彼が頷くのを見て微笑んだ。
「待ってくれ、ミレイオ。イーアンが先に行くって何でだ」
急いだオーリンが訊くと、ミレイオは彼女は翼で向かうからと言う。『俺が一緒じゃなければ疲れる』オーリンがそう言うと、ミレイオは『忘れてた』と額に手を当てた。
「そうか。そうだった。あのね、大急ぎで行かないとマズそうなの。だからコルステインがドルドレンを運んで、イーアンは翼って思ったんだけど。オーリンは龍の高速に付いていけるか」
「俺を誰だと思ってんだ。龍の民だぞ。ちょっと寒いけど(※そう。ちょっと寒い)大丈夫に決まってるだろ」
そんなことだったのか!と怒るオーリンは(※失礼しちゃうって感じ)すぐに立ち上がって外へ出ると、龍を呼んだ。来るまでの間に、荷物から龍の皮の上着を引っ張り出し、それを羽織った。
「俺は先に行くぞ。イーアン」
弓を肩に掛け、皆に挨拶すると、オーリンは馬車を降りる。それからやって来た龍に走った。
親方も龍の皮セットを手早く取り出して身に着け、それからイーアンを引き止めるために馬車を降りた。『イーアン、お前あのな』言いながら裏に回ってハッとする。
馬車の裏手には、見たこともないような女と男が混ざる巨体が立っていた。夜空のような色の体。鳥の手足、黒い翼。銀色の月のような長い髪の毛。大きな青い瞳。
「お前は・・・コルステインか。大した迫力だ」
コルステインは、時の剣を背負った男を見つめ『ヘルレンドフ』と名を呼んだ。その声は声ではなく、ドルドレンとミレイオとイーアンだけが聞いた。
「参ったわね。こんな火急の用の時に、何か面白いこと聞いちゃって」
ミレイオは首を振って苦笑いする。コルステインは時の大剣を背負う男を、見つめていた。タンクラッドはすぐに我に返り、イーアンに近寄り、荷物を持つように教えた。
「急ぐんだろ。もしかすると綱がいるかも知れんぞ」
お読み頂き有難うございます。
今日は嬉しいご感想を頂きました!読み込んで下さっている方からのご感想で、コルステインについての言葉を頂戴しました。有難うございます!!とても嬉しいです!!




